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1巻
1-2
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「……お嬢様、お嬢様ぁ!」
「リオノーラ……!」
うっすらと差し込む光にゆっくりと瞼を開く。シンシアと父と……綺麗なミルクティー色の髪を靡かせた女性が、心配そうな顔をして立っていた。
(この人を知っているような気がする……)
その女性は震える手でリオノーラの頬に触れた。
(……温かい)
なぜか体の節々が痛かった。池の近くにいたはずなのに、玄関近くの部屋のソファに寝かされていて、窓から見える景色は暗くなり始めている。
「…………だれ?」
「……‼」
リオノーラが問いかけると女性はひどく悲しそうな顔をして、小さく「ごめんなさい」と言った。シンシアの手が背に回りゆっくりと体を起こしてくれる。
「一体、何があったのですか……? お嬢様は池の前で倒れていたのですよ?」
「え……?」
その言葉に先ほどの出来事を思い出した。周囲を見回しても、推しにそっくりな男の子の姿はどこにもない。
(……もしかして、夢?)
ボーッと考え込んでいると、涙ぐむ女性を父が慰めるように優しく抱きしめていた。目を覚ましたばかりの娘より彼女を優先する父親の姿を見て、この女性が誰なのかが分かってしまった。
「お、かあさま……?」
声を掛けると、ぴくりと小さく肩を震わせる女性。
(やっぱりそうか……)
この時のリオノーラの記憶の中に母の姿はない。ゲームにも見た目の情報はなかった。それに本来ならば、再会するのは一年後の筈だ。
なのになぜ、別邸ではなく本邸にいるのだろうか。もしかしてスフレと本邸に来る予定が早まったのだろうか。
そう思った途端に湧き上がるモヤモヤした嫌な気持ちは元のリオノーラのものだろう。心が憎しみと悲しみに埋め尽くされていく。
(きっと、リオノーラはスフレにつきっきりだった母親が憎いのね……)
自分へ愛情が向かなかった悔しさと、厳しい教育の苦しみ。一人ぼっちで過ごしていた寂しさと愛情への飢え。リオノーラはその感情を、母親の愛情をもらっていたスフレにぶつけていたのかもしれない。そんな事をしても満たされないと理解していたとしても止められなかったのだろう。
父は仕事で忙しいと滅多に顔を出さないため、実質リオノーラは、いつもシンシアと二人きりで過ごしている。
会いにきてくれない母親を、想い続けるのは苦しいだろう。ずっと顔を合わせていないのだから当然だ。
人を貶めたり嫌がらせをしたりするのはよくはないが、恋しかった母親と仲良さげに手を繋ぎ、愛情に満たされた妹を見て、リオノーラはどう思ったのだろう。
そもそも、こうして本邸に来る事が出来るのなら、なぜリオノーラに会うために足を運ばなかったのか……その理由のひとつを『今』のリオノーラは知っていた。
スフレの体の具合と母が本邸に戻らない理由が気になり、シンシアに聞いてみたのだ。初めは渋っていたシンシアも、リオノーラの真剣な表情をみて重たい口を開いてくれた。
母は、義母と義姉に嫌がらせを受けていた。子爵の出であることに嫌味を言われ続けて辛く当たられる日々に耐えきれなくなりスフレの病を理由に別邸に逃げたのだ。ちなみにその二人は今日、社交で留守にしている。
リオノーラは、義母と義姉に似ている。だからリオノーラに、母と父は苦手意識を持っているのかもしれない。
(リオノーラはただ、愛してほしかっただけなんだろうけど……)
リオノーラはスフレを責めるべきではなかった。スフレに何をしても満たされないのは当然だろう。
ここまで歪んでしまった原因のひとつは、リオノーラと向き合う事なく、放置して逃げ続けた両親にもないだろうか。
リオノーラの悲しい過去の記憶が波のように押し寄せる。ぐっ、と熱い気持ちが込み上げてくる。やり場のない悲しみは、このまま胸にしまっていてはいけない気がした。
黙って母を見つめる。父がそっと母の背を押した事で、彼女は気まずそうに口を開いた。
「ごめんなさい……リオノーラ。あなたに会いに来るのが遅くなってしまって」
今更な謝罪だ、と思ってしまう。
いくら知識やマナーを磨いても、クローゼットいっぱいのドレスや煌びやかな宝石を揃えても……両親の愛情はスフレへと向かっていた。
その上、ドレスも宝石も買ってやったのだからと、公爵令嬢としての肩書きゆえの教育を完璧にこなすことと、恥ずかしくないような所作を当然のように求められる。
