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三章 エイヴィの翼 前編(入学編)
182、学園の日々 12(遺体回収、ユリの苦悶)
しおりを挟む先に部屋に到着していたガルカは、明かりも灯さずソファのひじ掛けに腰を下ろす。つい先ほど部屋の中央に置いたソレを、忌々しそうに眺めていた。
「さて……どうするかな」
部屋の中央には普段アルベラがお茶を飲む際などに使用している椅子。そしてその上に座らされた、ぐったりとした男の遺体。頭が体とは間反対を向き、目と口が大きく見開かれていた。涙や唾液が顔の輪郭を伝い、舌がだらりと垂れ下がっている。
『ガルカ コロシタ?』
部屋の片隅で影が蠢いた。
壁と壁が行き当たった一角に、大きく真っ赤なコントンの舌が現れ「はっはっ」と呼吸音が上がる。
「違う。……コントンだけか。あれらはどうした」
『アルベラ アカイヤツトイル。クサイカラハナレタ』
「ふん。そうか」
(ったく。俺を待たせて何をしている)
『コレ タベル?』
「……まだだめだ。あいつらが返ってきてから聞け」
『ウン』
「バウ!」と犬の鳴き声が上がり、部屋の隅に蟠っていた影の濃度が薄まった。
(さて……)
遺体を眺めて考え、ガルカは面倒くさそうにやれやれと息をつく。
ソファから立ち上がると、彼は適当な布を取りに部屋の外へと出て行った。
***
自室に戻ったアルベラは扉の前に立ち、呆然と部屋の中央を眺めていた。
見ているのはシーツと、その下から覗く男と椅子の脚。
(忘れてた……)
アルベラは額に手を当てため息をつく。
(にしても何であんな……確かに視界を奪えとは言ったけど……)
と、初めは呆れていたのだが、直に部屋の空気がどこか重い事に気付き他の二人を見る。
ガルカはソファに腰かけ、静かにこちらが口を開くのを待っているようだった。
斜め後ろにいるエリーは、眼光鋭く何かを問うようにガルカを見ている。
アルベラは「まさか」と頭を過った言葉を口にする。
「―――死んでるの?」
声は自然と低く固くなった。
静な部屋に「そうだ」とガルカの返答が返る。
「あんたが殺したんじゃないでしょうね」と視線で尋ねるエリーに、彼は「単純な……」と呆れに息をついた。
「俺じゃないぞ。こいつの仲間だろう。多分仕事の前に何かしら腹に入れていたんだ。自主的にな」
「そう」
アルベラがガルカの言葉に頷く。
周りから見ればひどく冷静な表情だった。だがアルベラ自身は血の気が引き、体温が急に下がったかのように感じていた。
アルベラはシーツに覆われた男の姿をじっと見つめ、視線を落とした。そして直ぐに顔を上げ、ずかずかと部屋の中央へ行くと被せてある布に手をかける。覚悟を決めているのか躊躇っているのか、彼女はそのまま止まり、自分の手元をじっと見つめた。
別に死体を見て楽しむ趣味などは無かった。
だが見ておきたいと思ったのだ。目の前にあって、自分が関わって……。
「こういう物への耐性も必要だ」「目の前にあるものから目を逸らして解決のチャンスを逃しては、前世の二の舞だ」「こういう小さい選択の『いいえ』の積み重ねが以前と同じ自分を作り上げていくのだぞ」と、頭の中で第三者的な視点の自分が訴えかけていた。
ガルカは目を細め、首を傾げた。
手を止めている彼女の姿を数秒眺め、動く様子がない事を見とめ口を開く。
「首がねじれている。体はそちらを向いているが、頭が向いているのはこちらだ。その他の外傷は特にない。顔は酷い事になってるがな」
見るなら覚悟しろという忠告か、それとも何も知らずに見てショックを受けないようにという気づかいか。ガルカが遺体の形を大雑把にだが説明した。
「……そう」
アルベラは「ふう」と息をつく。
(馬鹿みたい。理由なんてなんだっていい。見たいと思ったから見る。以上……)
アルベラはそっと布を引いた。男の上からさらりとシーツが落ちる。
(せっかく隠してやったというのに……)
ガルカは呆れた目で彼女を見る。
男の遺体を視界に捉え、アルベラは目元を険しくした。
上から下までを表情少なに眺め、「これは魔法? それとも魔術?」と尋ねる。
「魔術だな。自害用ではない。他者から強制される類だ」
