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第6章 アストルフォ月へ行く
15 司藤アイ、異変の前兆
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イングランド王子アストルフォは、地上から失われたとされる「オルランドの心」の瓶をすでに手にしていた。
「ほっほっほ……アストルフォ殿。すでに最強騎士の正気を取り戻すための方法、手に入れていたようじゃな」
アストルフォの携えし巨大な瓶こそ、我を失い野獣のごとく暴れ回っている今のオルランドを鎮める唯一の手段である。
そして彼の極めて理知的な眼差しを見た後、聖ヨハネは他の三人――女騎士ブラダマンテ、異教の騎士ロジェロ、尼僧メリッサのそれぞれ持つ瓶も見回し――満足げに頷いた。
「それぞれ望みし心や記憶、無事に得たようじゃのう。
ではついて来るがいい。運命の女神の糸仕事や、忘却の川についても説明せねばなるまい。
道中転がっているガラクタについては、気にせずともよいぞ」
聖ヨハネは月の世界に転がっている、種々雑多な益体もないガラクタには一瞥もくれず歩き出した。
金や銀の鈎針、風船、割れた目盛りのついた瓶、こぼれたミルク等、いずれもが過去に行われ――果たされなかったか、あるいは忘れ去られた栄光・約束・恋などであると言われる。
それらの山と積まれたガラクタも、興味を惹かれなくはなかったが。
目下の所、ブラダマンテにとって、最も気がかりなのは――アストルフォの変貌ぶりであった。
もともと整った顔立ちであり、フランク人随一の美男子として名を馳せた騎士。
最弱の実力でありながら、類稀なる幸運と数々のチートアイテムの助力を得て、多くの冒険を成し遂げ人望も厚い男だ。しかし――
ブラダマンテ――司藤アイは、青ざめた顔で現実世界の下田三郎教授の下へ念話を送っていた。
ииииииииии
「下田教授。聞こえる!? 大変なのよ。
アストルフォがおかしくなっちゃった!」
アイの言葉に対し下田は一瞬理解に苦しんだが――魔本の記述に目を通してから答えた。
『あのなアイ君――』
「何? 聞こえない! もっとハッキリした声で喋って!」
今までにない反応にギョッとする下田。
これまで幾度か念話によるやり取りをしたものの、実際に声を出している訳ではなく、心の中での会話の筈なのだ。
それが聞き取りにくい、というのは一体どういう事なのか――?
『あー、あー! どうだ? これぐらいで大丈夫かアイ君』
「ん、何とか……聞き取れるわ」
下田は心持ち、大声で話しているつもりで念話を送った。アイとの意思疎通は、どうにか可能なようだ。嫌な予感を拭いつつ話を続ける下田。
『アストルフォが月に赴いて、思慮分別を取り戻すのは原典通りの展開だぞ』
「でもだからって……今まですっとぼけた天然キャラだったじゃない。
それが今や、キリッとしちゃって、頭も良さそうに見えるし! あんなのアストルフォじゃない……!」
それはそれで、アストルフォに失礼じゃないか? などと下田は思った。
大金持ちたるイングランド王子であり、華美な装備品を着こなすセンスもある。十二勇士の一人、智将オリヴィエから「ガリア戦記」を借りて熟読するほどの教養をも持っているのだ。普段の行動からは想像もつかないが、もともとアストルフォは騎士にしては珍しい、知識人タイプの男なのである。
『理性を取り戻したという事は、今後は振り回される事もないし、機転のひとつも利かせられる頼れる味方になったって事だろう。
一体何が不満なんだ? 今後の事を考えれば、喜ばしい限りの話じゃあないか』
「そうだけど……! そうなんだけど……!」
冷静に考えればいい事づくめな話なのに。不思議とアイは悲痛な声を上げ、納得いかなさそうである。
下田はどうしたものかと考えあぐねたが、とりあえず慰める事にした。
『悲観する事はない。理性を取り戻したアストルフォも、分別のある状態はそんなに長くは続かない筈だ。
原典の後の記述によれば、過ちを犯して再び正気を取り上げられた――とかあるぐらいだしな』
「本当ね? 偽者のアストルフォはそのうちいなくなるのね!?」
希望の光が戻ってきたかのような、弾んだ声を上げるアイ。
『偽者って……うん、まあ、そういう事だから。気にせず月旅行を続けるといい』
「……分かったわ! ありがとう、下田教授」
ииииииииии
聖ヨハネの進む先へ、並んで着いていくブラダマンテ達四人。
先頭を行くのはアストルフォで、ブラダマンテとロジェロは後ろに並んで歩く。その最後尾にメリッサという隊列だ。
隣のロジェロ――黒崎八式は、どうにも落ち着かない様子だった。
「……やっぱりロジェロも気になる?」
「……えっ、な、何が?」
ブラダマンテ――アイに顔を覗き込まれ、黒崎はどぎまぎした。
「何って、決まってるでしょ。アストルフォの事よ! 偽者みたいになってる!」
「何だ、そんな事か……原典でもあんな感じだ。月で『アストルフォの心』を吸い込んで――アフォの奴は、しばらくただの美男子になる。
オルランドと似たようなモンだと思えばいい」
事もなげに言ってのける黒崎に、アイは信じられないといった表情になった。
「そういう――お前はどうなんだよ、司……ブラダマンテ?」
黒崎に問い返されると、アイは途端に無表情になった。
表情の消えた幼馴染に黒崎は一瞬たじろいだが、聞かない訳にもいかない。
「どうって、何の話?」
「エンジェル・フォールの後から……お前、何か変だぞ。
無理矢理『ブラダマンテ』になりきろうとしてないか?」
黒崎の一歩突っ込んだ問い。声を落としているため、前後を歩くアストルフォやメリッサの耳には届いていない。
アイの表情は露骨に曇ったが――
「そんな事……ないわ。それに、それの何が悪いの?
