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第六話
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コースが二周目に入る。ふと前を見ると遠目でも分かるくらいの距離にバス停で待つ秀司の姿があった。気遣ってくれたのに俺が別れ際あんなことを言ったからか秀司の表情はどこか重い。
謝らなければと思った。そう思い立ち駆け寄ろうとした瞬間、秀司が微かに微笑む。
微笑みは俺に向けてではない。てっきり秀司とは無関係な他人がただバスを待っているだけかと思ったがそうではないらしい。バス停にいるもう一人の女の子と秀司が和気藹々とお喋りをしている。秀司の知り合いだろうかと思えば小さな横顔が目に映った。
「え……佐原さん?」
どうして佐原さんが秀司といるのだろう。もしかして佐原さんもたまたま秀司と同じバスを待っているとか?
にしても二人の雰囲気が甘い。背景に花でも咲いてそうな勢いだった。
……まさかな。
ストーカーみたいに電柱に隠れてひっそりと様子を窺う。周りから見れば俺は確実に不審者だろう。
プーとブザーが鳴ってバスの扉が開く。秀司はスーツケースを軽々と持ち上げて乗り込むけど佐原さんはそのまま佇んで「気をつけてね」と手を振るだけ。
なんだよこれ。これじゃあまるで彼氏を見送る彼女じゃないか。
バスが走ると同時に一目散に俺は走った。息切れで苦しくなっても、さっき見た光景に胸が爆発してしまいそうで訳もわからず走り続けた。
取られた。だって秀司は俺の幼馴染だ。秀司の隣は俺だけのもののはずなのに。
冬休みが終わり高校最後の春がやってきた。とはいってもまだ受験とか就活とかそんな雰囲気はなくてのんびりとした日常は変わることがなかった。ただ俺の中では違った。
「九重~、飯食おうぜ~」
「ごめん。今日は無理だ」
「え~」
秀司が俺の前を通ることもなく教室を出る。その姿に他のクラスメイトが訝しげに首を傾げた。
「あれ? てっきり千歳の奴と飯食うと思ったけど違うの?」
「えっお前知らんの?」
「何がぁ~?」
「九重、野球部のマネと付き合ってんだよ」
「マジで!? アイツモテるとは思ってたけどそういう話聞いたことないから野球一筋だと思ってたわ」
「そうかー? 俺は逆に今までそういう話がなかった方が驚きだな」
俺はもう驚くことはなかった。確かに秀司は顔と野球だけじゃなくて性格もいいから女子からモテるし、考えてみるとこれまで付き合ったことがなかったのがおかしかったのかもしれない。
でも秀司の隣はいつも俺だった。それこそ小学校に入る前からずっとだ。それが急に隣を取られてしまって喜べるはずがなかった。
春の大会も近くなり、スタメン入りを賭けてより一層練習に時間を費やした。秀司も段々と左投げが様になってきてエースにはなれなくとも投手として試合に出れるように励んでいるようだった。早朝自主練に向かうため同じく準備を終えた秀司に声をかける。
「秀司、行こうぜ」
「いや今日は先に行っててくれないか?」
「……なんで?」
無粋なのは知っていた。きっと秀司は彼女と一緒に自主練に向かう予定なのだろう。
「あー言うのぶっちゃけ忘れてたんだけど俺、佐原さんと付き合ってんだよ。だから朝は一緒に行きたいんだ」
言い淀むこともなしに案外あっさりと打ち明けた。
もうこうなったのなら仕方ないのかと思った。本当は秀司とお昼を食べたいし、自主練だって俺が一緒にやりたい。でも彼女ができたってんなら友達として俺が引かなきゃいけないんだ。
「なるほどな。だったらそこに関しては何も言わないけどよ、浮かれすぎて練習が手抜きになるのだけは避けろよ」
「ああ、分かってるさ」
素振りをしていると笑い声が聞こえて視線をそちらにやる。どうやら二人は時間もいいとこだしと自主練を切り上げて雑談に耽っているらしかった。