「そう」と答え、彼女は捻じれてこちらを向いた男の後頭部に手を伸ばした。彼の短い髪に指先で触れ無表情に「殺そうとしたり殺されたり……簡単なんだから……」と呟く。
彼女の脳裏に、遺体がその辺に転がり、魔獣や魔族に食い荒らされていた、いつかの村の光景が蘇った。
(あっけないよな……)
亡骸に向けられた緑の瞳の中、感情がまとまらず複雑に絡み合う。
命が無くなった事への漠然とした悲しみ、憐み、憂い、怒り、呆れ。大半を占めるのはそこら辺だ。
「なんでこんな仕事を生業にしたんだか」というアルベラの呟きに、ガルカが「報酬だろう」と当然と答えた。
「そういうもんだったわね……」
アルベラは納得し、床に落としたシーツを拾い上げ亡骸へかけ直す。
「エリーはこれ、見たら何かわかる? 誰がやったかとかそういうの。生きてたらお母様に送ろうと思ってたんだけど、こういう状態だとどうかしら」
「ここで確認できるのは身に着けてるもの位ですしね。私も専門家ではありませんし、奥様には連絡して、こちらの方はこのままお送りした方がいいと思います」
「分かった。ガルカは? この人の事はもう何かしら調べたの?」
「道中で幾つか質問はしたな。依頼主は知らず、仲介を通しての仕事らしい。他は何もだ。戻ってくる前に捻じれ死んだ」
「そう。……そういえばこれは?」
かけ直した白い布を示し、彼女はガルカに尋ねた。
「は?」
「これは貴方がかけといてくれたの?」
「ああ。他に誰がいる」
「そう。……ありがとう」
アルベラは視線をシーツに向けたまま静かな声でそう言った。
感謝の気持ちを口にしているものの、アルベラの意識はガルカではなく今もまだ遺体へと向けられているようだった。
アルベラは母への手紙をしたためると、窓を開け印を描く。その中心を叩くと、印は光となり学園内のとある区画へと飛んでいった。
少しすると一羽のフクロウのような鳥が現れ窓がコツコツと叩かれた。学園の伝書鳥だ。日中と夜間で使用される鳥の種類が異なり、今は夜なので夜目の効く鳥が送られてきたらしい。
アルベラは鳥の脚についたカプセルへ小さな手紙を、首に下げられたロケットのような容器には小さな結晶を入れると、引き出しにしまっていたポプリの瓶を取り蓋を開けて鳥に嗅がせた。
首を何度か傾げながら匂いを嗅ぎ、「ぽう」と低く鳴くと鳥はストーレムの町のある方へと飛んでいった。青みががかったこげ茶の体はすぐに夜闇に溶けて見えなくなった。
伝達鳥を目的の場所に飛ばすには幾つか方法があるのだが、その中の一つだ。
今回は鼻のいい鳥を頼む印を使用し鳥を呼んだため、匂いで実家へと言ってもらう事が可能だ。
鼻が良いと言っても、鳥は匂いだけで目的地を辿るわけではない。首に下げた結晶は、母から受け取っていた魔力片まりょくへん(魔力の結晶)だ。結晶から漏れる微量な魔力は、持ち主の方へと流れていく性質がある。鳥は匂いとその魔力とを辿って目的地を見つけ出す。
「さて……」
鳥を見送ったアルベラは、布を被った遺体を振り返りどうしようかと考えた。
(……え。私死体と寝ないといけないの……? けど、これもってエリーやガルカに校内うろつかれたくないし。かといってこのままベッドに入ってお休みもな……。……せめて気休め程度に見え無くしておくか)
深夜三時を過ぎた頃。
アルベラに頼まれて同室で眠っていたエリーはソファの上目を覚ます。
彼女はすっぴん姿にキャミソールタイプのナイトウェアを着ていた。
エリーとしては自室以外で化粧を落とす事に少々悩んだのだが、アルベラの「肌に悪いでしょ?」という言葉が決め手となり落とすことにしたのだ。
クローゼットの前では、番犬役を頼まれたコントンが上半身だけ床から生やしたような状態で眠っていた。
真っ暗な部屋に、窓の外から小さくノックの音が聞こえて来て目を覚ます。外から人の手がコツコツと窓を叩き、ゴーグルをつけた人物が室内を覗き込んでいた。つなぎのような作業着を着て、頭にはニット帽のような伸縮性のある帽子に、口元にはネックウォーマーで、全く顔が見えない格好をしている。
「あら、早いわね」
エリーは起き上がってアルベラの方を見た。
アルベラも目をこすり、丁度体を起こしたところだった。
「エリー? だれ?」とアルベラは半分眠った頭で尋ねる。
そして地姿のエリーを目にしてぎょっとした。
