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三章 エイヴィの翼 後編(前期休暇旅行編)
285、翼を取り戻す方法 17(騎士様のエスコートとガルカの合流)◆
しおりを挟む外に出てから少し、ジーンの「そろそろ戻るか」の言葉でアルベラは「そうね」と立ち上がる。
ドレスの形は崩れていないか、変な物はついていないか。確認が済んだアルベラはジーンと目が合い「行きましょう」と了承を得るように告げた。
公園の出口へと歩き出したアルベラと少しして歩き出すジーン。自分から戻ろうと言い出したのにどうしたのかとアルベラが思っていると彼はすぐに彼女へ追いつき隣に並んだ。
「店の少し前まで送るから先に店にはお前が入れ。扉を潜るまではちゃんと見張ってる。それでいいか?」
「時間を置いてからあなたは戻ると。賛成。そちらの方がもしもの面倒が無いものね」
「じゃあそういうことで……え、と」
隣から小さく聞こえたどもつきとそれをごまかすような咳払い。アルベラはどうしたのかとジーンを見上げた。
「―――アントワーニュ様、どうぞお手を。店までご案内致します」
不自然に視線をそらさないよう注意しジーンは片手を差し出した。
彼の中で「自分の立場ならこの場面はこうするべき」という叩き込まれた貴族マナーと純粋な気恥ずかしさとが葛藤していた。少し前までは……数年前までは「まだこれくらい何とも思わずできたはずなのに」とここ最近の自分の自覚の変化を再確認させられる思いでいた。
しかしそんな感情の揺れは生まれながらの不愛想な顔が上手く隠してくれる。アルベラの目にはいつも通りの彼が、いつも通り教え込まれた紳士の対応をなぞり当然としてエスコートをしてくれようとしているように映る。―――どころか、夜の照明もあいまってその表情は堂々としており随分大人びて見えた。
(これはただの社交マナー、これはただの社交マナー……)
「……ええ」
余計な事は考えるなと自分に言い聞かせアルベラは片手を持ち上げる。
―――パシリ
「……!?」
アルベラの手が叩き落された。二人はそこで初めて自分たちの後ろにいる第三者の存在に気付き、歩き出して間もない足を止める。
「ガルカ……」とアルベラが呆れながら叩かれた手を振り呟く。
「レストランへまでこれを連れていけばいいのだろう。なら従者の俺の仕事だ。騎士様はさっさと職務に戻るがいい」
「あ?」と口の中で小さく呟き、ジーンは反射的に不機嫌に目を据わらせる。髪が温風にさわりと揺れ細かな火の粉が舞った。
「ほら行くぞ。あいつらと合流するのだろう」
「行くけどなんであんたが……、場所とか部屋とかわかるわけ?」
「わかるに決まってる、俺の鼻をなめるな。―――おい貴様、なぜついてくる」
「なぜも何も戻る場所が一緒だからだ。鼻でわかるんじゃないのか」
店のラツィラスの匂いも分かるのだろうというジーンの言葉にガルカは鼻で笑う。
「ほう。今日はあの王子と別行動ではないのか? でなければ本当に職務中だったか? 仕事中に女を連れ出していたと? 貴様の騎士道と言うのは随分ふしだらなのだな。―――いや、騎士だからこそか? 不倫に浮気に駆け落ち……と言えば若い騎士がお決まりだものな。貴様もそういう甘ったるい物語に憧れた口か?」
ガルカの目がにたりと笑み、ジーンの目と髪がかっと鮮やかに輝いた。
「え、あの、ジーン……」
「騎士様ともなれば無条件に女からキャッキャされるだろう。今宵のように城の紋章を付けてるなら尚更だな。ほら言ってみろ、騎士になって早々何人の女が貴様に色目を使った? 何人と逢引の約束をした? 人生の先輩が地位や名誉につられて寄ってきた女をどう転がしたらいいかアドバイスをくれてやろうか?」
「馬鹿ガルカこれ以上煽るな! 丸焦げにされたいの!」
