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しおりを挟む「あれはなにかしら」
王立学院の昼食時である。カフェテリアの入り口で、エリザベス・スペンサー侯爵令嬢は立ち止まった。
真ん中のテーブルには、いつものように婚約者のヴィンセント王子とその友人アーサー、イアンの両名がすわっている。
エリザベスも同じテーブルにつくのがいつものことなのだが。
きょうは、見知らぬ女子生徒がヴィンセントのとなりにちゃっかりとすわっている。
「まあ」
眉をひそめるのは、となりで同じく立ち止まったエリザベスの友人スカーレット。伯爵令嬢。
「知っているわ。あれは、手当たり次第に粉をかけまくっているという噂の、アメリア・キャンベル男爵令嬢よ」
もっと眉をひそめたのは、同じくマチルダ。伯爵令嬢
「その男爵令嬢がどうしてわたしの席にすわっているのかしら」
エリザベスがもっともっと眉をひそめる。
「まあ、いやあね」
三人の声がきれいなユニゾンを奏でた。
カフェテリアの異様なざわつきが、エリザベスたちの登場で、ぴたりと止んだ。
そんな中。
「まあ。ヴィンセントさまったらぁ。いやですわぁ」
くだんのアメリア男爵令嬢はなれなれしく名前を呼んだどころか、ヴィンセントの腕にしなだれかかる。
ヴィンセントは咎めるどころか、にこやかにそれに応じている。
カフェテリアのあちらこちらから「きゃあっ」という悲鳴が上がった。もちろん、非難の声である。
「なんてこと」
エリザベスのこめかみに、ピキッと青筋が走った。
「なんなのかしら。わたしが来ることがわかっているのに」
エリザベスは「ぷんっ」とあごを上げると、つかつかとテーブルに近寄った。
カフェテリア中が固唾をのむ。
ヴィンセントはどう取り繕うのか。
だが。
「やあ、エリザベス」
ヴィンセントはいつもどおり、さわやかな笑顔で声をかけた。
思わずむっとするエリザベスと友人二人。
「あら、厚かましい」
のどまで出かかったことばを、のみこむ。
「なにをしているの?」
エリザベスの声は、氷のように冷たく、すわったままのヴィンセントたちを氷のように冷たく見おろした。
スカーレットとマチルダも同じように氷の視線を送るものだから、冷却効果は三倍である。
そんな事を気にも留めないのは、さすが王子。
「ああ、すこし彼女と話しをね。ほら、彼女有名だろう?」
ヴィンセントは意味ありげに、ちらりとエリザベスを見た。
「ええー? やだぁ。どう有名なんですかぁ?」
アメリアは上目づかいでヴィンセントを見上げた。
「どう? こんなこともできちゃうわたしってかわいいでしょう?」
そんなかんじで。
ずうずうしいのか。バカなのか。
たしかに、かわいらしいのでしょうけれど!
ふわふわのピンクブロンドに、淡いラベンダーの大きな瞳。ふんわりピンクの頬。ぽってりうるつやの唇。
男心というやつを誘うのでしょうね!
