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三章 エイヴィの翼 後編(前期休暇旅行編)
243、行きの旅 9(ガウルト城で一泊 2/2)
しおりを挟む「将来をどう考えてる」
(え? 急に何て?)
「は?」と言いそうになり、アルベラはニコニコと微笑みつつも急いで口を閉じた。
表情の薄いレオチェド王の前。先ほどまで街で面白い物はあったか、訓練はどうだったかなどの話をしていたはずなのになぜそんな話を……? とアルベラは思考を巡らせた。
二人は今回の雑談用に準備された応接室にて向かい合っていた。
低いテーブルにソファー。もてなしに心地よく眠れるとおすすめのハーブティー。
アルベラは随分と幅の広い問いに、微笑みを張り付けたまま間を埋めるようにハーブティーを口に運んで考える。
(そりゃあ先ずは役目達成して生き残る事だけど……)
「……私の、この先の人生設計を尋ねていらっしゃるのでしょうか?」
「ああ。荒唐無稽な夢でも良い。言ってみなさい」
(言ってみなさいって……。気のせいかもしれないけど、この人凄い圧感じるんだよな……。目元をあまり緩ませ無いし瞬きが少ないし、やけに真っすぐに見つめてくるし、そのせいでそう感じるだけかもしれないけど……。意にそぐわない事言ったら怒られそう。けど、だからと言って適当なこと言って怒られるよりは……)
アルベラは無意識に片手を胸に当て、そっと息を吐く。
「こういう話は、両親ともまだした事が無いのですが、」という前置きをしてアルベラは自分の考えを口にする。
「―――父の爵位を継ごうかと。まだ、今のところの考えでしかありませんが」
その言葉に、レオチェドの首が一拍置いてこてりと傾げられた。
「爵位……。ああ、君の国では女性が爵位を継ぐのは既に一般的だったな」
王は顎に手を当て「ふぅむ」と考える。
「王妃は目指してないのか?」
「そうではありませんが……そうでなかった場合の話だと思ってください」
ここで変に否定してはあちらの公爵家として、候補者としておかしく思われるだろうと……、ついでにラツィラスの面目も考えてアルベラは社交の笑みと共にそう答えた。
(一人娘なんだし、むしろそうなるべきなんだろうな。お父様が公爵になった理由はともかく、折角父が手に入れた爵位を一代で終わらせるのは勿体ないし……。もし今後やりたい事ができたとしても、爵位を継いでからでだって出来そうだし。実際、店持ったり騎士団長になったり芸術活動や慈善活動したり、爵位と領地持った貴族がそういう事やってるのってよくあるもんな。……のめり込む具合にもよるんだろうけど、そしたら領地経営側に優秀な代理を立てたりすればいいか……?)
それは「夢」と言うよりは現実的にそうすべきなのでは、というアルベラの考えだった。きっと、爵位の継ぎ手が無く自分がどこかへ嫁へ行こうものなら、―――もっとも、嫁に行くのかどうか、結婚するのかどうかは今から断定できる事ではないが―――何よりも自分が後悔するだろうと思ったのだ。
(そのためには、そのうちお父様が爵位の継承についてどう考えてるのか聞かないと。もしかしたら血縁者にもう目をつけてる人だっているかもだし、その場合その人を押しのけてまで公爵になりたいかっていうと、まだよく分からないし……)
父が目を付けた人材なら、それなりに信用できるのではとアルベラは考える。
(何より、父が目を付けたとなればお母様のチェックだって入って当然だし、そうなればその人材の信用性ぐんと上がるよな)
顔には出さず、アルベラは微笑んだままそれらの考えを脳裏で展開する。
彼女の返答に、レオチェドは「そうか、」と返したままお茶を飲み、小さく息を吐いていた。自分の考えに没頭しているアルベラは、密やかな彼の反応には気づけなかった。
(顔は笑っているが……割と本気な目だな。何だ。妃の座は狙ってないようだと話には聞いていたのだが『爵位を継ぐ』か)
「残念だ」
王の呟きに、アルベラはピクリと反応した。
「陛下、残念とは」
「貴殿が本気で公爵を目指すというなら、無理にロディアを勧める事はできないだろう、とな」
「そ、それは……申し訳ございません」
「まあ仕方がない事だ。第二子が望める可能性は低いのだし、ラーゼンが聞いたらきっと喜ぶだろう」
「……」
アルベラは隣国の王から告げられた言葉に、驚いて言葉を失った。
「は……母が、第二子は望めない?」
「その様子だと初耳か」
「はい……申し訳ありません」
「謝る事ではない。ラーゼンからも夫人からもそういう話が無かったという事は、言わないわけでもあったのだろう。……まあ、言ってしまったのだし、中途半端に知っておくよりは全て知ってしまった方が良いと私は思うのだが、君はどう思う」
「……。はい、聞かせて頂いてよろしいでしょうか」
「分かった。―――君の母、レミリアス夫人は君が腹にいる時、毒を受けて死にかけたんだ。勿論君もな。その後遺症だ。月の物もその後数年こなかったと聞く」
(ん? 何でそんな事他国の王様が知ってるんだ?)
