金色のネコと初恋修行!

皐月もも

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Act.15-1 ネコとお別れ

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「はぁ……」

 ルーチェは今日何度目かわからないため息をついた。
 今朝届いた中間試験の成績は予想通り魔法治療トラッタメントの実技でCをとった。それ以外は文句なしのA評価だ。
 補習はしなくても良いだろうとコメントには書いてあるが、やはりスピードに欠けるところが大きく減点されている。
 クラドールの魔法治療は迅速に行えなければいけない。ルーチェの家のような小さな診療所では少ないかもしれないが、命が助かるか助からないかの患者さんが運ばれてくる事だってないとは言えないのだから。
 そんなときにもたついていたら、それだけで生存率が下がる。
 だが――

「ルーチェ、紅茶どうぞ」
「あ、うん……」

 テーブルに成績表を置いたところで、クッキーと紅茶の載ったトレーが差し出された。ルーチェがニッコリ笑うジュストからそれを受け取ると、彼はそのままキッチンへと戻っていってしまう。
 そう……ルーチェのため息の理由は紙切れではない。ジュストの態度の変化だ。
 ジュストがルーチェに印をつけた最後の日――彼女が彼を思いきり叩いてしまったその翌日から、ジュストはルーチェにひっつかなくなった。
 別に避けられているわけではない。
 ただ、本当の家族のようになった……というのだろうか。
 ジュストは、ルーチェを抱きしめることもしなければ、一緒に眠ることもやめたのだ。自分に宛がわれた部屋を使い始め、婿という単語さえ使わない。
 ルーチェはそれを望んでいたはずだった。
 そういう日が来るのだときちんとわかっていたはずだったのに、いざそうなってみたら苦しくて痛くてたまらない。こんなに突然とも思ってなかったから尚更だ。
 こんな片想いは――初めての恋は――つらい。残酷なのは、それが自分の気持ちにハッキリと気づいてしまってからだったこと。
 ジュストの態度の変化に、どうしようもなく胸が締め付けられる。
 ジュストが背を向ける度に、チクリと針が刺さるように心が痛い。ジュストが隣にいないだけで、夜もよく眠れない。
 こんなに好きになっていたなんて、ルーチェだって知らなかった。
 そんな胸の痛みを流すみたいに紅茶を飲み込んだとき、玄関の呼び鈴が鳴った。
 今日は診療所が休みの日。休日の朝にやってくる訪問客はいない。急患だろうか。
 ルーチェは急いで階段を下りて、ドアを開けた。

「え、っと……?」

 だが、目の前に立つ女性とその後ろに控える長身の男性に思わず固まってしまう。
 くるりと綺麗に巻かれた金髪をひとつに結わえ、豪華な装飾の施された薄い桃色のドレスを来たルーチェより少し背の高い女性。
 レースをふんだんに使ったスカートは地面についていて、素人目にも高価なドレスであるとわかったルーチェは恐ろしくなった。
 汚れたら、どうするのだろう。いや、もう手遅れかもしれない。
 胸元にはキラキラと輝くダイヤのネックレス。
 少しキツい印象の顔立ちは、しかし、とても整っていて美人だ。瞳の色は、琥珀色……? ジュストより少し濃い色をしている。

「突然の訪問で申し訳ございません」

 言葉を発したのは、女性の後ろに立っていた男性だった。長めの黒髪はきっちりとセットされて、眼鏡の奥の瞳は冷たい。

「私、ルミエール王国女王側近を務めております、クロヴィスと申します。こちらが私の主、エミリー女王様でございます。本日は、こちらの診療所でジュスト第三王子がお世話になっていると聞き及びまして、伺いました」

 とても冷静な、最低限の抑揚しかつけない声でそう言い、クロヴィスは頭を下げた。

「ルミエール……エミリー、女王……?」

 ルーチェの掠れた声は、春風に乗って消えた。

***

 シン、と静まり返ったリビング。
 一国の君主には不釣合いなはずの一般家庭の小さなソファに座るエミリー女王。彼女は先ほどからニコリともしない。それは、彼女の後ろに控えているクロヴィスも同じ。
 そんな2人の向かいに座るのはブリジッタとグラート。
 ルーチェとジュストは彼らの左側に……床にクッションを敷いて座った。

