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第9章 物語は綻びる
12 本の悪魔・Furiosoの正体
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綺織浩介から湧き出した異形の影は、Furiosoと名乗った。
「……先輩……何、なの……これ……?」
ブラダマンテ――司藤アイはすっかり怯えた様子で尋ねた。
強さや弱さ、善良か邪悪か、そんな単純なモノではない。全く得体の知れない「恐怖」が、彼女の魂を震わせている。
「恐れる必要はない。こいつは僕たちに直接危害を加えない」綺織は言った。
「いや、加えられないんだ。こいつは物語の登場人物ですらないからね。
こいつの役目は、物語が終わった後にしかない」
『随分な言い草だなぁ。物語中に登場する便利な道具の数々――大抵はボクが用意したモノなんだぜ? あの赤い鱗帷子だって、そうさ』
「Furioso。その姿で出てくるなと言っただろう」
綺織は嫌悪感を隠そうともせず、影に向かって言い放った。
「見ろ。司藤さんが怯えているじゃあないか」
『ちぇっ。しょうがないなぁ』
異形の影は子供っぽく毒づくと――見る間に姿が縮み、人間と同程度の大きさになった。その容貌は、少々黒っぽくはあるが綺織浩介に酷似している。
『これで少しは怖くなくなったかな?
改めて初めまして。司藤アイちゃん!
いやぁ、こうして直に会って話ができるなんて! ボク感激だなぁ!
握手させて! ねえ、サイン貰ってもいいかなぁ? いいでしょアイちゃん!』
「えっ…………えっ!?」
等身大になった途端、異様なまでに馴れ馴れしく接してくるFurioso。
予想外の対応にアイは戸惑うばかりで、言葉が出てこなかった。
「お前……何をふざけているんだ?」
『失礼な! ふざけてなんかないさァ!』
静かに憤る綺織に、Furiosoは心外そうに口を尖らせた。
『この最終局面に至るまで、ブラダマンテを演じ切った者は……ただ一人を除いて今まで誰もいなかった!
アイちゃんがいかに素晴らしく、素敵な役柄を演じてくれたか。ボクが一番よく知っている!
最初のうちはそりゃ、頼りない普通の娘だなぁって思ってたよ。でも今は違う!
ありがとうアイちゃん! 君のお陰でボクは大いに楽しませて貰った! ボクは君の演技にすっかり、惚れ込んでしまったよォ!』
熱っぽく語りかけてくる黒い影。嘘を言っているようには見えない。
(たった今先輩が言ったっけ――この人、嘘だけはつかない。語る言葉は全て真実だ、と……じゃあ本心で、わたしの演技を褒めてくれてるんだ……)
舞台俳優志望のアイとしては、決して悪くない気分だった。
だがそれでも――唐突に出てきた異形の存在である事には変わりない。
「綺織先輩。さっき言っていた『一人しか帰れない』って話。
この人が言ったから、間違いない事実――そう、言いたいわけ?」
「ああ。その通りだよ……司藤さん」
悔しげに、絞り出すように肯定する綺織。
「僕がレオ皇太子に憑依した時から――こいつは僕の傍にいた。
こいつとは長い付き合いだ。性格は最悪だが、助言や知識は正確無比。
もしこいつがいなかったら、僕は今頃どうなっていたか分からない。
そしてこいつが聞かれた事に関しては、決して嘘をつかない事も知っている」
『そうそう。ボクはこう見えて、正直者で通っているんだよ。
嘘つきは泥棒の始まりって言うじゃない? ボクは嘘は大嫌いなんだ』
いけしゃあしゃあと言い放つFuriosoの言葉は薄っぺらく、到底信用できそうになかったが。
渋面を滲ませた綺織の様子からして、本当の事なのだろうとアイは察した。
「じゃあFuriosoさん。聞いてもいい?