とアルベラは不審に思ったが、それは直に本人が明かした。
「―――ああ……。この事は私が勝手に調べた内容だ。本人達は他言したことが無いから、この事に関しては私が知っていることも君がここで知ったという事もばれない方が良いな」
「は、はい」
(お父様、屋敷にスパイがいますよ。月の物の事知ってるって、女かな……え、まさか医者?)
「そちらはともかく、『夫人がもう子供を産めないのでは』と言う噂は君の国で流れた噂だ。君が生まれ十年以上たとうとも、夫人が第二子を身籠る事がないからな。公爵という爵位を持ちながら、子一人とは将来的に不安に思うのが当然だ。なのに子を作らない。つまり『作らない』のではなく『作れない』のでは、とな」
「確かに、そう思われるのは当然ですよね。私も少し不思議には思ってましたが」
「気にはなっていたが聞けなかったと」
「はい……。ここで陛下からお聞きできたのは、いい切っ掛けになったかもしれません」
「『切っ掛け』か。帰ったら本人達に聞くか?」
アルベラは頷く。
「そうしようと思います。勿論、伏せるべきことは伏せさせていただきます」
ニコリと笑む彼女に、レオチェドは「そうしてくれ」とハーブティーを口に含む。
「……ふむ。もしもだが」
「……?」
「もしも、ラーゼンの奴が君へ爵位を継がせないと言った時は、ウチ(ガウルト)へ来ることも考えるといい。ロディア以外でも、必要であれば紹介しよう」
「……は、はい」
困った様子の客人に、レオチェドは表情薄く目元を細ませて笑む。
「安心しろ。これは冗談ではない」
(何について安心?)
「はい。陛下のお気持ち、痛み入ります」
アルベラは上手く笑えてるか不安になり片手を頬に当てる。
二人はそれからまた少し話をした。こちら(ケンデュネル)の国の第二王子は成人してから、第三王子と第五王子は十二歳の頃からガウルトの建国際や王の誕生日に出席しているのだという事。こちらの国の第五王子―――つまりラツィラスの事だが―――彼はガウルトでもご令嬢方から人気がある事などを聞いた。第四王子、ルーディンは十二の時にスチュートと共に出席し、去年は顔だけ出していったそうだ。
「……君も知っているな。わが国でも赤い目と言うのは淘汰される『傾向』がある」
「差別意識」を「傾向」と言い換え、彼は続ける。
「わが国だけではない。ケンデュネルの影響は強い。独自の文化、技術の発展……。他の周囲の国の大半も理由に微妙な違いはあれど、その影響や恩恵を受けている。『赤い目』への意識は、国によってそれぞれだがな」
「はい。存じてます」
(それもこれも、多分ゲームに寄せるためにこの世界的には突拍子のない文化や技術をあの賢者様がぶっこんだせいだよな……)
「うちには『ニセモノ』という差別は存在しない。だから、かの赤い目の王子も赤毛の従者と変わらず初めは奇異の目を向けられていたのだよ。―――だというのに……『あれ』は恐ろしいな。十二の子供が、その場にいる者達のほとんどを虜にしてしまった」
ラツィラスを中心に、心を奪われた人々がふらりふらりと倒れていく図を想像し、アルベラは心の中で「ひ……」と小さな悲鳴を零す。
「実を言うとな、初めて対面した日。私も『あの目』……いや、『彼』を、か。前にした途端、衝動的に跪きたくなったのだ。沢山の臣下の居る前でだ。今思い出しても本当に恐ろしい……。常人のそれをはるかに超える魔力量に、これでもかと感じる神の恩恵―――これこそ王の器だとその時は思ったが、数日経ってようやく『アレは本当に王になって良いモノか』と、『国を惑わし枯れさせてしまうのでは』と思えるようになった。……………………人間らしさで言えば第二の方があるのだがな……逆にあちらは平凡すぎる……」
そこまで話し、レオチェドはアルベラを見て数秒黙る。
「すまない……。今のは聞かなかったことにしてくれ」
レオチェドは他国の王子達の陰口を言ってしまった事に謝罪した。アルベラは苦笑し首を振る。
「いえ。ラツィラス殿下に関しては当然の感覚だと思います……。私もあの方の人誑しの癖はよく存じてますので……」
