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1.目覚めたら草の匂い
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――青い草の匂いが、鼻の奥をくすぐった。
ふわりと風が頬をなで、耳の先をさらっていく。土の温もりが、やけに近く感じた。
「……んあ?」
まぶたを開けると、目の前いっぱいに緑が広がっていた。芝生みたいな葉が、やけに大きく見える。
いや、大きいのは葉っぱじゃなくて……俺の視点が低い?
体を起こそうとした瞬間、足が四本動いた。……いやいや、ちょっと待て。四本?
俺、二本足で歩く生き物だったはずだよな?
胸の奥に、じわりと不安が広がる。
慌てて近くの水たまりを覗き込んだ。
そこに映っていたのは――金色の毛並み、ちょっと垂れ気味の耳、大きな体、つぶらな黒い瞳、そして黒光りする鼻。
「……い、犬……?」
言葉にした瞬間、自分の声が短く低く、「ワン」に近いことに気づく。
パニックになりかけた、その時――
「……タケル?」
低くて落ち着いた声が、背後から聞こえた。
反射的に振り向くと、そこには艶やかな黒毛に覆われた猫が両手?を揃えて座っていた。
鋭くも美しい琥珀色の瞳。ピンと立った耳、ゆらりと揺れる尻尾。
その顔……見覚えがありすぎる。
「……春人……? おまえか!」
「……最悪だ。よりによって、またおまえと一緒かよ」
「ど、どういうこと?」
「転生だよ。俺たちは生まれ変わったんだ」
「生まれ変わり……?! ここはどこなんだ? 俺は一体……!」
あわあわしながらとりあえず猫の春人に向かって突進したが、ひらりとかわされて、藪に頭を突っ込んだ。
「いたた……鼻に棘が……」
「落ち着け。この記憶は前世のものだと思う。残念ながら、俺たちは今世では犬と猫だ」
「犬と猫に……」
そうか、俺は犬にな……。
ま、いっか。だって、ずっと好きだった春人にまた会えたんだから。
「これからもよろしくな、春人!」
「うるせーよ。キャンキャン鳴くな」
そんな悪態を吐きながらも、春人の尻尾はふわりふわりと弧を描く。
「……可愛いな、こいつ。ほんと素直じゃないんだから」
「黙れ」
「あ、口に出てた?」
それから、俺と春人はしばらく無言で見つめ合った。
「おい、尻尾振るな。そんな場合じゃねーだろ」
「……ごめん、つい再会が嬉しくて。それより、とりあえず……どうする? このままじゃ野良だぞ」
「俺は猫だから、別にこのままでも――」
「ダメだ! 腹減ったろ。ほら、まずは飯確保!」
犬の本能なのか、体が勝手に走り出す。
春人も、ぶつぶつ文句を言いながらついてきた。
道端をとことこ進むと、古びた一軒家の庭で洗濯物を干しているおばあさんを見つけた。
俺は、柵の隙間からそっと顔を覗かせる。
「……あらまあ、かわいいこと」
俺たちを見つけたおばあさんは、しゃがみ込んで両手を広げた。
「おいで」
その瞬間、俺は猛ダッシュでその腕に飛び込もうと――
「いってぇ! 春人、やめろって! なんで俺の尻尾に噛みついてんだよ!」
「バカ! おまえが突進したら婆さんが倒れるだろ! 自分のガタイ舐めんな!」
「あっ、すいません……」
確かにそうだ。
俺はおばあさんにそっと近づいて、尻尾を振った。
カサカサした柔らかい手で頭をなでられて、とても幸せな気持ちになる。
「おまえ……犬のくせに人間信用しすぎ」
「いいだろ、悪い人じゃないって。お前も来いよ」
春人は渋々近づいて、おばあさんの指先に鼻先を寄せた。
次の瞬間、小さく「……たしかに、悪くない匂いだ」とつぶやき、しっぽをほんの少しだけ振った。
──
こうして俺たちは、おばあさんの家に住むことになった。
俺は玄関近くのふかふかベッドが定位置。春人は自由に家の中をうろつき、窓際やタンスの上を占領している。
「おい春人、散歩行こうぜ!」
「行かねぇよ。外は風が強い」
そう言いつつ、数分後には俺の後ろをついてきている。
猫ってやっぱり素直じゃない。
