『戦国水幻録 ―水神蒼蓮、史に残らぬ剣―』

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第参章

風に舞う刃

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月が雲間に隠れる。
風が静まり、山は呼吸を止めたかのようだった。

そして――
「……行くぞ」

十河晴影(そごう・はるかげ)が、瞬きする間に間合いを詰めた。
風のような踏み込み。山の中とは思えぬ滑らかな足取り。

「水神、構えを見せろ!」

蒼蓮は返さず、ただ一歩後退する。
その一歩が、まるで水を引くような柔らかさ。

そして、

「《水幻流・壱ノ型──浮葉》」

地を滑るように体を流し、十河の突きをかわした。
一拍遅れて、蒼蓮の太刀が脇から切り込む。

だが、

「──遅い」

十河は、振り向くより先に風の流れを感じ、身をひねって回避。

斬撃の軌道を読み切った上で、鋭く脇差を突き出してくる。

(……見切られた?)

蒼蓮は眉を動かすと、反転して距離を取る。

「驚いたな。あんた……風を読むんじゃない。風に乗ってる」

十河は応じず、静かに踏み込んでくる。
その動きには、剣の“間”を一切感じさせない。

「……《水幻流・参ノ型──逆流》!」

蒼蓮の剣が、まるで流れを逆巻くように弧を描き、十河の右手を狙う。

だが、十河は手の内を返すだけでそれをかわし、空いた左手の脇差を振り下ろす。

「ちっ……!」

蒼蓮が地を蹴って跳ぶ。

一瞬、刃と刃が交錯する光が、夜の山道を白く照らす。

着地。
両者が、木立の間に静止した。

「……いい剣だ」

十河が、口を開いた。

「お前の“流れ”は、風よりも速い。だが……“意志”が剣に混じっている」

「それは悪い意味か?」

「剣は、己の心を映すもの。お前の剣には、“斬らない意志”が宿っている。……その優しさが、命取りになることもある」

「……ふぅん。確かに、あんたの剣は殺す気しかねぇもんな」

「それが“風の剣”だ。俺は六角家に仕えている。主命とあらば、たとえ百人を斬ろうと従うまで」

蒼蓮は、刀を下ろしたまま口を開く。

「じゃあ、教えてくれよ。あんたが今、俺と剣を交えてるのは、誰の命令だ?」

十河の瞳がわずかに揺れた。

「……己の望みだ」

「なら、それはもう“主命”じゃない。ただの、お前自身の願いだ」

沈黙。
風が、枝葉を揺らす。

蒼蓮は静かに構え直した。

「だったら、俺の“意志”であんたを止める。誰かのためでもなく、俺自身の意思で」

「……来い、“水神”!」

十河が再び踏み込む。

今度は、蒼蓮も踏み込んだ。

二人の剣士が交差した瞬間――

「《水幻流・伍ノ型──水輪》!」

蒼蓮の剣が渦を巻くように動き、十河の刃を吸い込む。

「なにっ……!?」

その技は、相手の斬撃の勢いを利用し、軌道ごと崩す技。

十河の脇差が逸れた瞬間、蒼蓮の太刀が十河の胸前すれすれに走った。

寸止め。

刃は、肌をかすめるだけに留まった。

「……斬らんのか?」

「斬らなきゃ伝わらねぇと思う奴には斬る。だが、あんたは違う」

蒼蓮の瞳はまっすぐ十河を見ていた。

「風は、いつも斬るもんじゃねぇ。流れを変えることもできる」

十河はしばらく沈黙した後、刀を納めた。

「……負けだ。だが、納得できる負けだ。あの六角の命令より、ずっと意味がある」

「ありがとな」

蒼蓮は肩の力を抜いた。

「……あんたの剣、もったいねぇな。風を読む剣なんて、そうはいねぇ」

「俺は、もう戦をやめる。主のために斬るのではなく、己のために斬らない道を選ぶ」

蒼蓮は、十河の前をすれ違いながら、ひとつだけ言葉を残した。

「またな。次に会う時は、剣じゃなくて、酒にしようぜ」

「……ああ、水のように静かに酔えるといいな」

二人の剣士は、逆方向に歩き出す。

一人は風をやめ、一人は流れを進み続ける。

その後ろ姿に、月明かりが再び降り注いだ。
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