(十二の頃だったら、寵愛が今に比べて漏れてた頃だしそのせいか……? ―――にしても第二王子ね……。全く表に出てこないし、私もあんまり人となり知らないんだけど……。そうか、他国の王様から見ても平凡なのか。『第二王子様は平凡』っていうのは、ウチの国でもたまに聞くもんな。不敬だから皆堂々と口にすることは無いけど)
そろそろ時間的にもお開きだろうか。
そう思ってアルベラが正面を見ると、王は頬杖をしじっとアルベラを見つめていた。先ほどから真っすぐに見ているには変わりないのだが、何か言いたい事でもある様に感じ、アルベラは「一体なんだろう」と居住まいを正した。
「君はかの赤目の王子から気に入られてるのだろう。なぜ婚約者でなく候補者なんだ?」
「慣わしですので……」
「だが絶対ではないのだろう。本人が強く望むのなら、その希望を通すことも可能だと聞いた。そうしないのはかの王子が相手を決めあぐねているからだ。そして、誰がどう見ても一番に彼の信頼を得ているのはディオール公爵の令嬢だと聞く」
「……殿下にとって、私がそう言った相手ではないという事でしょう」
アルベラはできるだけ穏やかにほほ笑む。
「ラツィラス殿下の事は友人としてお慕いしております。殿下もきっと、私と同じ考えなんだと思うのです」
「と、いう事にしておこう」とアルベラは心の中で付け足す。と言うより、相手からの自分に対しての評価は的は得てるはずだとアルベラは思っている。彼女が素直に認めず「と、言うことに……」と言い訳しているのは、むしろ自分側の視点の方だった。
「そうか、友人……。君もかの王子も、互いにそうとしか思っていないと」
「はい」
「なんだ。やはり『妃』にはあまり乗り気ではないのではないか?」
(あ……)
「ふふっ。まあ大した問題ではない。君の真意が聞けたようで良かったよ。にしても『友人』か……。去年あった時は大分大きくなったと思ったが、まだまだあの王子も心は幼いか。―――さて、そろそろお開きにしよう。君も明日は早いのだろう。朝食を食べたらすぐに出ると聞いた」
「はい、折角ですので」
「―――失礼いたします。陛下、急ぎ伝えたい事が」
扉の外から声がし、レイチェドは素早くそちらへ目をやった。
「すまないな。アレが『急ぎ』という時は本当に急ぎの時なのだ」
これはアルベラに向けられた言葉だった。アルベラは立ち上がりゆるりと頭を下げる。
「私はこれで失礼します。どうぞお気になさらず―――では、今宵は貴重なお時間をありがとうございました」
「こちらこそ感謝する」
僅かに分かりやすく微笑み、レイチェドは「入れ」と訪問者へ命じた。
アルベラは先ほどの彼の笑みに、「ちゃんと優しそうにも笑えるのね」と、少しレイチェドの印象を改めながら扉へ向かう。
慌てた様子の男は、部屋に入ると入れ違いとなるアルベラへ深く頭を下げ王の方へと速足で向かった。
部屋を後にする直前、アルベラは彼等の話を偶然だが聞き取ることが出来た。
「―――陛下、神獣が狩られた可能性があると報告が。今日神獣の観察班から連絡が入りまして、昨日神獣が暴れてからというもの―――子供の元へは今も戻らず―――それらしい遺体も見つからないことから……」
「―――どうしようもない不届き者が居たものだ……―――捕えたらじっくりとその愚かさを知らせてやろう」
レイチェドの酷く冷たく低い声を最後に、アルベラの背後で静かに戸が閉められる。
(……)
部屋の前に立ち尽くし、彼女は背中に汗が伝うのを感じた。
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
部屋の外に待機していたガイアンが尋ねる。
「顔色が悪いですね。陛下に何か、公爵様の事で脅されでもしましたか?」
とタイガーはやや冗談交じりにそう言った。
「な、なにも。緊張が解けて気が抜けただけよ。ふ、二人も、こんな時間まで有難う。早く部屋へ戻って寝ましょう」
アルベラはできるだけ自然に返す。だが、その足並みはいつもより早くなり、この場から少しでも離れたいという気持ちの表れとなっていた。
(やばい! こわい! 早くこの国でなきゃ!)