そして夜になると、なぜか俺のベッドに入り込んでくる。
「寒いだけだ。変な勘違いすんなよ」
そう言って俺の懐で丸まる姿は、とてつもなく可愛い。
新しい家での暮らしは、予想以上に快適だった。
おばあさんは俺たちにたっぷりご飯をくれるし、部屋はあったかいし、外に出たければ庭に行ける。
……ただし、俺の場合は外に行くときの自由度が低い。
「おまえ、リードなんかつけられて恥ずかしくないのかよ」
「いいじゃん、安全第一!」
「俺はどこでも自由に出入りできるのに」
「……くっそ、猫ってずるい」
春人は自慢げに、窓からひょいっと外へ飛び降りる。
その姿が妙に絵になるから腹立たしい。
⸻
ある日の昼下がり。
縁側の陽だまりで、俺はひっくり返って腹を出して寝ていた。
春人は横でせっせと毛づくろいをしている。
「おまえ、家だからって油断しすぎだぞ」
「んー? 日向ぼっこだよ。極楽極楽」
「犬ってやっぱガサツだな」
そう言いながら、春人がこっちに顔を近づけてくる。
次の瞬間――ザリッ、と舌が耳の付け根をなぞった。
「っ……な、なにすんだよ!」
「毛づくろい」
「犬に必要ないだろ!」
「うるさい。毛並みが汚いから気になっただけだ」
「汚……い? ……」
ひどい! この間、おばあさんの息子が帰ってきて洗ってくれたとこなんだぞ?!
「じっとしてろ」
「いたい、いたい!」
ザリザリザリ……
あ、でも気持ちいい……かも?
だが一つ問題がある。
俺は春人が好きなんだ。こんな接触されたら、恥ずかしくて仕方ない。
けれど春人は、俺の気持ちなんてお構いなしに、俺のたっぷりの毛並みを延々と舐め続けるのだった。
⸻
それからというもの、春人は時々、こうして俺にちょっかいを出してくるようになった。
毛繕いはもはや日課だし、朝起きたら背中にぴったりくっついていたり、散歩帰りに玄関で待っていたり。
「……なんで待ってたんだ?」
「べつに。たまたまなだけ」
たまたまで、俺の散歩の帰宅時間ぴったりに玄関で座ってるか? 猫よ。
でも、そういう時の春人は、尻尾の先がかすかに揺れている。
あれは、ご機嫌な時の合図だ。
猫って何考えてるか分からないように見えて、意外と表情豊かな生き物なんだな。
ふわりと風が頬をなで、耳の先をさらっていく。土の温もりが、やけに近く感じた。
「……んあ?」
まぶたを開けると、目の前いっぱいに緑が広がっていた。芝生みたいな葉が、やけに大きく見える。
いや、大きいのは葉っぱじゃなくて……俺の視点が低い?
体を起こそうとした瞬間、足が四本動いた。……いやいや、ちょっと待て。四本?
俺、二本足で歩く生き物だったはずだよな?
胸の奥に、じわりと不安が広がる。
慌てて近くの水たまりを覗き込んだ。
そこに映っていたのは――金色の毛並み、ちょっと垂れ気味の耳、大きな体、つぶらな黒い瞳、そして黒光りする鼻。
「……い、犬……?」
言葉にした瞬間、自分の声が短く低く、「ワン」に近いことに気づく。
パニックになりかけた、その時――
「……タケル?」
低くて落ち着いた声が、背後から聞こえた。
反射的に振り向くと、そこには艶やかな黒毛に覆われた猫が両手?を揃えて座っていた。
鋭くも美しい琥珀色の瞳。ピンと立った耳、ゆらりと揺れる尻尾。
その顔……見覚えがありすぎる。
「……春人……? おまえか!」
「……最悪だ。よりによって、またおまえと一緒かよ」
「ど、どういうこと?」
「転生だよ。俺たちは生まれ変わったんだ」
「生まれ変わり……?! ここはどこなんだ? 俺は一体……!」
あわあわしながらとりあえず猫の春人に向かって突進したが、ひらりとかわされて、藪に頭を突っ込んだ。
「いたた……鼻に棘が……」
「落ち着け。この記憶は前世のものだと思う。残念ながら、俺たちは今世では犬と猫だ」
「犬と猫に……」
そうか、俺は犬にな……。
ま、いっか。だって、ずっと好きだった春人にまた会えたんだから。
「これからもよろしくな、春人!」
「うるせーよ。キャンキャン鳴くな」
そんな悪態を吐きながらも、春人の尻尾はふわりふわりと弧を描く。