貴族なら当たり前だと言いながら、スフレには病弱ゆえに何もしていない。リオノーラが喉から手が出るほどに欲していたものを、スフレが全て持っていってしまった。それでも、ゲームの中のリオノーラは、本当に序盤だけとはいえ、激しい嫉妬と怒りに飲み込まれてしまいそうになるのを必死で抑えていたのだ。元のリオノーラならば母親が会いにきてくれたと、泣いて喜んだだろうか。それとも我儘を言って困らせたのだろうか。転生した理由が、ゲームで火炙りにされたリオノーラの後悔と無念を果たすためだとしたのなら、そんな彼女のために何が出来るだろう。
今、気持ちを吐き出してしまう事でリオノーラの悲しみを癒せるのかは分からないが、きっと未来は変わるだろう。
全力でリオノーラの不満と悲しみをぶつけてみようと決意する。
「……なぜ、あなたが泣くのですか?」
その言葉にアーリンは怯えたように目を見開いた。リオノーラは自らを落ち着かせるように深呼吸をしてからフーっと小さく息を吐き出す。
「スフレの具合はいかがですか?」
「え……あぁ、だいぶよくなったわ」
「元気になったのですね」
「二年ほど前から元気に庭を飛び回っているわ」
一瞬、怪訝な顔をしたアーリンだったが、嬉しそうにスフレの事を話し始めた。それからスフレの事をいくつか質問するとすぐに答えてくれる。やはりスフレは可愛くて、愛すべき存在なのだろう。
「それに最近ドレスが好きで、お洒落もしたいって言っていてね」
「そうですか……」
「とても可愛いのよ! リオノーラにも早く会わせたいわ」
いくら待っても、いくら話を聞いても、母の口からリオノーラのことを聞く言葉が出る事はなかった。「リオノーラはどうしていたの」と一言言ってくれればそれで良かったのに。仕方なく重い口を開いた。
「お母様は、どうしてわたくしに会いに来てくださらなかったのですか?」
「……!?」
問いかけると、一瞬で笑顔が凍りつく。それから口元を押さえて体を固くしていた。両親の事情は今のリオノーラがシンシアに聞くまで知らなかった。両親には何も知らないと思われている事だろう。
意地悪な質問だが、どう答えるのか……リオノーラに誠実に向き合ってくれるのか興味があった。
しかし、母から答えはない。ため息をついて言葉を続ける。
「わたくしの事には、あまり興味がないようでしたので」
「……そ、そんな事は」
「リオノーラッ!」
父が間に入り、母を庇うように立ち塞がる。
(とんだ茶番ね……)
「なんですか、お父様?」
「アーリンは、ずっとお前に会いたがっていたんだ……!」
「でも会いにきていないわ、一度も」
「それは……」
「数年前には何度も何度も手紙を書きました。一度も返事はもらえませんでしたけど」
「……手紙?」
「わたくしは……お父様とお母様に嫌われているのですか?」
母は緩く首を横に振り、父は「何を……」と戸惑う様子を見せた。
「わたくしは、毎年一人で誕生日を過ごしています。側にあるのは山のようなプレゼントだけ」
「……リオノーラ、それはッ」
「お仕事が忙しい、でしょう? ですがスフレは毎年お父様とお母様と祝っているのだと、前に勤めていた侍女がわたくしに教えてくれた事がありました」
「ぁ…………」
「……っ」
我儘なリオノーラに当てつけでもするかのように侍女達もリオノーラを苦しめようとしていた。お前は愛されていない、妹は両親に愛されているとでも言いたいように。
「スフレはお二人にとって大切な家族ですから毎年祝うのですよね? でしたらわたくしの家族はシンシアだけですわ。だってシンシアはわたくしの誕生日を毎年祝ってくれますもの」
「だ、だがアーリンもお前の事を思って……」
「それがなんだと言うんですか? それに今まで一度も会いにきていないのであれば同じですわ。今日は来られるのに、スフレが生まれてから八年間、わたくしに会えなかったのはなぜですか?」
「違う……アーリンはッ」
『アーリンは、アーリンは……』その言葉に溜息を吐く事しか出来なかった。
母の苦しさを身近で見て理解している父は、母の心を守ろうと必死なのだろう。しかしそれならリオノーラの心は一体、誰が守ってくれるのだろうか。こんな気持ちで一年後に、仲睦まじい三人を見て、リオノーラがニコニコと笑っている事など出来るのだろうか。リオノーラが我慢すれば全て丸く収まるのだろうか。深い憎しみと歪な悲しみを抱えたまま一生耐える事など不可能だ。
(だったら……いっその事、今遠ざけた方が楽かしら)
「もう一度聞きます。どうして、お母様はわたくしには会いに来てくださらなかったのですか? なぜ、手紙すらくれなかったのですか?」
「…………リオノーラ」
「何か理由が……?」
「……ッ」
「それは……」
続く言葉を待ったが、やはり母は何も話さない。
「答えてくださらないのなら、わたくしからはもう何も話す事はありません……失礼します」
母に代わるかのように父が怒鳴る。
「待ちなさい、リオノーラッ!」
「……まだ何か?」
「母親が会いにきたのだぞ⁉」
「…………」
「それだけ、なのか⁉」
「わざわざ、わたくしに会いにきたのだから泣いて喜べと……?」