***
翌日、アルベラの旅行四日目の朝が来た。
朝食を馳走になり、王との軽い挨拶を終え、アルベラ達は来た時と同じ騎士達と共に、二体のドラゴンと五羽の鳥の騎獣の護衛のもとオオヤマドリで運ばれていた。
このままガウルト北の国境沿いの関所へと運んでもらうのだ。
本来の予定なら、今日もドラゴンを使用するはずだったのだろう。だが、アルベラが前日にドラゴンから拒まれた事でオオヤマドリへと変更となったのだ―――。騎獣を見てすぐにそう察したアルベラは、朝からちょっとした精神的ダメージを食らっていた。
「へー。今日はドラゴンじゃないんだなー」
ナールのわざとらしい独り言に、アルベラは「あいつ本当おぼえてろよ」と拳を握る。
「おお! やっぱいい眺めだね。どうだい嬢ちゃん? この景色見たらご機嫌もちょっとは治るだろ?」
飛び発った持ち運び型の一室。アルベラの前に座ったアンナが、外を見て明るい声を上げる。
「もう……別に機嫌悪く何てしてないし、」
とアルベラは唇を尖らせ反発した。
そして彼女も外を見て、来た時よりも更に高い高度からの眺めに小さく口を開く。
「ガウルトは北に行くほど標高が上がりますからね。ケンデュネルのお城が可愛らしく見えますね」
アンナの隣に座ったエリーの言葉に、アルベラは「そうね」と頷く。
(まさか隣国から自国を見下ろせる日が来るとは)
アルベラの目が自然とケンデュネル国の北西側へと向けられる。
アンナも何かを探すようにそちらを眺めていた。彼女は人差し指と親指で丸を作り、それを覗き込みながら呟く。
「さて。あの愚はどうなったかね……。流石にこの距離じゃ点にもならないか」
「あ、聞いたわよ。姉さんたちの追った愚、無事捕まえられたんですってね」
「ああ。私らが愚を追跡して、進路を予測して、他の奴らが拘束。あいつときたら、ナールが以前見た時よりでかくなってやがって、でかい図体してる癖に素早くなってやがったんだよ。ったく、一体あいつらときたら、どこまででかくなれるのか気になるもんだね」
「殿下が第四騎士団を連れて向かわれた討伐の事ですか?」
アルベラの隣のタイガーが会話に入る。
「あの愚、アンナさん達も関わられてましたか」
「ああ。追いかける組でね。……で、なんだって? 王子様が討伐ってのは初耳だね」
アンナの言葉に、アルベラは「結局冒険者の人たちには知らされなかったのね」と返す。
「殿下が愚の討伐に行かれることは、貴族の中でも知るものと知らない者がいますから。私も偶然騎士仲間から聞いたまでです。どの騎士団が向かわされることになのかと、皆気になってる所ではありましたので」と、タイガー。
アンナは思い出したように指をたて、「そっか、第一だっけか」と言った。タイガーはそれに「よくご存じですね」と頷いた。
よく分からないという顔のアルベラとエリーに、アンナが説明する。
「ほら、前に話したろ。愚の討伐が得意な騎士様。あれがたしか城の第一騎士団の所属だったとかなんとか。―――なあ騎士さん、その話は本当かい?」
「はい。前の第一騎士団の団長ですね。彼は愚の討伐を好んで受けていたそうです。そしてちゃんと処理されていました」
「へぇ、なかなかの逸材じゃないか。んで、その騎士団長様はどうしたんだい? 最近めっきり噂を聞かないね」
「その方は少し前に団を抜けられたんです。今はもう別の方がその席を引き継がれており、今はもう第一は率先して愚を討伐する事はないと聞いてます」
「怪我でもしたかい? それともそれなりの歳だったとか?」とアンナ。
「いえ、私もそこまでは……。辞められたとしか聞いてませんので」
「へーえ。もういないんじゃしょうがないね」
アンナは第一の騎士団長の話には飽きたのか、また人差し指と親指で輪を作りそれを覗き込んだ。これは『望遠の魔術』の動作だ。
アルベラは腰の鞄に入れていた魔術のポケット図鑑を取り出し、望遠の印を探す。
