恋の嵐に乱されて

皐月もも

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1巻

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   第一章


 シンと静まり返った教室――絵の具の匂いが立ち込め、生徒たちのキャンバスにあざやかな世界が広がっていく。だが、ルナのキャンバスは先ほどからずっと変わらない。まるで、彼女の時間だけが止まってしまったみたいだ。
 ピリピリした教室の空気には慣れているはずなのに、今日はとても息苦しく感じる。

(あと二ヶ月しかないのに……)

 そう思うと、また焦燥しょうそうかんに襲われ、彼女の手は完全に動かなくなってしまった。
 ルナは、フラメ王国に留学に来ている十七歳の美術学生だ。
 フラメ王国は芸術活動のさかんな国で、多くの留学生を受け入れている。祖国のヴィエント王国でも美術学校に通っていたルナ。彼女は約十ヶ月前、学生生活の最後の一年を、フラメ王国の学校で学びたいと希望した。それを快諾かいだくしてくれた両親のおかげで、ルナはここにいる。
 ヴィエント王国では成績が良く、コンクールで賞を取ったこともたくさんあった。だから、自信過剰だった部分もあるのかもしれない。
 留学当初の、何もかもが新鮮でウキウキしていた気持ち――それは、フラメ王国の美術レベルの高さに圧倒されて、すぐにしぼんでしまった。
 フラメ王国の学校ではあざやかで大胆な色遣いの作品が多く、ルナの絵はもれてしまう。評価してもらえるのは、真面目な授業態度と作業の丁寧さくらい。作品が地味すぎて、コンクールに出しても審査員の目に留まらないだろう。
 ルナはそれでも自分なりに試行錯誤し、課題もこなしてきた。そして、コンクールにも挑戦し続けている。だが、留学期間も残り二ヶ月と少しというところで、さっぱり絵が描けなくなってしまったのだ。

(最後のコンクールなのに……)

 いや、おそらく最後だから――今度こそ入賞したい、何か結果を残して帰りたいという気持ちが強すぎて、ダメなのだろう。
 最近では、コンクールに出す作品の製作はおろか、普段の授業にまで支障が出ている。考えれば考えるほど、どんな形も色も陳腐ちんぷに思えて、筆が進まない。
 それなのに、せまる課題の提出期限とコンクールの作品提出日が、ルナの中に新たなあせりを生み出す。この負の連鎖をどう断ち切ればいいのだろう。
 今日も、ルナが考えている間に時間は過ぎ、授業終了のチャイムが鳴ってしまった。強張こわばっていた身体から力が抜けていく。
 しかし、その後に「また描けなかった」という情けなさと、時間を無駄にしたという後悔が襲ってきて、ルナは大きくため息をついた。

「ルナ、大丈夫?」

 右隣に座っていたイルマが、声をかけてくる。彼女は、ルナと仲良くしてくれているクラスメイトの一人だ。垂れ目のおっとりした顔で、表情や仕草がとても上品な美人。ウェーブがかかった茶色の髪を、授業中はいつも三つ編みにしている。

「ここのところ、授業で全然描いていないし、色もらしくないわね。この課題、評価に大きく響くけれど……」

 心配しつつも、厳しい現実を思い出させるイルマの言葉に、ルナは自分の描きかけの絵を見つめる。描きかけと言っても、蓮華れんげの花にちょっと赤色の絵の具をのせただけで、ほとんど進んでいない。

「うん……なんとか、する……」

 ルナは力なく笑って答えたが、どうしたらいいのかさっぱりだった。

「ルナ、また描けてないのか?」

 二人の会話を聞いていたらしい左隣の男子生徒も、ルナの絵を見て表情をくもらせる。

「思い詰めると良くない。気分転換も必要じゃないか? 次の休み、美術館に――」
「気分転換なら、美術からは離れた方がいいでしょう?」

 すかさずイルマが指摘すると、彼はムッとした顔になってしまった。すると、他の生徒たちもルナの周りに集まり出し、彼女の周囲は一気に騒がしくなる。

「だったら、うちのお茶会に来るといいよ。お母様のれる紅茶はリラックス効果があって――」
「コンサート鑑賞は? チケットが二枚あるんだ」
「二枚って、お前、抜け駆けは――」

