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第6章 アストルフォ月へ行く
21 告白
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黒崎八式が城門を抜け、しばらく進むと石造りの塔があった。
塔に通じる扉は開いている。辺りには人っ子ひとり見当たらない。
黒崎は直感した。
(この塔の中に……司藤が……)
塔の窓には微かに明かりが漏れている。
中から人の気配がする。司藤アイは塔の最上階だろうか。
開け放たれたままの扉の前に立ち、黒崎は大声で呼ばわった。
「司藤! いるんだろう? オレだ、黒崎だ。
迎えに来たぜ。降りてきてくれ!」
しばらく待った。しかしアイが塔から降りてくる足音は聞こえない。
か細く、すすり泣くような声が聞こえてくるのみである。
「……悪い。オレはどうしても、お前を連れ戻さなきゃならねえんだ。
中に入らせてもらうぜ!」
先ほどと同様、大声で呼ばわってから――黒崎は開いたままの扉から、塔の中へと踏み込んだ。
辺りは薄暗いが、螺旋階段の位置はかろうじて分かる。階段を上るにつれ、すすり泣く声が大きくなり、黒崎の耳と心に突き刺さる。
最上階。扉は閉ざされていたが、鍵は開いているようだ。
黒崎はノックして待つ。やはり返答は沈黙。ただ、すすり泣く声は止んでいた。
「部屋に入るぞ、司藤……」
ぎい、と蝶番の音が響く。扉は驚くほどすんなりと開いた。
中にいたアイは、高校のセーラー服姿だった。その時、黒崎は初めて気づいた。騎士ロジェロの鎧姿だったはずの自分が――男子学生の服装に変わっていた事に。
「……何でッ……来たの、黒崎……」
アイはベッドの横に座り込み、顔を枕に押し付けたまま微動だにしない。
ただ悲しげな涙声で詰問してきた。
「言ったろう。連れ戻しに来たんだよ」
「……わたしの事なんて……放っておけば、いいのよ……」
「本気で言ってるのか? 違うだろ?」
黒崎はアイを必要以上に刺激しないよう、穏やかな声を意識して呼びかけた。
彼の問いに対して答えはない。しかしアイが本気で放っておいて欲しいなどと思っていないのは、分かる。
もしその気なら、度重なる黒崎の侵入に対し拒絶の意思を、何らかの形で示したはず。
塔の扉だって開いていた。最上階の部屋は鍵もかかっていなかった。彼女が奥底では、誰かに救いを求めている証拠ではないか。
「こんな所にずっと独りでいたら、お前……本当に消えちまうぞ」
「……いいの……消えたい、の……わたしなんかより。
『ブラダマンテ』のほうが、ずっと上手くやるわ、きっと」
「何言ってんだよ司藤。お前ずっと、ちゃんとやってたじゃねえか。
『ブラダマンテ』だって褒めてたぜ。お前ほど自分の潜在能力を引き出せた人間はいないって」
「そんな事、ない……そんな事ないッ!」アイは頑なに否定した。
「わたし、最初に黒崎に言ったわ。『どんなに嫌でも女優だったら、与えられた役を演じ切る』って。
ブラダマンテはロジェロの恋人。もう二人は相思相愛になってなきゃいけない。なのに……
いざ黒崎と面と向かってさ。距離が近くなってくると……もう、駄目なの。気の利いた即興のセリフひとつ、浮かばなくって。
あれだけ偉そうに、先輩の俳優ヅラしておいて。わたしホント、いったい何をやってるんだろって……」
「エンジェル・フォールでの事を言ってるのか。あんなの……たまたまだろ。
アクシデントだったじゃあねーか。うっかりお前を押し倒す形になったってだけだろ?
そんな状況になったら、誰だって混乱するさ。気の利いたセリフっつーんなら、オレだってちっとも言えてなかったし」
「黒崎はその、ホラ……演劇やってる訳じゃあないんだから」
「それを言うなら、あんなミス一回くらいで、そこまでヘコむ事ねーじゃねーか。
次から気をつければいい。オレは気にしてなんか……ない」
アイを勇気づけるために、黒崎は敢えてそう言った。
本当は黒崎は、アイとは違う理由で傷ついていた。アイの涙を見て――自分ではダメなのだろうと思った。
周りがどんなに持ち上げてくれたところで……彼女の心は、自分の方を向いてはくれない。黒崎が内心、アイの事をどう思っていたとしても。
「次……あんな事になったとしたら。また同じことになってしまうと思う。
分からないの。どうしていいか、分からない……いくら考えても、原因が分からない。
普段だったら、失敗したと思ったら。原因を探って、対処法を考えてって……やっていかなきゃ、ならないのに」
アイが黒崎との距離を縮め、言葉が出てこない理由。
それはアイが黒崎の事を段々と意識し始めている証であった。
しかしお互い――その結論に到達するには、経験が不足していた。
黒崎はアイに近づいた。しかしギリギリのところで、身体に触れる事はしない。
ただなるべく、優しい言葉をかけるために。声を張り上げなくても、彼女に言葉が届くように。
「『ブラダマンテ』を演じ切れないと思ったから、そんなに落ち込んでるのか」
「うん、だって……わたしのせいで、皆に迷惑がかかっちゃう。
黒崎だって……現実世界に帰りたい、帰らなきゃって思っているから頑張ってるのに。
わたし一人のワガママで、こんな事になって。塞ぎ込んでる場合じゃないって、分かってるのに」
「だったらさ。いっその事、やめるか?」
「…………えっ」
「大体お前ってば、思い詰め過ぎなんだよ。コレしか現実に帰る手段がないから、ブラダマンテやロジェロって役割にすがって。
それにばっかり、全力投球ってやってるから……ちょっと蹴躓いただけでヘコんじまうんだ」
「でも……そんな! わたしが『ブラダマンテ』をやり遂げられなかったら、皆が本の中に閉じ込められて……!」
「いいじゃねえか、それでも。案外そうなったらさ。物語世界ももっと、楽しめるかもしれねえぜ?
