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「明日、真凜が帰ってくる」
「……え?」
突然の夫の言葉に、私は馬鹿みたいに口をぽかんと開けて彼を見た。
案の定、眉間に皺を寄せ、睨むようにこちらを見る夫――曽我雄一郎は、手にしていた箸をテーブルの上に乱暴に投げ捨てる。
「言葉はしっかり一度で聞き取れ。いくらお前の頭が悪くてもそれくらいはできるだろう!」
「すみません」
失敗した。
雄一郎は、とにかく気が短いのだ。
……主に、私に対してのみだけど。
「妹がアメリカから戻ってくる。お前の部屋を妹に使わせるから、荷物を運び出せ」
「……あの、それでは私は、どこで……」
都内一等地のタワーマンションとはいえ、夫の妹を受け入れるほどの広さはない。
真凜さんがここで暮らすというのは無理なのでは――そう思いながらも、雄一郎の言葉には逆らえない。
「広いリビングがあるだろ?ソファで寝ろ。余計な荷物は処分しておけ」
「……はい」
「出かけてくる」
「……行ってらっしゃいませ」
時計は、すでに夜の十時を指している。
今からどこへ行くというのか――そう思うが、機嫌を損ねるので聞くこともできない。
たとえ朝帰りだとしても、私はただひたすら起きて、彼の帰りを待つしかないのだ。
⸻
しんと静まり返ったダイニングキッチンで、私はほとんど手をつけられていない夕食を片付け始めた。
もったいないとは思うが、さすがにこれだけの量を、私一人で食べることはできない。
それでも毎日、たくさんの種類の料理をテーブルに並べなければ、彼は機嫌を損ねるのだ。
「本当にもったいないな……」
実家で農業をしている両親が送ってくれる、新鮮な野菜。
それをこうして処分してしまうのは、心底気が引ける。
可能な限りタッパーに詰めて冷蔵庫にしまうが、明日には捨てるしかないのだろう。
「私もいつか、こんなふうに捨てられるのかしらね」
そう呟いて、棚に飾られた結婚式の写真を眺めた。
⸻
彼と初めて会ったのは、五年前。
大学を出て二年目の春の日。
今時、お見合いという出会いだったが、お互いの祖母が昔から懇意にしていた縁で設けられた席だった。
私より五つ年上。
落ち着いた大人の雰囲気に、私は初めて恋をした。
そしてすぐに交際は始まったのだ。
彼は不動産デベロッパーで、日本でも三本の指に入る大企業の跡継ぎ。忙しくしつつも、いつも私を大切にしてくれた。
それが変わってしまったのは、いつ頃からだっただろう。
何でも彼の言いなりになる私を馬鹿にするようになり、まるで家政婦みたいに下に見て、私の言葉など何も聞いてくれなくなった。
そればかりか、農家であるうちの両親まで「田舎者」と毛嫌いし、結婚して以降、里帰りも許されないのだ。
「お父さんやお母さん……それに、お兄ちゃんたちも元気にしてるかな」
スマホさえ取り上げられた私にとって、両親とのつながりは、野菜と一緒に送られてくる手紙だけ。
その返事に私は、“幸せな家庭”の様子を綴った。
大切な家族に心配をかけたくない。
そして何より、私はこうなってもまだ雄一郎のことを愛しているのだ。
夜通し、部屋を明け渡すべく掃除をしていた私の元に、雄一郎が帰ってきたのはもう夜が明ける頃だった。
お酒と香水の匂いを纏いながら私を一瞥し、声さえかけず寝室のドアを閉める。
(夫婦って何なのかしらね)
そう思いつつも、いつかは私を見てくれる。そう信じて、私は言われるがままに彼の妹を迎え入れるために大掃除を続けた。
「……え?」
突然の夫の言葉に、私は馬鹿みたいに口をぽかんと開けて彼を見た。
案の定、眉間に皺を寄せ、睨むようにこちらを見る夫――曽我雄一郎は、手にしていた箸をテーブルの上に乱暴に投げ捨てる。
「言葉はしっかり一度で聞き取れ。いくらお前の頭が悪くてもそれくらいはできるだろう!」
「すみません」
失敗した。
雄一郎は、とにかく気が短いのだ。
……主に、私に対してのみだけど。
「妹がアメリカから戻ってくる。お前の部屋を妹に使わせるから、荷物を運び出せ」
「……あの、それでは私は、どこで……」
都内一等地のタワーマンションとはいえ、夫の妹を受け入れるほどの広さはない。
真凜さんがここで暮らすというのは無理なのでは――そう思いながらも、雄一郎の言葉には逆らえない。
「広いリビングがあるだろ?ソファで寝ろ。余計な荷物は処分しておけ」
「……はい」
「出かけてくる」
「……行ってらっしゃいませ」
時計は、すでに夜の十時を指している。
今からどこへ行くというのか――そう思うが、機嫌を損ねるので聞くこともできない。
たとえ朝帰りだとしても、私はただひたすら起きて、彼の帰りを待つしかないのだ。
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しんと静まり返ったダイニングキッチンで、私はほとんど手をつけられていない夕食を片付け始めた。
もったいないとは思うが、さすがにこれだけの量を、私一人で食べることはできない。
それでも毎日、たくさんの種類の料理をテーブルに並べなければ、彼は機嫌を損ねるのだ。
「本当にもったいないな……」
実家で農業をしている両親が送ってくれる、新鮮な野菜。
それをこうして処分してしまうのは、心底気が引ける。
可能な限りタッパーに詰めて冷蔵庫にしまうが、明日には捨てるしかないのだろう。
「私もいつか、こんなふうに捨てられるのかしらね」
そう呟いて、棚に飾られた結婚式の写真を眺めた。
⸻
彼と初めて会ったのは、五年前。
大学を出て二年目の春の日。
今時、お見合いという出会いだったが、お互いの祖母が昔から懇意にしていた縁で設けられた席だった。
私より五つ年上。
落ち着いた大人の雰囲気に、私は初めて恋をした。
そしてすぐに交際は始まったのだ。
彼は不動産デベロッパーで、日本でも三本の指に入る大企業の跡継ぎ。忙しくしつつも、いつも私を大切にしてくれた。
それが変わってしまったのは、いつ頃からだっただろう。
何でも彼の言いなりになる私を馬鹿にするようになり、まるで家政婦みたいに下に見て、私の言葉など何も聞いてくれなくなった。
そればかりか、農家であるうちの両親まで「田舎者」と毛嫌いし、結婚して以降、里帰りも許されないのだ。
「お父さんやお母さん……それに、お兄ちゃんたちも元気にしてるかな」
スマホさえ取り上げられた私にとって、両親とのつながりは、野菜と一緒に送られてくる手紙だけ。
その返事に私は、“幸せな家庭”の様子を綴った。
大切な家族に心配をかけたくない。
そして何より、私はこうなってもまだ雄一郎のことを愛しているのだ。
夜通し、部屋を明け渡すべく掃除をしていた私の元に、雄一郎が帰ってきたのはもう夜が明ける頃だった。
お酒と香水の匂いを纏いながら私を一瞥し、声さえかけず寝室のドアを閉める。
(夫婦って何なのかしらね)
そう思いつつも、いつかは私を見てくれる。そう信じて、私は言われるがままに彼の妹を迎え入れるために大掃除を続けた。
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