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しおりを挟む「エリザベス嬢」
ん?
「あなたといっしょにバラ園ですごす栄誉をわたしに与えてください」
んん?
どうした。
エリザベス・スペンサー侯爵令嬢は、ハリエット・スタンホープ公爵令嬢とともに王妃殿下に招かれたお茶会(女子会)から帰るところだった。
エリザベスは第二王子ヴィンセントの婚約者、ハリエットは王太子セバスチャンの婚約者。
ゆくゆくは嫁姑、そしておたがい小姑になるのだが、いまのところ関係は良好である。
先日のヴィンセントのフェイク浮気騒動などを肴に、香り高い上等なお茶とパティシエが腕によりをかけた、洗練され、なおかつたいそう美味なスウィーツをいただき、楽しいひと時を過ごした。
「ヴィンセントはまだ宰相のところなんだ。むかえに来れなくてごめんね」
そう言う王太子殿下とハリエットを残し、きげんよく玄関に向かっていた。
その途中、声をかけてきたのが彼である。
末の王子リチャード。
12才。
いったいどうした。
先日会ったときには、ふつうに「エリザベスさまー」と呼んでいたのに。
一週間で何が起きた。
そういえば、すこし声がガラガラになっている。
風邪ひいたのかな?
はっ! もしや!
声変り?
それで急に大人びた口をきいているのかしら?
なんだ、かわいかったのにな。
まあ、よく似た兄弟である。三人そろって金髪碧眼。すらりと背が高くて、絵にかいたような王子さま。
とは言ってもリチャードは、まだまだ子ども。頭頂部はエリザベスの目の下。
さらつやの金髪に、つい手がのびそうになるが、そこはグッとこらえる。
頭をなでられるなど、この年頃の男子には耐えがたい屈辱なはず。
微笑ましさにほんわりとしながら
「いいですよ。見頃ですものね」
そう答えたら、リチャードがぱあっと目を輝かせた。
かわいいな!
庭園の一角がバラ園である。きれいに配置された色とりどりのバラが満開。そよ風に揺れて、ふくよかなバラの香りが鼻をくすぐる。
ほんわり、ふわふわとしばらく散策をする。
そうしたら急にリチャードが立ちどまった。
エリザベスも、なにかしら? と立ちどまった。向きあったリチャードがおもむろに口を開いた。
「婚約、解消したほうがいいのではありませんか」
ああ、フェイク浮気騒動のことかな。
「浮気なんてゆるせません」
リチャードが「キリッ」と言う。
おや、最後まで聞いていないのかな。
情報が中途半端なようだ。
「だいじょうぶですよ。浮気もフェイクでしたし」
エリザベスは軽くほほ笑んだ。
「でもエリザベス嬢を悲しませるなんて、ぜったいダメです。わたしならそんなことはしません!」
あら、たのもしい。
「お心遣い、ありがとうございます」
「そんな、他人行儀な口の利き方はやめてください」
ふたたびキリッとするリチャード。
「リチャード殿下はりっぱな第三王子なのですから、気安い口をきいてはいけないのですよ」
エリザベスがそう言うと、リチャードはふうっと遠くを見つめる。
「そうです。ぼく、いえ、わたしは第三王子」
言い直したな。
「だからわたしにも権利はあるはず」
なにのでしょう。
「だいたいヴィンセント兄上は、このところ遊んでばかりおられるようです。いつもアーサーとイアンと三人でふらふらしている」
遊んでいるわけではないのですけれど。
「あの調子では学業も不安です」
そんなことはありませんが。
「この先、とてもセバスチャン兄上の補佐が務まるとも思えません」
「あの、リチャード殿下?」
なにを言い出すのだろう。エリザベスはあなたのほうがよほど不安ですよ。と言いたい。
「はっきり申し上げます。ヴィンセント兄上は、エリザベス嬢にふさわしくない」
あああ。なにか、とんでもないことを言い出した。
エリザベスの狼狽をよそに、リチャードはうやうやしく片膝をついた。
!!! やめて!
