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二章 水底に沈む玉
117、玉の回収 2(村への潜入) ◆
しおりを挟む「おい、何かいるぞ」
頭上から、ガルカの声が聞こえた。風の影響を全く受けていない、飛行中とは思えないようなクリアな声だ。
アルベラが前方を見るが、雲の中に居り、白の濃淡しか分からない。エリーはというと、ガルカに知らされ、目を凝らすことでようやくそれに気づけた。
「あらま」と溢すエリーに、「え゛、見えたの?」と、アルベラが引くように呟く。
ガルカが見た物。
地上を走る軍勢。国旗。兵士、騎獣。そして空にも、前方を飛ぶ群。
エリーには、雲の向こうの獣の影は捉えることができても、地上の方までは視認することは出来なかった。空の方が見えただけでも、十分常人離れしている視力だ。
(地上に千………無い位か? 空に大体二百。そこそこ凶暴なドラゴンの、狩りにでも行くような数だな)
ガルカは見た目と匂い、気配などから数を察する。
(下に聖職者の気配を感じる。この距離なら気づかないだろうが、空の騎獣の方は勘づくか? もう少し距離を取るか)
ガルカは高度を上げ、団体を追い越す。
「まさか、この村が目的じゃないでしょうね?」
水の壁を前に、アルベラはまだ来ていない団体を振り返る。
「さあな。奴らがここを目的にしていたとしても、奴らの到着前に、行って戻ってくる位容易いだろ」
アルベラが用があるのは、北口から近くの場所らしい。コントンとガルカの話では、二人(一人と一匹)なら、一時間かからず往復できる距離らしい。
「何かあったら通信機で連絡してください」
エリーが銀の棒を示す。エリーは今回、同行できないので言葉での支援に回ることになった。また、アルベラに何かあり、救助が必要な場合は、雷炎の魔徒を送り出すことになっている。
雷炎の魔徒には、ガルカが話を通している。その頼みを受ける代わりに、魔徒は「またアルベラ様に会いに来て欲しい」という条件を出していた。
アルベラが村に潜入後、エリーはこの近くに、適当に身をひそめる。「呼びたい時はこれを割れ」と、雷炎の魔徒から渡された、小石のような魔術具を携えて。
「会う」、たったそれだけ。
(そのたったそれだけが、どれだけ怖いことか………)
どうか、あの小石を使わないで済みますように、とアルベラは胸の中で祈る。
「ほら、あいつらと居合わせたくないんだろ。ならさっさと中に入れ。すぐにコントンが合流する」
ガルカに背中を押され、アルベラは「はいはい」と頷き、足を踏み出す。
得体のしれない物への恐怖。それを理解できないガルカの無神経さには呆れるが、躊躇いの無い態度には頼もしさを感じた。
水に立ち入る瞬間、エリーをちらりと見ると、「お気をつけて」と軽いノリの笑顔を向けられる。
エリーもエリーで気が気ではないのだが、お嬢様本人がやると言い出した以上、「後は自分が出来ることで、サポートしていくしかない」と心を決めていた。だからもう、さっさと行って、できる事ならさっさともどって着て欲しかった。だからあっさりと送り出す。
アルベラは、この中で一番もたついている自分にイラつく。
(覚悟、決めろ!!)
水に覆われた村へと、更にもう一歩足を踏みだした。
ヒヤリと肌を撫でる空気。
村の中に足を着地させた瞬間、大地がスライドし、少しずれ込んだような感覚がした。ほんのわずかな感覚で、視界が無ければ、気のせいだったのかもしれないと思えるような些細なものだった。
だが、アルベラは辺りを見回し、異変に気付く。
(あれ、これ………村の北口じゃない)
自分が立っていたのは、どことも知れない雑貨屋の中だった。
辺りを見回し、自分の背後にあの水と空気の境目がない事も確認する。
「ガル、カ?」
自分の真後ろに居たはずのガルカが居ない。
(まずい。いきなり逸れた………)
アルベラは、全身の血の気が引いていくのを感じた。
荒れた店内を見回し、ひとまず壁に身を寄せ、店内の窓の下に張り付く。
混乱しかけた頭を、自衛のためにも何とか落ち着かせようとした。
ここには魔族や魔獣が居るのだ。無防備に外に飛び出しては、命に係わるだろう。まずは、今いる場所の状況だけでも把握しなければ。
店内の棚はところどころ倒れ、商品が床に散らばっていた。視界は水中そのもので、薄暗く、景色に揺らめきが生じている。店内の物は殆ど床に転がっていたが、幾つかは水中の中にあるように、身を浮かせ揺らめいていた。
(あれは沈んで、あれは浮いてる)
アルベラはそれらの違いは何だろうと考えた。そして、自分の所持品からも、重さの無くなったものが無いかと、ローブの内側を確認した。香水や、八郎に貰った防衛グッズが無反応の中、首にかけた通信機だけが軽く浮き上がっていた。
(———そうか。魔術具。魔力の水。だから魔力関連の品が影響を受けているのか)
なるほど、と納得したところで、「あ」と声がこぼれる。
(え? これってまさか、通信機が使えなくなってるパターンじゃ?!)
アルベラは、町で購入した「並みの品の通信機」に息を吹きかける。スチールのような銀の棒から、小さな泡がコポコポと出た。通信機の端が、通常なら風の精霊の影響で緑に輝くはずが、青く輝いていた。
『——————ネ―――――――――』
(………? 音………)
水の音に紛れて、通信機から聞こえてくる声。それに耳をそば立てる。エリーの声でないのは確かだ。
それは子供の声に聞こえた。数人の子供の声が重なって聞こえる。
『————シ—————ネ――――ネ―――ナンテ、イラナイ―――――――――――――ミンナ、シンジャエ』
(ホラーか!!!!!)
