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三章 エイヴィの翼 前編(入学編)
185、学園の日々 15(一本勝負と招待状)
しおりを挟む他の生徒たちが校舎へと帰っていた運動場。
アルベラとヒフマスが向き合って立っていた。
それを、キリエとベッティーナとテンウィルが少し離れた場所から見守る。
テンウィルは両手を握り、キリエとベッティーナへ「うちの子がすみません、うちの子がすみません」と何度も謝っていた。キリエは困ったように彼女を眺め、ベッティーナは平民の彼女とあまり関わりたくないのか、ツンとした表情でキリエとは反対側に立ち、テンウィルを相手にする気はないという態度をとっていた。
「ヒフマス様。手合わせとはどんな感じで? 昼食と五時間目を考えて早めに終わらせられるものをお願いしたいのですが」
「……わ、ワタクシが指定していいんですか?!」
「ええ。物を知らず申し訳ないのですが、私は家で護身術を教えられた程度で、勝ち負けがあるような形式のルールは存じておりませんの。ですからヒフマス様にお任せいたします」
(エリー達のやり方はきっと違うんだろうし、そもそもあっちは魔法も魔術も何でもありだし……)
「いいかしら?」と優美な仕草で首を傾げるご令嬢に、ヒフマスはまた「ううっ」と地味にダメージを与えられたような仕草で胸を抑える。
エリー達のやり方とは、アルベラが急所を押えられたり動けなくなったら終わりというものだ。そのやり方にアルベラの勝ちはなく、今までの全てがアルベラの明確な負けをもって終了されている。
「では、大前提として魔法や魔術は無しで、純粋に体術だけでお願いいたします。拳や脚での攻撃を体に受けたら負けとしましょう。腕や足で防ぐ動作での当たりはノーカンです。あと、地面に両手をついたり、両手両膝をついたり、背中をついたりしても負けで。……いかがでしょう? 二回相手から負けを取れば勝ち……というのがよくあるパターンなんですが、一戦にどれだけ時間が掛かるかわからないので、そこは様子を見て。時間が掛かるようなら一戦で切り上げましょう」
「なるほど、分かりました。お手柔らかにお願いいたしますね」
アルベラは丁寧に頭を下げる。
ヒフマスはやりずらそうに「こ、こちらこそ」と頭を下げた。そして言い忘れたとばかりにきりっとアルベラを見上げる。
「私は手加減無しでいいですので」
審判はキリエに頼み、二人はキリエの「始め!」という合図で構えた。
とりあえずこの授業で習った基本の構え―――肩幅に足を開き拳を胸の前に添える―――をし、アルベラは考える。
(相手の防御を破って一発入れる、は分かるけど。両手をつけさせたり両手両足をつけさせたり……? 掴み合いにならなきゃ無理じゃない? ……『手をつく』『膝をつく』の工程はわからないな。背中に乗られて地面に押しつぶされたり、投げ飛ばされて背中から落ちた経験はあるけど、あんな感じ?)
動く様子の無いご令嬢を見て、ヒフマスは「本当に手合わせの経験はないのかな?」と首を傾げた。
(どうしたらいいかよくわからないって感じだし。とりあえず、一発正面から叩き込んでみるか)
アルベラへと距離を詰め、ヒフマスは拳を振り上げる。
そのまま連撃。
前に大きく踏み出しながら、ヒフマスは拳と蹴りをアルベラの胴体目掛け次々に繰り出す。
(イレヴィー! それ公爵ご令嬢だからねーー!!!)
「ヒィー!」と小さな悲鳴を上げ、テンウィルは頭を抱える。
ヒフマスは心の中で「嘘つき」と声を上げた。
(手合わせした事がないわけじゃない。……ていうか普通に対人馴れてるじゃんこの人。護身術しか知らないお嬢様の動きじゃないし!)