自分の手のひらと五本の指先に印を描き、それらを繋いでみる。
(やっぱり……何が悪いんだが。たまに上手くいくんだけどな)
何も変わって見えない視界に、アルベラは自分の手のひらを見下ろした。
「お嬢様。平の印の中心をちゃんと中央に描かなければ、その魔術は上手くいきませんよ。あと、指に走らせる線も、もっとしっかり中心を意識した方がいいでしょう。形は綺麗なので、今の物だとあと少し右にずらせばいいだけかと思います」
タイガーの助言に従い、アルベラはもう一度印を描き直してみる。
すると次はちゃんと発動させることが出来た。
「あ、ちゃんと見えた。有難うタイガー」
「お力になれて良かったです」
興味深げに自国を見渡すアルベラに、アンナはくつくつと笑う。
「婚約者様のご様子が心配かい? お嬢様」
「いいえ。彼等凄い強いもの……嫌味な位」
「ん? 照れ隠しののろけか?」
「違う。ていうか婚約者じゃないって言ってるでしょ。姉さんこそ私が将来妃様になるとか考えて付き合ってたら損するからね」
「そりゃないよ嬢ちゃん! 私がこんなにごますって可愛いがってやってんのに、王妃にならないなんて……そしたらこの旅も付き合い損じゃないのさ!! ―――なーんて、な」
アンナから離れた席に座っていたガイアンは、殺気も露わに剣の柄を握りしめていた。ふー、ふー、と小さく息を漏らす彼をちらりと見て、アンナは小さく噴き出しクツクツと笑う。
「アンナさん、どうぞウチのガイアンをあまり揶揄わないでやってください」
とタイガーが、アンナとガイアン双方へ呆れながら告げた。ガイアンの事は周りにいるゴヤやビオ、スナクスが宥めていた。タイガーとスナクスに挟まれ真ん中の位置に座るナールは、正面で時たま周囲の様子にきょろきょろするミミロウと二人で手遊びをして我関せずだ。
「悪い悪い。冗談だって。報酬貰ってる以上はちゃんとお守りするさ。でなくたって嬢ちゃんと私という厚い師弟の仲だ」
アルベラと肩を組み、「……報酬なくても旅路でそれ以上の額をもう稼げちまってるんだから感謝感激ってね」と囁くとアンナはバンバンとアルベラの背を叩く。
それから解放されると、アルベラは「ほう」とため息をついた。
隣からタイガーが「大丈夫ですか?」と苦笑交じりに問いかけ、「ええ、ありがとう」とアルベラも何てことないと軽く返す。
(愚ね……)
アルベラは窓に頬杖をついた。
(あの二人、どうせもう愚を狩り終わっちゃってるんでしょうね)
あの二人が敗北する姿が思い浮かばず、アルベラの心にはその件に関しなんの不安も心配も浮かばなかった。
赤い髪の彼が愚と嫌な縁があった事は聞いた。だがそれが何だというのか。本人がもう大丈夫だと言っていたのだ。
今のジーンの姿から、アルベラはあの言葉に疑いようは無いと思えてならないのだ。
(玉の件でジーンが倒れはしたけど、アレは状況的に例外だろうし……―――あ……けど……)
あの時、施設の子達を優先した件で手本のような「自己犠牲」を見たわけだが、アルベラが彼等に関わってきた中で、他にも何度か人助けとなると条件反射で動いてしまう赤髪の彼の癖を目の当たりにした事はあった。それは確かに美徳でもあるのだが、自己犠牲に対してはどうしても美しいと思う事が出来ず、アルベラは目を据わらせる。
(……ま、まあ、それに関してはあの子の方が付き合い長いわけだし……私があれこれ考える必要ないか。あの王子様も自己犠牲嫌いみたいだし。大丈夫大丈夫……。―――八郎の方は、ユリは何ともないかな。休みに入ってもう十一日。スカートンやキリエもお祈りや研究頑張ってるかしら……)
地面にヤマドリの巨大な影が落ち音もなく駆ける。それは二頭のドラゴンと数羽の騎獣と共に、悠々と翼を広げ北へ北へと進む。
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