孤独な闘い

黒うさぎ

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1.孤独な闘い

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 昼下がりの教室。
 抑揚のない教師の声とカッカッというチョークが黒板の上を滑る音だけが響いている。
 穏やかな午後の時間。
 静かな空間と食後の満腹感からくる睡魔の誘惑に負けた者たちが机の上に伏せている。
 この日本史教師は授業中に寝ていても怒らないことで知られている。
 午後の日本史の授業は生徒にとって格好の睡眠時間なのだ。
 もちろんテスト内容はきっちり授業中に話したところから出すので、真面目に授業を受けている者からの人気も高い。

 普段の俺の振る舞いはどちらかといえば前者だろう。
 特段寝不足な生活を送っているわけではないが、やはり食後のこの時間はいかんせん眠くて仕方ない。
 怒られるリスクを負わずに寝ることのできるこの時間は俺にとっても至福だった。

 しかしながら、毎時間寝ていてはテストが危ないことは承知している。
 そこで俺は時々起き上がって板書だけはしっかり写すようにしている。

 この教師はまず黒板一面に板書してからそれにそって解説をするというスタンスなのだ。
 そこで板書するタイミングで起き上がりノートに写したあと、解説の時間に寝る。
 次の板書をし始めたら再び起き上がってノートをとり、また寝るを繰り返す。

 そんなに都合よく板書のタイミングで起き上がれるものなのか。
 こればかりは慣れるしかないだろう。
 自分の中でタイミングよく起きるリズムを作ることさえできれば、それほど難しいことではない。

 このやり方だと、口頭でしか説明をしなかった部分をテストで解くことができないが、別に俺は満点をとりたいと思うほど優等生ではない。
 赤点さえ回避できればそれでいいのだ。

 いつもなら他の生徒同様に至福の時間を満喫しているところだが、今日ばかりはそういうわけにもいかなかった。

 この教室が未曾有の危機にさらされているからだ。

 正確にはある種のテロ行為が行われる予兆を察知しているというべきか。
 テロ行為は政治的、宗教的、民族的など何かしらの主張のもとに行われることが多い。
 抑圧された者たちが限界を迎えた時、テロという形で己の主張を表明する。

 しかしながら、質の悪いことに今回この教室で行われようとしているテロにはなんの主張もない。
 日が朝昇り夜沈むように、ごく当たり前のこととして行われようとしている。

 このテロをあえて分類するとすれば、バイオテロだろうか。
 もし行われてしまえば、不可視の攻撃がのんきに寝ている生徒たちを襲うことになるだろう。

 幸か不幸か、今この教室がそんな危機にさらされようとしていることに気がついているのはおそらく俺だけのはずだ。
 どうして教師に伝えないのか。
 他の者を無用な危険にさらす必要はないのではないか。

 確かにそうなのかもしれない。
 事実、俺がこのテロに気がつくのがあと30分早ければ、即座に申し出ていただろう。
 しかしながら、そうはならなかった。

 このテロを防ぐことができるのは俺だけだ。
 否、こうしている間も俺は全神経を集中してテロを食い止めている。
 普段の俺を知る者からすれば、これほどの集中力を発揮しているという事実は驚愕に値するだろう。
 今の俺には板書をとる余裕すらない。
 油断すればすぐにでも押しきられてしまうからだ。
 精神的負担が大きく、今にも心が折れそうになる。
 それでも俺はなけなしの気力を振り絞って、超自然的なテロからみんなのことを守らなければならない。

 なぜそこまでするのか。
 別にみんなのためだとか、そんな綺麗事をいうつもりはない。
 全ては己の矜持を貫くため。
 ここで諦めてしまったら、きっと俺は俺を許すことができないだろう。
 自分が自分であるために。
 これからも誇りをもって平和な生活を送れるように。
 俺は闘わなくてはならない。
 たとえそれが誰に知られることもない、孤独な闘いだとしても。

 この場で唯一このテロに対抗できる俺だが、それでもできることといったら独り耐えることだけだ。
 防戦一方なこの闘い。
 一見勝ち目がないように思う。

 だが俺は気がついている。
 この闘いの勝利条件を。

 カチッ、カチッと時折時を刻む音を響かせる、黒板の上に設置されている時計に視線を向ける。

(あと3分、あと3分だけ耐えるんだッ……!)

 俺の勝利条件。
 それは制限時間まで耐え抜くこと。

 凶悪なテロではあるが、なにも対処法がないわけではない。
 制限をかけられている今の俺には耐えることしかできないが、あと3分耐え、己を縛るものから解き放たれさえすれば必殺の手段を行使することができる。

 いつもならあっという間に過ぎ去る3分という時間が、まるで永遠のように感じる。
 冷や汗が止まらない。
 きっと今鏡をみれば、そこには蒼白な顔が映ることだろう。

 遅々として進まない針を睨みながら最後の力を振り絞る。

 そしてついに辛く苦しい闘いに終わりが訪れた。

(3……、2……、1……!)

 カチッ

 キーン、コーン

「では今日の授業ははここまでにします」

 教材をまとめ、教室を後にする教師の背中を見送った俺はトイレへと駆け込んだ。



 孤独な闘い  完
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