盛り上がって楽しそうに笑う秀司と佐原さん。思えば二人はお似合いに見えた。佐原さんの見た目は清楚系で男前の秀司と並ぶと夫婦みたいな雰囲気だ。しかも佐原さんは確か努力する人はかっこいいと言ってた気がする。秀司はその点でいえば左投げに転向しようと努力してたしそれを間近で佐原さんは見ていたのだから好きになるのも必然だったのだろう。モテる秀司が相手ならいずれにせよいつかはこうなっていたのだ。
広がる青春の光景を見てると住む世界が違うのだと誰かに言われているようだった。
思い出なんて一つもない汗水垂らすだけの土色の日々。
俺だって頑張ってるのになんで秀司だけあんな楽しそうに笑って……。
「許せない」
ハッとする。
俺、何言って……。
途端恐ろしくなって言葉を振り払うようにバットをブンブンと何回も振り続ける。
秀司にこんなこと思うなんておかしい。それに秀司は俺に何もしていない。
それなのに秀司が憎い。
自分を心底嫌いになりそうだった。
「透~、そろそろ切り上げないと学校間に合わなくなるぞ~」
いつまでもバットを振ってる俺を気にして秀司が声をかけてくれる。もうグラウンドで練習してる野球部員は俺だけでフェンスの向こう側を見ればぞろぞろと登校する生徒たちが目に入った。
「……ああ今行くよ」
バットを片付けて佐原さんと一緒に待っててくれている秀司のもとへ歩こうとすると大きな地震でも起きたみたいに視界がぐらついた。
え?
揺れる視界に釣られて足が思うように動かない。なんだか周りも暗くなってきているようだった。
「透!」
秀司が事故にでも遭ったみたいな慌てた形相で俺に駆け寄ってくる。だけどその瞬間、秀司の顔も何もかも全てが黒く塗り潰されてしまった。
流れるように叩くと鍵盤から天から手を差し伸ばされているかのような安らかな音色が溢れ出る。頭上から一筋の光が差し、天使の羽根が舞い落ちる。俺の手からこんな美しい音色が生まれるなんて今までは想像できなかった。まるで自分も曲の一部になったみたいで弾きながら天からの慈悲の雫に耳を傾ける。鍵盤から指先を離し余韻に浸っているとパチパチと拍手が上がった。
記憶にあるものよりずっと幼い顔立ちをした秀司が「すごい! まるで天使が舞い降りてきたみたいだった」と目を輝かせる。純粋に嬉しかった。人に褒められるなんて数えるほどしかなかったし、なにより感動してもらえた。人の心を動かすのってこんなに嬉しいんだ。
その時の悦びは試合で活躍できた瞬間の何倍、いや比べられないくらいで今でも記憶に色鮮やかに残っていた。
本当はもっともっとピアノに触れたかったけど、遂に秀司の家にピアノを弾きに行っていることがバレてしまい家に遊びに行くこと自体禁止させられてしまった。
もうあの音は奏でられない。もう秀司を喜ばせられない。俺の手にあるのは高い金属音を響かせる銀のバットだけ。こんなもの本当は──。
気がつくと無機質な白い天井が目の前に広がっていた。保健室だろうか。ふかふかのベッドに体を沈ませ四方をカーテンでぐるっと囲まれていた。
最後に見た光景を思い出す。確か俺は朝練しててそれで……。そっか、俺倒れたんだ。
とりあえずめまいも何もないからベッドから出てカーテンを開ける。机で事務でもしていたのであろう白衣を纏った長い黒髪の先生がこちらに気付く。
「あっ千歳君起きたのね。無理してベッドから起き上がらなくても大丈夫なのに。ほらここに座って」
過保護に連れられ横長の椅子に腰を下ろすよう促され、隣に先生が座る。
「体調はどう? どこか辛いところとかある?」
「っえっと、体調はもうなんともないです」
「良かった。ちなみに千歳君何が起きたか憶えてる?」
「……気絶したってことぐらいしか」
「まぁそうなんだけどね。多分千歳君頑張りすぎちゃってたのかなって思うんだよ。千歳君もそれで体調に何か思い当たる節はあると思うんだけど……」
目前に迫った春の大会にしか頭になかったけど確かに思い返せば授業中でもぼうっとしてしまうし朝起きても疲れが残っていたように思う。
「……そうですね。思い当たる節は何個か」
「うんそうだよね。後から私と一緒に医者に行くけどやっぱり過労じゃないかなと思うんだ」