「単刀直入に言います」

 ようやく口を開いたのはエミリー女王だった。ハキハキとした強い口調――これが女王の威厳、というものなのだろうか。

「ジュスト、ルミエール王国へお戻りなさい」

 その言葉が耳に届いた瞬間、ルーチェは階段から突き落とされたような感覚に陥った。
 一瞬の浮遊感、そして心臓が音を立てて走り始める。
 予想はしていた。
 女王が自らこんな小さな家庭に訪れるなど、それだけで重大なこと。だが、それを実際に言葉で聞くとショックを隠しきれない。

「どうして? 僕はもう死んだことになってる」

 ジュストがそう言うと、エミリー女王はキッとジュストを睨み付けた。

「口の利き方にお気をつけなさい! 貴方はルミエール王国の王子なのですよ? 生きているとわかった今、こんな風に野放しにはできません」

 エミリー女王は持っていた扇をビシッとジュストに突きつけた。

「ユベールお兄様が王位継承権を破棄、馬鹿なロランお兄様は地下牢。順当に行けば、王位継承権は第三王子である貴方にあります。城に戻り、王子としての教育を受け、国王にふさわしい人間になりなさい。それまでは私が表に立ちます」

 すると、ジュストも負けじとエミリー女王を睨みつけ、ルーチェはハラハラした。
 異母姉とは言え、相手は女王なのだ。もっと敬うべきなのではないだろうか。

「嫌だよ! 僕はルーチェの――っ、ぼ、く……」

 勢いをつけて叫んだジュスト。だが、すぐに口を噤んでしまった。
 ルーチェの……何?
 ドキッとしてジュストの方を見ると、ジュストは唇を噛んで何かに耐えているみたいな表情をしていた。

「ジュスト。貴方は今まで人と関わってこなかったから、この娘に少し優しくされて勘違いしているだけです」

 ハッとしてエミリー女王を見ると、彼女はスッと目を細めてルーチェを見た。

「そもそも、一国の王子がこんな田舎のクラドールの娘と……許されないことです。貴方には、貴方にふさわしい妃を私が選びます」

 ルーチェは頭を殴られたような衝撃を受けた。
 違う。これも、わかっていたことだ。
 それなのに、やっぱりそうやって指摘されると悲しくて……でも、ルーチェには何も言い返せない。

「バラルディ家の皆様には感謝いたします。近く、お礼をお送りさせていただきますわ。さぁ、ジュスト。行きますよ」

 エミリー女王は優雅に立ち上がってジュストを視線で促す。
 だが、ジュストは動かなかった。
 ギュッと拳を握って視線を落とし、座ったまま。

「ジュスト!」

 エミリー女王の怒りを含んだ声に、ルーチェはビクッとして顔を上げた。
 ジュストとは違う、冷たい瞳がルーチェを見下ろしている。ルーチェはそれを受け止められなくて、俯いた。
 そして、ジュストの腕を軽く叩く。

「ジュ、スト……ねぇ、ほら。お姉さんが――」
「ルーチェ、僕……僕っ! 婿じゃなくてもいいから、だから、ここに居ていいでしょ? 僕、ルミエールのお城は嫌いなんだ。帰りたくない」

 ルーチェの手を掴み、ジュストが必死に訴えてくる。

「ジュスト、いい加減になさい!」

 エミリー女王の怒りはヒートアップしていく。

「嫌だ! 僕はここで暮らす! ルミエールのお城は僕の家じゃない!」
「ジュストっ!」

 エミリー女王がジュストの腕を掴もうとして……それをクロヴィスが止めた。

「エミリー様、ジュスト様も突然のことで驚かれているのでしょう。ジュスト様も、バラルディ家にはかなりお世話になったご様子。少し別れを惜しむ時間があってもよろしいのでは?」