「……可愛いな、こいつ。ほんと素直じゃないんだから」
「黙れ」
「あ、口に出てた?」
それから、俺と春人はしばらく無言で見つめ合った。
「おい、尻尾振るな。そんな場合じゃねーだろ」
「……ごめん、つい再会が嬉しくて。それより、とりあえず……どうする? このままじゃ野良だぞ」
「俺は猫だから、別にこのままでも――」
「ダメだ! 腹減ったろ。ほら、まずは飯確保!」
犬の本能なのか、体が勝手に走り出す。
春人も、ぶつぶつ文句を言いながらついてきた。
道端をとことこ進むと、古びた一軒家の庭で洗濯物を干しているおばあさんを見つけた。
俺は、柵の隙間からそっと顔を覗かせる。
「……あらまあ、かわいいこと」
俺たちを見つけたおばあさんは、しゃがみ込んで両手を広げた。
「おいで」
その瞬間、俺は猛ダッシュでその腕に飛び込もうと――
「いってぇ! 春人、やめろって! なんで俺の尻尾に噛みついてんだよ!」
「バカ! おまえが突進したら婆さんが倒れるだろ! 自分のガタイ舐めんな!」
「あっ、すいません……」
確かにそうだ。
俺はおばあさんにそっと近づいて、尻尾を振った。
カサカサした柔らかい手で頭をなでられて、とても幸せな気持ちになる。
「おまえ……犬のくせに人間信用しすぎ」
「いいだろ、悪い人じゃないって。お前も来いよ」
春人は渋々近づいて、おばあさんの指先に鼻先を寄せた。
次の瞬間、小さく「……たしかに、悪くない匂いだ」とつぶやき、しっぽをほんの少しだけ振った。
──
こうして俺たちは、おばあさんの家に住むことになった。
俺は玄関近くのふかふかベッドが定位置。春人は自由に家の中をうろつき、窓際やタンスの上を占領している。
「おい春人、散歩行こうぜ!」
「行かねぇよ。外は風が強い」
そう言いつつ、数分後には俺の後ろをついてきている。
猫ってやっぱり素直じゃない。
そして夜になると、なぜか俺のベッドに入り込んでくる。
「寒いだけだ。変な勘違いすんなよ」
そう言って俺の懐で丸まる姿は、とてつもなく可愛い。
新しい家での暮らしは、予想以上に快適だった。
おばあさんは俺たちにたっぷりご飯をくれるし、部屋はあったかいし、外に出たければ庭に行ける。
……ただし、俺の場合は外に行くときの自由度が低い。
「おまえ、リードなんかつけられて恥ずかしくないのかよ」
「いいじゃん、安全第一!」
「俺はどこでも自由に出入りできるのに」
「……くっそ、猫ってずるい」
春人は自慢げに、窓からひょいっと外へ飛び降りる。
その姿が妙に絵になるから腹立たしい。
⸻
ある日の昼下がり。
縁側の陽だまりで、俺はひっくり返って腹を出して寝ていた。
春人は横でせっせと毛づくろいをしている。
「おまえ、家だからって油断しすぎだぞ」
「んー? 日向ぼっこだよ。極楽極楽」
「犬ってやっぱガサツだな」
そう言いながら、春人がこっちに顔を近づけてくる。
次の瞬間――ザリッ、と舌が耳の付け根をなぞった。
「っ……な、なにすんだよ!」
「毛づくろい」
「犬に必要ないだろ!」
「うるさい。毛並みが汚いから気になっただけだ」
「汚……い? ……」
ひどい! この間、おばあさんの息子が帰ってきて洗ってくれたとこなんだぞ?!
「じっとしてろ」
「いたい、いたい!」
ザリザリザリ……
あ、でも気持ちいい……かも?
だが一つ問題がある。
俺は春人が好きなんだ。こんな接触されたら、恥ずかしくて仕方ない。
けれど春人は、俺の気持ちなんてお構いなしに、俺のたっぷりの毛並みを延々と舐め続けるのだった。
⸻
それからというもの、春人は時々、こうして俺にちょっかいを出してくるようになった。
毛繕いはもはや日課だし、朝起きたら背中にぴったりくっついていたり、散歩帰りに玄関で待っていたり。
「……なんで待ってたんだ?」
「べつに。たまたまなだけ」
たまたまで、俺の散歩の帰宅時間ぴったりに玄関で座ってるか? 猫よ。
でも、そういう時の春人は、尻尾の先がかすかに揺れている。
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