平然と答える様子に絶句している両親の姿を見て、クスリと微笑んだ。
(今の笑い方はとても悪役令嬢っぽいわね)
そんな呑気な事を考えながらも、滑稽だと、そう思ってしまったのだ。自分達は無条件に受け入れられる、そう信じて疑わないのだろう。けれど今のリオノーラにとって、それはありえない。
「なんて事を……」
「だって、そう聞こえますもの」
「……ずっとシンシアや母に任せきりで、寂しくさせてすまなかったと、私もアーリンもそう思っている」
それを聞いて、わざとらしく首を傾げた。
「お父様は変な事を言うのね……? 別邸のスフレには毎日のように会いに行けるのに『一緒に住んでいる』わたくしとは顔を合わせられないなんておかしいと思いませんか?」
子供は親の行動をよく見ているもので、リオノーラはかなり前から、父が、よく別邸で寝泊まりしている事を知っていた。父が本当の意味で『一緒に住んでいる』のはスフレと母だ。そしてリオノーラは自分が選ばれない悔しさと、どうしようも出来なかった現実に恨みを募らせて愛に飢えたのだ。
母は怯えた様子でこちらを見ているが、リオノーラに祖母と伯母の姿を重ねて見ているのだろうか。確かにリオノーラはダーカー家の色や性格を濃く受け継いでいる。祖母は勝気で伝統と血筋を重んじる貴族らしい人だ。だから父は母の優しく儚い雰囲気に惹かれたのだろう。
リオノーラが生まれた時も、なぜ男児を産まないのかと、母は強く責め立てられたそうだ。そして次に生まれたスフレの時はもっとひどかったらしい。男児ではないことに加えて体が弱かったからだろう。母はついに心を病んで逃げるように別邸に行った。
(でも逃げる事も許されずに、誰にも助けてもらったリオノーラは……?)
不満をぶつける以前の問題だった。これ以上、話す事もない。
「もう、部屋に戻ってもいいでしょうか?」
「折角、アーリンが……!」
「そうですね。スフレの近況が聞けて嬉しかったです。では、またいつかお会いしましょう。お母様」
「……ぁ」
「お前は、なんでそんなに我儘なんだ……っ!」
「…………我儘?」
「我儘ばかり言って周りを困らせて、いい加減にしろッ! 何もッ、何も知らないくせに、お前はっ!」
「ですが、わたくしは何も聞いておりませんもの。それで何を分かれというのですか?」
「な、に……?」
「わたくしは、何も知りません。お父様はわたくしをどう思っていたのですか?」
「私は常にお前の事を考えて動いていた! 言う通りにしていたじゃないか」
「そうではありません」
「ならなんだというんだ⁉ 私はすべて把握している……! リオノーラ、お前のことも何だって知っている‼ ずっと一緒にいたからな。知っているから与えられていたのだ」
その言葉にギュッと掌を握り込む。
大量の講師をつけて性格を歪める原因を作ったのは、リオノーラの祖母のエルサナのせいだろう。常に聞かされ続ける母やスフレの悪口。王家に嫁ぐためには、ダーカー公爵家の者ならば……と、半ば洗脳のような形で支配されていった。それを見て父は、リオノーラは祖母似だと思っただろう。
ドレスや靴、宝石をプレゼントして装飾品で寂しさを埋めるようになったのも、美や血筋に執着する伯母のターニャに強く影響を受けたものだろう。それを見て父は、伯母似だと思った。
厳しい躾と過剰な褒美で、リオノーラは徐々に壊れていく。しかし、それを間近で見て見ぬふりをしていたのは、紛れもなく父自身だろう。父はリオノーラの表面しか知らない。
(リオノーラを犠牲にして二人を守っている事に気づいていないのね。お父様にとっては、ただの我儘な娘……)
もっとも、その事を理解してくれる日は、きっとこないのだろう。こうして今もリオノーラを責め続けている。我儘を許したのは、罪悪感からか罪滅ぼしか……はたまた面倒だったのかは知るよしもない。
しかしリオノーラと会話もせずに、一体何を知る事が出来るというのだろう。
どうにかリオノーラの気持ちに気づいてほしい……縋るような思いで口を開いた。
「それではお父様、わたくしの好きな色は? 食べ物は? 最近読んでる本は……?」
「そ、れは……」
馬鹿みたいだ。好きな色くらい、ねだったドレスの色から適当に答えてもいいだろうに、それすら覚えていないなんて。
「何も答えられないんですね。ずっと一緒にいるのに……では、わたくしが我儘になった原因は一体何でしょうか」
「我儘になった原因、だと……?」
ただ二人は唖然としている。リオノーラが何を言いたいのか、意味が分からないといった様子だった。
「わたくしは、お父様とお母様の事を何も知らないわ。ずっと一人で過ごしているもの」
「だから今……っ」
「けれどお父様はわたくしの事なら何でも知っているのですよね? では、どうしてわたくしは……こんな風に育ってしまったのでしょう? 教えてくださいませ、お父様」
――バシンッ!