「……過労ですか」
考えもしなかった。だって過労って学生じゃなくて社会人が働きすぎてなるようなものじゃないのか。血反吐は吐いてないから大丈夫だと思ってたけど体はそうじゃなかったらしい。
「うん、それでね今後のことについて考えて欲しいの」
「今後のこと?」
「千歳君、ちょっと待っててね」
先生が壁に取り付けられた内線電話機で誰かと連絡を取り始める。そうしてすぐのことだった。思わぬ人物が保健室に現れる。
「な、中津監督……!?」
体格もよくてキリッとした目つきが特徴的なコーチが心配そうに俺を見る。怖いくらいに厳しいコーチがそんな表情だから最初誰かと思った。というか逆に不気味でもある。
「体調はもう大丈夫なのか?」
「はい。もう今は全然平気です」
「先程九重からお前の練習について話を訊いてきたんだが、だいぶ打ち込んでいたらしいな」
なんだか責められているように感じて思わず身構える。
「すまなかった」
コーチが深く頭を下げる。思わず「……えっ」と戸惑いの声が漏れ出た。
「自主練習に関しては各々に任せていたとはいえ監督として一声かけておくべきだった」
「そんな、俺が倒れたのは健康管理のなっていない自分のせいでコーチのせいじゃないですよ!」
「いや、部員を正しく監督していなかった時点で私の責任でもある」
こんな申し訳なさそうにするコーチ初めて見た。そうか俺、相当やらかしちゃったんだな。
「それで部活についてなんだが……療養として少し休ませようと思う」
「えっ!? ど、どうしてです!? だってもうすぐ大会だって近いのに!」
「……これはお前にとってはとても残酷なことなんだが今までのプレイを鑑みて私はお前をレギュラーから外すつもりだ」
「そんな……」
今までの努力が泡沫となって消え去っていく。最初に思い浮かんだのは父のことだった。スタメンどころではなくレギュラーですらないなんて父が納得するはずがない。きっとなぜなんだと激怒するに決まっている。
「俺、もっと頑張ります! だからもう少し考えてみてはくれませんかっ!」
「……言い辛いのだが、やはり実力から見てもお前をレギュラーに入れることは難しい」
強豪校なだけあってコーチの判断は容赦がなく胸に突き刺さる。
今まで野球に全てを捧げてきたのに頑張ってきたのにこれでおしまいだ。三年にもなってレギュラーも無理ということはスカウトの目にだって止まるはずがない。つまりプロという将来の可能性は皆無ということだ。父の夢を果たせなかった俺に存在価値なんてない。俺は父から捨てられるんだ。
「だから今は療養としてゆっくり休んでみたらどうだ? 回復したらまた部活に戻ればいい。レギュラーではなくともチームにはお前が必要なんだ」
レギュラーに入れないのに体を壊すまで頑張るものだからコーチがわざわざこうして知らせにきたということなのだろう。でも休んで部活に戻ったってもう俺の存在価値は取り戻せないんだ。
その後の記憶は曖昧だった。医者に連れてかれ案の定過労という判断が下される。付き添ってくれた保健室の先生が俺に話しかけ、意識半分に耳を傾けていると、気づいたら自室のベッドで横になっていた。
俺、なんで生きてんだろ。
捨てられないために頑張ってきたのにそれが全て無駄になった。スポーツ漫画の主人公みたいに努力は報われるはずだった。だけどどうやら俺は主人公じゃなくてコマにぼやっと姿だけ映るただのモブだったらしい。
もう俺は捨てられるんだ。
命なんてないただの物になったみたいで息を吸ってる意味も分からなくなる。
謝らなければと思った。そう思い立ち駆け寄ろうとした瞬間、秀司が微かに微笑む。
微笑みは俺に向けてではない。てっきり秀司とは無関係な他人がただバスを待っているだけかと思ったがそうではないらしい。バス停にいるもう一人の女の子と秀司が和気藹々とお喋りをしている。秀司の知り合いだろうかと思えば小さな横顔が目に映った。
「え……佐原さん?」
どうして佐原さんが秀司といるのだろう。もしかして佐原さんもたまたま秀司と同じバスを待っているとか?
