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第八話
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「魔術学を愛し、純粋に真理を追い求める姿はこの澱み腐った世界で唯一穢れなく何物にも代え難いほどに尊い」
夕陽がセヴェロの銀に輝く髪、月光のような瞳を鮮やかな紅に染め上げる。色の混じった瞳が妖しく細まる。
「……僕はそんな大層な人間じゃない。僕は穢れている」
……僕の手は人を殺めた血に染まっているんだ。尊いはずがない。
「あの魔術陣をなんとしてでも完成させる執着。それを生んだ君の大きな後悔は知らない。けれど君は気付いているか? 君が魔術と向き合う時、君の瞳は未知への冒険に星のような輝きを宿しているんだ」
頬に添えられた手を僕は引き離す。
「……お世辞はいいさ」
何を言ってもセヴェロの言葉じゃあ僕の心には響かない。それを彼も理解したのだろう。これ以上無理に僕を褒めることはしなかった。代わりに訊いてくる。
「今日は楽しかった?」
「ああ。おかげで突破口も見つかった」
「なら良かった。……僕のことに関しては君が見極めればいい。君が僕の悪辣さに耐えられないというなら僕は君から離れるよ。だがそれまでこうして関わりを持つことを許してほしい。勿論君にもいいことはある。君が望めばまた貴重書を見に国立図書館にいつでも連れてってあげるよ」
「取引か……」
「提案だよ」
一瞬迷ったが、僕の探究心を前に頷かずにはいられなかった。
「まさか、昼も取らずにいたなんて知らなかったよ。魔術学に明け暮れるのはいいけど食事はきちんと摂らなければ。頭を使うなら尚更大事だ」
帰る途中、彼の強い誘いでレストランで夕食をとる。ナイフで正方形に整えている間にそういえばと思い出す。
「手を洗わないのか?」
「おしぼりで手は先程拭きはしたが」
「そうじゃない。君は僕に触れた。僕の頬に。……だから三十分くらいは手を洗った方がいいんじゃないか?」
僕の言っていることを理解したのか、「ああ」となんでもなさげに魚の切り身を口に運び、嚥下する。
「君はいいんだ」
僕の最も得意な魔術数学。専門的な学びは三年から受けられるが、基本的な魔術数学は一年生で必修となっている。
だから最も期待していたのだが、実際はどの教科より最も外れであった。
基本の基本はつまらない雑談を交えて長ったらしく話し、応用となると途端に説明を省く。講義にまるで調和がなかった。
それはセヴェロも同じらしい。僕の隣で真面目に先生の話を聞いているように見えるが、目が完全に冷えきってる。あの愚者を見下す瞳だ。
「ではこの条件下で解を導き出してくれ。一人ではこの問題は難しいだろうから今回はグループを作ってもらうことにする。人数は五人くらいでいい。みんなで協力して解答を出してくれ」
よりにもよって団体戦とは。他人に話しかけることもできない自分が辿る未来なんて見えている。
周囲の大半はもうグループを作り終わっているようで確実に僕は孤立していく。ふとトントンと肩を叩かれる。
「テオドア。僕と一緒にやろう」
ニコニコとご機嫌そうにセヴェロが誘う。嫌だと即答しかけたところで思い直す。ここで断れば国立図書館に連れて行ってもらえないかもしれない。
「わかった──」
「セヴェロ!」
僕の声が活力に満ちた男の声にかき消される。後ろを振り向く。セヴェロを呼んだのはいつかのパーティーで彼に話しかけていたベンジャミンだった。
「ベンジャミン……」
「セヴェロ、俺たちのグループに入れよ」
「いやしかし──」
「俺たちのところ丁度四人で一人探してたところなんだよ」
「だが僕は既にグループを作っていて、申し訳ないがお誘いはお断りするよ」
「なぁそんなこと言わずにこっちに来てくれよ。君の魔術数学的視点はとても勉強になるんだ。それにグループって言ったって君のところは見るところ君含めてまだ二人だけだろ。他にもグループはあるし、今バラけたって何の問題もないじゃないか」
彼が何を言いたいかはすぐ理解できた。それを聞いたセヴェロの目は冷たく死んでいた。しかしそれも一瞬のことで人当たりの良い仮面を被る。
「すまないけれど僕たちは──」
セヴェロが断ろうとするところを肘で小突き、小さく囁く。
「やめろ。彼は百パーセント譲る気はない。断ればもっと面倒臭い状況になるだけだ。目的は君なんだから君一人でさっさと行けよ。こんなくだらないことに僕を巻き込むな」
「だが君は……」
「僕は別のグループに入るから平気だ」
「そういうことではなくて……いや、君を誰のもとにも渡したくはな──」
「セヴェロ!」
ベンジャミンが再び彼を呼ぶ。今度は強めに小突いた。
「早く行け」
渋々セヴェロが席から立ち上がる。名残惜しそうに何度も僕の方へ振り返りながらベンジャミンの所属するグループへと移動して行った。
これで良かったのだ。ああいう疎外はいつものことだし正直言ってセヴェロがいなくなってせいせいした。これで一人で問題を解くことができるなら最高なのだがそういうわけにもいかないようだ。
徐に先生が近付いてくる。
「私はグループを作れと言ったはずだが?」
「……すみません」
「グループがなくて一人どう解くつもりだ? 周りが授業に参加している間、君は何をするつもりなんだ?」
勿論一人で解くつもりだが、先生はそういう例外は嫌いそうだった。
