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第5章 狂えるオルランド
1 ズマラ王子ダルディネルの死
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パリ攻防戦はフランク王国側の勝利に終わり、サラセン帝国軍は撤退を余儀なくされた。
軍の士気は著しく低下しており、今は殿軍を務めるズマラ王子ダルディネルが、どうにか敵の追撃を食い止めているという有様だ。
急ごしらえのサラセン軍の天幕にて。
アフリカ大王アグラマンの下に次々と届けられる、旗色の悪さを匂わせる報告。彼はフウと溜め息をついた。
「あらそう……ロドモンの奴、くたばったのねェ。
あァ~羨ましい! アイツみたいに何も考えずに生きて、何も考えずに死ねる奴ってきっと幸福よね。
一番苦労するのって、生き残って事後処理やらされる人たちなのよ。死んだ奴らを悼む必要はないわ。だってあの世で好きなだけ酒が飲めるんだから」
イスラムの教えでは飲酒を禁じている。だが死後の世界、飲んでも酔わない美酒の川があるとされる。彼はそれを皮肉っているのだ。
アグラマンが密かに放った斥候の言によれば、ロドモンの着ていた鱗帷子の出所は不明であるという。少なくともグラナダ王女ドラリーチェ姫からの贈り物などではない事は確かだ。何故なら彼女の部隊は何者かの手によって、一夜にして壊滅の憂き目を見たというのだから。
「ダルディネル様の奮戦ぶりは凄まじいモノがあります」
大王の腹心、ガルボの老王ソブリノが言った。
「しかしいつまでも保つとは……引き際を誤らねばよいのですが」
「もし死んだら、彼もそこまでの将って事よね」
アグラマンは冷淡に答えた。
「スペイン王マルシルと連絡を取りなさい。彼は確かマイエンス家ガヌロンと親交があったわよね。戦の落としどころを探るのにアイツは役立つハズだわ」
「御意――」ソブリノは頭を垂れた。
**********
ズマラ(註:リビア東部キレナイカ地方)の王子ダルディネルは、軍の最後尾に留まり必死で剣を振るっていた。
すでに彼の足元には、数多くのフランク騎士の屍が力なく横たわっている。ダルディネルは血に塗れながらも、その整った顔に疲労の色すら滲ませていなかった。
彼は今は亡き、アルモンテ王の嫡男である。アルモンテは古の美しきアマゾン女王ペンテシレイアの子孫であり、オルランドの所有する聖剣デュランダルと名馬ブリリアドロの元の持ち主であった。つまりダルディネルにとって、オルランドは父の仇でもあるのだ。
(フランク人どもを殺戮し続けていれば――いずれオルランドと会い見える機会が訪れよう。
我が父の仇! 必ずやこのダルディネルの手で討ち果たしてくれる――!)
「あれだけの数のフランク騎士を、いとも簡単に斬り殺せるなんて……やっぱり、ダルディネル様はすげェや!」
王子の奮戦ぶりを、瞳を輝かせて興奮気味に見ている若者がいた。
彼の名はメドロ。身分は低いが、ダルディネルに心酔している従者である。
「メドロ! 気を抜くな!」
警告と共に、彼に襲いかかろうとしていたフランク兵の頭蓋が射抜かれた。
矢を放ったのはメドロの同僚クロリダン。同じくダルディネルに仕える従者で、弓の名手である。
「ありがとうクロリダン。助かったよ」
「まったく、お前という奴は……! 見ていて危なっかしいんだよ」
そんな二人のやり取りの合間にも、ダルディネルの築くフランク人の屍の山は、積み上がっていく。
その様子を見て、ずいと姿を現した騎士がいた。クレルモン家・長兄リナルド。ブラダマンテの兄である。
「サラセン人にも多少は腕の立つ若者がいるようだな」
リナルドは若く勇ましい敵国の王子の姿に、苛立ちを滲ませつつ独りごちた。
「あのような若い芽は、大きく育つ前に摘み取ってしまわねばなるまい。
それに奴の持つ盾の紋章。あれはオルランドのものだ。気に入らぬ――!」
ダルディネルの持つ盾に描かれた紋章は、赤と白で四つに塗り分けられたモノ。奇しくもオルランドのそれと同一のデザインである。
リナルドの憎しみに満ちた言葉が耳に届いたのか、ダルディネルは大音声を張り上げた。
「オレに言わせれば、オルランドこそ我が父の紋章を奪った卑劣漢だ!
このダルディネルを倒したくば、ここにオルランドを連れて来い。彼奴の素っ首を切り落とし、奪われた物の具を奪い返そうぞ。
そして得た首級と武具を父の弔いとせん!」
「大言壮語も大概にせよ、身の程知らずの若造め!
貴殿如きにオルランドを差し向けるは役不足というものよ!