そりゃ確かに今は、現実に帰るために頑張ってるさ。でもそれは――お前をそこまで苦しめてまで、達成したい事なんかじゃねえ」
「でも、そんなの……皆きっと、納得しないわ。綺織先輩だって、先輩のお姉さんだって……」
「だったら一緒に説得して回ってやる。メリッサだって、アストルフォだってな。
みんなお前を心配してる。お前が苦しんでるって知ったら、使命がどうとかより先に、お前を何とかしたいって思うさ。
……実はな。ここに来る前にオレ、自分とお前の現実世界の素性、アストルフォ達にバラしちまったんだ。
でもあいつら、快く受け入れてくれた。だから大丈夫さ。本音隠したまま苦しむより、いっそ思いっきりブチ撒けちまえよ。そしたらきっと……今よりずっと心が軽くなるさ」
声の聞こえる距離から、黒崎が間近にいる事を察したのだろうか。
アイは泣き腫らした顔を上げた。涙と鼻水だらけのひどい顔だったが、黒崎にとっては愛おしく思えた。
「……どうして? 黒崎……そこまで言ってくれるの? わたしなんかの、ために……」
本当は、言うつもりなどなかった。
今こんな状況で「それ」を口にするのは、卑怯な気がしたからだ。
しかし今しがた「本音をブチ撒けろ」と言ってしまった以上。その問いに対し、はぐらかしたり誤魔化したりするのは――黒崎の今までの、必死な説得が嘘である事になってしまう。
だから黒崎は言った。本音を。その言葉は想像していたよりずっと……するりと口をついて出た。
「……それは、お前の事が……好きだからだよ。司藤」
塔に通じる扉は開いている。辺りには人っ子ひとり見当たらない。
黒崎は直感した。
(この塔の中に……司藤が……)
塔の窓には微かに明かりが漏れている。
中から人の気配がする。司藤アイは塔の最上階だろうか。
開け放たれたままの扉の前に立ち、黒崎は大声で呼ばわった。
「司藤! いるんだろう? オレだ、黒崎だ。
迎えに来たぜ。降りてきてくれ!」
しばらく待った。しかしアイが塔から降りてくる足音は聞こえない。
か細く、すすり泣くような声が聞こえてくるのみである。
「……悪い。オレはどうしても、お前を連れ戻さなきゃならねえんだ。
中に入らせてもらうぜ!」
先ほどと同様、大声で呼ばわってから――黒崎は開いたままの扉から、塔の中へと踏み込んだ。
辺りは薄暗いが、螺旋階段の位置はかろうじて分かる。階段を上るにつれ、すすり泣く声が大きくなり、黒崎の耳と心に突き刺さる。
最上階。扉は閉ざされていたが、鍵は開いているようだ。
黒崎はノックして待つ。やはり返答は沈黙。ただ、すすり泣く声は止んでいた。
「部屋に入るぞ、司藤……」
ぎい、と蝶番の音が響く。扉は驚くほどすんなりと開いた。
中にいたアイは、高校のセーラー服姿だった。その時、黒崎は初めて気づいた。騎士ロジェロの鎧姿だったはずの自分が――男子学生の服装に変わっていた事に。
「……何でッ……来たの、黒崎……」
アイはベッドの横に座り込み、顔を枕に押し付けたまま微動だにしない。
ただ悲しげな涙声で詰問してきた。
「言ったろう。連れ戻しに来たんだよ」
「……わたしの事なんて……放っておけば、いいのよ……」
「本気で言ってるのか? 違うだろ?」
黒崎はアイを必要以上に刺激しないよう、穏やかな声を意識して呼びかけた。
彼の問いに対して答えはない。しかしアイが本気で放っておいて欲しいなどと思っていないのは、分かる。
もしその気なら、度重なる黒崎の侵入に対し拒絶の意思を、何らかの形で示したはず。
塔の扉だって開いていた。最上階の部屋は鍵もかかっていなかった。彼女が奥底では、誰かに救いを求めている証拠ではないか。
「こんな所にずっと独りでいたら、お前……本当に消えちまうぞ」
「……いいの……消えたい、の……わたしなんかより。
『ブラダマンテ』のほうが、ずっと上手くやるわ、きっと」
「何言ってんだよ司藤。お前ずっと、ちゃんとやってたじゃねえか。
『ブラダマンテ』だって褒めてたぜ。お前ほど自分の潜在能力を引き出せた人間はいないって」
「そんな事、ない……そんな事ないッ!」アイは頑なに否定した。
「わたし、最初に黒崎に言ったわ。『どんなに嫌でも女優だったら、与えられた役を演じ切る』って。
ブラダマンテはロジェロの恋人。もう二人は相思相愛になってなきゃいけない。なのに……
いざ黒崎と面と向かってさ。距離が近くなってくると……もう、駄目なの。気の利いた即興のセリフひとつ、浮かばなくって。
あれだけ偉そうに、先輩の俳優ヅラしておいて。わたしホント、いったい何をやってるんだろって……」
「エンジェル・フォールでの事を言ってるのか。あんなの……たまたまだろ。
アクシデントだったじゃあねーか。うっかりお前を押し倒す形になったってだけだろ?