重たい痛みを頬に感じた。平手打ちをされたと気づいた時には、その衝撃で地面に倒れ込んでいた。
「ふざけるな……っ!」
「やめてッ! ジョンテ……もうやめてぇ!」
ギュッと唇を噛んだ。
(やっぱり……簡単には分かってはもらえないわね)
今まで父を困らせてばかりいた。しかしそれがリオノーラが知る唯一の関わり方だったのだ。切ない気持ちをグッと抑え込んだ。ゆっくりと体を起こす。シンシアが慌ててリオノーラの側に駆け寄った。
母は涙を流しながらも必死に父を止めようとしているが、怒りに体を震わせていた父の耳には届いていなかった。
「何も知らないのは、わたくしだって同じなのに……」
「このっ……!」
「旦那様……おやめくださいッ!」
シンシアが怯えながらもリオノーラを庇うように前に立つ。リオノーラを必死に守ろうとするシンシアの体は小さく震えていた。
雇い主である父の前に立ち塞がるという事は仕事をクビになっても文句は言えないという事だ。そもそも、小柄なシンシアが激昂した男性の前に立つというだけで恐ろしいだろう。けれど、リオノーラを守るために体を張って立っている。
(まるで、本当の母親みたい……)
それが『リオノーラ』にとっては、どれだけ嬉しい事か。先ほどまで怒りでいっぱいだった心に光が差し込んだ。鼻水を啜り、シンシアにも手をあげそうな父に向かって、かつてのリオノーラの気持ちを代弁するように大声で言い放つ。
「……シンシアだけがわたくしの家族よッ! わたくしは殴ってもいい。でもシンシアだけは絶対にダメ!」
唇を噛み締めて、頬を真っ赤に腫らしたままシンシアを庇うように前に出た。
(最後まで泣いてやるものか……!)
屋敷を追い出されたって構わない。庶民として十分に暮らしていける知識を今ならば持っている。
もしも、リオノーラが可愛らしく「お母様、会いに来てくれて嬉しい」と言えたのなら、母と父はリオノーラを褒めて、愛してくれただろうか? しかし根本的には何も変わらないだろう。そんな都合のいい愛情を与えてもらう必要はない。
子供が必死に叫び侍女を守ろうとする姿で我に返ったのか、父の腕が力なく下がる。手を止めた父を見て、シンシアの手を取り背を向ける。
「ま、まだ話は終わってないぞ! リオノーラッ」
「ごめん、なさい……! うぅっ」
父の怒鳴り声と母の悲痛な叫び声だけが響いていた。
やってしまった……いや、やり過ぎてしまったと言うべきだろうか。シンシアと手を繋ぎながら歩いている途中、ふと、足を止めてシンシアを見上げた。
「シンシア、大丈夫……?」
「お嬢様が守ってくださいましたから、わたしは大丈夫ですよ」
シンシアは、嬉しそうに笑っていた。その笑顔を見ていると、なぜか涙が込み上げてくる。きっと彼女がいなかったら、もっと早くにリオノーラは壊れてしまっていただろう。
「ねえ、シンシア……聞いても良いかしら」
「……はい、何でしょうか?」
シンシアは立ち止まって膝を折り、リオノーラと視線を合わせる。リオノーラの顔を改めて見た彼女は、リオノーラが涙を浮かべていることに気づいて涙を拭い、腫れた頬を優しく押さえた。
「わたくしの好きな色は……? 好きな食べ物は?」
「お嬢様は、銀色が好きです。最近はまん丸の白いパン、玉ねぎがたっぷり入ったスープ、それにチョコレートケーキがお気に入りです」
「……っ、わたくしがよく読んでる本は?」
「精霊と旅に出る『虹の花』がお気に入りかと……あってますか?」
シンシアは少し自信なさげに首を傾げた。最近好きになった……毎日リオノーラを気にかけていないと出てこない答えだ。
「全て、正解よ」
「それは……よかったです」
「ありがとう。ありがとう、シンシア……ッ!」
「当たり前です。ずっとお嬢様のお側にいるのですから」
シンシアはそう言って、静かに涙を流して震えるリオノーラの体を包み込むように抱きしめてくれた。リオノーラの行き場のない悲しみが溢れ出して、涙が止まらなくなった。温もりに甘えて、思いきり泣いた。泣く事すら許されなかったかつてのリオノーラの無念が、感情が、波のように流れ込んでくる。
「うわぁああっ……!」
今までリオノーラの奥底に溜まっていた真っ黒な悲しみや悔しさが、さらさらと流れていくのを感じていた。胸の中が、熱くて苦しくて切なくて、今まで壊れそうだった心が悲鳴をあげているのだと、そう思った。声が出なくなるまで泣き叫んだあとに、シンシアに連れられてまた歩き出す。
この温もりだけがあればいいと思ったから、両親がその後どうしたかなんて、気づかなかった。
「リオノーラ……!」
うっすらと差し込む光にゆっくりと瞼を開く。シンシアと父と……綺麗なミルクティー色の髪を靡かせた女性が、心配そうな顔をして立っていた。
(この人を知っているような気がする……)
その女性は震える手でリオノーラの頬に触れた。
(……温かい)
なぜか体の節々が痛かった。池の近くにいたはずなのに、玄関近くの部屋のソファに寝かされていて、窓から見える景色は暗くなり始めている。
「…………だれ?」
「……‼」
リオノーラが問いかけると女性はひどく悲しそうな顔をして、小さく「ごめんなさい」と言った。シンシアの手が背に回りゆっくりと体を起こしてくれる。
「一体、何があったのですか……? お嬢様は池の前で倒れていたのですよ?」
「え……?」
その言葉に先ほどの出来事を思い出した。周囲を見回しても、推しにそっくりな男の子の姿はどこにもない。
(……もしかして、夢?)