(ああ、そうだった……)
今日の仕返しと、ちょっとした遊び心と、彼女の肌をいたわってあげたいという僅かばかりの良心から、自分がエリーに化粧を落とさせた事を思い出す。
「多分奥様の使いですよ。遺体を引き取りに来たんでしょう」
エリーは当然とアルベラへ顔を向けた。そこに恥じらいは無い。
(私にスッピンを晒すの、全く抵抗なくなってるんだよなぁ……)
これでは仕返しにならないではないかと、アルベラはもやつく気持ちを抑え答える。
「……ああ。流石お母様。たすかる」
アルベラにスッピンを見られることはともかく、見も知らずの客人に見られるのは抵抗があるらしい。
エリーが恥ずかしそうに、ちらちらとアルベラへ視線を向けるので、アルベラが「仕方ない」と立ち上がり窓を開く。
すると、窓の外に器用に張り付いていた人物は「アルベラ様ですか?」と確認をし、アルベラが頷くとディオール家の依頼の印を見せた。声的に男性のようだ。
彼はアルベラへ手招きし、顔を寄せさせる。
「あ、あの……。あの変態は……。大丈夫ですか?」
(ああ……)
アルベラはエリーを振り向く。
大柄で厳つい男が、女性もののヒラヒラ、テラテラのナイトウェアを着ているのだ。誰の目から見ても不審だろう。
「気にしないで、傭兵よ」
「えっ……」
「傭兵よ。ああいう趣味の。傭兵」
「え、ああ……はい。どう見ても傭兵です」
彼は無理やり納得した様に頷いた。
その仕事は手早い物で、アルベラの許しを得て室内に入ると、クローゼットから遺体を取り出し、大きな袋に包んで窓から出て、地上に停めていた大きな鳥の背へと括りつけた。
コントンは彼が現れると共に身を潜めたようで、アルベラが気づいた時には姿は見えていなかった。訪問客もコントンを目にした様子はない。
「遅くにすみません。ありがとうございました。……あの」
男はちらりとエリーを見てアルベラに視線を戻す。
「す、すみません。やっぱり何でもないです。……では失礼いたします。お、お気をつけて……」
「ええ。ありがとー」
アルベラは手をヒラヒラ振り彼を見送る。
「気を付けて」という言葉を添える辺り、彼的にはやはりエリーが不審者にしか見えてないのだろう。
アルベラは窓を閉めるついでに辺りの部屋の様子を見る。明かりがついている窓は幾つかあるものの、誰もあの鳥や彼の訪問に気付いてはいないようだ。大雑把に見た限りなので「多分」としか言えないが。
(さて。これで安心して寝られ、る゛っ)
「お嬢様ぁ、見た? あの子のあの目? 私の事不審者みたいに。ずっと経過して怯えてぇ。酷いわよねぇ。酷いわぁ……。あぁん、癒してぇぇ」
後ろからエリーに羽交い絞めにされ、アルベラは苦し気にうめく。
(コ、コイツ。絶対そんなにショック何て受けてないくせに……!!)
「ぐ、う……ぐうう……」
頬ずりをされているが、女姿でやられた時のような皮膚がやすられる痛みはない。そして女姿の時に感じる、あの強烈な加齢臭のような匂いもなかった。
(す、すべすべ、……フローラル……けど苦しい……お、折られる……)
髭の痛みと匂いの害はないというのに腕力はいつも以上だ。
「し、死ぃ……」
死ぬ。本当に死ぬ。という事を伝えるため、必死に声を出そうとしたのだが、出たのはその一言だった。
(あ、しんだ……)
こてっと体から力が抜けたアルベラにエリーが「やだ! やり過ぎちゃった!」と声を上げる。
アルベラはその夜、例の賢者様と再会し「ゲームオーバー」を言い渡されるという悪夢を見た。
***
(何か私……メイちゃんに試されてる……)
前の休息日。
図書館でリドと共に授業の予習をしていたユリは、昨日の茶会の事で頭が一杯になり、勉強に身が入らないでいた。
何よりも彼女の集中力を欠いたのは、メイが癒しの聖女「メイク・ヤグアクリーチェ」だったという事だ。
メイが「サプライズ」と称して隠していた事実は、あのお茶会の日、見事にユリにばれていたのだった。
なぜユリがこの事を知ったかと言えば、あの茶会の間あいだ、メイが席を立った際にユリが他の二人へと尋ねたからだ。
(だって、あの部屋に通される前。庭で遊んでた子が私を指さして『あ、聖女様の下僕三!』って……。聞こうとしたら逃げられちゃったけど、金光のデイジさんがただの静養の子にお茶入れてるのも変な話だし……王子様と親しいのとか見たら、もしかしてさっきの子が言ってた『聖女様』って……って思ったら本当にそうだったし……)
