アスタッテの尻拭い ~割と乗り気な悪役転生~

物太郎

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三章 エイヴィの翼 前編(入学編)

160、授業開始 4(神聖学と隣人の声)

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 初級神聖学の授業の開始、スカートンはバッグを膝に乗せ、ノートとペン、それと持参するよう指示されていた「聖杯」と「箒」を出す。

 聖職者用の「聖杯」というのは沢山のレパートリーがあるのだが、正直なところワイングラスのような形であれば何でもいいとされている。見た目の装飾は演出でしかなく、極端な話、液体を満たせる機能さえあれば問題ないとも、母から以前聞いたことがあった。

 箒の方は、掃除をする用の物とは全く別で、鳥の羽を扇状に束ねた三十センチ前後の小道具だ。

 聖杯も箒も、聖職系の魔法や儀式でよく見られるお決まりの道具である。

 スカートンの持ってきたそれらは、中等部から使用している教会でもらってきたお古だ。

(あら、あの机の道具見覚えが……)

 視線を感じたのか、持ち主が視線を上げる。同じく中等部から上がってきた、顔見知りの生徒だった。目が合い、スカートンは恥ずかし気に頭を下げた。

 相手の生徒は、手を振ろうとし、急いでそれを止めて会釈で返す。

 彼は前を向き直ると、一瞬跳ねあがった心臓に手を当てた。

(わあああ、グラーネさんと目が合っちゃった! 挨拶しちゃった! 一人でいる時に刺激すると身を潜めちゃう人だから、咄嗟に手を振ったりしなくてよかった……)

 「ほっ」と息をついた彼の気分は、警戒心の強い希少動物にあった時のそれであった。

 そんなことはつゆ知れず、スカートンは教室を見回す。

 教室奥、一番後ろの席から眺めた生徒たちの数は他の授業より少ない。受けられる資格を持つ生徒達が少ないためだ。

(お洒落で綺麗な道具を持ってきている方もいるわね……)

 神聖学は聖職系の魔法を専門的に学ぶ授業で、聖職系の魔法適性が無いと受けることが出来ない。適正は、入学前に検査が行われ、学園側が把握しているので、それによりこの授業を選択できる生徒は予め定められている。

 一番前の端の席、オレンジ色の髪が目に入った。

(ユリさん、やっぱり適正あったのね)

 聖堂のお祈りで、今朝も二人は顔を合わせたていた。お互い邪魔をしあわないように、お祈り中は声をかけていないが、この二日間でスカートンは大分親近感を抱いていた。

(ユリさんの周り……精霊が穏やかで見てて落ち着くな。あの髪も、お日様みたいで見てて温かい……)

 スカートンが眺めていると、ユリが「何となく」と言う様子で教室の入口へ目をやった。すると偶然、そのタイミングで一人の生徒が入ってきた。彼女は嬉しそうに、今しがた入ってきた白髪の男子生徒に向け手を振った。彼は僅かに目を見張ると、手は振り返さず、彼女の元へと向かう。

(お友達……凄いな。入学したばかりなのに。……見習わなきゃ!)

 ―――パンパン

「はい、では初級神聖学、始めますよ。はじめまして。担当のトマス・ディディモです」 

 教壇の上、手を叩いたのは昨日聖堂にて、スカートンに声をかけ注意をした教師だった。細身で、高い声が印象的な男性だ。金の装飾、多分聖職道具を首や腕にジャラジャラとぶら下げていた。悪趣味な格好ではあるが、効果も絶大で彼の周囲は穢れとは無縁に感じた。

 「ガルカさんが見たら嫌な顔しそう」とスカートンは小さく笑う。

(あの格好だしまさかとは思ったけど、やっぱりこの授業の先生だったのね。あの帽子、金光の方かしら。……授業前から印象悪かったかしら……少し神経質そうな方だったし、授業評価に影響しないと良いけど……)





 授業が終わり、ユリは小さく息をついた。

(……なんだろう。気のせいかな)

 授業中、ボードに文字を書いたり、ちょっとした魔法を展開したり。ディティモ教諭はユリの位置から、微妙に見えずらい嫌な位置でそれをするのだ。

 ボードの文字も、やっと見えたと思ったら消して、次の文字を書いてその前に立ってしまう。

(スノーセツさんがノート見ていいって言ってくれて助かったけど……。気のせいだと良いな……)