アルベラは「手合わせしたことない」とは一言も言っていないのだが「物を知らず申し訳ない」「勝ち負けがあるような形式のルールは知らない」などの言い方はヒフマスに「対人未経験」の印象を与えていた。
「護身術を教えられた程度」というのはヒフマスの感じた通り全くの嘘だ。
(腕の位置低くめ、後ろ足重心………………顔の前に拳を置くのはあんまり好きそうじゃない……。…………好戦的……回避の備えにも見えるけど、どっちかっていうと待ちだ…………誘い込みタイプ。…………したたか……けどたまに回避が大げさになる…………警戒心が強いのか臆病な気質がかるのか……)
ヒフマスはアルベラの動きを観察する。目に捉えた動作がヒフマスの中で人間性や性格へと変換されていいく。
アルベラは後ろへ横へと躱す中、身を低くしたタイミングで片手に土を掴んだ。
(とりあえず一発受けてみよう。同世代の女の子の力加減は……)
アルベラは腕を構え、横っ面目掛けて飛んできたヒフマスの片足を腕で受けてみる。
「……っ!」
思っていたより、その小柄な少女の力は強かった。打撃の衝撃で腕がびりびりと痺れた。
「まだまだ!」とヒフマスが声を上げる。
もう一発! と拳を数回挟み、もう一度体の捻りを利かせた蹴りが来る。
アルベラはそれらを受け止めずに避け、また数回拳を挟んで蹴りを繰り出してくるヒフマスを観察する。
ヒフマスの動きを何通りか見たアルベラは首を傾げた。
(パターンが分かりやすい………………これはいらないか……)
気づかれないように先ほど掴んだ土を地面に捨て、アルベラはヒフマスの動きを注視しタイミングを伺った。
―――ぱしっ
「ぬぅっ?!」
足を掴まれ、ヒフマスが声を上げる。
彼女は反撃をしようと拳を突き出してきたが、アルベラはそれを片腕で防御し、掴んだ彼女の足をグイっと引っ張る。ヒフマスの重心は簡単に崩れた。
「わ、わわっ」とけんけんをしバランスをとる彼女から慌てた声が漏れる。
(力は強いけど踏ん張りは弱い)
アルベラは彼女の脚を捩じりながら、空いた胸倉を掴んで放り投げた。
ヒフマスは両手を付かないよう気を付けながら、跳ねるように着地し体制を立て直す。
(腕力と身軽さに自信あり、ね……。けど、姉・さ・ま・方・ほどじゃない……)
「ふふ……」
(…………背中、いける!)
アルベラは自身の勝ちを確信し口の端を吊り上げた。
「ひぅっ!」
ご令嬢から嫌な気配を感じ、ヒフマスはおびえるようにびくりと体を揺らした。
アルベラは彼女へと距離を詰め、拳を突き出す。その拳は迷いなくヒフマスの眼球狙いで向けられれていた。
目が潰される!
お嬢様の本気の剣幕にヒフマスはそう感じ、向けられた腕を掴もうとしたのか叩き落そうとしたのか、身を引いて腕を振り上げた。
だが、アルベラのその動きは、雰囲気と合わせフェイントだった。
目つぶしの拳は方向を変え、振り上げられたヒフマスの腕を「ぺし」と払い落とす。アルベラは本命の片足を振り上げていた。
(え……きりかえ、はや……)
「ぐっ!」
フェイントからの蹴りの流れについていけず、ヒフマスはアルベラの蹴りを胴に食らう。両足を踏ん張りその場で堪えつつ反撃しようとした。
攻撃回避、一旦引いて仕掛け直して、と想像し―――
『拳や脚での攻撃を体に受けたら負けとしましょう』
ヒフマスは自分の言葉を思い出し、「あ」と小さく呟き動きを止めた。
キリエも見ていて、思い出したように「あ」と声を上げた。
だが止める前にヒフマスの体は宙に浮く。
アルベラが、隙だらけとなった彼女の胸倉を掴み上げていたのだ。そのまま口を挟む隙も無い速さで彼女の体を持ち上げ背中から地面へと叩きつけていた。
(取った。背中)
アルベラは誇らしげに微笑み、ヒフマスを見下ろした。
ヒフマスは大の字になってぽかんと空を見上げていた。その視界がジワリと涙で滲む。
(オーバーキルだよぉ……なんで私投げられたの?)