エリザベスは悲鳴を飲みこんだ。
うしろでは、つきそいの侍女や侍従が「ひっ」と息をのんだ。
「エリザベス嬢。わたしと結婚しましょう」
もう、どうしよう。
「ちょっと、待ったぁ!」
背後からいきなり声が聞こえて、エリザベスもリチャードも飛び上った。
「リチャード! おまえはなんのつもりだ!」
がさがさとバラの茂みからヴィンセントが飛び出してきた。
隠れていたんですか。いつから。
「ああっ! 兄上! 盗み聞きとは卑怯な!」
「なんだと? 人の婚約者に手を出すおまえのほうがよっぽど卑怯じゃないか!」
「兄上が浮気するから悪いんです!」
「浮気じゃないっ!」
あの件を蒸し返されると、とたんに機嫌が悪くなるヴィンセントである。
「あの話はもう済んだことだ。ちゃんと、あやまったし。いや! そもそも浮気じゃない!」
「ふふん。どうだか」
リチャードが小ばかにしたように鼻で笑った。ヴィンセントはますますヒートアップする。
「うるさいっ! ぼくが愛しているのはリズだけだっ!」
そう言われれば、悪い気はしないけれど。
「あああ、ヴィンセントさまにリチャード殿下。けんかはおやめください」
わたしのために争わないで。なーんて。
「いつまでリズの手を握っているんだ! はなせ!」
そういうとヴィンセントはリチャードの手をつかんだ。
「いやだ! はなすもんか!」
「このっ! クソガキ!」
王子がそんなことばを使ってはいけません。
後ろで、侍女と侍従がおろおろしている。
「い、い、痛いですぅ」
ふたりから手をつかまれて、エリザベスは引くに引けない。
いや、子どもか。リチャードは子どもだが、ヴィンセントまでなんなのだ。
「リズっ! リズはぼくのものだ!」
「なんの騒ぎだ」
重々しい声がひびいた。
ひえぇ。国王陛下登場。
バラ園は回廊から見渡せる。こんなに騒いでいたら嫌でも目に付く。
「あっ。父上! リチャードがリズを取ろうとするんです!」
「はあ?」
突拍子もないことを言われると、国王陛下でも間抜けな声が出るらしい。
「エリザベスさまに、浮気者の兄上はふさわしくありません! ぼくのほうがふさわしいんだ!」
エリザベスをはさんで、兄弟二人で引っぱりあい。見目麗しい王子たちがなにをしているんだか。
「なんだ、リチャード。横恋慕か?」
国王陛下はにやりと笑った。
「ちがいますー。エリザベスさまにふさわしいのはぼくなんですー!」
「それを横恋慕というのだよ。さあ、ふたりとも手をはなしなさい。エリザベス嬢が痛がっている」
そう言われれば、ふたりとも手をはなすしかない。ようやく解放された手をエリザベスはふるふると振った。ちょっとしびれた。
「息子たちがすまないね。痛かっただろう?」
国王陛下はそう言って、エリザベスの手を取って、さすさすとやさしく撫でた。
まあ、おそれおおい。
「だ、だいじょうぶです。ありがとうございます」
「父上!」
ヴィンセントが国王陛下の手をがしっと押さえた。
「なんだ」
国王陛下は怪訝な顔をする。
「はなしてください」
ここぞとばかりに、リチャードも陛下の手をつかむ。
「そうですよ! ずるいです、自分ばっかり!」
そういう話でもないが。
国王陛下はあきれたようにため息をついた。
「ヴィンセント。あまり狭量だと嫌われるよ」
「そっ、そんなわけないっ」
ヴィンセントは縋るようにエリザベスを見つめた。
いえ、嫌いませんけどね。
「なにをしていらっしゃるの?」
凛とした声がひびいた。
「あっ、母上!」
ひえぇ。王妃殿下まで登場である。
回廊からよく見えるように、バラ園は造園してある。通りがかれば、嫌でも目に入る。
「父上がリズを取ろうとするんです!」
「なにを言うか、ヴィンセント」
国王陛下はエリザベスの手をパッとはなした。すかさずヴィンセントがエリザベスを奪還した。
「あら、まあ」
少々呆れ気味の王妃殿下。
「いやいや。ヴィンセントとリチャードがけんかをしていてね」
国王陛下、あわてていい訳するとおかしいですよ。
「陛下はともかく」
王妃殿下は優雅に歩み寄ってくる。
「リチャードはどうしたの?」
涙目のリチャードに問いかけた。
「浮気者の兄上はエリザベスさまにふさわしくない、と言ったのです」
「だから! 浮気じゃないって!」
「あらあら」
王妃殿下がおもしろがっている。
「だから、ぼくと結婚したほうがいいんです」
「リチャード!」
ほほほ。と王妃殿下が笑った。
「たしかにあのフェイク浮気騒動はポンコツだったけれど、もう解決しているのよ。エリザベスもゆるしてくれたし」
ヴィンセントがしかめっ面をした。浮気じゃないとはっきり否定してほしいところだ。
「どちらを選ぶかは、エリザベスが決めることじゃないかしら」