にしても二人の雰囲気が甘い。背景に花でも咲いてそうな勢いだった。
……まさかな。
ストーカーみたいに電柱に隠れてひっそりと様子を窺う。周りから見れば俺は確実に不審者だろう。
プーとブザーが鳴ってバスの扉が開く。秀司はスーツケースを軽々と持ち上げて乗り込むけど佐原さんはそのまま佇んで「気をつけてね」と手を振るだけ。
なんだよこれ。これじゃあまるで彼氏を見送る彼女じゃないか。
バスが走ると同時に一目散に俺は走った。息切れで苦しくなっても、さっき見た光景に胸が爆発してしまいそうで訳もわからず走り続けた。
取られた。だって秀司は俺の幼馴染だ。秀司の隣は俺だけのもののはずなのに。
冬休みが終わり高校最後の春がやってきた。とはいってもまだ受験とか就活とかそんな雰囲気はなくてのんびりとした日常は変わることがなかった。ただ俺の中では違った。
「九重~、飯食おうぜ~」
「ごめん。今日は無理だ」
「え~」
秀司が俺の前を通ることもなく教室を出る。その姿に他のクラスメイトが訝しげに首を傾げた。
「あれ? てっきり千歳の奴と飯食うと思ったけど違うの?」
「えっお前知らんの?」
「何がぁ~?」
「九重、野球部のマネと付き合ってんだよ」
「マジで!? アイツモテるとは思ってたけどそういう話聞いたことないから野球一筋だと思ってたわ」
「そうかー? 俺は逆に今までそういう話がなかった方が驚きだな」
俺はもう驚くことはなかった。確かに秀司は顔と野球だけじゃなくて性格もいいから女子からモテるし、考えてみるとこれまで付き合ったことがなかったのがおかしかったのかもしれない。
でも秀司の隣はいつも俺だった。それこそ小学校に入る前からずっとだ。それが急に隣を取られてしまって喜べるはずがなかった。
春の大会も近くなり、スタメン入りを賭けてより一層練習に時間を費やした。秀司も段々と左投げが様になってきてエースにはなれなくとも投手として試合に出れるように励んでいるようだった。早朝自主練に向かうため同じく準備を終えた秀司に声をかける。
「秀司、行こうぜ」
「いや今日は先に行っててくれないか?」
「……なんで?」
無粋なのは知っていた。きっと秀司は彼女と一緒に自主練に向かう予定なのだろう。
「あー言うのぶっちゃけ忘れてたんだけど俺、佐原さんと付き合ってんだよ。だから朝は一緒に行きたいんだ」
言い淀むこともなしに案外あっさりと打ち明けた。
もうこうなったのなら仕方ないのかと思った。本当は秀司とお昼を食べたいし、自主練だって俺が一緒にやりたい。でも彼女ができたってんなら友達として俺が引かなきゃいけないんだ。
「なるほどな。だったらそこに関しては何も言わないけどよ、浮かれすぎて練習が手抜きになるのだけは避けろよ」
「ああ、分かってるさ」
素振りをしていると笑い声が聞こえて視線をそちらにやる。どうやら二人は時間もいいとこだしと自主練を切り上げて雑談に耽っているらしかった。
盛り上がって楽しそうに笑う秀司と佐原さん。思えば二人はお似合いに見えた。佐原さんの見た目は清楚系で男前の秀司と並ぶと夫婦みたいな雰囲気だ。しかも佐原さんは確か努力する人はかっこいいと言ってた気がする。秀司はその点でいえば左投げに転向しようと努力してたしそれを間近で佐原さんは見ていたのだから好きになるのも必然だったのだろう。モテる秀司が相手ならいずれにせよいつかはこうなっていたのだ。
広がる青春の光景を見てると住む世界が違うのだと誰かに言われているようだった。
思い出なんて一つもない汗水垂らすだけの土色の日々。
俺だって頑張ってるのになんで秀司だけあんな楽しそうに笑って……。
