1 / 1
1.孤独な闘い
しおりを挟む
昼下がりの教室。
抑揚のない教師の声とカッカッというチョークが黒板の上を滑る音だけが響いている。
穏やかな午後の時間。
静かな空間と食後の満腹感からくる睡魔の誘惑に負けた者たちが机の上に伏せている。
この日本史教師は授業中に寝ていても怒らないことで知られている。
午後の日本史の授業は生徒にとって格好の睡眠時間なのだ。
もちろんテスト内容はきっちり授業中に話したところから出すので、真面目に授業を受けている者からの人気も高い。
普段の俺の振る舞いはどちらかといえば前者だろう。
特段寝不足な生活を送っているわけではないが、やはり食後のこの時間はいかんせん眠くて仕方ない。
怒られるリスクを負わずに寝ることのできるこの時間は俺にとっても至福だった。
しかしながら、毎時間寝ていてはテストが危ないことは承知している。
そこで俺は時々起き上がって板書だけはしっかり写すようにしている。
この教師はまず黒板一面に板書してからそれにそって解説をするというスタンスなのだ。
そこで板書するタイミングで起き上がりノートに写したあと、解説の時間に寝る。
次の板書をし始めたら再び起き上がってノートをとり、また寝るを繰り返す。
そんなに都合よく板書のタイミングで起き上がれるものなのか。
こればかりは慣れるしかないだろう。
自分の中でタイミングよく起きるリズムを作ることさえできれば、それほど難しいことではない。
このやり方だと、口頭でしか説明をしなかった部分をテストで解くことができないが、別に俺は満点をとりたいと思うほど優等生ではない。
赤点さえ回避できればそれでいいのだ。
いつもなら他の生徒同様に至福の時間を満喫しているところだが、今日ばかりはそういうわけにもいかなかった。
この教室が未曾有の危機にさらされているからだ。
正確にはある種のテロ行為が行われる予兆を察知しているというべきか。
テロ行為は政治的、宗教的、民族的など何かしらの主張のもとに行われることが多い。
抑圧された者たちが限界を迎えた時、テロという形で己の主張を表明する。
しかしながら、質の悪いことに今回この教室で行われようとしているテロにはなんの主張もない。
日が朝昇り夜沈むように、ごく当たり前のこととして行われようとしている。
このテロをあえて分類するとすれば、バイオテロだろうか。
もし行われてしまえば、不可視の攻撃がのんきに寝ている生徒たちを襲うことになるだろう。
幸か不幸か、今この教室がそんな危機にさらされようとしていることに気がついているのはおそらく俺だけのはずだ。
どうして教師に伝えないのか。
他の者を無用な危険にさらす必要はないのではないか。
確かにそうなのかもしれない。
事実、俺がこのテロに気がつくのがあと30分早ければ、即座に申し出ていただろう。
しかしながら、そうはならなかった。
このテロを防ぐことができるのは俺だけだ。
否、こうしている間も俺は全神経を集中してテロを食い止めている。
普段の俺を知る者からすれば、これほどの集中力を発揮しているという事実は驚愕に値するだろう。
今の俺には板書をとる余裕すらない。
油断すればすぐにでも押しきられてしまうからだ。
精神的負担が大きく、今にも心が折れそうになる。
それでも俺はなけなしの気力を振り絞って、超自然的なテロからみんなのことを守らなければならない。
なぜそこまでするのか。
別にみんなのためだとか、そんな綺麗事をいうつもりはない。
全ては己の矜持を貫くため。
ここで諦めてしまったら、きっと俺は俺を許すことができないだろう。
自分が自分であるために。
これからも誇りをもって平和な生活を送れるように。
俺は闘わなくてはならない。
たとえそれが誰に知られることもない、孤独な闘いだとしても。
この場で唯一このテロに対抗できる俺だが、それでもできることといったら独り耐えることだけだ。
防戦一方なこの闘い。
一見勝ち目がないように思う。
だが俺は気がついている。
この闘いの勝利条件を。
カチッ、カチッと時折時を刻む音を響かせる、黒板の上に設置されている時計に視線を向ける。
(あと3分、あと3分だけ耐えるんだッ……!)
俺の勝利条件。
それは制限時間まで耐え抜くこと。
凶悪なテロではあるが、なにも対処法がないわけではない。
制限をかけられている今の俺には耐えることしかできないが、あと3分耐え、己を縛るものから解き放たれさえすれば必殺の手段を行使することができる。
いつもならあっという間に過ぎ去る3分という時間が、まるで永遠のように感じる。
冷や汗が止まらない。
きっと今鏡をみれば、そこには蒼白な顔が映ることだろう。
遅々として進まない針を睨みながら最後の力を振り絞る。
そしてついに辛く苦しい闘いに終わりが訪れた。
(3……、2……、1……!)