 皆、がやがやと一斉に話すせいで、ルナは誰が何を言っているのかわからない。
 だが、皆が自分を心配してくれていることだけはわかって、とても嬉しくなる。
 多くの留学生を受け入れているとはいえ、少々閉鎖的なところがあるというフラメ王国で友達ができるか、留学する前は不安だったのだ。しかし、ルナの心配はこの通り杞憂きゆうに終わった。

「皆、ありがとう。でも、休みはこの課題をやらないと……せっかく誘ってくれたのにごめんなさい」

 やんわり断ると、皆が残念そうな顔になったので、ルナは慌てて言葉を付け足す。

「だけど、嬉しいのは本当。あの……気持ちだけ受け取るね」

 そうすると皆も納得したのか、一様に笑みを浮かべる。それから、彼らはそれぞれルナにはげましの言葉をかけて、席に戻っていった。

「人気者は大変ね」

 クスクスと上品に笑うイルマに、ルナは肩をすくめる。

「皆、私が留学生だからいろいろ気にかけてくれるだけよ。けど……なんだか気を遣わせているみたいで悪いな……」
「そんなことないわ。ルナってお人形さんみたいに可愛いから、つい構いたくなるのね。でも、その分心配になるわ。城下町で変な人について行ったりしてはダメよ?」
「もう、子ども扱いしないで!」

 冗談交じりの友人の言葉に、ルナは頬をふくらませる。イルマはそれにも笑って、道具を片付け始めた。

「ほら、早くしないと、次の授業に遅れてしまうわ」
「うん」

 イルマにうながされ、ルナも片付けをする。
 すべての道具をカバンにしまい込み、それを持って教室を出た。
 授業時間の合間は教室移動のため、廊下に生徒がたくさんいる。
 生徒たちの中には、留学生のルナを嫌な目でじろじろ見る者もいるが、それはフラメ王国の国民性によるものだ。
 ここフラメ王国や、ルナの祖国であるヴィエント王国がある大陸は、四つの大きな国に分かれていて、それぞれ特有の魔法を使える人々が住んでいる。
 フラメ王国は炎属性の魔法を操る民族で、かつては攻撃的な人種として知られていた。今もその名残なごりは濃く、中には炎属性にほこりを持つあまり、それ以外の属性を嫌う過激な人間もいる。
 ルナは、ヴィエント王国特有の風属性を持つ。そんな彼女をこころよく思わない生徒は、保守的な家庭の出なのだろう。

「なんだか物騒ね」
「え?」

 一緒に歩いていたイルマがふいに呟き眉をひそめたので、彼女の視線を辿たどる。すると、鶯色うぐいすいろの制服――フラメ王国の軍服をまとった男性が、教師と話し込んでいるのが見えた。

「あ……軍人、さん?」
「ええ。この前の盗難事件、うちの学校の生徒のものだったでしょう?」

 イルマが言う盗難事件とは、前回のコンクールで最優秀作品だった絵が盗まれた事件のことだ。学校中でうわさになっており、次のコンクールが近づいているこの時期、皆の不安が大きくなっていた。

「うちの学校の卒業生の作品も、なくなったって話よ」
「それって、コンクールとは別の?」
「ええ」

 美術品盗難事件の被害にったのは、学生の作品だけではない。そのため、学校だけではなくちまたでも騒がれている。
 とても深刻そうな面持ちの教師と軍人は、とある教室に入った。あそこには、生徒の作品が保管されている。もしかしたら、犯行現場なのかもしれない。
 ルナは不安でドキドキしながら、彼らが入っていった教室の前を通り過ぎた。
 学校の課題すらまともに描けなくなった自分の作品が、盗まれることはないと思いつつ、やはり心配になる。
 絵画に限らず、芸術作品には作者の心がもっている。だから……それを盗まれてしまうなんて、他人事でも悲しい。
 ルナは更に落ち込んだ気分になり、足取りも重く、次の授業に向かうのだった――


 結局、その日もほとんど作業が進まないまま授業は終わり、ルナは一度宿舎に戻った。
 そして、絵を描くのに必要な道具だけを持ち、庭に出る。
 今日みたいに午後の早い時間に授業が終わった後や、学校が休みの日は、こうして外で絵を描く。自分が風属性のせいか、外の空気の流れを感じながら絵を描く方が落ち着くのだ。
 庭の片隅にある大きな木の下が、ルナの特等席。
 腰までの長い髪を耳元でひとつに結わいて、彼女はキャンバスに向かう。だが、なかなか筆がキャンバスにのらない。

(ここの赤は、もっと濃く、情熱的に……っ!)