「名前を呼ぶのをゆるすくらい、親密になったのですねぇ?」
エリザベスの声がどんどん冷たくなってくる。
「いいや、ゆるしてはいないよ? なのに呼んじゃうんだからね。ある意味すごいよね」
ヴィンセントは、しれっと答えた。
なによ、いままで鼻の下をだらしなく伸ばしていたくせに。
「そうですね。ふつうの淑女は気安く殿方にさわったりしませんものね。ある意味すごいですわね」
「ええー。なんかエリザベスさま、こわいですぅ」
そう言ってアメリアはヴィンセントにますますひっつく。
ほんと、すごいな。婚約者の目の前で、よくそんなことができるな。ほんと、すごいな。
面の皮、何センチあるんだろう。
見ている者が、みんなそう思う。
ヴィンセントがいきなりすくっと立ち上がった。一同がびくりと首をすくめた。
それからヴィンセントは、アメリアのすわったいすの背もたれをぐいっと引いた。
「ぎゃっ」
だれか、ネコを踏んだかな。そんな声がした。
いきなりいすが動いたので、アメリアはバランスをくずして転げ落ちた上に、尻もちをついてしまったのだ。
「あらまあ」
エリザベスは目を瞠った。
下っ端とはいえ、貴族の令嬢がなんて無様。しかも「ぎゃっ」なんて、とても令嬢の口から出る音じゃない。
はしたないわね。
カフェテリア内もやがて「くすくす」と失笑とも嘲笑ともつかない忍び笑いで満たされていく。
「やっ、やっ、やだぁ、ヴィンセントさま。ひどぉーい」
顔を真っ赤にしたアメリアはそれでもヴィンセントに縋りつこうとした。
「ここはエリザベスの席だから、さっさとどいてくれるかな。じゃまだよ」
ヴィンセントはさっきまでの笑顔がうそみたいに、冷たく言い放った。
「あらまあ」
エリザベス、スカーレット、マチルダがまたしてもユニゾンを奏でた。
つい今しがたまで、すり寄られてだらしなく情けなく鼻の下をのばしていたのに、婚約者が登場したとたん手のひら返し。
しかもあわてることもなく、平然と。
呆れることしきり。
ぽかーん。
アメリアが尻もちをついたまま口を開けている。
カフェテリア中が「?」なのだが、ヴィンセントはそんなことにはおかまいなく。
「さあ、すわって」
とエリザベスにいすをすすめた。
「どこへ?」
エリザベスが聞く。
「ここへ」
ヴィンセントがぽんぽんっと座面をたたく。
エリザベスは目をしばたいた。
「いやよ。どうしてその女と同じいすにすわらなくちゃならないの?」
そうよ、そうよ。とスカーレットとマチルダがうなづく。
「ああ、それもそうだね」
そう言うとヴィンセントは右手を挙げて、ぱちん! と指を鳴らした。
なんのカッコつけか。
カフェテリアの給仕が、さっと別のいすを持ってきて取りかえる。なにやらゴブラン織りのひときわゴージャスないすである。
「きみのために特別に用意したよ」
ヴィンセントがにっこりとほほ笑む。
いつのまに。
いや、そこじゃない。
「わたし、もどりますから、アメリアさまとお二人でごゆっくり、なかよくどうぞ」
つんっと言って踵を返す。スカーレットとマチルダも、つんっと後に続く。おこっているんです、わたし。
「いやいや。待って」
ヴィンセントがあわててエリザベスの腕をつかむ。
「まあ!」
またしてもユニゾンを奏でた三人は、きりりとヴィンセントをにらみつけた。
なんだかな。この三人は、個々だとかわいらしいし魅力的なのだが、三人そろうと攻撃力が格段に上がるんだよな。
ヴィンセント一人では降参することもしばしば。
いまもちょっとヤバい。
ふだんはたよりになるアーサーとイアンもこの三人が相手だと腰が引ける。
ヴィンセントはエリザベスの手を引いてそっと口づける。
周囲では「きゃっ」という令嬢方の黄色い歓声が上がる。
「少し話を聞いてくれるかな、愛しいエリザベス」
「……なんですか」
きゅうっと上がったエリザベスの眉が少し下がった。
かわいいな。思わずにやける。ヴィンセントの眉もちょっと下がる。
「アメリア・キャンベル男爵令嬢には苦情が殺到しているのだよ」
「苦情?」
……ユニゾン。
「そう。令息方からは、しつこくつきまとわれて困っていると。令嬢方からは、婚約者に手を出されて困っていると」
「……あらあら」
ユニゾンがピアニッシモになった。
「まあ、娼婦のマネでもなさっているのかしら?」
エリザベスが容赦ない。
「ひ、ひどいですぅ。娼婦なんて」
アメリアが目に涙をためている。うるうるとヴィンセントを見上げているが、そもそもそんなものに惹かれるほどバカな男はそんなにいない。
「それで、ヴィンセントさまはなにをしていらしたの?」
「うん、ここでこっぴどく振って赤っ恥をかけば、二度とそんなことはしなくなるだろうと思ってね。上げて落として、という作戦だよ」
「はあ?」
ユニゾンがフォルテッシモになった。
「ヴィンセントさまは、わざと鼻の下をのばしていたのですか!」
スカーレットが叫んだ。
「デレデレと! だらしなく! 王子たるものが!」
マチルダも叫んだ。
ひどい言い草である。だいたい、この二人はヴィンセント王子に対して遠慮がない。エリザベスの影響だ。
エリザベスはいい。婚約者だから。
でも!