「許せない」
ハッとする。
俺、何言って……。
途端恐ろしくなって言葉を振り払うようにバットをブンブンと何回も振り続ける。
秀司にこんなこと思うなんておかしい。それに秀司は俺に何もしていない。
それなのに秀司が憎い。
自分を心底嫌いになりそうだった。
「透~、そろそろ切り上げないと学校間に合わなくなるぞ~」
いつまでもバットを振ってる俺を気にして秀司が声をかけてくれる。もうグラウンドで練習してる野球部員は俺だけでフェンスの向こう側を見ればぞろぞろと登校する生徒たちが目に入った。
「……ああ今行くよ」
バットを片付けて佐原さんと一緒に待っててくれている秀司のもとへ歩こうとすると大きな地震でも起きたみたいに視界がぐらついた。
え?
揺れる視界に釣られて足が思うように動かない。なんだか周りも暗くなってきているようだった。
「透!」
秀司が事故にでも遭ったみたいな慌てた形相で俺に駆け寄ってくる。だけどその瞬間、秀司の顔も何もかも全てが黒く塗り潰されてしまった。
流れるように叩くと鍵盤から天から手を差し伸ばされているかのような安らかな音色が溢れ出る。頭上から一筋の光が差し、天使の羽根が舞い落ちる。俺の手からこんな美しい音色が生まれるなんて今までは想像できなかった。まるで自分も曲の一部になったみたいで弾きながら天からの慈悲の雫に耳を傾ける。鍵盤から指先を離し余韻に浸っているとパチパチと拍手が上がった。
記憶にあるものよりずっと幼い顔立ちをした秀司が「すごい! まるで天使が舞い降りてきたみたいだった」と目を輝かせる。純粋に嬉しかった。人に褒められるなんて数えるほどしかなかったし、なにより感動してもらえた。人の心を動かすのってこんなに嬉しいんだ。
その時の悦びは試合で活躍できた瞬間の何倍、いや比べられないくらいで今でも記憶に色鮮やかに残っていた。
本当はもっともっとピアノに触れたかったけど、遂に秀司の家にピアノを弾きに行っていることがバレてしまい家に遊びに行くこと自体禁止させられてしまった。
もうあの音は奏でられない。もう秀司を喜ばせられない。俺の手にあるのは高い金属音を響かせる銀のバットだけ。こんなもの本当は──。
気がつくと無機質な白い天井が目の前に広がっていた。保健室だろうか。ふかふかのベッドに体を沈ませ四方をカーテンでぐるっと囲まれていた。
最後に見た光景を思い出す。確か俺は朝練しててそれで……。そっか、俺倒れたんだ。
とりあえずめまいも何もないからベッドから出てカーテンを開ける。机で事務でもしていたのであろう白衣を纏った長い黒髪の先生がこちらに気付く。
「あっ千歳君起きたのね。無理してベッドから起き上がらなくても大丈夫なのに。ほらここに座って」
過保護に連れられ横長の椅子に腰を下ろすよう促され、隣に先生が座る。
「体調はどう? どこか辛いところとかある?」
「っえっと、体調はもうなんともないです」
「良かった。ちなみに千歳君何が起きたか憶えてる?」
「……気絶したってことぐらいしか」
「まぁそうなんだけどね。多分千歳君頑張りすぎちゃってたのかなって思うんだよ。千歳君もそれで体調に何か思い当たる節はあると思うんだけど……」
目前に迫った春の大会にしか頭になかったけど確かに思い返せば授業中でもぼうっとしてしまうし朝起きても疲れが残っていたように思う。
「……そうですね。思い当たる節は何個か」
「うんそうだよね。後から私と一緒に医者に行くけどやっぱり過労じゃないかなと思うんだ」
「……過労ですか」
考えもしなかった。だって過労って学生じゃなくて社会人が働きすぎてなるようなものじゃないのか。血反吐は吐いてないから大丈夫だと思ってたけど体はそうじゃなかったらしい。
