【完結】武道館の殺人 〜とある新聞部の事件簿〜

瑞光みどり

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3日目

第11節 沈黙、覚悟

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 胃が痛む。昨日から上手く寝れていない。鏡を見るたびに目の下の隈が濃くなっている。校長室の椅子が心なしか冷たく感じる。
 私立嵯峨ノ原高校に勤務して10数年。眼を閉じると、生徒との数々の思い出が蘇ってくる。
「おはようございます。校長先生」
 向こうから歩いてくる生徒の姿があった。竹刀を持っている。恐らく剣道部員だろう。
「おはよう」
 私はできる限り笑みを浮かべて、挨拶を返した。
「朝早くから偉いね。キミは剣道部かな?」
「はい。自分はまだまだ弱いですから。この学校の名に恥じないような腕になります!」
「おお。それは頼もしい。……キミは」
「自分は藤沢智也と言います!」
「そうか。藤沢くん、キミには期待しているよ。頑張ってね」
「はい。失礼します!」
 そう言って、藤沢くんは武道館のほうへ歩き始めた。
 藤沢智也くんは、全教師が好むといっても過言ではないほど、良い人柄を持っていた。あの時の私は、剣道大会で勝利を手にして欲しいと無意識のうちに思っていた。
 ……そして、事件が起こってしまった。学校というのは、いかなるときでも安全・安心なところであるべきだと私は思っている。だが、蓋を開けてみたらどうだ? 生徒一人も守れないでなにが学校だ。何が教師だ。何が校長だ。

バンッ!

 手から血が流れている。どうやら私は思いっきり壁を殴ったようだ。怒りに心が支配されるのは、私らしくない。少し頭を冷やせ……。
 その時、扉が開いた。
「おはようございます。漆原校長」
 そこには長身の男が立っていた。スーツをいかにもエリートな雰囲気で身に纏っている男。この学校の理事長だ。
「おはようございます。理事長。どのようなご用件で?」
「いやあ、特段用という用はないんですがね。今日の保護者説明会についての共有をしようと思いましてやってきました」
「それは、この後の職員会議で共有するつもりですが……」
 理事長の目が鋭くなった。
「ええ。詳しい話はそこで議論するつもりですが……。一つだけ」
 夏の熱風に似つかわしくない冷たい風が窓から流れた気がした。
「漆原校長。今回の事件どう責任を取るおつもりですか?」
「……っ」
 責任。その言葉が重くのしかかった。昨日からずっと対応のことばかり考えており、責任については微塵も考えていなかった。この男は、昨日からこのことばかりを考えていたのだろうか。そうだとしたら、教育者として非難する。
「……そういう理事長はどう責任を取るおつもりですか?」
「そうですねぇ。私はこの学校の運営者ですから、教師の質の向上に努めていきたいと思います。今後、このようなことを起こさないようにね」
 理事長はニヤリと訝しげな笑みを浮かべた。
「今回の事件は、この学校のイメージを著しく低下させたものだと思います。来年の倍率にも影響するでしょう。教師についてはあなたに一任していましたが、多部先生はこの事件を防げなかったのでしょうか」
 つまり、この男は私に辞職させようとしているのか。なんとも回りくどい。
「……今できることを愚直に行うことが今の私の責務だと思っています。……この一件終わったら、多部先生も私もそれ相応の対応をするべきだと思っています」
「それならよかった。期待していますよ、漆原校長」
 私の肩をポンと軽くたたき、校長室を去っていった。

 午後。体育館には、重苦しい雰囲気が満ちていた。急遽開催された保護者説明会。会場を埋め尽くした保護者たちの表情は、不安、怒り、悲しみ、そして不信感が入り混じり、突き刺さるような視線が壇上に向けられている。
 私は、深呼吸を一つし、マイクの前に立った。手元の原稿を持つ手が、微かに震えている。
「本日は、お忙しい中、また、このような状況の中、お集まりいただき、誠にありがとうございます。そして、この度の事件により、尊い命を失われた藤沢智也くん、並びにご遺族の皆様に対し、心より哀悼の意を表しますと共に、在校生、保護者の皆様、関係各位に多大なるご心配とご迷惑をおかけしておりますことを、深くお詫び申し上げます」
 私は深く頭を下げた。会場からは、すすり泣く声と、重いため息が聞こえる。
 事件の概要、現在の警察の捜査状況、そして今後の学校としての対応策、安全管理の強化について、私は用意した原稿を読み上げ、誠心誠意説明を尽くした。だが、保護者たちの不安や怒りが、それで収まるはずもなかった。
 説明が終わると同時に、堰を切ったように質問や非難の声が上がった。
「校長先生! 結局、犯人はまだ捕まっていないんでしょう! うちの子を安心して学校に通わせられません!」
「安全管理はどうなっていたんですか! なぜ校内でこんな事件が起きたんですか!」
「学校側はどう責任を取るつもりなのですか!」
 矢継ぎ早に浴びせられる厳しい言葉。私は一つひとつの質問に対し、言葉を選びながら、真摯に答えるよう努めた。だが、何を言っても、失われた信頼を取り戻すのは容易ではないことを痛感する。
 予定された時間を大幅に超過し、質疑応答がようやく落ち着きを見せ始めた頃、私は改めてマイクを握りしめた。覚悟は、できていた。
「……皆様、本日は貴重なご意見、そして厳しいご指摘、誠にありがとうございました。皆様の不安、お怒りはごもっともであり、校長として、その全てを受け止め、今後の対応に活かして参る所存です」
 私は一呼吸置き、会場全体を見渡した。
「その上で……今回の事件に対する責任について、私の考えをお話しさせていただきます」
 会場が、水を打ったように静まり返る。
「生徒の安全を守れなかったこと、そして、皆様にこれほどの不安を与えてしまったことに対する責任は、全て校長である私にございます。つきましては……」
 私は、真っ直ぐ前を見据え、はっきりとした口調で続けた。
「……この事件の犯人が逮捕された時点で、私は校長の職を辞する覚悟でおります」
 ざわっ、と会場が大きくどよめいた。驚きの声、囁き声が広がる。
「ただし、もし、年内に事件が解決しなかった場合……その場合は、年度末となる3月末日をもって、辞任させていただきます。それまでは、校長としての責任を全うし、事件の早期解決、そして生徒たちの心のケア、学校の信頼回復に全身全霊で取り組む所存です。どうか、ご理解いただけますよう、お願い申し上げます」
 私は再び、深く、深く頭を下げた。会場のどよめきは滝のように続く。非難の声も、同情の声も、様々な感情が渦巻いているのが感じられた。理事長がこの状況をどう見ているか、今は知る由もない。だが、今はただ、校長として、私が取るべき責任の形を示すことしかできなかった。重い沈黙の中、私は静かに壇上から降りた。
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