 変わらず冷静な彼の言葉は、窓から差し込む暖かな日差しとは正反対に冷たい気がした。

「今日はここで失礼致しましょう。後日、私がお迎えに伺います」

 クロヴィスは丁寧に頭を下げてエミリー女王を促す。エミリー女王も納得の行かない顔をしていたが、渋々といった様子でルーチェたちに背を向けた。

***

 その日の夜。
 まるでお葬式のような夕食を終えて、ルーチェはベッドに突っ伏していた。
 グラートもブリジッタも何も言わなかった。いつもはおどけるアリーチェさえ、事情を聞くと口を閉ざして……何も言ってくれなかった。
 ジュストがルミエール王国へ戻らなくてはいけないと嫌でも思い知らされる。
「ルーチェ?」
 ノックの音と、ジュストの声に……ルーチェは身体を起こしてベッドに座った。
 返事もできないまま固まっていると、控えめにドアが開いてジュストが中を覗き込んでくる。ルーチェが起きているのを確認すると、そっと中へ入ってきた。
 しかし、ルーチェはベッドに座ったまま、ジュストはドアのところに立ち尽くしたまま、何も言わない。
 何か……言わなくてはいけないのに。
 ルーチェは1つ深呼吸をして、少し顔を上げた。

「クロヴィスさん、だっけ? いつ、迎えに来るの?」
「ルー、チェ……?」

 ジュストの瞳が戸惑いに揺れたのが、離れていてもわかった。

「ほ、本当に王子様だったんだね。私、王族の人に会うなんて一生ないと思ってた。マーレ王国の国王様や王子様だって本当に遠くからしか見たことないのに、こんな田舎の診療所にルミエール王国の女王様が来るなんてびっくりだよね?」

 違う。言いたいのは、こんなことではないのに。

「ジュスト、ちゃんと元の生活に戻れるね? あ、王子様は料理や掃除はしないんだよ。ちゃんとお別れ会しようね。そのときは、私が料理作ってあげるから。楽しみに――」
「ルーチェ!」

 流れ続ける言葉を止めたのはジュストだった。震えて……いる?

「ルーチェは、僕のこと……婿じゃなくても、好きって思ってくれてると思ってた。ネコとしてなら、好きでいてくれるのかもって。でも、違ったの? 僕が、出て行っても……いいって思ってるの?」

 ジュストはふらりとベッドへ向かって1歩踏み出した。

「ジュ、スト……」

 ルーチェは後ろへ身体を引いたが、すぐに壁に背中がくっついた。ジュストがベッドに膝をつくと、その重みでベッドが沈んでルーチェの身体と……心が揺れた。

「さよなら、しても……悲しくないの?」

 ジュストの指先がルーチェの頬に触れた。
 それは、今までで1番……悲しい温度な気がした。
 ルーチェは唇を噛んで、俯いた。

「ねぇ、ルーチェ。僕――」
「悲しくない」

 できるだけ声が震えないように、ルーチェはお腹に力を入れた。

「ジュストがルミエール王国に戻るのは、自然なことでしょ。それに、魔法のことも、ルミエール王国でなら……王族の人ならわかるかもしれないし。ジュストは人間に戻りたいんでしょ?」

 結局、ルーチェは薬を作ることしかできなかった。その効果がどうして長くなったのかも原因は謎のまま……これ以上、ルーチェがしてあげられることはないように思えた。
 ジュストはきちんと人間に戻るべきだ。きっと、ジュストの故郷ルミエール王国でならそれが可能だろう。
 薬に頼る生活を終わらせる、ジュストを外の世界へ送り出す……いい機会。

「ジュストにはジュストの居場所があるの」

 ルーチェの隣では、なく――

「……わかったよ。クロヴィスは、1週間後って言った。僕、ちゃんと帰るから……」

 スッと、ジュストの熱が離れていく。
 ルーチェはギュッと目を瞑った。ジュストを見たら、その熱に手を伸ばして引き止めてしまいそうだったから。

「おやすみ、ルーチェ」

 ドアが閉まる音と同時に、ルーチェの瞳から涙が零れた。

「っ……ぅっ……」

 ルーチェは口に手を当てて声を押し殺して泣いた。
 ――「さよなら、しても……悲しくないの?」
 悲しくないわけがない。
 同じ家にいても、ジュストが家族として振舞うだけで寂しくて苦しかったのに。
 ジュストが一緒に眠ってくれないだけで、目を閉じることさえうまくできなかったのに。
 ジュストがこの家から出て行ったら?
 一生、会えなくなったら?
 ルーチェはどうなってしまうのだろう?
 拭っても、拭っても……涙は止まってくれなくて。
 泣いたときはいつもジュストが抱きしめてくれたのに、その温もりもない。
 それが、ルーチェの悲しみに拍車をかけて、彼女は枕に顔を埋めて泣き続けた。
 一晩中、ずっと――
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