アルベラの声を潜めた訴えにガルカは「は?」と不機嫌になる。
「貴様俺が負けるとでも思っているのか? 何なら俺があれを丸焦げにしてやるが」
「するな馬鹿! ジーン、頼むからこれの言葉は一切聞かないで。相手にすれば余計喜ぶ」
「ああ……」
感情の高ぶりは瞬間的な物だったようでジーンの髪や瞳は灯りを弱めていた。それでも熱風と共にチラリチラリと輝く火の粉は辺りにまだ残っている。
「俺の騎士はあんたが言うような不純なものじゃない」
と告げる声は静かだったが、そのあまりに淡々とした様が感情を抑えているものだとよく分かった。
「ほう。なら高潔とでもいうか? 主に命じられれば何でも言う事をきくだけの犬が?」
「自分の選んだ主だ。その言葉に従うのは当然だとは思う……けど主の間違いを正すのも騎士の役目だ。何も考えず言いなりになるだけが騎士じゃない」
「ほう。では今まで俺が見てきた騎士共の大半は偽物だったわけか。そいつらの都合も知らず良く言えたものだな。主の言葉に逆らえば己の命や家族が危険に晒される、そういった飼い主に恵まれない奴らもいるというのに。何も知らないガキはめでたいものだ」
「……知らないわけじゃない。俺は恵まれてる。自覚もしてる」
「ならその哀れな飼い犬どもを助けてやろとは思わないのか。本物の騎士という物になりたくてもなれない者達を貴様はどう思う。哀れだと、脳無しだと馬鹿にして切り捨てるか。それともそいつらも救ってこその騎士だとでも言うか?」
何かを言い欠けジーンは口を閉じた。ガルカは痛い所を突けたと口端を吊り上げ「さぁ言え」と相手の言葉を待った。
(『助けてやる。それが騎士だ』とでも言ってみろ。胸焼けするほど理想に酔った言葉を吐いてここにいる誰もを幻滅させてみろ)
ガルカは黙って話を聞いているアルベラへ目をやった。彼女も彼の返答には興味があるようだ。しかし止めなければという迷いも瞳に現れていた。彼女が余計な事を言ってこのやり取りを終わらせないうちにと返答を仰ぐ
「立派な騎士様よ、何も答えられないか?」
「―――切り捨てたいわけじゃない。けどその人たちの全ては俺には助けられない」
「……あぁ?」
「助けられるチャンスがあるなら俺も助けられるよう努力する」
真っ直ぐな赤い瞳にガルカはちっと舌を打った。
「貴様はつくづくつまらないな」
伸ばした爪が獲物にまんまと避けられ不機嫌になる魔族の横、アルベラは小さくクスクスと笑っていた。
(どう答えるかと思えば……やっぱりと言うかなんというか、本当どこまでも真面目な……)
「折角なら『俺は全部助ける』くらいの大ぼら吹いてほしかったのに」
「そんな事魔族に言ったら後が面倒だろ」
「随分保守的な」と笑いながら返し、アルベラは「ほら」とガルカの耳を引っ張る。
「揶揄い遊びはもう十分でしょ。あんたも一緒にご飯食べたいなら黙って護衛のお仕事を真っ当なさい」
「ふん。自分の主の婚約者候補を夜の公園に連れ出してるような騎士だぞ? 貴様も随分と貞操観念が―――」
「うるさい」
ばしゃん、とアルベラがガルカの顔向け水を放つ。ガルカはそれを指一つで払い退けジーンへと飛ばす。ジーンは勢いを増して顔の前に飛んできたそれを視線一つで蒸発させた。
ちっとガルカは舌を打ち、アルベラも負けじと耳を摘まみ上げる指に力を込めた。
***
「じゃあな」
「ええ。殿下によろしく」
店内の窓から見えない位置でジーンと別れ、アルベラはガルカを連れて店に戻った。
ガルカは店に入る際警備に止められたが、「この女をもてなすよう主人から仰せつかってきた」とディオール家の者であることを服の紋章入りのボタンで証明し難なく通った。
部屋に戻ると八朗とマンセンが雑談を切り上げ二人を迎え入れる。
「アルベラ氏にガルカ殿、おかえりでござる! いやぁ、マンセン殿の目と耳は便利でござるな」
「八郎、それはどういう意味かしら?」とにこやかにアルベラが問う。
