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四章 第一妃の変化
309、初めての宿泊学習 5(宿泊学習へ)
しおりを挟む平日の放課後。
ラツィラスは自室へとジーンと共に廊下を歩いていた。この後二人は別行動となる予定だ。ジーンは騎士団の訓練へ向かい、ラツィラスは城から送られてきた書類と手紙の確認。
城からの郵便物の確認が終われば今日は特に予定もなく自由時間となるのだが、ラツィラスは大抵空いた時間は魔法や魔術の練習か読書か散歩、極たまに剣術の練習といったふうに使っていた。
「じゃあな」というジーンの言葉にラツィラスは片手をあげて返し「今日は散歩でもしようか」等と考えながら自室の扉を開ける。
扉が開いた瞬間ラツィラスの目元から笑みが消え、自室へ入ろうとしていたジーンの足が少し遅れて止まった。
ラツィラスを迎え入れたのは血の匂いだ。
それを距離的に遅れて嗅ぎ取ったジーンがラツィラスと扉の間に割り込み部屋に踏み込む。
人気が無いのはどちらも気配から分かり切っていた。だからラツィラスはジーンが室内に入ると躊躇う事なくその後に続き扉を閉めた。
ジーンは腰の剣に手を乗せたまま、部屋奥のラツィラスの机を見下ろしていた。
後から来たラツィラスがジーンの隣に並び、彼の体に遮られ隠れていた物を見て「あぁ……」と納得の声を零す。
無機質に聞こえるが奥底に幾つかの感情を孕んだ声音が言った。
「彼女、失敗しちゃったんだ」
ラツィラスの机の上、良く知る若い女の生首が見せしめとばかりに乱雑に転がされていた。
***
宿泊学習の一日目となる後の休息日(日本でいう土曜)。この日学園は落ち着きがない生徒達の声で賑わっていた。
時間は普段であれば登校の時間帯。学園内には沢山の馬車と騎獣が待機し、寮の前で順番待ちの生徒を拾いながらゆっくりと前に進んでいた。
馬車と騎獣の列が向かうのは学園の運動場だ。
普段体育や魔術、魔法等の訓練に使用されるそこには十数人の腕利きの魔術師たちにより最上級の難易度である転移の魔術が展開されていた。
順番待ちをしていたユリ達のまえにも馬車が止まる。
「お待たせしました。次でお待ちのグループはこちらの四人ですね」
ユリ、リド、ヒフマス、テンウィルの四人が一組であることを確認し、御者は彼女らの荷物をテキパキと回収し馬車の座席の下や御者席の隣へと運び乗せていく。
「おっ先に~!」
つば広帽子をかぶったリドが自分達の後に並んでいた特待生達へそう言って車に乗り込んだ。
「お先に!」「お先に」「また後でね」とヒフマス、ユリ、テンウィルも乗り込み、扉が閉められ馬車が動き出した。
「ねぇねぇ、皆は転移の魔術見たことある?」とヒフマスがワクワクした様子で尋ねる。
「ないない、初めてに決まってんじゃん!」
というリドの返事にユリとテンウィルが「私も」と頷く。
「殆ど学園の全生徒を送るなんて。どれだけ大掛かりなんだろうね」とテンウィル。
「本当、楽しみだね」とユリも期待の眼差しを窓の外に向ける。列の先、木々の奥に隠れた運動場の上空には地上で展開されているであろう大規模な魔術の灯りが溢れて、空に流れる少ない雲の底を照らしていた。
三学年混合の爵位順の列のほぼ最前。
王族の馬車とベルルッティ家の馬車の後に続く馬車の中、アルベラは窓の外を眺め息を飲んでいた。
アルベラが見ていたのは学園の運動場に描かれた転移の魔術だ。ここ数日、この国でも特に優秀な魔術師たちが腕に寄りをかけて作り上げた転移の魔術を使い、国の南西にあるという聖地近くの森へ転移する、のだが―――
(ピリの治療の時と同じような物かと思っていたけど……)
アルベラが目にしたのはあの時のものと大分違った。
大きな魔法陣が大地と空とに幾つも描かれ複雑に交りあっていた。陣の群れの中央には一際強く輝く陣が地面に突き刺さるように描かれていた。騎士たちがその周りを囲っており、先に行く馬車や騎獣をその中へと誘導している。
(そうか、転移用の魔道具を使わずゼロから書くとこういう規模になるのか……。ていうかあの時使った紐みたいな道具凄くない? こんな量の陣を省略してあの形に納めたって事? どういう仕組みよ)