『一人しか帰れない』というのが正しいとして……どうしてそれを貴方は知っているの?」
アイの質問に――Furiosoは満面の笑みを浮かべて答えた。
『それはボクが、最初に”置いていかれた”人間だからだよ。
実はボクも、最初にこの魔本に囚われた犠牲者の一人だったんだ。
ボクと一緒に本に引きずり込まれたのは――石動綾子。
初代”ブラダマンテ”にして、唯一の生還者。そして下田三郎の母親さ』
『なん……だと……!?』
下田教授の驚愕の声が、念話を通じてアイの魂にも響き渡った。
『もし物語のハッピーエンドを迎えて、囚われた全員が元の世界に帰れるなら。
ボクみたいな存在は、最初から発生しなかったと言えるだろう。
何度でも言うよ。帰る事のできる人間は”一人だけ”さ。ボクの存在そのものが、それを証明している』
「そういう事だよ。僕が最初に言った提案の理由、分かってくれたかな?」
綺織はあくまでも、優しく諭すように言った。
「もちろん司藤さんは、僕やこいつの言い分を信じないという選択肢もある。
それならロジェロ役の黒崎君の下に向かうといい。
二人で結婚式を挙げ――ハッピーエンドを迎えて、その後どうなるか試してみるといいよ」
「……そん、な……嘘……でしょ……」
アイは青ざめた顔のまま、押し黙ってしまった。
「済まない。意地の悪い言い方をしてしまったね」
綺織はアイの不安げな様子を見て――再び寄り添い、優しく抱きしめてきた。
「僕はあれから、この世界に来てから……はっきりと分かった事がある。
僕は――司藤さんの事が好きだ。君がブラダマンテになった事を知ってから、ずっと気にかけていた。
だからお願い。どうか僕を、信じて欲しい」
「綺織……先輩……」
「僕は僕の提案で、司藤さんを幸せにできるように、全力を尽くすつもりだ。
史実のレオ皇太子は病弱だけれど、そこは心配いらない。現代日本人程度の知識でも健康を保つ習慣を心がければ、もっと長く生きられるハズさ。
決して君に不自由はさせない。不幸にはしない。……君を、幸せにしてみせる」
何故だろう? アイはぼんやりと自問した。
現実世界で、あれほど綺織先輩に言って欲しかった言葉。
今ようやく聞けた――念願が叶ったのだ。彼の言葉に偽りはない。真摯にアイを思いやっているのは分かる。
にも関わらず、幸福感で満たされるどころか――言い知れぬ不安ばかりが大きくなった。
「……ごめんなさい。考え、させて……」
消え入りそうな声で絞り出すように、それだけ言うのが精一杯だった。
「勿論さ。じっくりと考えてから、結論を出してくれればいい」
綺織は微笑んで言った。
「そのうち黒崎君も、ここコンスタンティノープルに乗り込んでくるだろう。
彼らがこの事実を知った時――どういう行動に出るか見物だね」
「ねえ、先輩――もし先輩の言い分をわたしが受け入れたら……」
アイは不意に、どうしても気がかりになって――疑問を口にした。
「黒崎はどうなるの? 彼とも一緒にやっていかなきゃ、いけないでしょう?」
「……彼は恐らく、僕の提案を受け入れようとはしないだろう」
先刻とは打って変わって、綺織はぴしゃりと言った。
「君を巡って、僕と戦う事も辞さないハズさ。だから考える必要はない。
何故なら彼と僕の進む道は、決して交わらないだろうからね」
「…………!」
アイは心の底からゾッとした。綺織先輩と再会した時から、ずっと微かにこびりついていた違和感の正体にようやく気づいた。
(先輩は最初から――黒崎を排除すべき敵と見做している……!)
「……先輩……何、なの……これ……?」
ブラダマンテ――司藤アイはすっかり怯えた様子で尋ねた。
強さや弱さ、善良か邪悪か、そんな単純なモノではない。全く得体の知れない「恐怖」が、彼女の魂を震わせている。
「恐れる必要はない。こいつは僕たちに直接危害を加えない」綺織は言った。
「いや、加えられないんだ。こいつは物語の登場人物ですらないからね。
こいつの役目は、物語が終わった後にしかない」
『随分な言い草だなぁ。物語中に登場する便利な道具の数々――大抵はボクが用意したモノなんだぜ? あの赤い鱗帷子だって、そうさ』
「Furioso。その姿で出てくるなと言っただろう」
綺織は嫌悪感を隠そうともせず、影に向かって言い放った。
「見ろ。司藤さんが怯えているじゃあないか」
『ちぇっ。しょうがないなぁ』
異形の影は子供っぽく毒づくと――見る間に姿が縮み、人間と同程度の大きさになった。その容貌は、少々黒っぽくはあるが綺織浩介に酷似している。
『これで少しは怖くなくなったかな?
改めて初めまして。司藤アイちゃん!
いやぁ、こうして直に会って話ができるなんて! ボク感激だなぁ!
握手させて! ねえ、サイン貰ってもいいかなぁ? いいでしょアイちゃん!』
「えっ…………えっ!?」
等身大になった途端、異様なまでに馴れ馴れしく接してくるFurioso。
予想外の対応にアイは戸惑うばかりで、言葉が出てこなかった。
「お前……何をふざけているんだ?」
『失礼な! ふざけてなんかないさァ!』
静かに憤る綺織に、Furiosoは心外そうに口を尖らせた。
『この最終局面に至るまで、ブラダマンテを演じ切った者は……ただ一人を除いて今まで誰もいなかった!
アイちゃんがいかに素晴らしく、素敵な役柄を演じてくれたか。ボクが一番よく知っている!
最初のうちはそりゃ、頼りない普通の娘だなぁって思ってたよ。でも今は違う!