そんな状況になったら、誰だって混乱するさ。気の利いたセリフっつーんなら、オレだってちっとも言えてなかったし」
「黒崎はその、ホラ……演劇やってる訳じゃあないんだから」
「それを言うなら、あんなミス一回くらいで、そこまでヘコむ事ねーじゃねーか。
次から気をつければいい。オレは気にしてなんか……ない」
アイを勇気づけるために、黒崎は敢えてそう言った。
本当は黒崎は、アイとは違う理由で傷ついていた。アイの涙を見て――自分ではダメなのだろうと思った。
周りがどんなに持ち上げてくれたところで……彼女の心は、自分の方を向いてはくれない。黒崎が内心、アイの事をどう思っていたとしても。
「次……あんな事になったとしたら。また同じことになってしまうと思う。
分からないの。どうしていいか、分からない……いくら考えても、原因が分からない。
普段だったら、失敗したと思ったら。原因を探って、対処法を考えてって……やっていかなきゃ、ならないのに」
アイが黒崎との距離を縮め、言葉が出てこない理由。
それはアイが黒崎の事を段々と意識し始めている証であった。
しかしお互い――その結論に到達するには、経験が不足していた。
黒崎はアイに近づいた。しかしギリギリのところで、身体に触れる事はしない。
ただなるべく、優しい言葉をかけるために。声を張り上げなくても、彼女に言葉が届くように。
「『ブラダマンテ』を演じ切れないと思ったから、そんなに落ち込んでるのか」
「うん、だって……わたしのせいで、皆に迷惑がかかっちゃう。
黒崎だって……現実世界に帰りたい、帰らなきゃって思っているから頑張ってるのに。
わたし一人のワガママで、こんな事になって。塞ぎ込んでる場合じゃないって、分かってるのに」
「だったらさ。いっその事、やめるか?」
「…………えっ」
「大体お前ってば、思い詰め過ぎなんだよ。コレしか現実に帰る手段がないから、ブラダマンテやロジェロって役割にすがって。
それにばっかり、全力投球ってやってるから……ちょっと蹴躓いただけでヘコんじまうんだ」
「でも……そんな! わたしが『ブラダマンテ』をやり遂げられなかったら、皆が本の中に閉じ込められて……!」
「いいじゃねえか、それでも。案外そうなったらさ。物語世界ももっと、楽しめるかもしれねえぜ?
そりゃ確かに今は、現実に帰るために頑張ってるさ。でもそれは――お前をそこまで苦しめてまで、達成したい事なんかじゃねえ」
「でも、そんなの……皆きっと、納得しないわ。綺織先輩だって、先輩のお姉さんだって……」
「だったら一緒に説得して回ってやる。メリッサだって、アストルフォだってな。
みんなお前を心配してる。お前が苦しんでるって知ったら、使命がどうとかより先に、お前を何とかしたいって思うさ。
……実はな。ここに来る前にオレ、自分とお前の現実世界の素性、アストルフォ達にバラしちまったんだ。
でもあいつら、快く受け入れてくれた。だから大丈夫さ。本音隠したまま苦しむより、いっそ思いっきりブチ撒けちまえよ。そしたらきっと……今よりずっと心が軽くなるさ」
声の聞こえる距離から、黒崎が間近にいる事を察したのだろうか。
アイは泣き腫らした顔を上げた。涙と鼻水だらけのひどい顔だったが、黒崎にとっては愛おしく思えた。
「……どうして? 黒崎……そこまで言ってくれるの? わたしなんかの、ために……」
本当は、言うつもりなどなかった。
今こんな状況で「それ」を口にするのは、卑怯な気がしたからだ。
しかし今しがた「本音をブチ撒けろ」と言ってしまった以上。その問いに対し、はぐらかしたり誤魔化したりするのは――黒崎の今までの、必死な説得が嘘である事になってしまう。
だから黒崎は言った。本音を。その言葉は想像していたよりずっと……するりと口をついて出た。
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