 とにかく色を塗らなければならないという思いにかされ、ルナは真っ赤な絵の具をべたりと筆先につけた。
 以前、城下町の美術館で見た激しい色遣い。そのときの絵や、フラメ王国の華やかさをイメージし、必死に手を動かす。
 しかし、しばらく勢いで色を塗り、ふと手を止めると……ルナの口から、はぁっと落胆らくたんのため息がれた。

「ダメだ……」

 ポツリと呟いたと同時に、彼女の周りの芝生しばふがさわさわと揺れる。
 ルナはキャンバスの中の真っ赤な蓮華れんげの花を見て、首を横に振った。
 赤が濃すぎて、淡い色遣いの優しい背景には似合わない。まるで、背伸びをしてルージュを塗りたくった子供のよう。
 これも、失敗。描きかけですらなくなってしまった絵を見て、イラつく気持ち――それが更にルナの色遣いをくすませていると理解しながらも、心の奥に沈んでしまったあせりが、無意識のうちに表れる。
 ルナは持っていたパレットを芝生しばふに置いて、再びため息を吐いた。 

「下手くそ……」

 まだ乾いていないキャンバス上の色に触れると、べったりと指先が赤くれる。ルナの好まない原色は、フラメ王国の象徴である炎の色だ。

「本当に下手くそだな」

 突然頭上から降ってきた声に、ルナは驚いて上を見る。同時にガサッと音がして、すぐ近くの木の上から男が現れた。
 彼は軽やかな身のこなしで枝に両手でぶら下がり、トスッと芝生に着地する。
 鶯色うぐいすいろの軍服から、彼がフラメ王国の軍人だとわかるが、見覚えのない顔だ。
 背が高く、体格は軍人らしくしっかりしている。先ほどの一言がなければ、つい見惚みとれたかもしれない端整な顔立ちだ。
 ルナは自分の隣に立った彼を、じっと探るような視線で見上げる。すると、黒い短髪についた葉を落としている彼と目が合った。
 黒い瞳がルナを映す。目元がわずかに赤くなったかと思うと、彼はふいっと視線をらした。

「……なんだ、不躾ぶしつけだな」

 ぶっきらぼうな言葉。ルナは彼の粗暴な態度にムッとして、眉根を寄せた。

「それは私の台詞せりふです。突然、人の絵を下手くそだなんて、失礼です!」

 そう怒ると、彼は顔をしかめて「自分でそう言っていたくせに」と呟き、ルナが描いていた絵の前に立った。

「お前さ、これ……何を描きたいわけ?」
「……!」

 核心をつく質問に、ルナは答えに詰まる。

「この赤、〝嫌い〟って気持ちがにじみ出てる。背景の色ははっきりしないし、ぼやけてるな」
「それは……ヴィエント王国のスタイルで……こういうぼかしが、良くて……」

 ルナの言葉は尻すぼみで、説得力がない。

「確かに、こういう淡くて流動的な色遣いはヴィエント式だ。だけど、うちの美術館にあるヴィエント王国出身の画家の絵は、フラメ王国の作品に引けをとらず目立つものばかりだ」

 彼の言葉に、ルナの心がチクリと痛む。それを知ってか知らずか、彼はしゃべり続けた。

「この絵みたいに迷ってない。みんな、自分の描きたいものと、伝えたい気持ちがある。たとえば、アダ。お前も知ってるだろ? 有名なヴィエント王国の女性画家だ。あの人の絵に派手さはないけど、作品はフラメ王国民から見ても情熱的で、高い評価を得ている」

 自分の描きたいもの、伝えたい気持ち。それらがわかっていないルナには、彼の指摘はひたすら耳に痛かった。

「お前の絵は気持ちで負けてる。自分の色に自信がないんだろ?」

 彼の指摘に、ルナは息をんだ。
 自信がない――その通りだった。留学中に、なくしてしまったのだ。
 あざやかな色を自在に操る生徒たちとの授業や、自信にあふれる芸術家たちの集まる城下町。
 皆、自分の技術と作品にほこりを持っていた。その中で切磋琢磨せっさたくまして、ルナが想像していた以上の高みを目指しているのだ。限界なんて言葉は、彼らの中にない。
 そんな彼らと共に過ごしていると、ヴィエント王国という小さな場所で満足していた自分が恥ずかしくて……