ボーッと考え込んでいると、涙ぐむ女性を父が慰めるように優しく抱きしめていた。目を覚ましたばかりの娘より彼女を優先する父親の姿を見て、この女性が誰なのかが分かってしまった。
「お、かあさま……?」
声を掛けると、ぴくりと小さく肩を震わせる女性。
(やっぱりそうか……)
この時のリオノーラの記憶の中に母の姿はない。ゲームにも見た目の情報はなかった。それに本来ならば、再会するのは一年後の筈だ。
なのになぜ、別邸ではなく本邸にいるのだろうか。もしかしてスフレと本邸に来る予定が早まったのだろうか。
そう思った途端に湧き上がるモヤモヤした嫌な気持ちは元のリオノーラのものだろう。心が憎しみと悲しみに埋め尽くされていく。
(きっと、リオノーラはスフレにつきっきりだった母親が憎いのね……)
自分へ愛情が向かなかった悔しさと、厳しい教育の苦しみ。一人ぼっちで過ごしていた寂しさと愛情への飢え。リオノーラはその感情を、母親の愛情をもらっていたスフレにぶつけていたのかもしれない。そんな事をしても満たされないと理解していたとしても止められなかったのだろう。
父は仕事で忙しいと滅多に顔を出さないため、実質リオノーラは、いつもシンシアと二人きりで過ごしている。
会いにきてくれない母親を、想い続けるのは苦しいだろう。ずっと顔を合わせていないのだから当然だ。
人を貶めたり嫌がらせをしたりするのはよくはないが、恋しかった母親と仲良さげに手を繋ぎ、愛情に満たされた妹を見て、リオノーラはどう思ったのだろう。
そもそも、こうして本邸に来る事が出来るのなら、なぜリオノーラに会うために足を運ばなかったのか……その理由のひとつを『今』のリオノーラは知っていた。
スフレの体の具合と母が本邸に戻らない理由が気になり、シンシアに聞いてみたのだ。初めは渋っていたシンシアも、リオノーラの真剣な表情をみて重たい口を開いてくれた。
母は、義母と義姉に嫌がらせを受けていた。子爵の出であることに嫌味を言われ続けて辛く当たられる日々に耐えきれなくなりスフレの病を理由に別邸に逃げたのだ。ちなみにその二人は今日、社交で留守にしている。
リオノーラは、義母と義姉に似ている。だからリオノーラに、母と父は苦手意識を持っているのかもしれない。
(リオノーラはただ、愛してほしかっただけなんだろうけど……)
リオノーラはスフレを責めるべきではなかった。スフレに何をしても満たされないのは当然だろう。
ここまで歪んでしまった原因のひとつは、リオノーラと向き合う事なく、放置して逃げ続けた両親にもないだろうか。
リオノーラの悲しい過去の記憶が波のように押し寄せる。ぐっ、と熱い気持ちが込み上げてくる。やり場のない悲しみは、このまま胸にしまっていてはいけない気がした。
黙って母を見つめる。父がそっと母の背を押した事で、彼女は気まずそうに口を開いた。
「ごめんなさい……リオノーラ。あなたに会いに来るのが遅くなってしまって」
今更な謝罪だ、と思ってしまう。
いくら知識やマナーを磨いても、クローゼットいっぱいのドレスや煌びやかな宝石を揃えても……両親の愛情はスフレへと向かっていた。
その上、ドレスも宝石も買ってやったのだからと、公爵令嬢としての肩書きゆえの教育を完璧にこなすことと、恥ずかしくないような所作を当然のように求められる。
貴族なら当たり前だと言いながら、スフレには病弱ゆえに何もしていない。リオノーラが喉から手が出るほどに欲していたものを、スフレが全て持っていってしまった。それでも、ゲームの中のリオノーラは、本当に序盤だけとはいえ、激しい嫉妬と怒りに飲み込まれてしまいそうになるのを必死で抑えていたのだ。元のリオノーラならば母親が会いにきてくれたと、泣いて喜んだだろうか。それとも我儘を言って困らせたのだろうか。転生した理由が、ゲームで火炙りにされたリオノーラの後悔と無念を果たすためだとしたのなら、そんな彼女のために何が出来るだろう。
今、気持ちを吐き出してしまう事でリオノーラの悲しみを癒せるのかは分からないが、きっと未来は変わるだろう。
全力でリオノーラの不満と悲しみをぶつけてみようと決意する。
「……なぜ、あなたが泣くのですか?」
その言葉にアーリンは怯えたように目を見開いた。リオノーラは自らを落ち着かせるように深呼吸をしてからフーっと小さく息を吐き出す。
「スフレの具合はいかがですか?」
「え……あぁ、だいぶよくなったわ」
「元気になったのですね」