わたし達の使命を忘れたのロジェロ? 結婚しなくちゃいけないって話。
それができなければ、自分の世界に帰れないのよ?
『ブラダマンテ』らしく振舞うのは、当然じゃないの」
「それはそうだけどよ。お前は――司藤は、その――それでいいのかよ?」
アイの正論に対する上手い反論が思いつかず、黒崎は自分でも意味の分からない問いかけをしてしまった。
彼女はキョトンとしている。黒崎が何を言いたいのか、判っていないようだ。
「何言ってるの? いいに決まってるでしょ――変な黒崎。いつも変か」
笑みを浮かべるアイ。しかし――まただ。幼馴染の彼女の顔が、ほんの一瞬だけ金髪碧眼の美女の姿にオーバーラップした。
(クソッ……やっぱりアレは、気のせいなんかじゃなかった。
何か分からんが……コレってヤバいんじゃねえか?
司藤の魂に、異変が起きてるって事じゃねえのか……!)
黒崎の焦燥を他所に、聖ヨハネの足が止まった。
「――着いたぞ」
聖者の老人が指さす先には――糸車を紡ぐ三人の女神と、川のほとりをひっきりなしに移動している隠者の姿が映っていた。
「ほっほっほ……アストルフォ殿。すでに最強騎士の正気を取り戻すための方法、手に入れていたようじゃな」
アストルフォの携えし巨大な瓶こそ、我を失い野獣のごとく暴れ回っている今のオルランドを鎮める唯一の手段である。
そして彼の極めて理知的な眼差しを見た後、聖ヨハネは他の三人――女騎士ブラダマンテ、異教の騎士ロジェロ、尼僧メリッサのそれぞれ持つ瓶も見回し――満足げに頷いた。
「それぞれ望みし心や記憶、無事に得たようじゃのう。
ではついて来るがいい。運命の女神の糸仕事や、忘却の川についても説明せねばなるまい。
道中転がっているガラクタについては、気にせずともよいぞ」
聖ヨハネは月の世界に転がっている、種々雑多な益体もないガラクタには一瞥もくれず歩き出した。
金や銀の鈎針、風船、割れた目盛りのついた瓶、こぼれたミルク等、いずれもが過去に行われ――果たされなかったか、あるいは忘れ去られた栄光・約束・恋などであると言われる。
それらの山と積まれたガラクタも、興味を惹かれなくはなかったが。
目下の所、ブラダマンテにとって、最も気がかりなのは――アストルフォの変貌ぶりであった。
もともと整った顔立ちであり、フランク人随一の美男子として名を馳せた騎士。
最弱の実力でありながら、類稀なる幸運と数々のチートアイテムの助力を得て、多くの冒険を成し遂げ人望も厚い男だ。しかし――
ブラダマンテ――司藤アイは、青ざめた顔で現実世界の下田三郎教授の下へ念話を送っていた。
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「下田教授。聞こえる!? 大変なのよ。
アストルフォがおかしくなっちゃった!」
アイの言葉に対し下田は一瞬理解に苦しんだが――魔本の記述に目を通してから答えた。
『あのなアイ君――』
「何? 聞こえない! もっとハッキリした声で喋って!」
今までにない反応にギョッとする下田。
これまで幾度か念話によるやり取りをしたものの、実際に声を出している訳ではなく、心の中での会話の筈なのだ。
それが聞き取りにくい、というのは一体どういう事なのか――?