貴殿の相手はこのクレルモン公エイモンの子、リナルドで十分なり!」
すでにダルディネルは馬から降り、剣を振るい続けていたので、リナルドもまた下馬し、名剣フスベルタを抜き放った。
ダルディネルは雄叫びを上げ、リナルドに向かって剣を振り下ろした。ところが――
王子の剣はリナルドの黄金色の兜に当たって弾き返され、何の効果もなかった。
「!?」
「愚かな青二才よ。我が兜こそモーロ王マンブリーノより奪いし黄金の兜!
これを被りし者、いかなる打撃を頭に受けようが傷一つつかぬという逸品よ!」
マンブリーノの兜。セルバンテスの小説「ドン・キホーテ」にて言及される兜の元ネタである。
しかしこの兜、原典においても所有者が誰で、誰から誰へ移り渡ったか定かではない。元々はグラダッソが身に着けていたとも、オルランドが所持していたとも。スペイン人の騎士フェローが偶然にも兜を拾ったなどとも書かれている。
それにも関わらず「狂えるオルランド」では、リナルドの兜がマンブリーノの兜と言及されていたりする。一体どういう訳なのかは不明。重要なのはダルディネルの攻撃はリナルドに蚊ほども通じなかったという事だけだ。
「次はこのリナルドの番だ! 我が剣技、貴殿の拙き腕前よりは血の管を探る術に長けている事、思い知らせてやろう!」
言うが早いか、リナルドは稲妻の如き速さでフスベルタを繰り出し――ダルディネルの心臓を一息で貫いた!
「がッ…………ぶふゥ…………!?」
ズマラの若き王子は、己の胸から生えた鋭い剣を、ぼうっとした顔つきで見つめていた。
何が起こったのか理解できず、一瞬の後に鮮血が噴水のように飛び出した時――彼の意識はあっという間に遠のいていった。先刻まで覇気に満ちていた顔は青白くなり、うつ伏せにくずおれた。
途端に、かろうじて踏み止まっていたサラセン軍の士気が崩壊した。
憎悪と侮蔑の混じった無慈悲な一撃によって、頼みにしていた若武者の命が奪い去られたのだ。彼らは悲鳴を上げて逃げ惑った。
(――少しは骨があると思ったのだがな。何という期待外れよ!
今のサラセン軍にはこの程度の騎士しかおらぬのか。こんな勝利では到底、先日の屈辱を晴らすには至らぬ!)
先日の屈辱。アフリカ大王アグラマンに手玉に取られたあの戦い。
いずれ果たすと誓った復讐。その景気づけとしては余りにも物足りない幕切れ。
算を乱して逃亡しはじめるサラセン兵たちを、リナルドは追うでもなく、侮蔑の瞳でただ見据えていた。あのような弱者ども、己が剣を汚す価値もない。
「ば、馬鹿な……! あのダルディネル様が……!
簡単すぎる。呆気なさすぎる……!」
無敵と信じて疑わなかった己の主人の最期を見て、従者クロリダンは深い絶望を味わった。
しかし呆けている場合ではなかった。サラセン人の誰もが隊伍を崩し、背を向け逃走する中、一人だけリナルドに向かっていこうとした者に気づいたからだ。
「うおおおおッ! ご主人様ぁぁぁッ!
許せん! 殺す! 殺してやるゥゥゥ!!」
狂気じみた雄叫びを上げ、主の仇を討とうとしたのは――なんとメドロだった。
クロリダンは慌てて、無謀にも一人突出しようとする若い従者の身体を捕まえ、押しとどめた。
「何を考えているんだメドロ! 今のを見ただろうッ!
ダルディネル様を一撃で殺すような騎士だぞ! 何の取り柄もないお前が、どう戦うっていうんだ!?」
「しかし……しかしッ! あいつの、あのリナルドっていう騎士の! 冷たい目を見てみろ! ダルディネル様を――オイラたちの敬愛するご主人様を、まるでゴミでも見るように――!」
確かに――背筋が凍りつくほどの、氷のような冷徹さを秘めし眼だ。クロリダンは戦慄した。
あのような恐ろしい瞳を見てなお、向かっていこうとするメドロ。武芸に秀でている訳でもなく、勝算などあるまい。彼の並々ならぬ忠誠心に、クロリダンは胸が熱くなるのを感じた。
「気持ちは分かる、メドロ。俺だって悔しいし仇を討ちたい。
だが今は無理だ。ここでリナルドに二人で向かって行っても――待っているのは無駄死にだ」
「ぐぐッ…………!!」
感情を押し殺すように諭すクロリダンに、メドロも昂ぶった感情が和らぎ、多少なりとも冷静に現実を見れるようになった。
幸いリナルドは逃げ出す兵には興味が無いらしく、追っては来ない。ここは一旦退くべきだろう。しかし殺されたダルディネル王子の屍をあのまま野ざらしにする訳にはいかない。使命感にかられたメドロは、その日の内にクロリダンと相談し、夜陰に乗じて主人の死体を奪い返し、弔おうと誓うのだった。
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