悪役令嬢は塔から飛び降りる

橘アカシ

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時の塔

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「今ならまだ間に合うよ」

 冷たい夜風に乗せて、平坦な声がシロエの耳に届いた。
 振り返った先にいたのは先日シロエに婚約破棄を言い渡した王太子の兄クラウスだった。

「いいえ。もう何もかも手遅れよ。私が犯した罪はなくならないし私は必ず処刑される。それがこの物語のハッピーエンドなんだもの」
「君が言っていた強制力のことだろう?それなら君は死んだことにすればいい。そうすればこの先の君は自由になれるはずだ……だから、こちらへ」
 クラウスは手を伸ばす。塔の縁に立つ彼女へと。平素と変わらない口調に対してその手は微かに震えていた。
 それをただじっと見つめてシロエは思う。今にも消えてしまいそうなのはクラウスの方だと。金と青をその身に宿す王族とは真逆の色彩を持つクラウスは存在しないものとして扱われていた。
 クラウス自身も何も望まず、この塔の中で終わりを待っていた。その様はまさしく亡霊だ。死を選ぶことが出来ぬ故の生きた屍。
 そんな彼がほんの少し変わり始めたのはシロエに出逢ってからだ。
 何人も立ち入ることが出来ないはずのこの塔に現れたのは、天真爛漫で少し無鉄砲な、どこにでもいそうな普通の少女だった。
 来てはならないと言っても、何度も訪れ、クラウスに向かって一方的に話し、気まぐれに帰っていく。
 日が昇っては沈むように、闇夜に日の光が差すように。逢瀬を重ねる内にクラウスの胸に灯った陽光は間違いなくシロエという形をしていた。

 そんな日々の中、変わり始めたのはクラウスだけではなく、シロエもまた変わってしまった。

 純真無垢だった少女は成長と共に艶やかに色を変え、美しく誰もが見惚れるような女性に。自分の中の日常もその時何を思ったかも詳らかにクラウスに語っていた少女は内心を隠すようになり、美しさと引き換えに花が咲くような笑顔は消えてしまった。

 シロエは知っていたのだ。婚約破棄も家からの断絶も、自身が処刑されることも。

 なぜ、シロエが知っているのかクラウスには分からない。けれど未来を変えてみせると言ったシロエの力強い瞳をクラウスは漠然と信じていた。

 信じた結果が目の前にあるのなら、胸を締め付けるような圧迫感を、足元が崩れてしまいそうな不安定さを人は何と呼ぶのだろうか。

「……そんな顔しないでよ。貴方に泣いて欲しくて未来を変えようとしたんじゃないんだから」
 シロエは困ったように笑った。
 それは久しぶりに見た彼女らしい表情だった。クラウスは“泣く”という言葉に首を傾げ、シロエの頬を突く動作を真似て自身の頬に触れた。そして驚き、すぐさま手を離した。冷えた指先に触れたのは暖かく濡れた感触。
 クラウスは涙を流していた。止めどなく流れるそれはクラウスの内にある心の証。

「……失いたくない。君を失いたくないんだ」

 クラウスが初めて抱いた望みだった。

「私もよ。地位も名誉もいらない。この身も心も命さえ惜しくない。でも、貴方だけは失いたくない。この先逃げて、強制力からも解放されて自由になったって貴方がいなくちゃ意味がないの。この塔で朽ちていくのが貴方の運命だというのなら私はそれを認めない。貴方が手に入れるはずだった未来を何一つ諦めたりしないわ。決して」

 シロエは静かに涙を流しながら目を瞠るクラウスの顔を瞳に焼き付けた。揺れる心に気づかないように瞼を閉じる。
 背後にあるのは底の見えない暗闇。このまま飛び降りれば数十メートル下の地面に叩きつけられるだろう。それでもシロエは飛ぶ。飛ばなければならない。

「貴方が教えてくれたのよ。この塔には古くて強力な魔法がかかってるって。私はこの塔に入って物語の終わりを知った。ならこの物語を飛び越えるにはこうするのが正解なのよ」

「それは絵本の話だろう。何も起こらなければ、君は……っ」

「止めたって駄目よ。もう決めたの」

「なら僕が代わりに」

「クラウス」

 名前を呼ばれ言葉を止める。彼女は笑っていた。心のままに生を謳歌していたあの頃のように。子供のようにあどけなく、何の変哲もない日常のように。彼女が塔から帰る時にかける言葉はいつだって同じだった。

「またね」

 シロエは塔の外の暗闇に向かって、飛んだ。

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