『戦国水幻録 ―水神蒼蓮、史に残らぬ剣―』

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第四章

猛虎の剣

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明石国行が去ったあとの山には、また静寂が戻っていた。
水神蒼蓮は、大岩に腰をかけ、じっと空を仰ぐ。

(……剣ってのは、本当に厄介だ)

戦えば戦うほど、相手の「想い」が刃の重さに宿る。
赤座景久の矜持。十河晴影の葛藤。そして明石国行の衝動。

(みんな……“何か”を背負って剣を振ってる)
(じゃあ、俺は……)

ふと風が吹き、竹の葉がさやりと音を立てた。



夜――

焚き火を前に、蒼蓮は一人、飯を炊いていた。
戦いの余韻は体からまだ抜けきらず、手足に鈍い疲労が残っている。

そこに、一人の影が現れた。

「……しばらくですな、水神殿」

「……ああ。懐かしい顔だな。卜伝の弟子……いや、かつてのな」

現れたのは、かつて塚原卜伝の門弟だった男――志摩弦介(しま げんすけ)。
今は浪人として各地を漂っているが、蒼蓮とは旧知の間柄であった。

「どうした、こんな山奥まで」

「卜伝様から、伝言を預かっております」

蒼蓮の眉が僅かに動いた。

「……あの爺さん、まだ生きてんのか」

「ええ、いまだ健在。隠棲したとはいえ、剣に関しては鋭さを失っておりません。
ですが近頃、こう仰せでした――
『水神が己の“奥義”を完成させた時、わしと再び会え』と」

蒼蓮は目を閉じる。

(……あの人が、奥義に触れるとはな)

「……まだ、完成してねぇよ。“水葬(すいそう)”は……まだ足りねぇ」

志摩は静かに頭を下げた。

「その答えも含め、いずれ“戦”で示される時が来ましょう。……備えておいてください」

「……ああ。言われなくても、分かってる」

焚火の火がパチリと弾けた。

「そういや、卜伝は今どこに?」

「常陸に戻られたと聞いております。ですが、正確な居場所は、私にも分かりません」

「……らしいな。気まぐれで、どこにでも現れる爺さんだった」

志摩はそのまま立ち上がり、夜の闇に身を隠すように去っていった。

蒼蓮は、焚火を見つめながら呟く。

「卜伝。あんたと最後に剣を交えたのは……十七の時だったか。あん時は手も足も出なかったな」

(だが、今なら……)



数日後、蒼蓮は播磨を離れ、山陽道を東へと進んでいた。

途中の宿場で、澪の話が耳に入る。

「最近、備中方面で名門の娘が無事に親戚の屋敷へ入ったらしい。戦火を逃れてな……」

(……澪、無事か)

胸の奥に、そっと温かいものが差す。
だが、それもすぐに水に流す。

今は剣の旅が先。



そして、京の都。
そこにて、偶然の邂逅が訪れる。

夕暮れ時、町外れの茶屋。
一人、茶をすする蒼蓮の隣に、何の前触れもなく腰を下ろす男がいた。

「……久しいな、水神」

「……まさか、ここで会うとはな」

その男――塚原卜伝。
世に知らぬ者なき剣聖。
齢は七十に近いが、佇まいには隙がなく、目の奥には現役のままの“刃”が宿っている。

「風の剣も、猛虎の剣も味わったようだな。……次は、“我が剣”か」

「……決着をつけるつもりか?」

「否。決着ではない。“問答”だ。お前の“流れ”と、わしの“理”がどこで交わるのか……試してみたくなっただけよ」

蒼蓮は目を細める。

「……戦うのは、今か?」

卜伝は首を振る。

「否。“最後”だ。……お前が、己の剣を極めたその時。
“水葬”を真に使いこなした時が、その刻よ」

「……なら、待ってろ。必ず“完成させて”見せる」

卜伝は薄く笑い、席を立つ。

「水は、形を持たぬ。だが、形なきものこそ、最も恐ろしい……」

その背が、夕暮れに消える。

蒼蓮は、最後に一口だけ茶をすすり、ゆっくりと立ち上がった。

(……次は、誰が流れに逆らうか)

水神蒼蓮の剣は、再び東へ。
流れは、戦国の渦へと繋がっていく。
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