「わかってます。これでもヴィエント王国では、成績は良かったんです。でも、ここでは私くらいの人……いいえ、私以上に上手い人がたくさんいて、なんだか心の中がごちゃごちゃで……」

 ――自分はどうして、こんな話をしているのだろう。
 初対面の男性、それも芸術に関係しているわけでもない軍人に、自分の心を吐露とろするなんてどうかしている。そう思う一方で、ルナの絵を見て的確に心の迷いを指摘した彼に、親近感のようなものがいていた。
 ルナは、ぽつぽつと言葉を続ける。

「描きたかったのは、フラメ王国の炎だったんです。この前、城下町で見た魔法のパフォーマンスが綺麗だったから」

 城下町でよく行われる、魔法を利用したアートのパフォーマンス。先日、買い物に行ったときに見たそれに触発され、この絵を描き始めた。留学の集大成にも相応ふさわしい上に、審査員の受けが良いかもしれないという気持ちもあった。
 蓮華れんげは魔法のみなもとの象徴。それを炎属性の赤で着色してフラメ王国の赤を表現しよう……そう思ったのだ。
 しかし、ただその情景を描こうとしても、それは上辺うわべだけの作品になってしまった。
 ルナはうつむき、自嘲じちょう気味に呟く。

「フラメ式の色遣いを真似しても、意味がないってわかってるのに」

 フラメ王国のスタイルにならって赤を使ってみたところで、〝審査員の好みに合わせたほうがいいかもしれない〟なんてよこしまな気持ちでは、んだ色になるわけがなくて……

「私には炎の魔法が使えないから、わからないのかな……」

 ルナが使う魔法の属性は風なので、炎の温度なんてわからない。

「使えるか使えないかは関係ない。言っただろう? 気持ちで負けているって」

 ルナの話を聞いていた彼は、そう言うと手のひらに炎をともしてルナに差し出した。

「芸術は感性、本能だ。お前が炎を感じたいと思わなきゃ、こたえてくれない」

 目の前に灯る炎はゆらゆらと優しく揺れて、ルナをなぐさめているみたいに見えた。その色は、ルナが使おうとしていた真っ赤なものではなく、だいだいに近い……もっと穏やかな色。
 彼はフッとそれを吹き消すと、ルナの絵を見据え、キャンバスを指でなぞった。

「芸術家は、恋をすると変わるって言うけどな」
「え……?」

 ポツリと落とされた言葉。ルナが彼に顔を向けると、彼は前髪をくるくるともてあそびながら、口を開く。

「ほら……アダも、ある頃から作風が変わっただろ? それまでも人をきつけていたが、更にあざやかになった。その後、彼女が結婚して……その変化が出た頃には恋をしていたんだって、皆が納得したという話があるくらいだ」
「はぁ……」

 ルナは曖昧あいまい相槌あいづちを打った。
 美術史の授業で勉強したアダの作品は、確かにあるときをさかいに華やかさが増した。その時期を彼女の人生と照らし合わせると、結婚という節目に当たると、教師が説明していたのも覚えている。しかし、本人がそう言った記録があるわけでもないし、それが偶然か必然かは定かではない。
 そもそも、彼はどうしてそんな話を自分にしているのだろうか。
 すると、ルナの心中の疑問に答えるかのように、彼がルナに向き直る。

「だから、その……お前、恋人はいるのか?」
「恋人、ですか?」

 突然振られた話題にうまく頭がついていかず、ルナはそのまま聞き返す。

「付き合っている相手や、好きな奴がいるのかって聞いている」
「そ、そういう人は……いません、けど……」

 困惑しつつもルナが答えると、彼は咳払せきばらいをして、くしゃりと前髪を握った。それから視線を絵に戻し、言いにくそうにしながらもしゃべり出す。


「なら、俺がお前の恋人になる」
「へ……?」

 また突然な結論に、ルナはほうけた声を出した。彼女は話の流れが読めず、まじまじと彼の横顔を見つめる。
 目の前の軍人は、木の上から降ってきて、ルナの絵を下手くそだと言った。そのくせ、ルナの絵を見て本心を言い当てるので、それにうながされるように悩みを吐き出したら、「芸術家は恋をすると変わる」と……
 つまり、ルナが芸術家として成長するため、彼が恋人になるということだろうか。