そうなりますよねぇ。
「リチャード殿下」
エリザベスはリチャードの目の前に向き合った。
「ヴィンセントさまは、遊んでいるわけではありませんよ。王太子殿下の補佐をするために準備をなさっておいでなのです」
「いや、そんなはずは……」
「アーサーさまもイアンさまも、ヴィンセントさまの側近となるために、いっしょに行動なさっているのです。三人とも王国を支えるためにがんばっていらっしゃるのですよ」
「でも……」
「まあ、たまにポンコツですけれど」
リチャードはだんだんうなだれてくる。
「リチャード殿下」
エリザベスはリチャードの手を取った。
「お気持ちはたいへんありがたいのですが、わたしはヴィンセントさまをお支えします。婚約が決まったときからそう決めています」
リチャードは必死に涙をこらえている。
ああ、かわいそうに。
でも、かわいい。
「そのおことばは、もう少し先までしまっておいてください。大事な人があらわれたときのために」
リチャードはとうとう、うつむいてしまった。
「ぼ、ぼくの大事な人はエリザベスさまなのに」
エリザベスはウフフと笑った。
「ありがとうございます。でも、それは心配というのですよ。好きとはちがいます」
「ちっ、ちがうもん! 好きだもん!」
あらあら。
「ほんとうに好きな方を見つけたらわかりますよ」
エリザベスはあやすように言った。
「ちがうもん!」
リチャードは、エリザベスの手を振りほどいた。
「子どもだと思って!」
そう言い残すと、ぱっと背を向けて走り去ってしまった。
だいじょうぶかしら。
かわいかったけれど。
エリザベスはリチャードの背中を見送った。
「やれやれ」
国王陛下がため息をついた。
「失恋したリチャードのためにおいしいお茶をいれましょうか」
王妃殿下がくすくすと笑いながら言った。
エリザベスの視界の端っこで、王太子殿下が腹を抱えて笑っていた。そのとなりには、気の毒そうな顔をしたハリエットが。
和やかな感じでギャラリーが解散したバラ園。
ヴィンセントは、つかつかとエリザベスに近寄ると、さっと手を取る。
「リズ」
取った手をすうっと引き寄せる。
「ぼくの努力を認めてくれていたんだね。感激だよ」
「ふだんから、がんばっているもの。みなさま、認めていらっしゃるわ。国王陛下も、王妃殿下も」
「そっ、そっ、そうかなっ?」
「そうよ。がんばっているヴィンセントはとってもすてきよ」
えへ、えへ、えへ。
手を取り合ったまま、デレデレするふたり。
「それにしても!」
さきほどのリチャードの突拍子のない行動を思い出して、ヴィンセントはふたたび怒りがわいてきた。
「リチャードのやつ! 生意気な!」
「まあまあ」
「最近急に色気づきやがって!」
「声変り?」
「そう! そうなんだよ」
「ぼくのリズに言い寄るなんぞゆるさん!」
あら、やだ。ぼくのリズ、なんて。エリザベスはポッと赤くなる。
「リチャード殿下はちょっと血迷っただけよ」
「いや! リズをそんな目で見ていたとは弟といえどゆるしがたい」
「もう、だいじょうぶよ。そんなことはもう言わないわよ」
それでもヴィンセントは眉間のしわを緩めない。
「……リズはかわいいからな」
「やだあ」
エリザベスは、ぽんっとヴィンセントの肩をたたいた。
「ほかにもリズを邪な目で見ているやつがいるかもしれない」
後ろで侍女と侍従が、やれやれとため息を飲みこむ。
だいたい、王子殿下の婚約者に色目を使い、王家に盾つく者がいるわけがないのに。
「だいじょうぶよ。ヴィンセントさまがついててくれるでしょう?」
「……う、うん」
急にヴィンセントの歯切れが悪くなる。
「……あの」
「なあに?」
エリザベスは小首をかしげる。必殺「あざとい」
「もし、ぼくよりもずっとカッコいい男があらわれたらリズはどうする?」
急に弱気。
エリザベスはしばらくヴィンセントの目をじっと見つめていたが、キリッと表情を引き締めた。
「わたしはヴィンセントさま、一筋です!」
「え?」
「どんな方があらわれても、わたしは揺るぎません!」
ヴィンセントの顔が、ぱあっと明るくなった。
「そ、そうか! そうだな! ぼくもだよ! ぼくも揺るがない!」
機嫌のよくなったヴィンセントは、エリザベスの手をきゅっと握り直した。
「車寄せまで送るよ」
「はい」
手をつないで歩くふたりを、すれちがう使用人たちがあたたかく見守っていた。
それから数週間後、リチャード王子はけろりとして、バーナード公爵家の令嬢(15才)にバラの花束を贈った。
どうも年上がお好きらしい。
おしまい
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