風と階段

伊藤龍太郎

文字の大きさ
上 下
12 / 13

11

しおりを挟む
時は過ぎ、ついに受験本番まで1週間を切り、この日は最後の休日。
美奈も最後のラストスパートをかけ始めた。そして、京介が生前言っていたことを実行する日でもある。

およそ1年前。「美奈。受験本番が近くなってきたら、やってほしいことがある。それは、本番と同じ時間割で行動することだ。だいたい6時くらいに起きて、会場に向かう間は外で運動する。
そして、試験時間中はその科目の過去問を解く。」京介が美奈にアドバイスを送った。美奈も京介の言うことがわかるため京介が言ったことを要約した。
「つまりは、本番と同じ時間割で動いて、イメージトレーニングを行うことで
本番に思ったよりも緊張せずに挑めるって言うことだよね?」
「そういうことだ。まぁできれば定期的にやってほしいかな。スパンは美奈に任せる。あと、試験の前日はホントに早く寝ろ。最高のパフォーマンスをするために睡眠は大事だ。」

美奈はその通りに1ヶ月に1回のペースでそれを行なってきた。6時に起き、7時くらいから散歩をし、帰ってきたら過去問を解く。これが本番でどのように作用するのか、それはわからない。
しかし、美奈は信じていた。京介の方法でやれば大丈夫だと。
行程は順調に進んで昼休みに入った。
美奈がリビングに行くと舞華に何かを手渡された。それは『受験を間近に控えた美奈へ』と書かれた手紙だった。「京介からの手紙。遺品整理の時に本棚の下の方から出てきたの。
私も中身は読んでないから何が書いてあるからわからない。そもそも他人宛の郵便物を勝手に読むことは違法だし。」
舞華はそう言うと読んでみてと美奈に促した。美奈は手紙の封を開け、中に入っていた紙を取り出して読み始めた。
「これを読んでるってことは試験がもうすぐのところまで来ているんだな。
ここまで美奈は一段ずつ着実に階段を登ってきた。それは、人の手によって舗装されたようなものではなく、ガタガタの非常に登りづらい階段だっただろう。
それでも美奈は諦めなかった。
頂上はすぐそこだ。がんばれ。
但し、気を抜いて転がり落ちることはないように気をつけろよ。」
手紙の裏面に、追記されていた。
「最後に母さんへ。受験当日の美奈の弁当は少し少なめでお願いします。通常通りだと、試験途中に眠くなってしまうからです。」と。
「受験直前にこんなメッセージを遺すなんてどれだけシスコンなんだろね~。」
舞華は完全に京介のシスコンっぷりに感服していた。
美奈は京介の優しさを噛み締めるように目をつぶって上を見上げた。

入試の前日。放課後、美奈は優佳と帰っていた。「あぁ、明日はついに入試当日だぁ。ってことは、もうすぐで高校生活も終わるってことだよね。」美奈は悲しげな表情で言った。
「そうだけど、そういう悲しいことは試験が終わってからにしよ?ほら、今からそんなことを考えていると試験中もずっとそのことを考えて集中できないでしょ?」美奈に元気を注ぐように優佳が言った。
「そうだね。まずは、進路を確定させないとね。」美奈は優佳と別れた後、特に何も考えずに歩いた。
家に着いた時、強い風が美奈の髪の毛を煽った。美奈は思わず寒っ!と声を漏らしてしまう。
家に入ると美奈は勉強面と明日の準備の面での最終確認を始めた。
「えっと、明日は筆記用具と受験票、それと時計は絶対に入れないとね。あとこれも。これはお守りとして持っておかないとね。」
時刻は夜9時。本来ならまだ勉強をする時間なのだが、できるだけ早く寝た方がいいと京介に言われた美奈は寝ることにした。しかし、なかなか寝付けない。
明日のことを考えまいとしようとすればするほど余計に眠れなくなってしまう。
 そしてそのまま朝を迎え、美奈はほとんど寝ることができないまま試験当日を迎えることになってしまった。
そのまま美奈は眠気を背負いながら家を出た。