「ありがとうございました」と悔し気に背中を土で汚したヒフマスが頭を下げる。
「ありがとうございました」とアルベラもにこやかに頭を下げた。
「……と、突然の言いがかりとお手合わせ、本当に申し訳ありませんでした……! し、失礼いたします……!」
ヒフマスは涙目で駆けだす。
テンウィルは「すみませんでした! 本当にありがとうございました! すみませんでした!」と頭を下げると、急いで彼女のを追っていった。
「投げちゃってごめんなさいね」
ほほほ、と笑って手を振るアルベラにキリエが困惑した表情で預かっていた上着を渡す。
(なんか……予想外の所でハードルが上がった気がする……。頑張らないと)
思っていた以上にキレの良いいアルベラの動きを思い出しキリエは気負いする。
「でぃ、ディオール様、素晴らしい動きでした! 流石公爵家。ああいうご教育も抜かりないのですね。護身術程度と聞いていましたが、思っていたよりずいぶんと実践的な動きを取られているように思えました。目を突きに行った動き何て迫真に迫る物があって……! 最後のあの生意気な平民を投げ落とす姿何て、とても爽快でした!!」
ベッティーナの目がキラキラと輝いていた。
ずいっと迫られ、アルベラは「お恥ずかしいですわ」と苦笑を返す。褒められるのは嬉しいのだが、ベッティーナの興奮度合いに圧されてしまった。
今までベッティーナには、ある程度の距離を置きながら見定めようとしている感じがあったのだが。今の一戦は今までのそんな距離感を取り除いてしまうほどに、彼女の中でポイントが高かったようだ。
(エリーやティーチ姐さんやらチンピラ共に比べればやり易かったからな。砂かけられたりフェイントとかで翻弄も全く無かったし……。体格差あったし。道場って言ってたけど何かの型だったのかな……ワンパターンというか馬鹿正直というか。ティーチ姐さんに初めの頃言われた『綺麗すぎ』ってああいう事だったのかな……)
ぐぅぅぅぅ……、と誰からともなく腹の虫が鳴り、三人は顔を見合わせて食堂へと駆けた。
***
「あの人やっぱり性格悪いよぉ! やってて分かった!!」
放課後の「勉強会」……という名の「お喋り会」。
数人の特待生達で集まった寮の一室。ヒフマスが机に突っ伏して泣きわめいていた。
「『手合わせで本質見抜く』ってどんな脳筋だよ。お前もっとやりようあっただろ」
この部屋の住人であるゴルゴンが呆れたように突っ込む。
「でもでも、てっとり早く知りたかったっていうか……正直受けてくれるとは思ってなかって言うか」
「ディオール様、強かったから自信あったんじゃない?」
テンウィルの言葉にヒフマスは思い出したように「うぅ……」と零す。
「怖かった……あの人、眼を狙う前ちらっと喉も見たの。きっと喉狙うか目を狙うか少し考えたんだ…………どっちも急所何ですけど!!!」
「優雅なお嬢様がする事じゃない!」とヒフマスは手足をばたつかせた。
「でもまあフェイントだったし」
「フェイントだから目にしたのよ! 注意引きやすいもの!! 汚い!! 腹黒い!!」
「おいおい。お前あんまり熱くなって絡むなよ……? 『公爵』だぞ? お前だって知ってんだろ? 王族の次に偉いんだぞ? 不敬とみなされて処分されなくて本当に良かったな」
ナナーが呆れながらテーブルの上のお菓子に手を伸ばした。
「本当だよイレヴィー。多めに見てくれたからいいけど。もうあんなのは無しにしてね」
「……分かってる。私だってあの一回で十分だってば。けど人柄が分かって、今までの色々が余計に疑わしくなった。……だってあの人意地悪だもん」
「イ、イレヴィー……」
テンウィルが情けない声を上げ、「本当にもう止めてよ?」とヒフマスの袖を引いた。
扉がコンコンとなる。
ゴルゴンが「どうぞー」と答えると、部屋に入ってきたのはリドだった。
「お疲れ~!」
「お疲れ様~」とリドの後からユリも入ってくる。
「ユゥーリィー!」
ヒフマスはユリに飛びついた。
「駄目だよー! やっぱり貴族と何て関わるべきじゃないんだ!」
「この学園入学しておいて何言ってんだ……」とゴルゴンが呆れる。
「えぇーと?」とユリは困ったように笑っていた。
「ていうかミーヴァの誕生日会の話進めてたんじゃないの? 進んだー?」
リドが手提げのバックを置き、空いたスペースに腰を下ろす。
マイペースにテーブルの上から紙コップを取り、自分とユリの分のジュースを注いだ。
「お店は決まったよ? プレゼントを個人からにするから皆からにするかはまだだけど」
テンウィルが「ここ」とお店のDMをリドへ見せる。
「へぇ~。いいね。ここってお酒美味しいって有名だよね」
DMを見て、誕生日プレゼントの候補を見て、リドが困ったように「うーん」と唸った。
「プレゼント……」
リドはユリを見て「どうしようね」と呟き、顔を渋くする。
周りの不思議そうな視線にハッとし、彼女は「うーん……」と言いながら眉を下げた。
「さっきさ、グラーネ様にも誕生日会誘われてさ……」