「おい、ルナ」

 考え込んでしまったルナを呼ぶ声に、彼女はハッと顔を上げる。

「え……? あ……どうして、名前を……?」

 そう言うと、彼は口元に手を当て、視線を泳がせた。

「それは……今、扱ってる案件が美術品盗難事件だから、いろいろ学校を調べていて、その関係上だ」
「もしかして、卒業生の作品がなくなったっていう……?」
「ああ、そうだ」

 なるほど、彼がコンクールや学校に関連する事件を調べているのなら、美術や学校の生徒たちについて知っているのも当然かもしれない。

「生徒のことも把握はあくしてる。仕事の一環だ」
「そうなんですか」

 彼の説明に納得し、ルナは頷いた。途端、彼は彼女を見つめてまた口を開く。

「それで、返事は?」
「え……?」

 再びルナがほうけた返事をしてしまったせいか、彼は顔をしかめる。

「何か問題があるのか? 国に婚約者がいるとか?」
「いませんけど……」
「それなら問題ないな。絵、うまくなりたいんだろう? 炎の色を……俺が教えてやる」

 トクン、とルナの心臓が音を立てる。
 彼の瞳はとても真剣な色をしていて、からかっているとは思えなかった。ルナは言葉に詰まったものの、すぐに我に返って首を横に振る。

「絵はうまくなりたいです。でも、こういうやり方ではなくて……あの、それに、貴方あなたに迷惑をかけるわけにはいきませんし……」

 恋をしたら何かが変わるというのは、安易ではないだろうか。もし本当にそうだとしても、好き合っているわけでもない偽恋人で効果があるのかはなはだ疑問だ。
 それも、つい今しがた出会ったばかりの男性と……そう考えると、二つ返事で了承はできなかった。だいたい、彼にそんなことをしてもらう義理も理由もない。

「迷惑なわけがないだろう、俺から言い出しているのに!」

 ところが、彼は少し声を荒らげてルナの遠慮を責める。ルナは思わずった。

「だ、だって、恋人って好きな人のことでしょう?」
「そうだ!」

 彼は強く言い切ったかと思うと、顔をそむけてしまった。
 そのまま何やらブツブツと呟いているが、ルナにはよく聞こえない。ただ、彼の中で恋人を演じる話が進んでいることだけは、雰囲気から理解できた。

「あ、あの! やっぱり恋人は――」

 ルナが彼を止めようと身を乗り出して声をかけた瞬間、ピリッと空気が揺れて熱くなった。それに驚いたルナは、思わず言いかけた言葉をみ込んでしまう。

「あいつ……!」

 彼が慌てて人差し指に炎をともす。フラメ王国の人々が使う、魔法による伝達手段だ。炎を介して会話ができるのは、高等教育を受けた者達だと聞いている。軍人にとっては必須なのだろう。

『おーい、ケヴィン。どこほっつき歩いてんだ? 学校側の許可が取れたぞ。潜入捜査は――』
「お、おい! そんな無用心にしゃべるな!」

 ケヴィンと呼ばれた彼は、チラリとルナの方を見た。そして彼女の視線からのがれたいと言わんばかりに背を向ける。
 途端に、ルナの全身から力が抜けた。
 潜入捜査――きっと、ケヴィンは学校に潜入するために敷地内を調べていたのだ。そこで捜査の手掛かりを探していた彼は、ルナを見つけた。
 軍服姿で学校内を歩くと目立つだろうし、ルナと知り合いになれば、学校にまぎれ込むことも楽になるはず。

(なんだ……そっか)

 そう推測したルナは納得と共に、なぜか沈んでしまった気持ちを持て余し、ため息をついた。急な話に驚いたが、こんなに慌てることはなかったのだ。
 ケヴィンも最初から、捜査に協力してほしいと言えば良かったのに……
「恋人」という言葉に踊らされた気がして、ルナはケヴィンをうらめしそうに横目で見る。
 彼は、まだ小声で炎の向こうの男性と話をしていたが、振り返りルナの視線に気づくとハッとしたように、「じゃあ後で」と話を切り上げた。

「そんなに慌てなくても大丈夫です。協力はしますから」

 そんなケヴィンに、ルナは苦笑しつつ声をかける。

「は? 協力……?」
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