「ほぉぅ……これはなかなか……」
アルベラの斜め前の席、堂々と席に座っている八郎が感嘆の声を漏らす。
その隣にはニーニャ。そしてその斜め前でありアルベラの隣でもある席にはエリー。
「わぁ……凄いですね」
とニーニャは転送の魔法陣をじっと見つめ、そして隣を見て、馬車に乗ってから何度目かの疑問を口にする。
「あ、あの……なぜハチローさんが……」
「本当ねぇ。綺麗だわぁ」
エリーは魔法陣の感想のみを返す。
「アルベラ氏アルベラ氏! 拙者宿泊学習が転移で移動というのは知っていたんでござるが、まさかここまでの規模だったとは思っていなかったでござるよ。いやはや、文字だけでの表記だったゆえてっきりご都合的に簡略化でもされてるのかと思いきや……現実的に魔術の構成を考えればこの位になって当然でござるよな。拙者舐めてたでござるよ―――なかなかの迫力、なかなかの密度。いやぁ、荘厳でござるなぁ!」
「そうね。こんなの一生をかけても描ける気がしないわ。気が遠くなっちゃう」
「あ、あのぉ……なんでハチローさんがぁ……!?」
先頭の馬車や騎士達が中央の陣を潜っていく。それに続きアルベラ達の馬車も中央の陣を潜る。まばゆい光を抜けた先は小鳥の囀る山道だった。
穏やかなものだな、とラツィラスの乗る馬車の横に付いたままジーンは馬を進める。
先頭は学園の警備隊隊長の騎士とその部下が数人。そしてラツィラスの乗る馬車に公爵家のルー馬車、ウォーフの馬車、アルベラの馬車と続いている。以降は大伯、中伯となり準伯、男爵、騎士、平民特待生辺りから順番が曖昧となっている。
「学業に地位は関係ない」というスタンスが学園の理想ではあるが、やはり沢山の貴族が関わる以上これが余計な争いを招かない穏便な形のようだ。
「―――おい、偽騎士! おい! ―――おい! 聞こえてんだろジェイシ!」
後方から名を呼ばれ、ジーンが嫌々振り向くとウォーフが馬車から片手を出して「ちょっとこい」のジェスチャーをしていた。
ジーンは馬のペースを落としウォーフの馬車が追い付くのを待った。六人はかけられそうな幅の馬車が並び、その窓から揶揄う様な笑みを浮かべるウォーフが顔を覗かせる。
「よう。お前さっきから何きょろきょろしてるんだ?」
「……。用は何だ。あとベルルッティは何で馬車なんだ」
ジーンは質問に質問で返す。ウォーフの性格上移動は馬車より騎獣を好むだろうと思ったからだ。だが彼の性格を考えるのであれば馬車という選択も「この日」であれば当然だったかとすぐに気づく。
「はっ、んなの見なくてもわかんだろ」
車内から数人の女生徒の話し声が聞こえた。そういう事だ。
「……」
(こいつ、この間どこかの令嬢から盛大に頬叩かれてたよな……)
だというのに堪えた様子もなくまた軽々しく数人の女性を侍らせてるとは……。いつか女性から刺されるのでは。
ジーンはそんな事を思う。
「てめぇ、なんだぁその不敬な目」
「なにも。―――令嬢方を放って貴重な時間を俺なんかで潰して良いのか」
淡白に返すジーンにウォーフは笑いながら「俺だってお望みじゃねーよ」と虫を払うように手を振った。
「……けど、ご招待したご令嬢がお前と少し話してみたいってんでな。特別数秒だけ乗せてやる。どうだ?」
「殿下の護衛中だ。遠慮する」
「―――っ、ほぉうらな!」
「おい、こんな奴のどこがいいんだ!」と馬車内からウォーフの声。中の女性達がウォーフの憤慨の仕様にくすくすと笑い声をあげていた。
「邪魔したな、偽騎士!」
「おい、誰が『偽』―――」
―――バタン! と馬車の窓が締められた。
一方的なやり取りにジーンは呆れて息を吐く。だがそれよりも気がかりなことがあった。
(そんなにきょろきょろしてないだろ)
確かに少し後方に目をやりはしたが、指摘されるほど何度もそちらを見たはずはない。と自分の行動を思い返す。
(気を付けないとな……)
馬の足を速め、ジーンはすぐにラツィラスの馬車へと追いついた。
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