『あー、あー! どうだ? これぐらいで大丈夫かアイ君』
「ん、何とか……聞き取れるわ」
下田は心持ち、大声で話しているつもりで念話を送った。アイとの意思疎通は、どうにか可能なようだ。嫌な予感を拭いつつ話を続ける下田。
『アストルフォが月に赴いて、思慮分別を取り戻すのは原典通りの展開だぞ』
「でもだからって……今まですっとぼけた天然キャラだったじゃない。
それが今や、キリッとしちゃって、頭も良さそうに見えるし! あんなのアストルフォじゃない……!」
それはそれで、アストルフォに失礼じゃないか? などと下田は思った。
大金持ちたるイングランド王子であり、華美な装備品を着こなすセンスもある。十二勇士の一人、智将オリヴィエから「ガリア戦記」を借りて熟読するほどの教養をも持っているのだ。普段の行動からは想像もつかないが、もともとアストルフォは騎士にしては珍しい、知識人タイプの男なのである。
『理性を取り戻したという事は、今後は振り回される事もないし、機転のひとつも利かせられる頼れる味方になったって事だろう。
一体何が不満なんだ? 今後の事を考えれば、喜ばしい限りの話じゃあないか』
「そうだけど……! そうなんだけど……!」
冷静に考えればいい事づくめな話なのに。不思議とアイは悲痛な声を上げ、納得いかなさそうである。
下田はどうしたものかと考えあぐねたが、とりあえず慰める事にした。
『悲観する事はない。理性を取り戻したアストルフォも、分別のある状態はそんなに長くは続かない筈だ。
原典の後の記述によれば、過ちを犯して再び正気を取り上げられた――とかあるぐらいだしな』
「本当ね? 偽者のアストルフォはそのうちいなくなるのね!?」
希望の光が戻ってきたかのような、弾んだ声を上げるアイ。
『偽者って……うん、まあ、そういう事だから。気にせず月旅行を続けるといい』
「……分かったわ! ありがとう、下田教授」
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聖ヨハネの進む先へ、並んで着いていくブラダマンテ達四人。
先頭を行くのはアストルフォで、ブラダマンテとロジェロは後ろに並んで歩く。その最後尾にメリッサという隊列だ。
隣のロジェロ――黒崎八式は、どうにも落ち着かない様子だった。
「……やっぱりロジェロも気になる?」
「……えっ、な、何が?」
ブラダマンテ――アイに顔を覗き込まれ、黒崎はどぎまぎした。
「何って、決まってるでしょ。アストルフォの事よ! 偽者みたいになってる!」
「何だ、そんな事か……原典でもあんな感じだ。月で『アストルフォの心』を吸い込んで――アフォの奴は、しばらくただの美男子になる。
オルランドと似たようなモンだと思えばいい」
事もなげに言ってのける黒崎に、アイは信じられないといった表情になった。
「そういう――お前はどうなんだよ、司……ブラダマンテ?」
黒崎に問い返されると、アイは途端に無表情になった。
表情の消えた幼馴染に黒崎は一瞬たじろいだが、聞かない訳にもいかない。
「どうって、何の話?」
「エンジェル・フォールの後から……お前、何か変だぞ。
無理矢理『ブラダマンテ』になりきろうとしてないか?」
黒崎の一歩突っ込んだ問い。声を落としているため、前後を歩くアストルフォやメリッサの耳には届いていない。
アイの表情は露骨に曇ったが――
「そんな事……ないわ。それに、それの何が悪いの?
わたし達の使命を忘れたのロジェロ? 結婚しなくちゃいけないって話。
それができなければ、自分の世界に帰れないのよ?
『ブラダマンテ』らしく振舞うのは、当然じゃないの」
「それはそうだけどよ。お前は――司藤は、その――それでいいのかよ?」
アイの正論に対する上手い反論が思いつかず、黒崎は自分でも意味の分からない問いかけをしてしまった。
彼女はキョトンとしている。黒崎が何を言いたいのか、判っていないようだ。
「何言ってるの? いいに決まってるでしょ――変な黒崎。いつも変か」
笑みを浮かべるアイ。しかし――まただ。幼馴染の彼女の顔が、ほんの一瞬だけ金髪碧眼の美女の姿にオーバーラップした。
(クソッ……やっぱりアレは、気のせいなんかじゃなかった。
何か分からんが……コレってヤバいんじゃねえか?
司藤の魂に、異変が起きてるって事じゃねえのか……!)
黒崎の焦燥を他所に、聖ヨハネの足が止まった。
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