叫びそうになったアルベラの口から、ごぼごぼと泡が漏れた。
急いで通信機を切る。恐怖で呼吸と心拍数が上がっていた。
(だ、だいじょうぶ。これはきっとガルカから聞いてた呪いの事。大人が死ぬ呪い。この水の中が憎悪で満たされてるって言ってた奴!! だから、きっとそれに関係する物。………大丈夫。おばけじゃない。幽霊じゃない。落ち着け、私!)
『———アルベラ』
「んな―――?!」
また叫びそうになり、アルベラは口を押える。
コントンだ。
アルベラの陰から、黒い犬の大きな鼻先が突き出されていた。影からずるずると這い出て、小さな店内を見回し、頭を出し切った状態で止まる。店の狭さから、体を出すのは無理だと判断したのだ。
「コントン! 良かった。ずっと傍にいて!」
心細さから解放され、アルベラはコントンの額へとしがみつく。
コントンはよくわからなそうに首を傾げた。アルベラに抱き着かれたのは嬉しいので、その口元が笑った形に開かれ、影の中で尾がブンブンと振られる。
コントンが口を開いた事で、そこから何か、布の塊が落ちる。
「ん?」
『コレ ヒロッタ。タマ サワレナカッタ。ケド コレアッタ。アルベラノ ニオイスル』
アルベラはそれを拾い上げる。それは、いつか玉の祠へ訪れた際に、木に掛けて忘れていったコートだった。
(どいう巡り合わせ? ま、取りに行かせる予定も、買い直す予定もなくなったしいいか。意外と汚れてないし)
「これ無くしてた奴なの。ありがとう、コントン」
アルベラが良い子良い子と額を撫でると、コントンはやはり、尾を振って喜んだ。
(こうしてると、ただの大きな犬ね。けど本当に良かった。コントンさえいれば、玉の場所までは安心)
あとは玉の状況次第だ。持ちされるような状態ならそうするが、見るからに危険なら、一旦引いて考え直す予定だ。今日がダメでも、高等学園卒業までは猶予があるのだから。
(私が引くことで、あの軍隊が何とかしてくれるかもしれないし)
今引くことで、余計に手の届かない場所に行ってしまう可能性もあるが、その時はその時だ。今の自分でどうしようもできないなら仕方ない。
(そろそろ動かないと)
アルベラは人気のない店内を、もう一度見回し、窓の外を覗く。
村の上を漂う、大きく長い生き物の影が見た。長い紐のような部位を揺らめかせて泳ぐそれは、リュウグウノツカイに似てる。
(コントンの背中に乗せてもらって、さっさと行く。何かあればコントン頼り。対魔術具系は、ガルカに止められて持ってきてないし。私には弱弱の水系魔法か、エリーに教わった護身術だけ。魔法や魔術の知識は中等教育程度で、ほぼ無いような物。ここでどんな現象が起きようと、コントンのパワーで押し切ってもらうしか手は………………………………そういえば、入って来た場所からワープされてるこれは何? 水の中みたいな視界だから、村の中とは分かったけど。この水の仕様なの? けどこんなの、ガルカからは聞いてない。こんな特殊な奴、普通なら事前報告に入れておくはず―――)
『ネ、ネ、アルベラ。ヘンナヤツラ キタ。ズット タマノマワリ ウロツイテタ』
「え?」
『ヘンナヤツラ アルベラタチヨリ ハヤクキタ』
「どいういうこと?」
『シラナイ ケド イチオウ ホウコク』
アルベラはコントンの報告に考え込む。だが、状況がつかめきれない。後から来るかもしれない、団体の事もある。ずっとここに居ても仕方ないので、とりあえず玉の在処に向かう事にした。
道端に転がる遺体。当たり前に感じる血や肉の匂い。それらから目を逸らしながら、アルベラはコントンの真っ黒な毛並み越しに前だけを見る。
やがて、三体の魔族の背中が道先に現れる。
かと思うと、コントンがあっと今にその三体を薙ぎ払い、大きな口で一呑みしてしまった。
黒い長毛に絡まるようにしがみ付いていたアルベラは、その手際の良さに、情況把握が追い付かず、目を白黒させる。
良く分からないが、この犬が強いことは分かった。嫌われてしまえば、自分もあの魔族同様イチコロだろう。と想像し、「コントンさんかっけーです! まじリスペクトっす!」と、いかにも下っ端のような言葉が、頭の中に浮かぶ。
『ヒト』
はっはっはっ、という、犬独特の呼吸音の合間、コントンのおどろおどろしい声が小さく呟いた。
「え?」
アルベラが顔を覗かすと、五歳前後の少年が、崩れかけた壁に背中を預けて座り込んでいた。
ぼさぼさの、紺がかった暗い鼠色の髪の少年。彼の鼻から上の皮膚は、痛々しく焼けただれていた。肌は不健康に白い。生気を感じさせない目元には、濃い隈ができていた。
少年は、大きな黒い魔獣の背から顔を出す少女を、ぼんやりと見上げた。
随分と疲弊しているように見える彼は、「え、………人?」と呟き、呆然としていた。
***
村の外では、城から送り出された大隊が到着し、村の北側、東から西にかけてを囲い始めていた。
その大隊を、一人の魔族が空から眺めていた。彼は値踏みするように、幾つかのブロックに分かれた兵士たちに目をやる。
「———あそこ辺りが狙いやすそうか」
気配を消し、ゆっくりと地上に降りる。後はこちらの存在に気づきもしない間抜けを、背後から手際よく切り裂いてやるだけだ。
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