「二年ほど前から元気に庭を飛び回っているわ」
一瞬、怪訝な顔をしたアーリンだったが、嬉しそうにスフレの事を話し始めた。それからスフレの事をいくつか質問するとすぐに答えてくれる。やはりスフレは可愛くて、愛すべき存在なのだろう。
「それに最近ドレスが好きで、お洒落もしたいって言っていてね」
「そうですか……」
「とても可愛いのよ! リオノーラにも早く会わせたいわ」
いくら待っても、いくら話を聞いても、母の口からリオノーラのことを聞く言葉が出る事はなかった。「リオノーラはどうしていたの」と一言言ってくれればそれで良かったのに。仕方なく重い口を開いた。
「お母様は、どうしてわたくしに会いに来てくださらなかったのですか?」
「……!?」
問いかけると、一瞬で笑顔が凍りつく。それから口元を押さえて体を固くしていた。両親の事情は今のリオノーラがシンシアに聞くまで知らなかった。両親には何も知らないと思われている事だろう。
意地悪な質問だが、どう答えるのか……リオノーラに誠実に向き合ってくれるのか興味があった。
しかし、母から答えはない。ため息をついて言葉を続ける。
「わたくしの事には、あまり興味がないようでしたので」
「……そ、そんな事は」
「リオノーラッ!」
父が間に入り、母を庇うように立ち塞がる。
(とんだ茶番ね……)
「なんですか、お父様?」
「アーリンは、ずっとお前に会いたがっていたんだ……!」
「でも会いにきていないわ、一度も」
「それは……」
「数年前には何度も何度も手紙を書きました。一度も返事はもらえませんでしたけど」
「……手紙?」
「わたくしは……お父様とお母様に嫌われているのですか?」
母は緩く首を横に振り、父は「何を……」と戸惑う様子を見せた。
「わたくしは、毎年一人で誕生日を過ごしています。側にあるのは山のようなプレゼントだけ」
「……リオノーラ、それはッ」
「お仕事が忙しい、でしょう? ですがスフレは毎年お父様とお母様と祝っているのだと、前に勤めていた侍女がわたくしに教えてくれた事がありました」
「ぁ…………」
「……っ」
我儘なリオノーラに当てつけでもするかのように侍女達もリオノーラを苦しめようとしていた。お前は愛されていない、妹は両親に愛されているとでも言いたいように。
「スフレはお二人にとって大切な家族ですから毎年祝うのですよね? でしたらわたくしの家族はシンシアだけですわ。だってシンシアはわたくしの誕生日を毎年祝ってくれますもの」
「だ、だがアーリンもお前の事を思って……」
「それがなんだと言うんですか? それに今まで一度も会いにきていないのであれば同じですわ。今日は来られるのに、スフレが生まれてから八年間、わたくしに会えなかったのはなぜですか?」
「違う……アーリンはッ」
『アーリンは、アーリンは……』その言葉に溜息を吐く事しか出来なかった。
母の苦しさを身近で見て理解している父は、母の心を守ろうと必死なのだろう。しかしそれならリオノーラの心は一体、誰が守ってくれるのだろうか。こんな気持ちで一年後に、仲睦まじい三人を見て、リオノーラがニコニコと笑っている事など出来るのだろうか。リオノーラが我慢すれば全て丸く収まるのだろうか。深い憎しみと歪な悲しみを抱えたまま一生耐える事など不可能だ。
(だったら……いっその事、今遠ざけた方が楽かしら)
「もう一度聞きます。どうして、お母様はわたくしには会いに来てくださらなかったのですか? なぜ、手紙すらくれなかったのですか?」
「…………リオノーラ」
「何か理由が……?」
「……ッ」
「それは……」
続く言葉を待ったが、やはり母は何も話さない。
「答えてくださらないのなら、わたくしからはもう何も話す事はありません……失礼します」
母に代わるかのように父が怒鳴る。
「待ちなさい、リオノーラッ!」
「……まだ何か?」
「母親が会いにきたのだぞ⁉」
「…………」
「それだけ、なのか⁉」
「わざわざ、わたくしに会いにきたのだから泣いて喜べと……?」
平然と答える様子に絶句している両親の姿を見て、クスリと微笑んだ。
(今の笑い方はとても悪役令嬢っぽいわね)
そんな呑気な事を考えながらも、滑稽だと、そう思ってしまったのだ。自分達は無条件に受け入れられる、そう信じて疑わないのだろう。けれど今のリオノーラにとって、それはありえない。
「なんて事を……」
「だって、そう聞こえますもの」
