『戦国水幻録 ―水神蒼蓮、史に残らぬ剣―』

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第弍章

炎の城主との誓い

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永禄五年、春。
木曽川の流れが、雪解けの水を携えて下る季節。

蒼蓮は、尾張の国境近く――美濃との境を巡る村々を流れていた。
このあたりは織田と斎藤の小競り合いが絶えず、里人たちは怯え、旅人の姿もまばらである。

だが、そんな空気を物ともせず、川辺の茶屋で煎餅を齧る男が一人。

「……ん~、うめぇ……これだけでもう、今日一日分の幸せって感じだな」

水神蒼蓮。
冗談を口にしながらも、周囲への注意は怠らない。

その鋭敏な感覚は、彼の耳にある“気配”を捉えていた。

「……戦の匂いだな」

川の向こう側。小高い丘の上に、小さな砦のような屋敷が見える。
蒼蓮の目が細められる。

「兵の動きが早すぎる……籠城じゃねぇ。奇襲か」

村を守る小豪族、もしくは小城主。
だが敵は、それを囲むように山腹から動いている。

「ったく、また面倒な場面に出くわしちまったな……」

茶屋の婆が戸の影から蒼蓮に言う。

「お客人、早く逃げなされ。あの城は、もうすぐ落ちますじゃ」

「……どういうことだ?」

蒼蓮が尋ねると、婆は語った。

「あれは“炎の城主”と呼ばれた男の最後の砦ですじゃ。かつては美濃で敵なしと言われたが、主君に背いたことで追われております。あの城に籠ったはいいが、もはや援軍もなく……」

「“炎の城主”?」

「あい。名を、**赤座景久(あかざ・かげひさ)**と申します」

蒼蓮の眉がわずかに動く。

「聞いたことがあるな。槍と太刀、両方を自在に使う戦場の鬼……か」

「強いのですじゃが、強すぎたのです。主の命にも刃向かったと……」

そのとき、遠くで狼煙が上がる。

山の尾根から、敵の兵が一気に動き出したのが見えた。

「奇襲か……」

蒼蓮は立ち上がった。

「……婆さん、茶代は払っとく。あんたも早く避難した方がいい」

「え、ですがお客人……あなた、まさか行かれるおつもりでは……?」

蒼蓮は、軽く笑って背を向けた。

「いや。ちょいと、用事ができてな」

雨が降る前の土の匂いの中、蒼蓮は城の方角へと歩き出した。



砦の中では、赤座景久が最後の布陣を整えていた。
中年に差しかかる武将で、額には小さな刀傷。瞳は濁りなき灰色。

「来たか……斎藤家の兵どもめ。ようやく決着の時か」

「殿! このままでは……」

家臣が口を挟むが、景久は静かに首を振る。

「よい。我らはここまでよう戦った。ならば、最後まで我が意を通す」

「ですが、このままでは無念です……!」

「無念か……」

景久はふと、目を閉じる。

かつて仕えた主に命じられ、無辜の村を焼いた日。
兵たちの叫びと、焼けた土の匂いが、今も鼻の奥に残っていた。

「ならば、せめて……正しき剣を振るい、最期を迎えよう」

その時、兵の一人が報告を持って駆けてきた。

「報告! 敵の一部隊が壊滅いたしました!」

「……何?」

「それが……見知らぬ旅の男が、一人で敵陣に突っ込んで……!」

「名は?」

「名乗らず……“水のように消え、水のように現れた”と、兵が……」

赤座景久の目が鋭くなる。

「水……まさか、“水幻流”か……?」

「それは……?」

「いや、聞いたことがあるだけだ。だが……面白い」

景久は立ち上がり、愛用の槍と刀を取る。

「その男、連れてこい」

「ですが戦が──」

「戦は終わった。あとは、剣士として、男として……その男と語り合いたい」



山城の中庭に、二人の剣士が並んだ。

「見事な腕前だ、旅の剣士よ」

「そっちも……“炎の城主”って二つ名に違わぬ気迫だった」

「名を聞かせてくれるか?」

「……水神 蒼蓮」

「やはり。ならば、こちらも名乗らねばなるまい。赤座景久。かつて美濃の赤鬼と呼ばれた」

「どうする? 俺は助けに来たわけじゃねぇ。そっちが望むなら、今すぐ去る」

「いや。私は戦いたい。お前という剣士と、武人として」

景久が静かに槍を構える。

蒼蓮もまた、腰の太刀を抜いた。

雨が、ふたたび降り出していた。
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