囚われの王子様

橘アカシ

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「今日は庭を散歩する」

 今から戦にでも行くかのような厳かな声でアドルフは宣言した。

「絶対、行かない」

 常になくきっぱりとルカは言葉を口にした。




 *****




 アドルフはシュトルツ王国の王族でありながら軍にも所属している。故に、戦力差をものともせずにシュトルツに攻めてきた隣国トールフェンを迎撃し、勝利を収めた後も事後処理に当たっていた。

 そこで見つけたのが城の隠し部屋に閉じ込められていた青年ルカだ。

 彼を見つけた時に抱いた感情は筆舌に尽くしがたく、閉じ込めていたトールフェンの王に対して百回殺しても殺し足りないくらいには、激しい怒りを抱いている。

 けれど、すべての真実を把握しているのはトールフェン王ただひとりだった。

 尋問は定期的に行われているが、トールフェン王は支離滅裂な言葉を並べ立て、会話にならない。ルカがトールフェン王の実子であるという事も最近ようやく判明したくらいだ。

 何故ルカは閉じ込められていたのか、何故トールフェン王以外に存在を秘匿されていたのか、ついでに周辺国に戦争を吹っ掛け始めた動機など聞き出したいことは山程ある。

 それまでは殺したくても殺せないのが実情だ。

 追々どんな手段を用いても問い質すが、アドルフにはもうひとつ、大きな使命があった。







 アドルフは、堅い決意を胸にルカの部屋を訪れた。
 生まれてからほとんど使われることのなかった声帯がはっきりとした言葉を紡いだことに感動を覚えつつ、もう一度宣言する。

「今日は庭を散歩する。これは決定事項だ」

「……いってらっしゃい」

 そう言って、ルカは先程剥がされたシーツに再び包まろうとした。が、アドルフがすかさず遠ざける。

「お前が来ないと意味ないだろう! 人は陽の光に当たらないと病気になってしまうんだぞ!」

「……ならないし」

 生まれてから十数年、暗い部屋に閉じ込められ、陽の光がなくとも病気にかかったことのないルカにしてみればただの迷信だ。

「今日は良く晴れていて暖かいから外を散歩すると気持ちいいぞ。庭師が腕によりをかけて育てた薔薇をお前に見て欲しいそうだ。とても綺麗に咲いていた。そうだ、ガゼボでお茶をしよう。お前が気に入っていた菓子を買ってきてあるから食べようじゃないか。ほら、行きたくなってきただろう?」

 なにがなんでもルカを外に出したいアドルフはあの手この手で気を引こうとするが、無駄打ちに終わった。

 あの目は早く話し終わらないかなーと虚空を見つめる目だ。

「……分かった。お前の意思は尊重したいと思っている。使用人たちからも無理をさせてはいけないと、口を酸っぱくして言われているしな。だがな、俺は外の心地よさも知って欲しいと思ってるんだ。陽射しの暖かさも、肌を撫でる風も、季節ごとに姿を変える草花の色鮮やかさも。確かにこれは俺の自己満足だ。そんなものお前が望んでないのは理解してる。それでも」

 らしくなく自嘲を滲ませるアドルフに、虚空を見つめていたルカが意識を向けた。その時ーー

「さあ、庭へ行くぞ。本当は自分の意思で外に出て欲しかったが、致し方ない」

 視界が反転した。

 先程の自嘲めいた哀愁はどこへ行ったのか。ルカを肩に担ぎ上げ、意気揚々と玄関に向かう。

 こうなってしまえば、ルカの抵抗などないも同然だ。外に連れ出されるのは確定してしまった。腹立たしさに、ルカは眼の前にある大きな背中をぺちりと叩いた。





「ほら、外の方が気持ちいいだろ。今日は散歩日和だ」

 外靴に履き替えさせられ、帽子も被せられたルカは強制的に庭に降り立った。

 何に納得しているのかうんうん頷くアドルフを横目にルカはその場にすとんとしゃかみこんだ。

「……疲れた」

「まだ一歩も歩いてないだろうが!」

 一歩も歩いてなくとも部屋から連れ出され、外に出る準備をさせられ、現在進行形で太陽の熱に炙られているのだ。疲れないはずがないと、ルカは冷ややかな瞳をアドルフに向けた。

「あのな? 健康な人間はこれくらいじゃ、疲れないんだ。体力を付けないと食事の量も増えないし、いつまで経ってもひょろひょろのままだぞ」

 アドルフは事あるごとに大きくなれないだのひょろひょろだの言ってくる。
 アドルフ自身背が高く軍人なだけあってしっかり筋肉が付いている。ルカくらいならひょいひょいどこにでも持ち運べるほど力持ちだ。
 それ故か男児は皆「大きい」「強い」に執着するものだと思い込んでいる節があった。
 ルカはこれっぽっちも気にしていないし、なんなら不必要とさえ思っているのだが。