「……ずっとシンシアや母に任せきりで、寂しくさせてすまなかったと、私もアーリンもそう思っている」
それを聞いて、わざとらしく首を傾げた。
「お父様は変な事を言うのね……? 別邸のスフレには毎日のように会いに行けるのに『一緒に住んでいる』わたくしとは顔を合わせられないなんておかしいと思いませんか?」
子供は親の行動をよく見ているもので、リオノーラはかなり前から、父が、よく別邸で寝泊まりしている事を知っていた。父が本当の意味で『一緒に住んでいる』のはスフレと母だ。そしてリオノーラは自分が選ばれない悔しさと、どうしようも出来なかった現実に恨みを募らせて愛に飢えたのだ。
母は怯えた様子でこちらを見ているが、リオノーラに祖母と伯母の姿を重ねて見ているのだろうか。確かにリオノーラはダーカー家の色や性格を濃く受け継いでいる。祖母は勝気で伝統と血筋を重んじる貴族らしい人だ。だから父は母の優しく儚い雰囲気に惹かれたのだろう。
リオノーラが生まれた時も、なぜ男児を産まないのかと、母は強く責め立てられたそうだ。そして次に生まれたスフレの時はもっとひどかったらしい。男児ではないことに加えて体が弱かったからだろう。母はついに心を病んで逃げるように別邸に行った。
(でも逃げる事も許されずに、誰にも助けてもらったリオノーラは……?)
不満をぶつける以前の問題だった。これ以上、話す事もない。
「もう、部屋に戻ってもいいでしょうか?」
「折角、アーリンが……!」
「そうですね。スフレの近況が聞けて嬉しかったです。では、またいつかお会いしましょう。お母様」
「……ぁ」
「お前は、なんでそんなに我儘なんだ……っ!」
「…………我儘?」
「我儘ばかり言って周りを困らせて、いい加減にしろッ! 何もッ、何も知らないくせに、お前はっ!」
「ですが、わたくしは何も聞いておりませんもの。それで何を分かれというのですか?」
「な、に……?」
「わたくしは、何も知りません。お父様はわたくしをどう思っていたのですか?」
「私は常にお前の事を考えて動いていた! 言う通りにしていたじゃないか」
「そうではありません」
「ならなんだというんだ⁉ 私はすべて把握している……! リオノーラ、お前のことも何だって知っている‼ ずっと一緒にいたからな。知っているから与えられていたのだ」
その言葉にギュッと掌を握り込む。
大量の講師をつけて性格を歪める原因を作ったのは、リオノーラの祖母のエルサナのせいだろう。常に聞かされ続ける母やスフレの悪口。王家に嫁ぐためには、ダーカー公爵家の者ならば……と、半ば洗脳のような形で支配されていった。それを見て父は、リオノーラは祖母似だと思っただろう。
ドレスや靴、宝石をプレゼントして装飾品で寂しさを埋めるようになったのも、美や血筋に執着する伯母のターニャに強く影響を受けたものだろう。それを見て父は、伯母似だと思った。
厳しい躾と過剰な褒美で、リオノーラは徐々に壊れていく。しかし、それを間近で見て見ぬふりをしていたのは、紛れもなく父自身だろう。父はリオノーラの表面しか知らない。
(リオノーラを犠牲にして二人を守っている事に気づいていないのね。お父様にとっては、ただの我儘な娘……)
もっとも、その事を理解してくれる日は、きっとこないのだろう。こうして今もリオノーラを責め続けている。我儘を許したのは、罪悪感からか罪滅ぼしか……はたまた面倒だったのかは知るよしもない。
しかしリオノーラと会話もせずに、一体何を知る事が出来るというのだろう。
どうにかリオノーラの気持ちに気づいてほしい……縋るような思いで口を開いた。
「それではお父様、わたくしの好きな色は? 食べ物は? 最近読んでる本は……?」
「そ、れは……」
馬鹿みたいだ。好きな色くらい、ねだったドレスの色から適当に答えてもいいだろうに、それすら覚えていないなんて。
「何も答えられないんですね。ずっと一緒にいるのに……では、わたくしが我儘になった原因は一体何でしょうか」
「我儘になった原因、だと……?」
ただ二人は唖然としている。リオノーラが何を言いたいのか、意味が分からないといった様子だった。
「わたくしは、お父様とお母様の事を何も知らないわ。ずっと一人で過ごしているもの」
「だから今……っ」
「けれどお父様はわたくしの事なら何でも知っているのですよね? では、どうしてわたくしは……こんな風に育ってしまったのでしょう? 教えてくださいませ、お父様」
――バシンッ!