試験会場についても美奈の背中から睡魔が降りなかった。
入り口で受付を済ませ、部屋に入ると自分の受験番号を確認しながら席を探した。美奈の受験番号は『420446』だ。教室を一周してようやく美奈は自分の席を見つけることができた。結局美奈の席は入り口に近いところつまり、前から見ると1番後ろだった。
席に座ると美奈はようやく一息をつくことができた。
美奈はすぐに受験票を自分から見て右上に、左上に時計をその間に筆記用具を置いた。
やがて開始時間が迫ってきて、受験者と試験官が続々と入ってきた。
試験開始15分前になると問題用紙の配布が始まった。とは言っても美奈は1番後ろの席に座っていること、思ったよりも受験者の人数が多いことが影響して美奈の手元に問題用紙が届くまでにおよそ5分かかった。
最初の教科は国語。かつて京介の担任をしていた山根と頑張った教科だ。その後、問題用紙の表紙に書いてある注意書きをサッと読見終わると同時に試験開始の合図となるチャイムが鳴った。周りの受験者が一斉に問題用紙をペラペラとめくる中美奈は1人だけ目をつぶっていた。「お兄ちゃん。私、頑張るからね。」美奈は心の中でそう呟くと問題を解き始めた。
最初の問題は評論文。題名を見たらある程度の書いてある内容は把握できる。
それからやはり問1は漢字の問題だ。漢字はあれほどやったんだ。美奈は自信に満ち溢れたまま国語の時間の終わりを迎えた。
次の試験は、世界史。舞華と武琉の同僚である武中の協力のもと補強を続けていた科目だ。
最初の問題は古代エジプト。一旦覚えたら攻略しやすい範囲だ。もちろん美奈もこの範囲は押さえられているためサクサクっと解くことができた。その後も美奈の勢いは止まらない。多少のつまずきポイントはあったもののほとんどの問題をスムーズに答えることができた。

世界史の解答時間が終わると、昼休みに入った。大学の方針で原則自分の席で昼食を取ることが求められていた。
美奈は弁当箱を開けた瞬間びっくりした。1週間ほど前に京介の手紙に少し少なめにと書いてあったにも関わらず、舞華は通常と同じもしくはそれよりも多く
弁当箱に詰めてしまっていた。
美奈は「全て食べ、フードロスをなくすのか」と「残して、午後からの試験を万全の状態で受けるのか。」というジレンマに押しつぶされそうになった。
京介との約束を守ることを選ぶなら残した方がいい。でも、残したものを廃棄することは罪悪感がある。
とにかく美奈は食べ始めた。

昼休みが終わり、最後の科目の英語が始まった。まずは、文法力を試す問題。
基礎を徹底した上に発展的な知識を詰め込んだ美奈には簡単だった。
このまま英語もスムーズに解答を続け、られるかと思いきや、長文を読み進めていくうちに朝から美奈にくっついている睡魔が動き出した。美奈も睡魔が本格的に動き始めないうちにできる限り問題を解こうと思ったが、弁当の睡魔も稼働し始め、思ったよりも集中できない。
万事休すかと思われたとき、入り口の扉のわずかな隙間から冷たい風が入り込んできた。おそらく廊下の窓が空いていたからだろう。
すると美奈はその刺激によってハッと目が覚めて、再び集中し始めた。さらに魚の如く、目を開けながら少しだけ寝ていたおかげで、睡魔の力は弱まっていき、美奈は本来の実力を徐々に発揮していった。
最後の問いに美奈が答えた瞬間に、終わりを告げるチャイムが鳴った。

美奈の受験は一旦終わりを迎えた。
合否判定はおよそ1週間後。パソコン、スマートフォンから確認できるようになっていた。
1人で受験会場から家に帰っている最中に冷たい風が再び吹いた。
「この冷たい風に私は助けられたんだなぁ。」と上を見上げながらつぶやいた。
この日から合否判定までの1週間。
美奈は気が気じゃなかった。
それには自分の未来と京介との約束
さらには奈津美と仲直りできるかという3つの大事なことが密接に関わっているからだ。
もちろん受かっていて欲しいが、万が一落ちていたらということを考えられずにはいられなかった。
もっとも、落ち着いて過ごせなかったのは美奈だけではないのだが。
それは舞華と武琉も同じだった。
2人は会社で武中と話していた。
「この妙な緊張感が私は本当に嫌いなのよね。なんかいつもと違う、受験の時にしか感じない独特な感じ。」舞華は社内の自動販売機で購入した缶コーヒーを手に持ちながら言った。
「わかる。リラックスする余裕がなくなるんだよなぁ。」舞華の隣に座っている武琉は同意した。「っていうか、なんで武中が1番ソワソワしてんだよ?」武琉は2人の前を右往左往している武中に聞いた。「だって、一応教え子ですから。
この緊張感は大学生の時に塾のバイトをしていた時以来ですよ。」
舞華は缶を置くと手を合わせて、「神様どうか美奈を合格させてあげてください。」と祈り、武琉と武中もそれに続いた。

