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第一章 影の令嬢
出来損ないと呼ばれる令嬢
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窓の外では春の訪れを告げる小鳥たちがさえずっている。しかしその声は、屋敷の奥まった古い部屋にはほとんど届かない。分厚い石壁に阻まれて、世界の喜びはいつもエリアナ・フォンティーヌの元には届かないのだ。
二十二歳になった今も、エリアナは自分の部屋——かつては物置として使われていた、窓の小さな薄暗い部屋——で、ひっそりと刺繍針を動かしていた。亜麻色の髪は簡素な三つ編みにまとめられ、琥珀色の瞳は伏せられている。いつものように、うつむいて。
針に糸を通す手が震えた。
昨夜の夕食は、また冷めた黒パンと薄いスープだけだった。侍女のマルタが、申し訳なさそうな顔で盆を置いていった時の言葉が、まだ耳に残っている。
「どうかお許しください、エリアナお嬢様。奥様が、リリアーナお嬢様のお夜食の準備で厨房が忙しいから、あなた様は簡素なものでと……」
エリアナは「構いませんよ」と微笑んで見せた。マルタを困らせたくなかったから。
本当は胃が痛むほど空腹だったのに。本当は、妹のリリアーナが食べているであろう温かい料理の香りを想像して、涙が出そうだったのに。
でも、泣かなかった。もう慣れてしまったから。
五年前まで、まだ少しは違った。母が生きていた頃は、まだ父も自分を見てくれていた。「エリアナ、お前は優しい娘だな」と頭を撫でてくれたこともあった。
母が病で亡くなったのは、エリアナが十七歳の時。そしてその一年後、父は社交界の美女として名高いマルグリット・ド・ロシェフォールと再婚した。継母は連れ子を一人連れてきた。当時十二歳のリリアーナ。
初めて会った時から、リリアーナはまぶしかった。プラチナブロンドの巻き毛、青い宝石のような瞳、陶器のように白い肌。人形のように可愛らしい少女は、すぐに屋敷中の、いや社交界全体の注目を集めた。
「百年に一度の美少女」
そう称賛される妹の傍らで、エリアナは急速に影が薄くなっていった。父は社交界での家の名声を上げてくれるリリアーナに夢中になり、継母マルグリットは実の娘だけを溺愛した。エリアナの存在は、まるで消えてしまったかのように。
部屋の隅に置かれた小さな鏡——ひび割れて、曇った鏡——にちらりと視線を向けて、エリアナはすぐに目を逸らした。鏡を見るのが怖い。そこに映るのは、くすんだ髪、生気のない瞳、青白い頬。美しい妹と比べられて、「フォンティーヌ家の出来損ない」と陰口を叩かれる自分。
本当は、エリアナにも美しさがあった。亜麻色の髪は絹のように滑らかで、琥珀色の瞳は暖かな光を宿している。母譲りの整った顔立ち、繊細な手指。けれど長年の冷遇と粗末な食事のせいで、その美しさは曇り、彼女自身もそれに気づけないでいた。
二十二歳になった今も、エリアナは自分の部屋——かつては物置として使われていた、窓の小さな薄暗い部屋——で、ひっそりと刺繍針を動かしていた。亜麻色の髪は簡素な三つ編みにまとめられ、琥珀色の瞳は伏せられている。いつものように、うつむいて。
針に糸を通す手が震えた。
昨夜の夕食は、また冷めた黒パンと薄いスープだけだった。侍女のマルタが、申し訳なさそうな顔で盆を置いていった時の言葉が、まだ耳に残っている。
「どうかお許しください、エリアナお嬢様。奥様が、リリアーナお嬢様のお夜食の準備で厨房が忙しいから、あなた様は簡素なものでと……」
エリアナは「構いませんよ」と微笑んで見せた。マルタを困らせたくなかったから。
本当は胃が痛むほど空腹だったのに。本当は、妹のリリアーナが食べているであろう温かい料理の香りを想像して、涙が出そうだったのに。
でも、泣かなかった。もう慣れてしまったから。
五年前まで、まだ少しは違った。母が生きていた頃は、まだ父も自分を見てくれていた。「エリアナ、お前は優しい娘だな」と頭を撫でてくれたこともあった。
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本当は、エリアナにも美しさがあった。亜麻色の髪は絹のように滑らかで、琥珀色の瞳は暖かな光を宿している。母譲りの整った顔立ち、繊細な手指。けれど長年の冷遇と粗末な食事のせいで、その美しさは曇り、彼女自身もそれに気づけないでいた。
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