重たい痛みを頬に感じた。平手打ちをされたと気づいた時には、その衝撃で地面に倒れ込んでいた。
「ふざけるな……っ!」
「やめてッ! ジョンテ……もうやめてぇ!」
ギュッと唇を噛んだ。
(やっぱり……簡単には分かってはもらえないわね)
今まで父を困らせてばかりいた。しかしそれがリオノーラが知る唯一の関わり方だったのだ。切ない気持ちをグッと抑え込んだ。ゆっくりと体を起こす。シンシアが慌ててリオノーラの側に駆け寄った。
母は涙を流しながらも必死に父を止めようとしているが、怒りに体を震わせていた父の耳には届いていなかった。
「何も知らないのは、わたくしだって同じなのに……」
「このっ……!」
「旦那様……おやめくださいッ!」
シンシアが怯えながらもリオノーラを庇うように前に立つ。リオノーラを必死に守ろうとするシンシアの体は小さく震えていた。
雇い主である父の前に立ち塞がるという事は仕事をクビになっても文句は言えないという事だ。そもそも、小柄なシンシアが激昂した男性の前に立つというだけで恐ろしいだろう。けれど、リオノーラを守るために体を張って立っている。
(まるで、本当の母親みたい……)
それが『リオノーラ』にとっては、どれだけ嬉しい事か。先ほどまで怒りでいっぱいだった心に光が差し込んだ。鼻水を啜り、シンシアにも手をあげそうな父に向かって、かつてのリオノーラの気持ちを代弁するように大声で言い放つ。
「……シンシアだけがわたくしの家族よッ! わたくしは殴ってもいい。でもシンシアだけは絶対にダメ!」
唇を噛み締めて、頬を真っ赤に腫らしたままシンシアを庇うように前に出た。
(最後まで泣いてやるものか……!)
屋敷を追い出されたって構わない。庶民として十分に暮らしていける知識を今ならば持っている。
もしも、リオノーラが可愛らしく「お母様、会いに来てくれて嬉しい」と言えたのなら、母と父はリオノーラを褒めて、愛してくれただろうか? しかし根本的には何も変わらないだろう。そんな都合のいい愛情を与えてもらう必要はない。
子供が必死に叫び侍女を守ろうとする姿で我に返ったのか、父の腕が力なく下がる。手を止めた父を見て、シンシアの手を取り背を向ける。
「ま、まだ話は終わってないぞ! リオノーラッ」
「ごめん、なさい……! うぅっ」
父の怒鳴り声と母の悲痛な叫び声だけが響いていた。
やってしまった……いや、やり過ぎてしまったと言うべきだろうか。シンシアと手を繋ぎながら歩いている途中、ふと、足を止めてシンシアを見上げた。
「シンシア、大丈夫……?」
「お嬢様が守ってくださいましたから、わたしは大丈夫ですよ」
シンシアは、嬉しそうに笑っていた。その笑顔を見ていると、なぜか涙が込み上げてくる。きっと彼女がいなかったら、もっと早くにリオノーラは壊れてしまっていただろう。
「ねえ、シンシア……聞いても良いかしら」
「……はい、何でしょうか?」
シンシアは立ち止まって膝を折り、リオノーラと視線を合わせる。リオノーラの顔を改めて見た彼女は、リオノーラが涙を浮かべていることに気づいて涙を拭い、腫れた頬を優しく押さえた。
「わたくしの好きな色は……? 好きな食べ物は?」
「お嬢様は、銀色が好きです。最近はまん丸の白いパン、玉ねぎがたっぷり入ったスープ、それにチョコレートケーキがお気に入りです」
「……っ、わたくしがよく読んでる本は?」
「精霊と旅に出る『虹の花』がお気に入りかと……あってますか?」
シンシアは少し自信なさげに首を傾げた。最近好きになった……毎日リオノーラを気にかけていないと出てこない答えだ。
「全て、正解よ」
「それは……よかったです」
「ありがとう。ありがとう、シンシア……ッ!」
「当たり前です。ずっとお嬢様のお側にいるのですから」
シンシアはそう言って、静かに涙を流して震えるリオノーラの体を包み込むように抱きしめてくれた。リオノーラの行き場のない悲しみが溢れ出して、涙が止まらなくなった。温もりに甘えて、思いきり泣いた。泣く事すら許されなかったかつてのリオノーラの無念が、感情が、波のように流れ込んでくる。
「うわぁああっ……!」
今までリオノーラの奥底に溜まっていた真っ黒な悲しみや悔しさが、さらさらと流れていくのを感じていた。胸の中が、熱くて苦しくて切なくて、今まで壊れそうだった心が悲鳴をあげているのだと、そう思った。声が出なくなるまで泣き叫んだあとに、シンシアに連れられてまた歩き出す。
この温もりだけがあればいいと思ったから、両親がその後どうしたかなんて、気づかなかった。
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