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第一章 忌まわしき生贄
決意
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「アリアーナ」
父の声は、ひどくかすれていた。
「すまない。だが、この家を……セリーナを守るためには……」
父の涙は本物だった。それが、かえって残酷だった。
父は苦しんでいる。しかし、それでもアリアーナを選ぶのだ。
アリアーナは立ち上がった。膝が震えていたが、気づかれないように踏ん張った。
「わかりました」
自分でも意外なほど、冷静な声が出せた。
「私が、参ります」
「アリアーナ!」
父が、こらえきれなくなったように叫んだ。アリアーナを抱きしめようと、一歩踏み出す。
しかし、傍らの継母がその腕をつかんで止めた。
「あなた、アリアーナは自分で決めたのです。娘の勇気を誇りに思うべきですわ」
継母の声は優しかったが、その目は冷たかった。
セリーナは、ハンカチで目元をぬぐいながら、かすかに微笑んでいた。その笑みに、アリアーナは気づかなかった。気づいたとしても、その意味を理解できなかっただろう。
「いつ、出発するのでしょうか」
「三日後だ」
父は深くうなだれてしまい、顔を上げることができずにいた
。
「準備は使用人に命じる。お前は……好きなことをして過ごしなさい」
好きなこと。
アリアーナは、自分の部屋に戻った。扉を閉め、鍵をかけてから、ようやく膝から力が抜けた。床に座り込み、両手で顔を覆った。
泣くべきだろうか。叫ぶべきだろうか。
けれど、涙は出てこなかった。代わりに、胸の奥から這い上がってきたのは、奇妙な安堵感だった。
もう、この家にいなくていい。継母の冷たい視線に晒されなくていい。セリーナの作り笑いを見なくていい。自分の居場所を必死に探さなくていい。
竜に食べられて死ぬのだろう。それは恐ろしいことのはずだ。けれど、不思議と恐怖よりも、期待のような感情が湧いてきた。この息苦しい日々から、解放される。それは、ある意味で救いではないだろうか。
今までだって――自分の小さな部屋に閉じこもり、死んだみたいに生きてきたのだから。ずっと。
アリアーナは立ち上がり、書架を見つめた。大切な本たち。幼い頃から集めてきた宝物。これらを置いていかねばならないのだけが、つらかった。
いや――。
彼女は、一冊の本を手に取った。竜について記された、あの本。せめてこれだけは持っていきたい。最期まで、好きなものと一緒にいたい。
窓の外では、春の風が桜の花びらを散らしていた。ピンク色の花びらが、まるで雪のように舞い落ちている。美しい光景だった。
この世界にも、美しいものはたくさんある。
それらを見られなくなるのは、少しだけ寂しい。
父の声は、ひどくかすれていた。
「すまない。だが、この家を……セリーナを守るためには……」
父の涙は本物だった。それが、かえって残酷だった。
父は苦しんでいる。しかし、それでもアリアーナを選ぶのだ。
アリアーナは立ち上がった。膝が震えていたが、気づかれないように踏ん張った。
「わかりました」
自分でも意外なほど、冷静な声が出せた。
「私が、参ります」
「アリアーナ!」
父が、こらえきれなくなったように叫んだ。アリアーナを抱きしめようと、一歩踏み出す。
しかし、傍らの継母がその腕をつかんで止めた。
「あなた、アリアーナは自分で決めたのです。娘の勇気を誇りに思うべきですわ」
継母の声は優しかったが、その目は冷たかった。
セリーナは、ハンカチで目元をぬぐいながら、かすかに微笑んでいた。その笑みに、アリアーナは気づかなかった。気づいたとしても、その意味を理解できなかっただろう。
「いつ、出発するのでしょうか」
「三日後だ」
父は深くうなだれてしまい、顔を上げることができずにいた
。
「準備は使用人に命じる。お前は……好きなことをして過ごしなさい」
好きなこと。
アリアーナは、自分の部屋に戻った。扉を閉め、鍵をかけてから、ようやく膝から力が抜けた。床に座り込み、両手で顔を覆った。
泣くべきだろうか。叫ぶべきだろうか。
けれど、涙は出てこなかった。代わりに、胸の奥から這い上がってきたのは、奇妙な安堵感だった。
もう、この家にいなくていい。継母の冷たい視線に晒されなくていい。セリーナの作り笑いを見なくていい。自分の居場所を必死に探さなくていい。
竜に食べられて死ぬのだろう。それは恐ろしいことのはずだ。けれど、不思議と恐怖よりも、期待のような感情が湧いてきた。この息苦しい日々から、解放される。それは、ある意味で救いではないだろうか。
今までだって――自分の小さな部屋に閉じこもり、死んだみたいに生きてきたのだから。ずっと。
アリアーナは立ち上がり、書架を見つめた。大切な本たち。幼い頃から集めてきた宝物。これらを置いていかねばならないのだけが、つらかった。
いや――。
彼女は、一冊の本を手に取った。竜について記された、あの本。せめてこれだけは持っていきたい。最期まで、好きなものと一緒にいたい。
窓の外では、春の風が桜の花びらを散らしていた。ピンク色の花びらが、まるで雪のように舞い落ちている。美しい光景だった。
この世界にも、美しいものはたくさんある。
それらを見られなくなるのは、少しだけ寂しい。
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