ココロ・ノート〜心の音が聴こえる世界で、少女は伝説の調律師になる~

名雲

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第1章 調律師の目覚め

第5話「アレクサンダー・フォン・ヴァレンシュタイン」

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 エミールとグスタフさんの一件から、数日が過ぎた。

 初夏の陽射しは日に日に強くなり、森の木々は青々と茂っている。

 私は村の畑で、野菜の収穫を手伝っていた。
 トマトにキュウリにレタス。土の香りと、野菜の瑞々しい香り。

 「アリア、これも籠に入れておくれ」

 一緒に畑仕事をしているマルタおばさんが、採れたての真っ赤なトマトを手渡してくれた。


「わあ!立派なトマト!」

「今年は気候も良いし、豊作になってくれそうだねぇ」

 マルタおばさんが、にっこりと微笑みながら収穫を続ける。
 畑の野菜が良く実って嬉しいのだろう。彼女から明るいフルートの音色が聴こえてくる。

 収穫した野菜を籠に入れる作業を繰り返していると、村の入口の方から馬の蹄の音が聞こえてきた。
 
 珍しいな。
 メロディア村に馬で来る人なんて、めったにいない。

 振り返ると、一頭の馬に乗った男性が、村長のオットーさんと話しているのが見えた。
 男性は、立派な旅装束を身に着けている。
 腰には剣。背中には大きな荷物を背負っている。

 旅人だろうか?
 オットーさんが、私を見つけて手招きしているのが見えた。なんだろう?


「マルタおばさん。村長さんが呼んでいるから、ちょっと行ってきますね」

「何の用だろうね?いいよ、行っておいで」

 おばさんの了解を得た私は、村長の元に歩いていく。
 近づくと、その男性の姿がよく見えた。

 20代前半くらい。精悍で整った顔立ちに、灰色の瞳。黒い髪を短めに整えていて、頬には一筋の傷跡があった。
 背が高くて、引き締まった体つきをしている。
  
 軍人さん……?それとも騎士様?
 
 ――その時、彼の心の音が聴こえてきた。
 重厚なチェロの低音。
 規則正しいリズムだけど、時折、速く強く震える不協和音が混じる。

 何か葛藤を抱えてるのかな……?


「お前が、アリアという娘か?」

 男性が、少しぶっきらぼうに尋ねてくる。
 ちょっと怖そう……。
 でも、心の音は平静で、悪意も感じない。大丈夫、かな?


「は、はい、そうですが……」

 「俺は、アレクサンダー・フォン・ヴァレンシュタイン。リディア王国の辺境警備隊に所属している」

 アレクサンダー……。
 随分と立派な名前だね。もしかして、お貴族様なのかな?


「隣のハーモニクス村から依頼を受けてきた」

 アレクサンダーは、真剣な表情で続けた。


「あの村で、深刻な問題が起きている。お前が人の心の問題を解決できる不思議な”チカラ”を持っていると聞いてな……」

 私は驚いて目を見開いた。


「私の……噂が?」

 どういう事!?
 今まで噂になんてなった事ない。こういう時、どうしたらいいんだろう……。


「あ、ありがとう……ございます?」

 なんだか変な返事になってしまった。


「私の、噂が……他の村に?」

「ああ。村の少年と鍛冶屋の諍いを解決したという話が、近隣の村々に広がっている」


 確かに、面白い噂なんてあっという間に広がるよね。今までもそうだったけど、いざ噂の当人になるとは思わなかった。

 そして、彼の心の音を軽く聴くと、半信半疑といったところだった。
 不思議なチカラなんて、本当にあるのだろうかという疑念。
 でも、困っている人を助けたいという誠実さも、確かにある。


「ハーモニクス村で、何が起きているんですか?」

「村の有力者である農園主と、若い農夫が対立している。このままじゃ、村が2つに割れちまう」

 アレクサンダーが困った顔で説明する。


「俺は警備隊として巡回していたんだが、武力で解決できる問題じゃなくてな。だから、お前の力を借りたいと思って来た」

 私は少し考えた。
 ハーモニクス村は、たしか徒歩で半日ほどの距離だったはず。
 じゃあ行ってきますと、気軽に行って帰ってこれる距離じゃない。
 下手したら街道で野営して、一晩過ごす必要があるかも……?