「……え?」と、ユリに圧し掛かっていたヒフマスが不満たらたらという顔をリドへ向けた。
「……て事はユリも?」
「うん。スカートン様、毎朝毎晩聖堂で顔合わすし。聖神学でも一緒だからそれで」
「そうそう。私は寧ろユリのついでだよ。たまに一緒にご飯は食べるけど」
リドは苦笑する。
「けどスカートン様、リドは活発で明るくて素敵ねって言ってたよ?」
「そ、そうかぁ。嬉しいけど……聖女様の娘さん……貴族っていう立ち位置でもないし、かといって私達みたいな一般市民って感じでもないし、いまいち距離感に困ってるんだよな」
「多分普通でいいと思うけど……」
考えるユリに、ヒフマスが「行くの?」と問いかけた。
「ええ」
「それでそのプレゼントに困ってるってか」
ゴルゴンが頷いた。
だがヒフマスが気になるのはそれよりも参加者だ。スカートン・グラーネと一番仲が良い人物をこの場の誰もが知っていた。
「それってディオール様も参加するんじゃ……」
「やめたら?」と言いかけた彼女に、リドがあっけらかんと笑った。
「ディオール様はその日用があっていけないんだってー。私も気になって聞いちゃった」
「え?!」
友人の誕生日なのに?! とヒフマスが驚く。
他の者達は「なんだ。なら良かったなー」「安心して楽しんで来いよ」と気を楽にしていた。
(何か皆、私以上にアルベラに敏感になってる気が……)
ユリは苦笑を零す。
「けど、そしたらいい服準備しないとなんないんじゃないか? ミーヴァの誕生日なんかとは違ってきっと盛大だろ?」
ゴルゴンの言葉に「『なんかの』って」とリドが笑った。
「それがね、スカートン様は恵みの教会の宿舎の一室を使ってやるそうだから。静養の子達も参加するから、むしろ汚れていいような気軽な服で来てくださいだって」
「へぇ。教会の宿舎に入れるのか。ちょっと面白そうだな」
ナナーが羨ましそうに「後で感想聞かせてくれ」と言う。
「お洋服かぁ。寮入りではそんなにちゃんとしたドレス必要なかったけど、何かあった時用に準備しなきゃだもんねぇ」
ヒフマスがため息をつく。
テンウィルがそれに頷いた。
「そうね。私も一応持ってきてはいるけど……できる事なら買い換えたいなぁ。田舎から持ってきたものだし」
「ドレスか……。私もちゃんとしたの持ってないな……。入学したら王都で選ぼうって思って」
ユリも思い出したように呟いた。
ドレス買わなきゃ、むしろ買いに行ってみたい。そんな空気が女子の間に流れた。
ゴルゴンはそんな女子の間に水を差す。
「何言ってんだよ。今のところ行事的に心配があるのって、王子様の誕生日と年末のパーティーくらいだろう? 学園行事は殆ど制服で許されるし、貴族様の社交のお誘い受けない限りはそんなん今すぐには……」
「おい……」とナナーが不思議そうな声を上げた。
「あれなんだ? いつからあった?」
彼が指さすのは扉の下だ。
いつからあったのか、金の装飾が入った煌びやかな封筒が、扉の下から滑りこまれていた。
扉の一番近くにいたゴルゴンが腕を伸ばし、それを拾い上げる。
宛名にはこの部屋の住人、ゴルゴンとナナーの名前が書かれている。
差出人は―――
「スチュート・ワーウォルド……」
ゴルゴンはその名を口にすると、顔を青くして小さく震えだした。
「……おい。第三王子様の誕生日、ジェフマの三の月にやるってよ。試験後だ」
彼の言葉に、部屋の空気がぴたりと止まった。
***
アルベラは読み終えた招待状をテーブルの上に放る。
(『そこで改めて挨拶をするから、心の準備をしておけ』か)
招待状と共に入っていたメッセージカードには、そんなような言葉がしたためられていた。
(第三王子様はそれまでこちらの公爵組とは関わる気がないご様子で……。それならそれでいいけど)
「来月はお誕生日会が多いですね。下旬は期末試験なのにお忙しい事」
エリーが他人事のように笑った。
「いいのよ。点数何て赤点だろうが、私達は卒業できるんだもの」
「あら。けどその結果はお城に保管されるんでしょう? 生活態度等含め色々と。卒業後、何かあった時の判断基準になるんですよね?」
「そうね。けどあまりに酷く無きゃ大丈夫よ。満点目指す気は無いけど、赤点取る気もないし……。そこはちゃんと普通に頑張るわ」
「そうですね。お嬢様の場合心配しなきゃいけないのは生活態度ですもの」
「どういう意味かしら?」
「早速使用人仲間の間で噂になってましたよ。ディオールのご令嬢が、特待生を投げ飛ばしてたって」
「は?」
つい三~四時間前の話がもう? とアルベラは目を丸くする。
「警備の方が見て、それが使用人へと流れたみたいですね」
うふふ、と笑うエリーはどこか嬉し気だ。
「はいはい。お早いお早い……」
アルベラはなる様になればいいと投げやりに息をつく。
応援ありがとうございます!
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