「ちゃんとガゼボにお菓子を用意してあるから、そこまで歩こう。な?」

 そう言って、アドルフはルカに手を差し出した。

 すぐに物で釣ろうとしてくる所が本当に分かっていない。

 ルカはこれ見よがしにため息を吐き、差し出されたその手を取った。








「さて。そろそろ戻るか」

「絶対歩かない」

「だよな」

 ガゼボまでの短い距離をアドルフに手を引かれて歩いたルカは、用意されていたお菓子を食べて機嫌が直ったように見えた。

 この調子なら帰りも歩かせられるかもと僅かな期待を抱いていたが、やっぱり駄目らしい。

「まあ、さっき頑張ったしな。ほら」

 そう言ってアドルフはルカの前に後ろ向きでしゃがんだ。

「……何?」

 戻るのではなかったのか。

 運ばれる時は基本的に肩に担がれるため、今回も当然持ち上げられるものと思っていた。突然の行動にルカは不思議そうに首を傾げた。

「おぶってやる」

 ルカは『おぶって』という言葉に思い至った。子供が大人の背中にしがみついているのを何度か見たことがある。それをおぶるというのも知っている。けれど、自身がそれをしろと言われどうすればいいか分からなかった。

 戸惑うルカに気づいたのか、アドルフはもう一度、促した。

「首に手を回してみろ。暴れるなよ」

 ルカは言われた通り目の前の太い首に腕を巻き付けた。途端に、視界がぐんと上に上がる。

「人の持ち運び方はいくつかあるが、意識があるならまあ、おぶるのが一番楽だな。お互いに」

 そのままアドルフは歩き始める。慣れない視界にルカは首に回す腕に力を込めた。







 ルカは物心付いた時には狭い部屋の中にひとりだった。
 時々、壮年の男が部屋を訪れ、興奮した様子で何事かを捲し立てていく。

 それがルカの人生のすべてだった。

 最低限の食事しか与えられず、家畜よりも酷な環境で、ただ生かされた。

 故にルカはほとんどの時間を寝て過ごした。

 ルカにとって身体はこの世界に自身を留める器でしかない。

 狭く暗い部屋に閉じ込められ、何を教えられなくとも、ルカは誰よりも自由ですべてを見通すことが出来た。

 そこで言葉を覚え、人々の営みを観察し、いつの日か、時々来る男とは違う若く逞しい男がルカをこの部屋から連れ出すことを知った。

 苦しみも痛みもない。代わりに願いも望みもない。なのに、男の存在を知ったその日から心待ちにしていたのかもしれない。




 薄暗い部屋に灯りが差す。

 カンテラを片手に提げた男が現れる。黒い軍服に身を包み、濃い色の髪をひとつに括っていた。

 大きな身体と男らしい顔立ちは人を萎縮させる。だとしても、ルカにとっては見知ったはずの男で恐れることはないはずだった。

 ルカを見つけた男は驚いたのか目を瞠ったあと、痛ましげに顔を歪めた。

「ここに閉じ込められているのか?」

 低すぎない落ち着いた声が、優しくルカに呼びかける。

「大丈夫だ。俺がここから連れ出してやる」

 応えないルカにそれでも男は言葉を紡ぐ。

 その場にカンテラを置いた男はルカにゆっくりと近づき、その腕で包みこんだ。

 その時、ルカの世界が塗り替わった気がした。

 この場面を知っていた。この日が来るのを待っていた。

 けれど、知らなかった。

 鼓膜に響く声が心地よいことも、男から伝わる体温がルカの身体を温めることも。

 自身に向けられる言葉がこんなにも胸の内を震わせることも。








 連れ出された後の生活は面倒に溢れていた。

 直に浴びる太陽は目の奥に刺さるし、動くのはひどく疲れる。

 あれをしろこれをしろと世話を焼かれるのが、ひどく煩わしい時もある。

 それでも悪くないと思うのだ。






 高い視界にいつもとは違う風景が見える。

 見下ろす世界がより鮮やかに目に映るのは何故だろう。

 いつもは見えない頭頂部が下にあるのもなんだか不思議な感じがした。

「今、笑ったか?」

「……別に。今度からはこれで運んで」

「こら。俺が運ぶことを前提にするな。ちゃんと自分で歩け」


 すげなく断られてもルカは気にしなかった。

 なんだかんだ言ってもルカを甘やかすのがアドルフという男なのだ。

 菓子よりも甘く、陽射しよりも温かい。その事にアドルフはまったく気づいていない。

「もっと体力が付いたら街に買い物に行くのもいいな。好きなものをいくらでも買ってやるぞ。菓子も選び放題だ」

 どうだ嬉しいだろうと言わんばかりの声色にいっそおかしくなってくる。

 菓子は好きだが、アドルフが用意しすれば済む話だ。

 わざわざルカが菓子を買いに行く必要性は感じない。

 けれど、アドルフがルカの手を引いて連れて行くのなら、どこへだって行けるのかもしれない。

 精々、ルカの事で悩み抜けばいい。

 アドルフがいれば他は要らないなんて、決して教えてやるものか。

 意外とさわり心地のいい髪にルカは頬を擦り寄せた。



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