「うん、それでね今後のことについて考えて欲しいの」
「今後のこと?」
「千歳君、ちょっと待っててね」
先生が壁に取り付けられた内線電話機で誰かと連絡を取り始める。そうしてすぐのことだった。思わぬ人物が保健室に現れる。
「な、中津監督……!?」
体格もよくてキリッとした目つきが特徴的なコーチが心配そうに俺を見る。怖いくらいに厳しいコーチがそんな表情だから最初誰かと思った。というか逆に不気味でもある。
「体調はもう大丈夫なのか?」
「はい。もう今は全然平気です」
「先程九重からお前の練習について話を訊いてきたんだが、だいぶ打ち込んでいたらしいな」
なんだか責められているように感じて思わず身構える。
「すまなかった」
コーチが深く頭を下げる。思わず「……えっ」と戸惑いの声が漏れ出た。
「自主練習に関しては各々に任せていたとはいえ監督として一声かけておくべきだった」
「そんな、俺が倒れたのは健康管理のなっていない自分のせいでコーチのせいじゃないですよ!」
「いや、部員を正しく監督していなかった時点で私の責任でもある」
こんな申し訳なさそうにするコーチ初めて見た。そうか俺、相当やらかしちゃったんだな。
「それで部活についてなんだが……療養として少し休ませようと思う」
「えっ!? ど、どうしてです!? だってもうすぐ大会だって近いのに!」
「……これはお前にとってはとても残酷なことなんだが今までのプレイを鑑みて私はお前をレギュラーから外すつもりだ」
「そんな……」
今までの努力が泡沫となって消え去っていく。最初に思い浮かんだのは父のことだった。スタメンどころではなくレギュラーですらないなんて父が納得するはずがない。きっとなぜなんだと激怒するに決まっている。
「俺、もっと頑張ります! だからもう少し考えてみてはくれませんかっ!」
「……言い辛いのだが、やはり実力から見てもお前をレギュラーに入れることは難しい」
強豪校なだけあってコーチの判断は容赦がなく胸に突き刺さる。
今まで野球に全てを捧げてきたのに頑張ってきたのにこれでおしまいだ。三年にもなってレギュラーも無理ということはスカウトの目にだって止まるはずがない。つまりプロという将来の可能性は皆無ということだ。父の夢を果たせなかった俺に存在価値なんてない。俺は父から捨てられるんだ。
「だから今は療養としてゆっくり休んでみたらどうだ? 回復したらまた部活に戻ればいい。レギュラーではなくともチームにはお前が必要なんだ」
レギュラーに入れないのに体を壊すまで頑張るものだからコーチがわざわざこうして知らせにきたということなのだろう。でも休んで部活に戻ったってもう俺の存在価値は取り戻せないんだ。
その後の記憶は曖昧だった。医者に連れてかれ案の定過労という判断が下される。付き添ってくれた保健室の先生が俺に話しかけ、意識半分に耳を傾けていると、気づいたら自室のベッドで横になっていた。
俺、なんで生きてんだろ。
捨てられないために頑張ってきたのにそれが全て無駄になった。スポーツ漫画の主人公みたいに努力は報われるはずだった。だけどどうやら俺は主人公じゃなくてコマにぼやっと姿だけ映るただのモブだったらしい。
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命なんてないただの物になったみたいで息を吸ってる意味も分からなくなる。
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