「夕食、行かないの?」

「あ、行きます。……あの、スノーセツさん。良ければ一緒に食べませんか? 多分リドやミーヴァも合流すると思うんですが」

「……うん。彼らとなら、喜んで」

「良かった」

 ユリは不安を意識から逸らしほほ笑んだ。

「ユーリィ・ジャスティーア」

「はい」

 顔を上げると、ディティモ教諭が目の前に立っていた。

 平均よりも装飾の多い、鍔のない縦長の聖職帽。金装飾の施されたバルーン袖や、大ぶりな襞ひだ状になった襟。彼自身は筋が浮き出るほどに細身なのだが、服装のせいで妙な圧迫感を受ける。

「君、髪色が視界に入って授業に集中できません。今度からもっと後ろに座りなさい」

「……え。それは申し訳ありませんでした。次からはそうします」

「ふむ。あとね、何だい? その聖杯と箒は」

「え? えーと……」

 ユリは何のことを言われているか分からず言葉に詰まる。

「小汚い……。何より汚らわしい……。どこでこんなものを手に入れたんだか」

(……そこら辺の骨董屋で買ってきたなんて言えない)

「そう……何でしょうか」

 品としては良い物を選んできたつもりだった。彼女は自分の目利きが失敗したと感じ肩を落とす。

「ああ。駄目だ駄目だ。これだから生まれが低い者は。そんなもの今すぐ処分しなさい。来週までに指定の店に行ってすぐに買い直してくること」

「え? は、はい……」

「まったく。平民はこれだから。どうせたかが授業と思って、神聖な道具にかける金額をケチったのだろう……卑しいったらない……」

「先生」

 セーエンだ。彼は無表情で、静かにディティモ教諭を見つめていた。

「もう行ってよろしいでしょうか?」

「あ? ああ。そうだね。さっさと行きたまえ。私の貴重な時間が無駄になるところだった」

 彼はしっしと手を払う。

「はい。すみませんでした。失礼いたします」

 ユリは気を落としたように道具を鞄に締まった。

 席を後にする彼女は、ディティモ教諭の大げさなため息を耳にする。

「どうしたの?」

 隣を歩くセーエンが、気落ちした様子の彼女に尋ねる。

「え、と。ちょっと、情けなくなっちゃって……」

「あの人はああいう人なだけだよ。道具を買い直せばそれで終わりだ」

「そう……でしょうか」

「ねえ」

「はい……」

「君は何で敬語なの?」

「え?」

 ユリの不思議そうな視線に、セーエンの無表情な瞳が返る。

「あ、スノーセツさんにですか?」

「そう」

「なんでって……え、と。お貴族の方ですよね」

 彼は小さく首を傾げた。そのちょっとした仕草が儚気で美しく、つい見とれてしまう。

「この間話したけど、遠方の男爵家だよ。南西の国境沿いの。……聞いてる?」

「は、はい。ですから、私は平民なので、なので敬語です」

「そう。もういいよ」

 ユリは「え、」と消え入りそうな声で呟く。

 彼の「もういいよ」が、「もうこれ以上、余計な言葉を重ねなくて良いよ」と言う意味にとれたからだ。

「私……何か気に障る事……」

 一気に体温が下がったような彼女の顔に、セーエンは不思議そうな目を向けた。

「俺は君の友人なんでしょ」

「……は、はい。私、勝手な事を……」

「ならいいよ。ため口で。この間、様付の必要ないって言った時、そういうつもりで言ったし」

「……え?」

 彼はまた小首をかしげ、さらりと白い髪が揺れた。無表情だが、唇に落ちた影の加減で、彼が笑っているように見えた。

「その方がお互い楽でしょ」

「え、ええと……はい。ありがとう、スノーセツさん」

 ユリは頬を緩める。冷えて感じた指先に、一気に体温が戻るのを感じた。

「これから会う彼等にもそう言っといて」

「私が……?」

 「私がですか」と言いそうになり、ユリは「ですか」が出る前に口に手を当てて抑える。

「そう。その方が楽だ」

「……ああ。なるほど」

(スノーセツさんは、もしかして『ものぐさ』な方なのかな)

 安心して空気の緩んだ彼女に、セーエンがまた無表情な瞳を向けていた。

(『どうかした?』みたいな所かな? ……『ものぐさ』ですね、何て言ったら失礼だよな……)

「えーと、なんでもないの」

「そう」

 その目が柔らかく細められたのを見て、ユリは「正解?」と胸に手を当てた。

(ちょっとしたクイズしてるみたい……)