ユリはあの日の、メイが抜けた僅かの時間の事を思い返す。
メイがお手洗いへと抜け、足音が聞こえなくなったのを確認し、ユリはこくりとつばを飲んだ。
聞いていいだろうか。
不安に金光のシスターを見上げると、彼女はすました顔で目を伏せて静かに立っていた。
そわそわしている様子のユリへ、ラツィラスが「どうかした?」とほほ笑む。ユリは彼の優しい笑みに一瞬見惚れ、そんな場合じゃないと首を振って声を潜めた。
『……あ、あの、まさかメイちゃん……聖女様だったりしません……よね……?』
『そうだよ』
『え?』
あっさり答えた王子様はくすくす笑っていた。
ユリの後ろでは、シスターが呆れたため息を小さく漏らした。これは秘密を洩らしたラツィラスにではなく、嘘をつきながらも隠す仕事が雑なメイに対しての物だった。
『え、あ、あの……メイちゃん、聖女様なんですか?』
ユリは自分で予想していたというのに、呆気なく肯定されてしまい逆にその言葉が本当か嘘かよくわからなくなってしまった。
『うん』
ラツィラスはもう一度頷き、言葉をつけたす。
『後でユリ嬢を驚かせたいんだって。だから秘密ね』
『あ……え?』
『あ。知らないふりをして、ばらされた時にはちゃんと驚いてあげてね。コレ、王族命令』
『え、あの。私、これからもメイちゃん……メイ、様……? に、今まで通りに接していいんでしょうか?』
あたふたするユリに、ラツィラスは悪戯に笑う。
『うん。彼女が自分の事を自分でバラすまで、今まで通りに。僕らがばらしたって知られたら、僕らがメイに怒られちゃう。だからよろしくね、ユリ嬢』
(なんで私、聖女様と王子様と騎士様と一緒にお茶会を……。しかも殿下とジェイシ様が帰った後にデイジさんが一緒にお茶して、なんか色々魔法について教えてくれて……。結局あの日も街中で魔獣出たし……人気は無いとこではあったけど。メイちゃん……様、が私に魔法を教えてくれてる? ……どういうこと? もしそういう事だったら、色々いたせりつくせりで……分不相応すぎて怖い……!)
アルベラの事で若干凹んでいた中、更によくわからない事態が自分の身に降りかかっているような気がしてユリは気が気ではなかった。
「うぅ……」
頭を突っ伏し呻き声を上げるユリに、リドが「どうしたぁ?」と心配そうに小声で尋ねる。
***
アルベラは遅めの朝を迎え、今日一日をゆっくり過ごしていた。
学園に入学してから初めてのちゃんとした休日だ。騎士様に手合わせと雪の上投げられることもなければ、雪山に放り込まれて魔獣狩りをする必要もない。奇襲を受けて小一時間鞍無しの馬に乗らなくてもいい。
気まぐれに校内と学園周りをぶらつき、夕食の時間を目前に帰宅し、いつの間にか届いていた母からの手紙に目を通す。
内容は短いもので、昨日の奇襲に関して誕生日会の伯爵家は無関係である事。後は引き続き調べておくので、そちらも十分気を付けるように。という事が書かれていた。
その件で、身軽なガルカはストーレムに呼び出され、現在母の下で昨日の奇襲についての事情を聴かれている。
あの二人がどういった掛け合いをするのか全く想像ができないアルベラは、何となくハラハラしつつ、だが何となく「あの母なら大丈夫だろう」という謎の安心もありつつで「この後……いや。明日からどうするかなぁ」とぼんやり考え始めていた。
ふと浮かんだのはスカートンの顔だ。
今日一日、ふとした時に思い出しては「会って話した方がいい」とは思っていたのだ。
だが、会って何を話したらいいのか。ついうだうだしている間に休日は終わりに差し掛かっていた。
(来週の授業、スカートンと会うし。このままずっとどっちつかずで気まずいままって嫌だな……)
「話さなきゃ……」と呟き、「けどなにを?」と頭の中で問答していると、扉がトントンとノックされた。
「アルベラ、いる?」
聞こえてきたのは、今丁度考えていた彼女の声だった。
アルベラは扉の前で待機するエリーへ不安を宿した目を向け、こくりと頷いた。
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