そして運命の日。クラスの中にはすでに進路を確定している人がいる中美奈は1日中ソワソワしていた。発表されるのは、午後3時。優佳は美奈のことを心配しながらも「きっと受かってるよ。」
と必死に励ます。
ついに、時計の針が午後3時を示そうと
していた。美奈はカバンの中から受験票を取り出し、左手に持った。右手にはスマホがある。教室の端の方では奈津美も
美奈のことを気にしている。
美奈は大学のホームページから合否判定の特設サイトを開き、受験番号を入力した。『420446』したの確定ボタンを押した瞬間に合否がわかる。美奈は今にでも自分の皮膚を貫いて出てきそうなほど活発な心臓を抑ようと、深呼吸をすうかいしてから「いきます!」と意気込んだ。美奈の指が確定ボタンを触れ、画面が変わった。
美奈と優佳は画面に目を遣った。
その瞬間、心臓が飛び跳ねそうになった。そこに書いてあった文字は、
『合格』だった。美奈はスマホを机に置くと泣きながら優佳と抱き合った。
「やった!合格だ~!!」「おめでとう!」2人の様子を見て受かったんだなと察した奈津美はゆっくりと2人のもとに行くと、「美奈。合格おめでとう。それから、今まで本当にごめんなさい。」
奈津美は美奈に謝った。
「奈津美、頭をあげて。」奈津美が頭を上げると美奈は微笑みながら、「これで、仲直りだね。」と言った。
奈津美は美奈の優しさに涙ぐみながら頷いた。そこに、松田が走ってきた。
「牧田!合格発表は今日だよな?どうだった?」息を切らしながら聞いてきた松田に少し引きながら、「はい。合格しました。」と笑顔で報告した。
その瞬間、松田は泣き出した。
「うわ~ん!おめでどゔ!よがっだ。ほんどによがっだ~。」子供のように喚く松田の姿に近くにいた生徒、教職員含め全員がドン引きした。

この日から再び美奈は優佳とそして奈津美の3人で帰った。一緒にいられる期間はもう長くない。その限られた時間を大切に過ごしたいと美奈は思った。
 2人と別れた美奈はいつもと同じ道を歩いた。するとやはり、風が吹いた。
しかし、今回の風は決して冷たくない。
季節外れの温かい風だった。その風が
止む頃に美奈の耳元で誰かが囁いた。
「合格おめでとう。美奈。」その声の主はすぐにわかった。懐かしい声、いつもそばにあった声。美奈は「ありがとう。」と空を見上げて囁くように言った。

それから1ヶ月と数日後。卒業式が行われた。
美奈と優佳、奈津美は共に2組だ。
1組の名簿番号1番の生徒から順に担任の口から名前が呼ばれ、卒業証書を校長から受け取っていく。
やがて、名前を呼ぶ声が松田に変わった。自分と1年間同じクラスで頑張った仲間の名前が呼ばれていく。「小村奈津美!」奈津美の名前が呼ばれた。「はい!」奈津美は明るい声で返事をし、堂々と舞台の方へと歩いていき、校長から卒業証書を受け取った。
それからしばらくしたのち、「外山優佳!」と優佳も呼ばれた。「はい。」優佳はすでに涙声になっているが、それでもできる限り明るい声で返事をした。
2組も終盤に差し掛かり、ついに「牧田美奈!」と呼ばれた。美奈は万感の思いを込めて「はい!」と返事をし、舞台へと向かった。その様子を保護者席から舞華と武琉が見守っている。武琉の膝の上には、京介の遺影が乗っている。
舞華は感動で涙を堪えられない。
舞台から戻ってくる美奈の表情は式典ということもあり、真剣なものだったが、その奥には穏やかが垣間見えた。

卒業式が終わり、その余韻が学校中に漂っている。
生徒たちは最後の機会とばかりに次々と写真撮影を行なっていく。美奈も最後のクラス写真を撮った後は、奈津美と優佳と共に写真を撮った。

1ヶ月後。美奈はスーツを身に纏っている。今日は大学の入学式だ。鏡に映る美奈の姿はもう立派な大人だ。
カバンを持って靴を履こうとしたが、その前に少し方向転換をして向かったのは
京介の仏壇だ。美奈は京介の遺影に「いってきます。」と声をかけると今度は武琉と舞華に向けて「いってきます。」と大きな声で言った。
桜が徐々に散っていく道を美奈は意気揚々と歩いている。

また、別の階段を登り始めた。


しおりを挟む

処理中です...