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リベンジ

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翌朝、誰かが塔の階段を登る足音で目覚めたリラは隣にあるはずのぬくもりを探した。
けれど冷え冷えとしたシーツにはライラックの痕跡ひとつ無い。

(昨夜はどこで寝たんだろう。そもそも、ちゃんと眠ったんだろうか)

リラは隣の部屋から食事の差し入れや洗濯物の交換などの話し声が聞こえなくなったのを待って、そっとベッドを抜け出した。

「おはよう、ライラック」
「おはようリラ。よく眠れたかい?」
「うん」

正直言うとベッドは固かった。年寄りの体にはきついんじゃないかと心配になるほど。
やはりいつまでもライラックをここに住まわせるべきじゃない。早々に城に戻って頂こうとノエルは固く心に誓った。

「ライラックは寝てないんじゃない?」
「ああ、書類が多くてね。ようやく片付いたから眠るとしよう。悪いが一人で食事してくれるか?」

ゆっくり椅子から立ち上がるライラックは、腰をつらそうに伸ばしながら寝室に向かった。

「おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」

(もう少し話をしたかったな)

リラはそう思いながらライラックの痩せた背中を見送った。





「おかえりなさいませ。セラフィス様」

捜索隊を率いて皇太子が帰還したのは、そろそろ明けの明星がギラギラと輝きを放ち出す頃だった。そんな皇太子を出迎えたのは、長く城に勤める筆頭侍女のベリーだ。
彼女は国王が病に伏してから主にセラフィスの身の回りの世話をしていた。

「お休みになりますか?お食事の用意もしてございますが」

セラフィスは彼女をチラリとも見ずにめんどくさそうに手を振った。

「寝る。誰も来るな」
「承知致しました」

ドアが閉まると同時にセラフィスは外出着のままベッドに倒れ込む。

「どこに行ったんだ。俺の花嫁は」

グロリアとは別の意味で負けん気が強く、今まで会った誰よりも純粋で優しくてまっすぐなリラに、セラフィスはいつの間にか本当に惹かれていた。
昔、兄にリラの事を聞いた時はただ、兄の好きな相手を奪いたいとそれだけだったのに。

空は段々と白んで来たが眠気は一向に訪れない。それどころか、リラが獣に襲われていないか、寒さと空腹に一人泣いてはいないかと考えてしまい気が気ではない。

「ああ、くそっ!誰かいるか!捜索を再開するぞ!」

セラフィスはそう叫び、部屋を出る。護衛していた兵士が慌てて伝令を走らせた。

(俺が自ら助けてやれば今度こそリラは本気で俺を好きになるだろう)

セラフィスは身支度もそこそこに再び兵を率いて森の奥深くを目指し、馬を駆った。




「ライラック」
「なんだ」

リラがこの塔に来て二度目の夜。
またもやライラックは夜通し仕事をすると言う。

「僕と同じベッドで寝るのが嫌なの?」
「そんな事はない。ただ急ぎ片付けないといけない仕事が……」
「昼間やればいいのに。昼夜逆転は体に悪いよ。今夜はちゃんと寝よう」
「いやでも」
「ライラック!」
「……はい」

まだ年端もいかない少年に叱られてライラックはしょんぼりと項垂れる。
一緒に寝たくない訳じゃない。むしろリラを抱きしめて朝まで眠れたらどんなに幸せだろう。
けれどリラの艶々とした柔らかい体に、こんな骨張ったカサカサの手で触れてしまったら痛い思いをさせるかもしれない。
そっとベッドに横になったライラックは、なるべくリラに体が触れないよう注意深く体制を整えた。

「ねえライラック」
「なんだ?」
「腕枕してほしい」
「!!!!」
「ライラック!?」

驚き過ぎてベッドから落ちたライラックをリラが慌てて抱き起こす。

「大丈夫?!骨折れてない?!」

いかにも年寄りに対する声掛けにショックを受けるライラックだが、どうにか顔を上げてリラを見た。

「ごめんね!驚かせて。何にも聞かずに勝手に腕の中に入れば良かったね」

そうじゃない。

そう言いたいが、ライラックがパニックを起こしている間に、リラはさっさと彼を横たわらせてその胸にするりと入り込むと、頬を寄せて寄り添った。

「リラ」
「なに?」
「嫌じゃないのか?」

情けなくも少し震える声でそう問うライラックに、リラは目をまん丸にしてどうして?と聞いた。

「こんな爺さんだぞ」
「でも中身は僕が知ってるライラックだよ」「そうだけど」
「僕は今のライラックも好きだよ。カッコよくてドキドキする」
「えっ?!」

年甲斐もなく(中身は若いが)赤くなるライラックを見てリラはくふっと笑って目を閉じた。

(本当にそう思ってくれているんだろうか)

ライラックはリラの閉じた瞼を見つめ、銀色のまつ毛に縁取られた瞳がとても美しいことを思い出す。

(あの目でずっと私だけを見て欲しい)

けれどリラは弟の伴侶だ。グロリアの件が片付けば彼の元に戻るのだろう。

(セラフィスはこの小さな桜貝のような唇に、もう触れたのだろうか)

そんな想像をするだけで胸に重い石が沈み込んだような不快感を感じる。
リラには幸せになって欲しい。だが果たしてセラフィスはグロリアを追い出すことが出来るだろうか。

ライラックは寝息を立て始めたリラをそっと抱きしめ、柔らかい髪に顔を埋める。昼間に沐浴をしたその体からは石鹸の甘い匂いがした。











「ここを出るぞ。コラン、鍵を開けてくれ」
「えっ?!」

翌日、状況報告に来たコランにそう言ったライラックは既に身支度を済ませて、荷物もあらかたまとめた状態だった。

「どう言う心境の変化で……」
「リラをこのまま城に戻すことは出来ない。弟の妃として安心して暮らせるよう諸々の障害をこの手で払ってやりたい」

そう言ったライラックは、すっと背筋を伸ばし凛として、老いた見た目にそぐわず、とても若々しかった。

「承知しました!」

(やっと!とうとう!その気になって下さった!)

コランは踊りださんばかりの軽やかな足取りで懐から鍵を探り、ドアを開ける。
ずっと歯痒い思いをした日々がやっと報われるのだ。

「セラフィス様、リラ様は」
「まだ眠っている。コラン、私のことは今後ライラックと呼んでくれ。もうセラフィスの名を名乗るつもりはない」

「そんな!」

「セラフィスは王を継ぐ者の名前だ。私は弟と王位を争うつもりはない。ただリラが幸せに暮らせればいいんだ」

「はい。承知しました」

思う所は色々あるがコランはグッと言葉を飲み込んだ。

「けれど何故その名前にされたのですか?」
「リラが名前のない私に付けてくれたんだ。リラという花の別名らしい」
「ライラック様……いいお名前です」

(こんな嬉しそうな顔を拝見するのは久しぶりだ)

コランは、昔ライラックから聞いたリラの話を思い出し、複雑な胸の内を慮る。

「ライラック様、まずは下町にある私の家にお寄り下さい。そこで今後の策を練りましょう」
「分かった。ではリラを起こそう」

ライラックはベッドで眠るリラの元に戻り、そっと頭を撫でた。銀の睫毛が瞬き宝石の瞳が姿を現す。

「……ライラック?」
「おはよう。さあここを出よう。こんな粗末な部屋はリラに似合わない」
「ライラックも一緒に?」
「そうだ」
「そうなの。嬉しい」

そう言うと寝ぼけ顔だったリラは花が綻ぶようにふわりと笑った。

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