『戦国水幻録 ―水神蒼蓮、史に残らぬ剣―』

SG

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第弍章

炎の城主との誓い

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砦に、静寂が戻った。

一夜明け、敵軍の足音は消え、山肌にただ霧がかかっていた。
斎藤家の兵は、赤座景久の兵を倒しきる前に、撤退したのだ。

理由はただ一つ。
「正体不明の剣士が、一人で十数名を瞬時に沈めた」という噂が、敵陣に恐怖をもたらした。

「鬼よりも恐ろしい“水神”が現れた」と──

それが水神蒼蓮にとって、初めて歴史に残らない“武功”となる。



砦の奥。
赤座景久は、火の灯る仮設の間にいた。

肩に浅い傷。手当を受けながら、蒼蓮の言葉を繰り返していた。

「“名が欲しいなら戦に行け”。……だが、名などよりも、我は武に忠を尽くしたかっただけだ」

景久の目に、若かりし日が浮かぶ。

己が槍で守った城。
己が刀で斬った者たち。
主の命に逆らってまで、守ろうとした民たち。
だが──報われることはなかった。

その人生に、たった一度だけ、己の“武”を認めてくれた剣士がいた。
水神蒼蓮。その名を、景久は胸の中で何度も唱えた。

「……あの男が、我が剣の最後の相手でよかった」

そう言って、目を閉じた。

そしてそのまま、二度と開くことはなかった。



数日後。

村の外れ、小さな無名の墓標が立っていた。
誰が建てたかもわからぬ、名前の刻まれていない墓。

その傍らに、一人の旅人が立っていた。

水神蒼蓮だった。

「炎の城主、赤座景久。名は刻まれなくても、その剣は、俺が覚えてる」

蒼蓮は静かに頭を下げると、手にした竹筒の酒を墓前に注いだ。

「……剣で生きて、剣で死ぬ。馬鹿な生き方だけどさ……あんたの剣は、間違ってなかった」

雨が、また降り始めた。

蒼蓮は踵を返し、山道へと戻っていく。

そしてその背に、小さな声がかかった。

「……水神様……!」

澪だった。
親戚の家へ向かったはずの少女が、爺やとともに村へ戻ってきたのだ。

「お前……もう無事な場所にいるんじゃなかったのか?」

「気になって、戻ってしまいました……あなたが、無事かどうか……」

蒼蓮は少しだけ表情を崩し、頭を掻いた。

「俺は大丈夫さ。まだ、“命”は預かってないからな」

「……命、預けたつもりでしたけど」

その言葉に、蒼蓮はわずかに目を細めた。

「……あんまり、そういうことは気軽に言うもんじゃねぇぞ」

「冗談です。……でも、きっとまた会えると思いました」

「それは……俺が強いからか?」

「いえ。あなたの剣が、人を斬る剣じゃなかったからです」

蒼蓮は言葉を失ったように立ち尽くす。

「また、どこかで──」

澪が深く頭を下げ、背を向けた。

そしてその後ろ姿を、蒼蓮は最後まで見送った。



彼の背に、赤座景久の言葉が残る。

「誰か一人でも、覚えていてくれるなら、それでいい」

蒼蓮は、空を見上げた。

名を残さず、剣だけを残した男の墓。
そして、また一人、その剣を心に刻んだ少女。

水神蒼蓮の旅は、まだ始まったばかりだった。
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