カチッ
キーン、コーン
「では今日の授業ははここまでにします」
教材をまとめ、教室を後にする教師の背中を見送った俺はトイレへと駆け込んだ。
孤独な闘い 完
抑揚のない教師の声とカッカッというチョークが黒板の上を滑る音だけが響いている。
穏やかな午後の時間。
静かな空間と食後の満腹感からくる睡魔の誘惑に負けた者たちが机の上に伏せている。
この日本史教師は授業中に寝ていても怒らないことで知られている。
午後の日本史の授業は生徒にとって格好の睡眠時間なのだ。
もちろんテスト内容はきっちり授業中に話したところから出すので、真面目に授業を受けている者からの人気も高い。
普段の俺の振る舞いはどちらかといえば前者だろう。
特段寝不足な生活を送っているわけではないが、やはり食後のこの時間はいかんせん眠くて仕方ない。
怒られるリスクを負わずに寝ることのできるこの時間は俺にとっても至福だった。
しかしながら、毎時間寝ていてはテストが危ないことは承知している。
そこで俺は時々起き上がって板書だけはしっかり写すようにしている。
この教師はまず黒板一面に板書してからそれにそって解説をするというスタンスなのだ。
そこで板書するタイミングで起き上がりノートに写したあと、解説の時間に寝る。
次の板書をし始めたら再び起き上がってノートをとり、また寝るを繰り返す。
そんなに都合よく板書のタイミングで起き上がれるものなのか。
こればかりは慣れるしかないだろう。
自分の中でタイミングよく起きるリズムを作ることさえできれば、それほど難しいことではない。
このやり方だと、口頭でしか説明をしなかった部分をテストで解くことができないが、別に俺は満点をとりたいと思うほど優等生ではない。
赤点さえ回避できればそれでいいのだ。
いつもなら他の生徒同様に至福の時間を満喫しているところだが、今日ばかりはそういうわけにもいかなかった。
この教室が未曾有の危機にさらされているからだ。
正確にはある種のテロ行為が行われる予兆を察知しているというべきか。
テロ行為は政治的、宗教的、民族的など何かしらの主張のもとに行われることが多い。
抑圧された者たちが限界を迎えた時、テロという形で己の主張を表明する。
しかしながら、質の悪いことに今回この教室で行われようとしているテロにはなんの主張もない。
日が朝昇り夜沈むように、ごく当たり前のこととして行われようとしている。
このテロをあえて分類するとすれば、バイオテロだろうか。
もし行われてしまえば、不可視の攻撃がのんきに寝ている生徒たちを襲うことになるだろう。
幸か不幸か、今この教室がそんな危機にさらされようとしていることに気がついているのはおそらく俺だけのはずだ。
どうして教師に伝えないのか。
他の者を無用な危険にさらす必要はないのではないか。
確かにそうなのかもしれない。
事実、俺がこのテロに気がつくのがあと30分早ければ、即座に申し出ていただろう。
しかしながら、そうはならなかった。
このテロを防ぐことができるのは俺だけだ。
否、こうしている間も俺は全神経を集中してテロを食い止めている。
普段の俺を知る者からすれば、これほどの集中力を発揮しているという事実は驚愕に値するだろう。
今の俺には板書をとる余裕すらない。
油断すればすぐにでも押しきられてしまうからだ。
精神的負担が大きく、今にも心が折れそうになる。
それでも俺はなけなしの気力を振り絞って、超自然的なテロからみんなのことを守らなければならない。
なぜそこまでするのか。
別にみんなのためだとか、そんな綺麗事をいうつもりはない。
全ては己の矜持を貫くため。
ここで諦めてしまったら、きっと俺は俺を許すことができないだろう。
自分が自分であるために。
これからも誇りをもって平和な生活を送れるように。
俺は闘わなくてはならない。
たとえそれが誰に知られることもない、孤独な闘いだとしても。
この場で唯一このテロに対抗できる俺だが、それでもできることといったら独り耐えることだけだ。
防戦一方なこの闘い。
一見勝ち目がないように思う。
だが俺は気がついている。
この闘いの勝利条件を。
カチッ、カチッと時折時を刻む音を響かせる、黒板の上に設置されている時計に視線を向ける。
(あと3分、あと3分だけ耐えるんだッ……!)
俺の勝利条件。
それは制限時間まで耐え抜くこと。
凶悪なテロではあるが、なにも対処法がないわけではない。
制限をかけられている今の俺には耐えることしかできないが、あと3分耐え、己を縛るものから解き放たれさえすれば必殺の手段を行使することができる。
いつもならあっという間に過ぎ去る3分という時間が、まるで永遠のように感じる。
冷や汗が止まらない。
きっと今鏡をみれば、そこには蒼白な顔が映ることだろう。
遅々として進まない針を睨みながら最後の力を振り絞る。
そしてついに辛く苦しい闘いに終わりが訪れた。
(3……、2……、1……!)
カチッ
キーン、コーン
「では今日の授業ははここまでにします」
教材をまとめ、教室を後にする教師の背中を見送った俺はトイレへと駆け込んだ。
孤独な闘い 完
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
誰の金で生活してんの?
広川朔二
ライト文芸
誰よりも家族のために尽くしてきた男がいた。朝早くから働き、家事を担い、家庭を支えてきた。しかし、帰ってきたのは妻の裏切りと娘の冷たい視線。不倫、嘲笑——すべてを悟った男は、静かに「計画」を始める。仕組まれた別れと制裁、そして自由な人生の再出発。これは、捨てられた“だけの男”が、すべてをひっくり返す「静かなる復讐劇」。
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる