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ぷつん
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「もう、私に関わらないで」
「どうして?」
「恋人が出来たの」
「…………そう」
場所は当然のごとく我が家の中庭だ。私はバルコニーの欄干に肘をつき、奴は中庭から私を見上げている。
偽恋人作戦はここからが本番だ。
武器はひとまず手に入れた。ヨハネス・ルクセンブルクは女にだらしない所もあるが、女性に対して常に紳士的で言葉通り困っている女性がいれば手を差し伸べる。そこに下心が多分に含まれていたとしても、彼の言葉に偽りはないと思われる。
ストーカーから私を守ると言うのなら、実行されるだろうし、実行された後の彼との関係はその時考えればいい。
しかし、彼が本気で私をストーカーから守ろうとしていても、それなりの準備がいるのは必定で、夜会の翌日ではいくら何でも手の打ちようがない。にも関わらず。
昨日はヨハネス・ルクセンブルクに付き合わされ帰るのが遅くなったため、さっきまで寝ていた。お腹が空いて、一階に降りれば、リビングのテーブルに私宛の手紙が置いてあるではないか。
すっかり見慣れてしまい、奴からの手紙だとすぐに分かった。
両親とリチャードは出かけたらしく、家には私しかいないようだ。予想よ当たってくれるなと厨房からパンを拝借して食べながら部屋に戻り、バルコニーに出ると、案の定奴はいて『やあ、ジュリエット。今日の君は一段と美しいね』と無駄に爽やかな笑顔で言った。
そして私は先手必勝とばかりに恋人出来た宣言をしたのだ。
「そう言えば、君に渡す物があったんだ」
なのに私が恋人が出来たと告げても奴の表情は微塵も動かなかった。普段通り、胡散臭い笑みを浮かべている。そのくせ、わざとらしく額に手を当てると、懐から一通の封筒を取り出した。
「君にって預かってたんだった。……取りにきてくれる?」
「嫌よ。投げればいいでしょ?」
なぜ、わざわざ猛獣の口の中に自ら入らねばならぬのか。
奴も答えは分かっていたらしく、軽く肩を竦ませただけで、封筒をくるくる丸めると、どこからか取り出した水色のリボンで結んだ。
「行くよ」
私は胸の前に両手のひらを揃えて、空に向ける。掛け声と共に、丸められた封筒は綺麗な放物線を描きながら宙を飛び、私の手の上に寸分違わず着地した。
「そのリボンは君に」
奴の言葉は無視して、リボンを解く。幅は細めだが、水色地に白い糸で細かい刺繍が施してある。一目で高級品と分かる品だが、どさくさに紛れて押し付けないでもらいたい。
リボンの処理は後回しにして、今はこの白い封筒だ。飾り気のないそれは、宛名すら書かれていない。直接託したから書く必要はないと思ったのか、単純に忘れていたのか。
不審に思いつつ中から一枚の紙を取り出す。
そこにはよほど慌てて書いたのか、いささか乱暴な筆跡でこう書かれていた。
『すまない。あなたを助けることは出来ない』
私は無表情を奴に向けた。奴は笑顔で私を見返す。思うところは色々ある。言いたいこともたくさんある。だから私は行動した。
室内履きを脱ぐと奴の顔面目掛けて投げつける。
「滅べ!ストーカー!!」
言うだけで滅びるなら私はいくらでも言葉を尽くすのに。
奴は『用は済んだから今日の所は帰るよ』と言って本当に帰ってしまった。あろうことか、投げたはいいもののあっさり受け止められた私の室内履きを持ったまま。
「待ちなさい!それは置いていきなさい!」
普段だったら鬱陶しいくらい私のどんな言葉にも返事をするのに、奴は満面の笑みだけ残して何も言わずに颯爽と去っていく。
私は怒りなのか羞恥なのか屈辱なのか、もはやよく分からない感情に歯を食いしばり血管が浮き出るほどきつく欄干を握りしめた。
こうして、私の渾身の作戦は失敗に終わったのだった。
奴と私の関係は平行線を辿り、気づけば出会ってから一年という歳月が経っていた。私はよく我慢したと思う。
数日のペースで奴は我が家に現れ、夜会に参加すれば高確率で捕まり、甘い言葉を毒のように垂れ流し、私の精神をじわじわと犯していく。
奴なんかに決して屈したりはしないが、奴の方も飽きる様子も諦める様子もなく、じわじわと絡め取られていくようで、私はそんな恐怖に必死で抗った。
両親は両親で進展しない手紙の送り主との関係にねちねちと文句を言い、早く結婚しろと急き立てる。私を取り巻く状況は間違いなく悪化していた。
私の中で切れてはならない物が切れる音がした。
そうだ。奴を殺そう。
「どうして?」
「恋人が出来たの」
「…………そう」
場所は当然のごとく我が家の中庭だ。私はバルコニーの欄干に肘をつき、奴は中庭から私を見上げている。
偽恋人作戦はここからが本番だ。
武器はひとまず手に入れた。ヨハネス・ルクセンブルクは女にだらしない所もあるが、女性に対して常に紳士的で言葉通り困っている女性がいれば手を差し伸べる。そこに下心が多分に含まれていたとしても、彼の言葉に偽りはないと思われる。
ストーカーから私を守ると言うのなら、実行されるだろうし、実行された後の彼との関係はその時考えればいい。
しかし、彼が本気で私をストーカーから守ろうとしていても、それなりの準備がいるのは必定で、夜会の翌日ではいくら何でも手の打ちようがない。にも関わらず。
昨日はヨハネス・ルクセンブルクに付き合わされ帰るのが遅くなったため、さっきまで寝ていた。お腹が空いて、一階に降りれば、リビングのテーブルに私宛の手紙が置いてあるではないか。
すっかり見慣れてしまい、奴からの手紙だとすぐに分かった。
両親とリチャードは出かけたらしく、家には私しかいないようだ。予想よ当たってくれるなと厨房からパンを拝借して食べながら部屋に戻り、バルコニーに出ると、案の定奴はいて『やあ、ジュリエット。今日の君は一段と美しいね』と無駄に爽やかな笑顔で言った。
そして私は先手必勝とばかりに恋人出来た宣言をしたのだ。
「そう言えば、君に渡す物があったんだ」
なのに私が恋人が出来たと告げても奴の表情は微塵も動かなかった。普段通り、胡散臭い笑みを浮かべている。そのくせ、わざとらしく額に手を当てると、懐から一通の封筒を取り出した。
「君にって預かってたんだった。……取りにきてくれる?」
「嫌よ。投げればいいでしょ?」
なぜ、わざわざ猛獣の口の中に自ら入らねばならぬのか。
奴も答えは分かっていたらしく、軽く肩を竦ませただけで、封筒をくるくる丸めると、どこからか取り出した水色のリボンで結んだ。
「行くよ」
私は胸の前に両手のひらを揃えて、空に向ける。掛け声と共に、丸められた封筒は綺麗な放物線を描きながら宙を飛び、私の手の上に寸分違わず着地した。
「そのリボンは君に」
奴の言葉は無視して、リボンを解く。幅は細めだが、水色地に白い糸で細かい刺繍が施してある。一目で高級品と分かる品だが、どさくさに紛れて押し付けないでもらいたい。
リボンの処理は後回しにして、今はこの白い封筒だ。飾り気のないそれは、宛名すら書かれていない。直接託したから書く必要はないと思ったのか、単純に忘れていたのか。
不審に思いつつ中から一枚の紙を取り出す。
そこにはよほど慌てて書いたのか、いささか乱暴な筆跡でこう書かれていた。
『すまない。あなたを助けることは出来ない』
私は無表情を奴に向けた。奴は笑顔で私を見返す。思うところは色々ある。言いたいこともたくさんある。だから私は行動した。
室内履きを脱ぐと奴の顔面目掛けて投げつける。
「滅べ!ストーカー!!」
言うだけで滅びるなら私はいくらでも言葉を尽くすのに。
奴は『用は済んだから今日の所は帰るよ』と言って本当に帰ってしまった。あろうことか、投げたはいいもののあっさり受け止められた私の室内履きを持ったまま。
「待ちなさい!それは置いていきなさい!」
普段だったら鬱陶しいくらい私のどんな言葉にも返事をするのに、奴は満面の笑みだけ残して何も言わずに颯爽と去っていく。
私は怒りなのか羞恥なのか屈辱なのか、もはやよく分からない感情に歯を食いしばり血管が浮き出るほどきつく欄干を握りしめた。
こうして、私の渾身の作戦は失敗に終わったのだった。
奴と私の関係は平行線を辿り、気づけば出会ってから一年という歳月が経っていた。私はよく我慢したと思う。
数日のペースで奴は我が家に現れ、夜会に参加すれば高確率で捕まり、甘い言葉を毒のように垂れ流し、私の精神をじわじわと犯していく。
奴なんかに決して屈したりはしないが、奴の方も飽きる様子も諦める様子もなく、じわじわと絡め取られていくようで、私はそんな恐怖に必死で抗った。
両親は両親で進展しない手紙の送り主との関係にねちねちと文句を言い、早く結婚しろと急き立てる。私を取り巻く状況は間違いなく悪化していた。
私の中で切れてはならない物が切れる音がした。
そうだ。奴を殺そう。
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