「私の授業に積極性のない者、指示に従わない者はいらないぞ。その気がないなら教室を出たまえ」
僕の背後で席から立ち上がる音がする。
夕陽がセヴェロの銀に輝く髪、月光のような瞳を鮮やかな紅に染め上げる。色の混じった瞳が妖しく細まる。
「……僕はそんな大層な人間じゃない。僕は穢れている」
……僕の手は人を殺めた血に染まっているんだ。尊いはずがない。
「あの魔術陣をなんとしてでも完成させる執着。それを生んだ君の大きな後悔は知らない。けれど君は気付いているか? 君が魔術と向き合う時、君の瞳は未知への冒険に星のような輝きを宿しているんだ」
頬に添えられた手を僕は引き離す。
「……お世辞はいいさ」
何を言ってもセヴェロの言葉じゃあ僕の心には響かない。それを彼も理解したのだろう。これ以上無理に僕を褒めることはしなかった。代わりに訊いてくる。
「今日は楽しかった?」
「ああ。おかげで突破口も見つかった」
「なら良かった。……僕のことに関しては君が見極めればいい。君が僕の悪辣さに耐えられないというなら僕は君から離れるよ。だがそれまでこうして関わりを持つことを許してほしい。勿論君にもいいことはある。君が望めばまた貴重書を見に国立図書館にいつでも連れてってあげるよ」
「取引か……」
「提案だよ」
一瞬迷ったが、僕の探究心を前に頷かずにはいられなかった。
「まさか、昼も取らずにいたなんて知らなかったよ。魔術学に明け暮れるのはいいけど食事はきちんと摂らなければ。頭を使うなら尚更大事だ」
帰る途中、彼の強い誘いでレストランで夕食をとる。ナイフで正方形に整えている間にそういえばと思い出す。
「手を洗わないのか?」
「おしぼりで手は先程拭きはしたが」
「そうじゃない。君は僕に触れた。僕の頬に。……だから三十分くらいは手を洗った方がいいんじゃないか?」
僕の言っていることを理解したのか、「ああ」となんでもなさげに魚の切り身を口に運び、嚥下する。
「君はいいんだ」
僕の最も得意な魔術数学。専門的な学びは三年から受けられるが、基本的な魔術数学は一年生で必修となっている。
だから最も期待していたのだが、実際はどの教科より最も外れであった。
基本の基本はつまらない雑談を交えて長ったらしく話し、応用となると途端に説明を省く。講義にまるで調和がなかった。
それはセヴェロも同じらしい。僕の隣で真面目に先生の話を聞いているように見えるが、目が完全に冷えきってる。あの愚者を見下す瞳だ。
「ではこの条件下で解を導き出してくれ。一人ではこの問題は難しいだろうから今回はグループを作ってもらうことにする。人数は五人くらいでいい。みんなで協力して解答を出してくれ」
よりにもよって団体戦とは。他人に話しかけることもできない自分が辿る未来なんて見えている。
周囲の大半はもうグループを作り終わっているようで確実に僕は孤立していく。ふとトントンと肩を叩かれる。
「テオドア。僕と一緒にやろう」
ニコニコとご機嫌そうにセヴェロが誘う。嫌だと即答しかけたところで思い直す。ここで断れば国立図書館に連れて行ってもらえないかもしれない。
「わかった──」
「セヴェロ!」
僕の声が活力に満ちた男の声にかき消される。後ろを振り向く。セヴェロを呼んだのはいつかのパーティーで彼に話しかけていたベンジャミンだった。
「ベンジャミン……」
「セヴェロ、俺たちのグループに入れよ」
「いやしかし──」
「俺たちのところ丁度四人で一人探してたところなんだよ」
「だが僕は既にグループを作っていて、申し訳ないがお誘いはお断りするよ」
「なぁそんなこと言わずにこっちに来てくれよ。君の魔術数学的視点はとても勉強になるんだ。それにグループって言ったって君のところは見るところ君含めてまだ二人だけだろ。他にもグループはあるし、今バラけたって何の問題もないじゃないか」
彼が何を言いたいかはすぐ理解できた。それを聞いたセヴェロの目は冷たく死んでいた。しかしそれも一瞬のことで人当たりの良い仮面を被る。
「すまないけれど僕たちは──」
セヴェロが断ろうとするところを肘で小突き、小さく囁く。
「やめろ。彼は百パーセント譲る気はない。断ればもっと面倒臭い状況になるだけだ。目的は君なんだから君一人でさっさと行けよ。こんなくだらないことに僕を巻き込むな」
「だが君は……」
「僕は別のグループに入るから平気だ」
「そういうことではなくて……いや、君を誰のもとにも渡したくはな──」
「セヴェロ!」
ベンジャミンが再び彼を呼ぶ。今度は強めに小突いた。
「早く行け」
渋々セヴェロが席から立ち上がる。名残惜しそうに何度も僕の方へ振り返りながらベンジャミンの所属するグループへと移動して行った。
これで良かったのだ。ああいう疎外はいつものことだし正直言ってセヴェロがいなくなってせいせいした。これで一人で問題を解くことができるなら最高なのだがそういうわけにもいかないようだ。
徐に先生が近付いてくる。
「私はグループを作れと言ったはずだが?」
「……すみません」
「グループがなくて一人どう解くつもりだ? 周りが授業に参加している間、君は何をするつもりなんだ?」
勿論一人で解くつもりだが、先生はそういう例外は嫌いそうだった。
「私の授業に積極性のない者、指示に従わない者はいらないぞ。その気がないなら教室を出たまえ」
僕の背後で席から立ち上がる音がする。
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