 つい苦笑がもれる。





 ***





 食事を終え部屋に戻ると、当たり前のようにガルカがソファーに寝そべっていた。

 アルベラは息をつく。

「……なんだ、その顔は」

「いえ。なんか屋敷に居た時と変わらない光景だと思って」

「安心するだろう?」

「はいはい。そうね」

 アルベラは棒読みの返答をし、丸テーブルの上に置かれた手紙の封を切った。

「もう……お父様ったら本当強情……」

「やはりな。またあの手紙か。頑なものだ。……まあ、俺はあの男のそういう所は評価してやっている」

 アルベラが目を通しているのは父からの手紙だ。

 一度目の長期休暇、アンナ達との遠出の件を、入学前から父へ頼み中なのだ。

 母もこの件に関して即答はしてくれず「考えましょう」と言ってそれきりだ。

(あと何回お願いしたらいいんだか……。お父様の条件での旅路だと、時間も人でもかかり過ぎなんだってば。確かに安全性は高いけど、これじゃあ一月丸々つぶれちゃうじゃない。ていうかこの大所帯が何より嫌なんだよな……)

 アルベラは「もう……」と零し、ピリから貰った地図を眺める。

(諦めるか……、もう少し押してみるか……)



 ―――♪ タラララララーン、タララララン



(ん?)

 咄嗟の入店音に、反射的にアルベラは自分の仕事を思い浮かべる。

『 ヒロインがヒーローからもらったプレゼントを取り上げる 期限:三年時 』

 それだけではない。三年後、この石がそのプレゼントへ加工される品だということが分かった。

 元から知っていたかのように、当たり前のように自分の記憶の中にそんな情報がある。

「どういうこと?」

 アルベラの小さな呟きに、ガルカの尖った耳が動いて反応すした。

 ガルカが寝そべったまま見上げると、真面目な顔で地図とにらみあう彼女の姿。

(やっと気づいたか、と思ったが。違うみたいだな……)

 彼は残念そうに視線を逸らす。

(前見た時はこんなことわからなかったのに……。……ああ、そっか。前にこの地図見たの、入学前だったから。まだ正式に私の役割が始まってなかったから……)





『あー! お腹いっぱいー!』





「ん?」

 アルベラは驚いて顔を上げる。聞こえてきたのはラヴィの声だ。

(やっとか)

 ガルカは楽し気に口の端を上げる。





『お疲れ様。どうします、ラヴィ。今日は大浴場行ってみます?』





 次はルーラの声。

 アルベラは立ち上がると、ラビィやルーラの部屋とを隔てる壁の前に行き片手をついた。

(会話が……丸聞こえになっている)

 壁に顔を向けたまま、アルベラは静かに魔族の奴隷へと尋ねた。

「コントンの声が聞こえない位の、防音の魔術かけといてって言ったわよね……?」

「ああ、かけた。ついでに隣の音が聞こえやすくしといてやったぞ。盗聴の魔術だ。盗み聞きし放題だぞ。やったな」

「なんでよ! そんな悪趣味な魔術だれも頼んで……」

『ルーディン様素敵だったわね!』

 ラヴィの弾んだ声がアルベラの耳に入る。

(……ほう)





『ああ~、騎士のガーロン様も硬派で素敵だったわ!』

 ベッドに寝そべっているのか、ラビィのテンションの高い声がクリアに聞こえた。

『そうね。思ってたよりお話ししやすい方だったし。……にしても、ガーロン様、学生じゃなかっただなんて。驚いたわ』

 これはルーラの声だ。多分部屋の奥に居るのだろう。距離があるのか、音質が悪い。

『本当ね。通りで大人の男性って感じ。ルーラは聞いたかしら? ルーディン様、ラツィラス様と仲いいんですって。お二人がお茶会してる姿なんて最高に目の保養よね……。はぁ……ご一緒したい……』





(殿下から聞いた話と違うな……)

「貴様」

 ガルカの目の前には、壁にへばりついてがっつり耳を当てているお嬢様の姿があった。

「言葉と行動がバラバラだぞ」

「しっ、今いいとこなんだから黙ってて」

(欲求に正直な奴だな……まあ、もう知っていたが)





『……近々誕生日会を?』

『ええ、らしいわよ。この国で開くのは久しぶりなんですって。婚約者の方は今年に入って決定して、他国のお姫様だそうで……』

『スチュート様……第一妃の方はお決まりなのね。……けど! 何を隠そう私はラツィラス様の婚約候補者! 落ち込む隙は、無い!!』

 「お前もか!!」と、アルベラは心の中で突っ込みを入れた。

『けどラツィラス様、アルベラ様と仲いいじゃない? あのお三方の結託悪行話、城で務めてたっていう騎士の方から聞いたわよ?』

(何?! 悪行話って何?!)