答えはテーブルの上で寝そべるマンセンがした。
「全部丸聞こえダ。外で何話してたか二度手間になるからすんなヨ」
「くそ……悪びれもせず……」
「にしてもあの赤いノ、良い感じに育ってたナ。水ん中じゃ分かりずらかったけどあんだけ恩恵受けてりゃそうりゃそうかって感じだナ」
「ジーンの事知ってるの?」
「あア。あの村で見てるからナ。他の木霊の目を通せばそれ以降の事も知ろうと思えば楽勝ダ」
「そう……ですね……」
「あん時お前が死の匂いしてた理由もしってるゾ」
「死の匂い?」
「あア。魂が体から抜けて『円外(エンソト)』に行った匂いダ」
(魂が抜けた……? 玉を取りに行く前……)
「ああ、もしかして贄の拒否」
「あア、試しに殺されたってナ。弱えーと不憫だナ」
「他の木霊の記憶覗いて知ったと……」
「そういうこっタ」
アルベラは木霊達の意識の繋がりについてマンセンから聞いていた。彼等の意識は際限なく繋がり続けてるのではなく、必要に応じて繋げたり断ったり出来るのだ。
つまり彼が「見た」「知ってる」という時は興味の下意識的に探ったということなのだ。
(自分は既にその監視下……)
「数の暴力だ……」
「アルベラ氏、どんまい」
ぽん、と肩を叩かれアルベラは「強い人は怖いものが少なくて羨ましいわ」と深いため息を吐く。
「―――して、ガルカ殿。何か食べたいものはあるでござるか? ここの天然酒は魔力が濃厚で疲れた体にお勧めでござるよ。あとゴォルヴォーのヒレ肉も食べ応えがあってなかなか。アルベラ氏がさっき言っていたデザートはどうするでござる?」
「頼んじゃって、お願い。そういえば今更だけど、八郎はそんな格好で装備の方大丈夫なの?」
「うむ。オタク装備の上から着こんでる故問題ないでござる。スニーカーは残念ながら置いてくるしかなかったででござるが……まあ戦闘力的には大方セーフの域でござるな」
「え……下にあの服着てるの……?」
「この通りでござる」と八郎は腹当たりのシャツのボタンを外しその下のチェック柄を見せた。
「苦しそうね」
「仕方ないでござるよ。お洒落は我慢と言うではござらんか」
「それ意味違うでしょ」
「ところでアルベラ氏、アンナ殿から連絡が来ていたでござるよ。『二十三日 ストーレム到着予定』だそうでござる」
「三日後か……。了解」
(今日は……二十日。予定では二十二日に帰宅だったから一日遅くなるけど……まあ仕方ないか……。帰りが早まるにせよ遅くなるにせよ、到着予定日がはっきりしたら屋敷にも連絡をするように頼んでたし、お父様とお母様にもこの連絡は行ってるのかな)
「八郎、明日と明後日は傷跡消しに専念したいんだけどいい? 二十三日は朝食食べたらストーレムへ移動しましょう」
「了解でござる!」
***
夜の一時も回った時間、レンタル店にドレスを返し宿へ帰り湯あみも終えて、アルベラは宿のベッドの上寝転んでいた。
その腹の上には床から頭部だけを出したコントンの鼻が乗せられており『コダマ ムカツク 殺ス……』と二度も瓶に閉じ込められ粘り気のある恨みの言葉を呟いている。
(うぅ……重くはないんだけど別の意味で重い……)
アルベラはその鼻先をトントンと撫で、別れ際にダタから渡された鍵を眺める。
―――『そのうちでいい。これを清めに渡しといてくれ』
(清めの聖女様にねぇ……。あの地下の事、聖女様は知ってたのかな。……ダタ・ジルドレか。まさかあの村の子供が彼だったとは……)
『―――俺達の名前も軽々しく人に話すなよ。特にラーノウィーは血の気が多い。あいつは人を捻り潰すためなら喜んで飛んでくるぞ』
『貴重ナゴ忠告ヲドウモアリガトウゴザイマス……』
『……お前、随分とこの傷が気になってるようだな。また触りたいか?』
無感情な視線に冗談なのか皮肉なのか困りつつ、アルベラは「いいえ」と首を振った。