ありがとうアイちゃん! 君のお陰でボクは大いに楽しませて貰った! ボクは君の演技にすっかり、惚れ込んでしまったよォ!』
熱っぽく語りかけてくる黒い影。嘘を言っているようには見えない。
(たった今先輩が言ったっけ――この人、嘘だけはつかない。語る言葉は全て真実だ、と……じゃあ本心で、わたしの演技を褒めてくれてるんだ……)
舞台俳優志望のアイとしては、決して悪くない気分だった。
だがそれでも――唐突に出てきた異形の存在である事には変わりない。
「綺織先輩。さっき言っていた『一人しか帰れない』って話。
この人が言ったから、間違いない事実――そう、言いたいわけ?」
「ああ。その通りだよ……司藤さん」
悔しげに、絞り出すように肯定する綺織。
「僕がレオ皇太子に憑依した時から――こいつは僕の傍にいた。
こいつとは長い付き合いだ。性格は最悪だが、助言や知識は正確無比。
もしこいつがいなかったら、僕は今頃どうなっていたか分からない。
そしてこいつが聞かれた事に関しては、決して嘘をつかない事も知っている」
『そうそう。ボクはこう見えて、正直者で通っているんだよ。
嘘つきは泥棒の始まりって言うじゃない? ボクは嘘は大嫌いなんだ』
いけしゃあしゃあと言い放つFuriosoの言葉は薄っぺらく、到底信用できそうになかったが。
渋面を滲ませた綺織の様子からして、本当の事なのだろうとアイは察した。
「じゃあFuriosoさん。聞いてもいい?
『一人しか帰れない』というのが正しいとして……どうしてそれを貴方は知っているの?」
アイの質問に――Furiosoは満面の笑みを浮かべて答えた。
『それはボクが、最初に”置いていかれた”人間だからだよ。
実はボクも、最初にこの魔本に囚われた犠牲者の一人だったんだ。
ボクと一緒に本に引きずり込まれたのは――石動綾子。
初代”ブラダマンテ”にして、唯一の生還者。そして下田三郎の母親さ』
『なん……だと……!?』
下田教授の驚愕の声が、念話を通じてアイの魂にも響き渡った。
『もし物語のハッピーエンドを迎えて、囚われた全員が元の世界に帰れるなら。
ボクみたいな存在は、最初から発生しなかったと言えるだろう。
何度でも言うよ。帰る事のできる人間は”一人だけ”さ。ボクの存在そのものが、それを証明している』
「そういう事だよ。僕が最初に言った提案の理由、分かってくれたかな?」
綺織はあくまでも、優しく諭すように言った。
「もちろん司藤さんは、僕やこいつの言い分を信じないという選択肢もある。
それならロジェロ役の黒崎君の下に向かうといい。
二人で結婚式を挙げ――ハッピーエンドを迎えて、その後どうなるか試してみるといいよ」
「……そん、な……嘘……でしょ……」
アイは青ざめた顔のまま、押し黙ってしまった。
「済まない。意地の悪い言い方をしてしまったね」
綺織はアイの不安げな様子を見て――再び寄り添い、優しく抱きしめてきた。
「僕はあれから、この世界に来てから……はっきりと分かった事がある。
僕は――司藤さんの事が好きだ。君がブラダマンテになった事を知ってから、ずっと気にかけていた。
だからお願い。どうか僕を、信じて欲しい」
「綺織……先輩……」
「僕は僕の提案で、司藤さんを幸せにできるように、全力を尽くすつもりだ。
史実のレオ皇太子は病弱だけれど、そこは心配いらない。現代日本人程度の知識でも健康を保つ習慣を心がければ、もっと長く生きられるハズさ。
決して君に不自由はさせない。不幸にはしない。……君を、幸せにしてみせる」
何故だろう? アイはぼんやりと自問した。
現実世界で、あれほど綺織先輩に言って欲しかった言葉。
今ようやく聞けた――念願が叶ったのだ。彼の言葉に偽りはない。真摯にアイを思いやっているのは分かる。
にも関わらず、幸福感で満たされるどころか――言い知れぬ不安ばかりが大きくなった。
「……ごめんなさい。考え、させて……」
消え入りそうな声で絞り出すように、それだけ言うのが精一杯だった。
「勿論さ。じっくりと考えてから、結論を出してくれればいい」
綺織は微笑んで言った。
「そのうち黒崎君も、ここコンスタンティノープルに乗り込んでくるだろう。
彼らがこの事実を知った時――どういう行動に出るか見物だね」
「ねえ、先輩――もし先輩の言い分をわたしが受け入れたら……」
アイは不意に、どうしても気がかりになって――疑問を口にした。
「黒崎はどうなるの? 彼とも一緒にやっていかなきゃ、いけないでしょう?」
「……彼は恐らく、僕の提案を受け入れようとはしないだろう」
先刻とは打って変わって、綺織はぴしゃりと言った。
「君を巡って、僕と戦う事も辞さないハズさ。だから考える必要はない。
何故なら彼と僕の進む道は、決して交わらないだろうからね」
「…………!」
アイは心の底からゾッとした。綺織先輩と再会した時から、ずっと微かにこびりついていた違和感の正体にようやく気づいた。
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