『戦国水幻録 ―水神蒼蓮、史に残らぬ剣―』

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第五章

氷花の剣

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神社の境内をあとにし、蒼蓮は再び山道を歩いていた。
冷たい風が吹き抜ける谷間、木々の間から遠く諏訪湖の湖面が見える。

「……人を守る剣、か」

足を止め、蒼蓮は呟いた。
先ほどの剣士――名も名乗らず、剣を振るわずに村を守る男。
だが、あの静かな構えには、確かな“覚悟”があった。

(俺が目指してるのは……そういうもんかもしれねぇな)

“奥義”――水幻流最終にして唯一の無手の技「水葬」。
蒼蓮は未だ、その完成に至っていなかった。

「……水は全てを受け入れ、全てを包む。だけど……押し流す強さもある」

その強さを、どうすれば“手”に込められるか。
蒼蓮の胸には、まだ答えがなかった。



数日後。

蒼蓮は、信濃の宿場町で偶然、懐かしい声を耳にする。

「──お嬢様の行方が、再び知れなくなったそうだ」

酒場の隅で、二人の男が密やかに話していた。

「今度は尾張のほうへ向かったとか。親戚の家にも姿を見せていないらしい」

蒼蓮の動きが止まった。

「……澪?」

声を漏らさずにはいられなかった。

(まさか……また逃げたのか?)

蒼蓮は、その足で尾張方面へ向かう旅を始める。

だが、それが――敵の罠であることには、まだ気づいていなかった。



尾張の国境、森を抜けたあたりの谷間。
蒼蓮は、気配を感じて立ち止まった。

「……いるな」

草むらがわずかに揺れ、数人の影が姿を現す。
黒装束に身を包んだ、忍の一団。
だが、ただの間者ではない。殺気が異様だった。

「水神蒼蓮。ここより先には、行かせぬ」

「へぇ、名乗る暇も与えてくれないのか」

「貴様が追う“姫”には、近づかせん。主命だ」

「なるほど。澪を……狙ってんのか」

刹那、蒼蓮の顔から笑みが消えた。

「おい、野郎共。教えてやるよ。俺が“何のために”流れてるかをな」

腰の太刀を、静かに抜く。

「……水幻流、《伍ノ型──滝落》!」

跳ぶように前に出て、斬撃を真上から振り下ろす。
その一撃は、まるで落下する滝のように、一直線に敵の中心を貫く。

「ぐっ……!」

一人、二人……影が地に沈む。

しかし、蒼蓮は剣を止めない。

「《弐ノ型──波返し》!」

地面を這うような低い斬撃で、背後から襲い掛かる者を薙ぎ払う。

(澪に、指一本触れさせるかよ……)

その怒りが、蒼蓮の気をさらに研ぎ澄ます。

最後の一人が、焦りの中で印を結びかけた。

「──遅ぇよ」

蒼蓮の手から剣が離れる。

だが、代わりに彼は構えた。無手の構え。

両掌を合わせ、低く構える。

「《奥義──水葬》……いや、“未完”の水葬」

踏み出した一歩の流れとともに、全身の力が掌へ集まり――

「うおっ……!」

衝撃と共に、掌底が敵の胸に突き刺さるように当たる。
体内に流れ込むような“気”の圧力。
まるで、水に沈められるような感覚。

男は、声も上げられずその場に沈んだ。

蒼蓮は、ゆっくりと構えを解く。

「……まだ“完成”じゃねぇ。でも……一歩、近づいたな」



敵の持っていた密書から、蒼蓮は事実を知る。

澪の親戚――その一門の中に、敵の手先がいた。
澪は、自らの意志でそこを離れ、再び身を隠したという。

(アイツ……逃げただけじゃねぇ。俺に何か伝えようとしてる)

そして、密書の裏に記された小さな印。

蒼蓮はそれを見て、はっとする。

(……この符、斎藤家のものだ)

かつて赤座景久が仕えていた、斎藤家。
澪の父の因縁が、まだ終わっていなかった。



雪解けの信濃を離れ、蒼蓮は西へと向かう。
その胸に残る、冷たい“迷い”と、“守れなかった者”への痛みを抱えながら。

だが同時に、心の奥に、確かな“熱”が生まれつつあった。

(……澪。次に会ったときは、ちゃんと伝えるぜ)

(……俺の剣は、もう“誰かのため”だけのもんじゃねぇ。お前のためでもある)
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