スカーレットもマチルダも、エリザベスの友人というだけで、ヴィンセントに無遠慮でいいということにはならないのだが。
もちろん、人前ではそれなりに礼を取る。が、いったん人前から離れてしまえば、とくにアーサーとイアンを含めた六人になると一切の遠慮がなくなる。
言いたい放題。
いまその状態。
取り巻く人々も、二人の不躾な言い草に呆気にとられている。王子、形無し。
「もっとほかに、対策があるでしょうに」
「ほんとですよ。もう少しましなことを考えませんでしたか」
たしかにそうである。
アーサーとイアンにも、そんなまねをしなくても、と言われた。でも、アメリアの鼻っ柱をへし折り、苦情を言ってきた令息令嬢たちの留飲を下げるには、とてもいい方法だと思ったのだ。
「ヴィンセントさま」
エリザベスがあきれている。
「バカじゃないの」
ずっとヴィンセントが握っていた手をさっと引いた。
「あっ!」
ヴィンセントはつんのめって膝をついてしまった。
ああ! 王子殿下がなんてこと!
周囲に悲鳴が上がった。
あわてて、アーサーとイアンもヴィンセントに手を貸そうと膝をついた。
仁王立ちのエリザベスの前に、三人が跪く。
「ほんとうに! わたしの気持ももうちょっと考えてくださってもいいと思いますが」
エリザベスが敬語になっている。怒っている証拠だ。
「だから、そういう作戦だから」
「あなたがみずから、そんなマネをする必要はありません!」
「で、でも」
「では、わたしもほかの殿方になかよく寄りそっても殿下はなんとも思わないのですね」
「そんなわけないだろう! やめてくれよ!」
「でも、殿下は今そうしていましたよ」
「だから、作戦なんだって……」
ヴィンセントの声が頼りなくなる。
「悪かったよ。ぼくが愛しているのはきみだけだから」
「口だけならなんとでも言えますわね」
「信じてくれ。このとおり」
ヴィンセントが両手をついて頭を下げた。アーサーとイアンもそれに倣った。
見事な土下座である。
「ゆるしてください。ごめんなさい」
尻に敷かれてるな。
みんなが思った。
「まあ、そこまで言うのなら信じてあげてもよくってよ」
そう言われて、ヴィンセントはさっと立ちあがるとエリザベスの手を取った。
「ありがとう、エリザベス。愛してるよ」
キスまでしそうな勢いだ。
「次はなくってよ」
「もちろん」
丸く収まってよかった。
周囲は安堵の息を漏らし、それぞれの食事にもどっていった。
「さあ、ランチをしよう」
王子みずからエリザベスのいすを引く。
「あ、あのう」
「あれ、きみまだいたの?」
忘れられたアメリア・キャンベル男爵令嬢は涙目である。
エリザベスは、やれやれとため息をついた。
「あなたは自分を安売りしてどうするつもりなの?」
「え? や、安売り?」
アメリアは思ってもいなかったことばにびくりとした。
「そうよ。媚びを売りまくって自分の価値を下げているじゃないの」
「ええ? そんな……」
アメリアの声は尻すぼみである。
「だいたい殿方に頼ろう、なんて考えがいけないのよ。今の時代、女性も自立しなくては! 殿方に頼らなくても生きていけるように、自分を磨くのよ!」
「そ、そうなのですか」
「そうなのよ!」
三令嬢のユニゾンがカフェテリアにひびいた。
それ以来、彼女は鳴りを潜めた。
苦情もピタリとやんで、めでたし。めでたし。
その後、カフェテリアでの顛末を国王陛下夫妻からこっぴどくしかられたヴィンセント王子は、罰として、卒業まで毎日エリザベスの送り迎えをすることになった。
嬉々としてエリザベスのエスコートをするヴィンセント王子。
これ、罰じゃなくない?
みんなが思う。
たぶん、いろんなことをほうり出して最優先している。
むしろご褒美じゃない?
まあ、しあわせそうだしな。
しばらくこの国も安泰だな。
見守るみんなの目は温かかった。
おしまい
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