 これは、父に相談しないと。


「父と相談したいと思います。少し時間をもらえますか?」

「ああ、構わん」

 ――そして、父に隣村の状況を説明した。


「アリア、お前はまだ17歳だぞ。隣村まで行くなんて……」

 最初は反対された。


「でもお父さん。困っている人がいるなら、助けたいの」

 私は、父の目を真っ直ぐ見つめた。


「このチカラは、きっと誰かを助けるためにあるんだと思う」

 それでも父は、「危険だー」「心配だー」といって、何度も首を横に振った。
 その時、アレクが口を開いた。


「リゾルートさん。私が必ず、お嬢さんを守ります」

 真剣な眼差しで、父に誓う。


「辺境警備隊の名誉にかけて」

 彼のチェロが、力強く響いている。
 嘘偽りのない、本心からの誓い。
 
 父も、それを感じ取ったんだろう。
 長い沈黙の後、深く息を吐いた。


「……わかった。ただし、必ず日が暮れる前に帰ってくるんだぞ!」

「ありがとう、お父さん!」

「ヴァレンシュタイン殿も、娘の事をくれぐれもよろしくお願いします」


 父が、アレクサンダーに深々と頭を下げた。


「もちろんです。必ずお嬢さんを無事に送り届けます」

 彼は父に力強く応え、移動の準備を始めた。
 徒歩では時間がかかりすぎるため、彼の馬に相乗りすることになった。

 その時の父の顔が――怖い。


「……アリアに手を出したら……」

 ブツブツと何か言ってる。
 想像がつくから聞きたくない……。
 まったく、恥ずかしい……。


 初めて馬に乗ることになった私は、最初は怖くて馬の背にしがみついていた。
 高い……!揺れる……!落ちたらどうしよう……!


「ひゃっ……!」

 馬が一歩動いただけで、思わず声が出てしまう。


「大丈夫だ、ゆっくり行くから」

 アレクが、さっきより優しい口調で声をかけてくれた。
 その声に、少しだけ安心する。


「は、はい……」

 森の中の道を、馬はゆっくりと進む。
 木漏れ日が道を照らしている。鳥のさえずり、風に揺れる葉の音……。


「あの……アレクサンダーさん……」

「アレクでいい。アレクサンダーは長いし、言いづらいだろう」

「……じゃあ、アレクさん」

「何だ?」

「どうして、警備隊の人がこんなことを?」

 そう尋ねてみる。
 彼の心の音は複雑だが、基本的には良い人だと思う。
 だから、単に人助けをしたいのかもしれないが、ちょっと聞いてみたいと思ったのだ。

 すると、アレクは少し黙ってから答えた。


「俺の仕事は人々を守る事だ。武力による脅威だけじゃなく、精神的な……心の問題からもな」

 ふと、彼の心の音が、少し明るくなった。
 速く強く震えていたチェロが、だんだんと滑らかに繋がっていく。

「それに、正直に言えば半信半疑だった。不思議なチカラなんて、本当にあるのかってな。だが、村長の話を聞いて……試してみる価値はあると思った」

「それは……私のこのチカラを信じてもらえるという事でしょうか……?」

「そうだな。まだこの目で見たわけじゃないが、俺は信じたいと思っている」

「そうですか……ありがとうございます」

「礼には及ばん。むしろ、俺が感謝するところだ」

 彼が、少し微笑んだ。
 ――その笑顔は、意外なほど優しかった。

 さっきまでの厳しい表情とは全然違う。
 なんだか、ちょっとほっとした。

 馬の背に揺られながら、私は思う。
 この人なら、信じられるかもしれない。

 隣村では、どんな人たちが待っているんだろう。
 ――少しだけ、不安だけど。
 少しだけ、楽しみでもあった。


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