『もう。ルーラってば、そんな話は聞いてる癖に、ディオールが異性として見られてないって話は聞いてないの? あのお三方だけでつるんでやってたのって、馬で競争したり騎獣乗り回したり、魔術研究所覗きに行ったりでしょ? 後は他のご友人同席のお食事だったり……。全然色っぽくないじゃない』





「……あの兵士の手伝いで、『スクリーム退治』だとかもあったな。色っぽいの『い』の字もない」

 ガルカが「ぷっ」と馬鹿にしたように笑う。

「煩い。あの人誑しに本気で異性として見られたらって思うと、それこそ恐怖でしょ。そんな事になった日には、私は急いで身をひた隠しにして絶対に近づかないんだから。きっと脳みそ全部溶かされて、よだれ垂らしてYESしか言えなくなっちゃう」

「貴様……そんな事を言っているが、本心はどうなんだ。何かしらの下心があるんじゃないのか?」

 アルベラは壁からガルカへと視線を移し、「何それ?」と、むっとした表情で返す。

 ガルカは揶揄いの笑みを浮かべていた。

 だが、彼女の意思とは別に、彼女自身から発せられる音に耳をぴくりと動かすと、わずかに表情を雲らせる。それはアルベラが拾えないくらいの微妙な変化だった。そこに他の人間がいたとしても、彼が浮かべた一瞬の表情には誰も気づけないだろう。

(忌々しい……)

 これはガルカ自身に対しての毒づきだった。

 彼は直ぐにその感情を引っ込め、変わらずの笑みにからかいの言葉を乗せる。

「貴様が濁すなら、今ここで俺が暴いてやろうか?」

 彼女の視線の先、ガルカの耳が小さく動くのが見えた。

「ほう……動揺か。次は肯定」

「……あんたね」

 アルベラは片手で、自分の胸辺りの服をつかんだ。

「人の心臓と勝手に話すのやめてくれる?」

 彼女の呆れた表情に、ガルカはツンとそっぽを向く。

「嫌ならその音を止めればいい」

「死ねと?!」

 流石に冗談だと思いたいセリフにアルベラの声量が上がる。彼女は呆れて息をつき、やれやれと首を振った。

 その時、反対の部屋から大音量の不協和音が響き渡る。

『マァ~~~~!! マ゛~マ゛~マ゛~~~~!!!!』

「―――?!」

「―――?!」

 アルベラとガルカが驚いたように両耳を塞ぐ。

 静かにぶら下がっていたスーが、驚いて飛びあがり、隣りの部屋とを隔てる壁へ、警戒音を上げた。

『ラララララ~~~~!!! ア゛ーーーーーー!!!!』

 部屋にある、あらゆるものがびりびりと振動する。

 アルベラとガルカは耳に手を当てたまま、その揺れが止むのをじっと待つ。

 やがて振動が収まり手を離すと、隣りの部屋から小休憩とばかりに「けほけほ」と咳が聞こえる。

 あちらの部屋の主は、防音の魔術がすべての部屋に施されていると知っていて歌っているのだろう。まさか隣の部屋で、質のいい盗聴の魔術を壁にかけているなど、考えもしていないはずだ。

『あ~、あ~あ~あ~! ん゛ん゛ん゛ん゛っ! ま~ま~~~~~!!! ……はぁ……どうしよう。明日の音楽、こんな歌聞かせたら、きっと皆に引かれちゃう……』

 アルベラはラビィ達の部屋の壁から離れる。

「ガルカ……」

「ん?」

「とりあえず、彼女の壁の方から盗聴解いてあげなさい。可哀そう」

「いいのか? この歌を子守唄にするのはどうだ。……くくっ、なかなかいい案だな」

「良いから解け! プライバシーの侵害反対! ちゃんと解かないとスーにコピーさせて、あんたが寝てる横で大音量で反復させるから!」

「はいはい、お嬢様の仰るままに」

 ガルカも、元から短期的な冗談だったようだ。肩をすくめると素直に応じた。何より、あの歌声に自分自身が耐えられなかったというのは大きいだろう。

 「よろしい」とアルベラは返し、「よし」と壁に手をつく。

「おい。プライバシーとやらはどうした」

「……あとちょっと、あとちょっとだけ」

 「悪趣味なお嬢様だ」とぼやき、ガルカは反対側の壁から盗聴の魔術を解いていく。

 彼の後ろから、「……その話は良いからあっちの王子様の情報を流しなさいよ」という小さい野次が飛んだ。

 ―――ガチャ

「ん? あら、……お嬢様?」

 部屋に入ってきたエリーは、床に座り壁にもたれるように耳を当てるアルベラの背に疑問符を浮かべる。
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