『……その火傷は……あの愚の女の人にやられたのかなー、と』
『愚の女……。ああ、シスターの事か』
『シスター?』
『アレはあの教会のシスターだった。―――これは前からだ。あそこに行くもっと前に頭狂った親に頭燃やされた』
(狂った親に頭を、は賢者様の瘴気のせいか……として、『あそこに行く前』……)
『何でそう思った?』
『―――え?』
『何でこれがシスターにやられたものだと思った?』
『ああ……あの人が最後に“あの子は死んだ”って言ってたから』
『それが俺だと思ったのか? ……はは、ははは………はは…………………―――あながち間違いじゃない』
笑いながら告げる男は笑みを抑えるように顔に手を当てていた。その指の隙間から喜びに歪んだ目が垣間見えアルベラは寒気を感じた。
あの時の狂気に満ちた男の目を思い出しアルベラの身がぶるりと震える。
***
「ン? ラーノウィーの野郎、ズーネにぐちぐち言われてんナ」
王都の外れ、空き家となった民家で横になっていたダタの頭上マンセンが呟く。屋根の梁の上に居るであろう木霊の声にダタはくつりと笑った。
「邪教の幹部様自らご叱責か」
「あいつらあの双子に手出すの反対だったもんナ。できれば丸め込みてーみたいだったけどクロモリウド共の性格的にありえねーだロ」
「ズーネの奴どうだ? キレてるか?」
「いや。事情聞いて納得はしてるみてェ。初めに盗みを働いて吹っかけてきたのはあっチ、弟殺したのは通りがかった魔族だって聞いて呆れてラ。あっちには適当に言っといてくれんだロ。……クッ、クク……ラーノウィーの奴、正当防衛、正当反撃、って何回もいってらァ」
「そういえば城の方はどうする? またズーネの手借りるか?」
「アー、どうすっかナー。蛇の穴は便利だもんナ」
マンセンが考え込み会話が途切れる。ダタの「食いすぎて腹いてぇ」という一人言が静寂に響いた。やがて天井からかさりと葉が擦れ合う音が上がる。
「―――あっちは様子見ダ」
「いいのか」
「おウ。ディオールの餓鬼が興味を持ってただロ。あいつの様子みて動き出す頃また声かけてみるつもりダ」
「動くか?」
「あア、あれは動くゾ」
「公爵家か……。その気になれば俺らと違って正面から城に入れるもんな」
「そういうこっタ」
***
―――三日後。
八郎の治療のお陰でアルベラの顔と両腕からは綺麗に痕が消えていた。
ストーレムの東の関門の外、合流した一同もすっかり元気な姿を取り戻していた。
「久しぶり、嬢ちゃん! なんだ、随分良くなってんじゃん! てか完璧? 全快か??」
「お帰りなさい姉さ……ん……!」
アルベラはアンナに抱きしめられ、必要以上に締め付けられ息詰まる。
「お嬢様ぁ! ただいまぁん!!」
その上から更にエリーが抱きつき、アンナも「ぐおっ!」と苦しみの声を上げた。
そんな息も絶え絶えなアルベラの前、タイガーとガイアンがにこやかに膝をついく。
「お嬢様、お待たせいたしました。ご無事で何よりです」
「怪我の具合などについては後程詳しく報告させて頂きます」
「―――タ スケ……」
彼等は苦しむお嬢様の姿を見上げ微笑むばかり。目の前の光景を和やかなじゃれ合いだと傍観の姿勢らしい。
「ちょ、おい! 騎士!」とアルベラは心の中二人へ異議を唱え、その思いはただの呻きとなって消えた。
「エ、エリーさん、そろそろ……」とビオが遠慮気味にエリーの肩を叩く。
「アンナもいい加減にしろ」とゴヤもアンナのポニーテールを引っ張るがアンナは「先にエリーの姉さん引っぺがせ! 私だって苦じい!」と声を上げた。
賑やかな再開を果たし、面々は先ず町へ入り個室のある店へ入り、改めて里に行ってからの報告と公爵邸に帰ってからの口裏合わせへと取り掛かるのだった。
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