僕の前の席の女の子

黒うさぎ

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1.僕の前の席の女の子

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 二学期の初日、1人の女の子が転校してきた。
 名前は沙耶香さん。
 大人しそうな感じの子だった。

 僕のクラスでは各学期の始めに席替えを行う。
 つまり今日は4年生になって2回目の席替えの日だった。

 まだ自分の席が決まっていなかった沙耶香さんも一緒にクジを引いて席を決めた。
 席替えのときはいつも教室の中がそわそわとした空気に包まれる。
 みんな誰と近くの席になるか不安と期待で胸を膨らませているのだろう。

 そうしてくじ引きの結果、僕の前の席は沙耶香さんだった。

 ◇

 席が近いからだろう、沙耶香さんは休み時間の度に僕に話しかけてきた。
 僕もどちらかというと物静かなほうなので話しかけやすかったのかもしれない。
 好きな雑誌やお菓子の話など、前の学校の女の子の間で流行っていたものの話をいろいろしてくれた。
 男の僕ではどうしても女の子の趣味嗜好の話をする機会がなかったので、貴重な経験だった。
 しかし、気がかりなこともある。
 沙耶香さんが転校してきてからしばらくたつが、彼女が他の子と話をしている姿をほとんど見かけないのだ。
 原因ははっきりしている。
 僕が教室にいるときは僕とばかり話しているからだ。
 僕としても話しかけられること自体は嬉しいのだが、沙耶香さんには僕以外にも話せる人、友達をつくってほしいと思う。

 ◇

 ある日、沙耶香さんが熱を出して学校を休んだ。
 こういうとき、いつもなら休んだ子の友達がプリントを届けにいくのだが、ここで問題が生じた。
 彼女の家を知っているのが僕しかいなかったのだ。
 もう少し他の子との橋渡しをしておくべきだったかと後悔した。
 仕方がないので放課後、僕は沙耶香さんの家にプリントを届けにいった。
 さすがに体調を崩している本人に会うことはできなかったが、プリントを受け取ったお母さんには感謝された。
 プリントを持ってきたことに対してかと思ったが、どうやらそれだけではないらしい。
 沙耶香さんは家でよく僕の話をするのだそうだ。
 転校してきて学校生活が不安だったが、僕のお陰で楽しく通うことができているといわれた。
 僕以外に話し相手がいなくて不安だったが、少しホッとした。
 なにも友達の数で幸せが決まるわけではないのだ。
 少し心配しすぎていたのかもしれない。
 それに、僕のお陰で学校が楽しいといわれて、素直に嬉しかった。
 あまり特定の子とばかり話していると周りからあらぬ誤解を受けかねないが、もうしばらくは今のままでもいいのかもしれない。

 ◇

 月日というものはあっという間に流れていく。
 気がつけば沙耶香さんが転校してきてから半年ほどが経過していた。
 多少は他の子とも話をするようになってきた彼女だが、それでもやはり毎日のように僕に話しかけてくる。
 三学期になって席替えがあったのだが、なんの因果か再び沙耶香さんが僕の前の席だった。
 席が決まったときの彼女の嬉しそうな表情は、みている僕の方が照れ臭かった。

 そんないつもとかわらない2月のある日。
 うっすらと雪が舞っている中、今日も僕は一番乗りで教室に来たつもりだった。
 この時期は寒いので教室に備え付けられてあるストーブをつけるのだ。
 早く来た人が自由につけていいのだが、僕はできるだけ一番に来てストーブをつけるのを日課にしている。

 教室へいくと既に電気がついており、耳をすませれば中からわずかにゴォーというストーブの音も聞こえる。
 僕より早く来るなんて珍しい。
 いったい誰だろう。

 ゆっくりとドアを開けると、中にいたのは沙耶香さんだった。

「おはよう」

「あっ……」

 いつもなら気さくに挨拶してくる彼女だが、今日はどうも様子がおかしい。
 僕の顔を見るなり固まってしまった。

 僕はドアを閉めると、自分の席に座って彼女が再起動するのを待った。

 しばらくすると多少落ち着いたのか、ぎこちない動きではあるが動き始めた。
 何やら鞄の中を漁っている。
 そうして目当てのものを探り当てたのであろう彼女は深呼吸をすると僕の席の前に立った。

「あの……、これ」

 差し出された彼女の手にあったのは、可愛らしくラッピングされたひとつの包みだった。

(ああそうか、今日はバレンタインか)

 自分とは無縁な行事だったのですっかり忘れていた。

 わずかに震える手で差し出されたそれを僕は大事に受け取った。

「ありがとう」

 チョコレートを誰かからもらったのなんていつ以来だろうか。
 義理とはいえチョコレートをもらえるのは男としてやはり嬉しいものだ。
 そんなことを考えていたときだった。

「好きです」

 あまりにシンプルで、真っ直ぐなその告白は無防備だった僕の心を貫いた。

(僕は今、沙耶香さんに告白されたのか?)

 事態の流れに思考が追いつかない。
 呆然としてしまったが、彼女の顔を見てはっとした。
 不安そうで、それでも真っ直ぐに僕を見つめる瞳に思わず唾を飲み込む。
 彼女は真剣なんだ。
 真剣に僕に告白して返事を待っている。

 僕も彼女にあわせるように席を立った。
 少し視線を下げ、彼女を見つめる。

「ごめん、僕は沙耶香さんとは付き合えない」

 その瞬間、彼女の顔から生気が抜けたのがわかった。
 みるみるうちに白くなるその顔を見ていると、胸を締め付けられた。

「……そう、ですよね。
 わかってました」

 頬を濡らしながらぎこちなく微笑む彼女はあまりに儚くて、このまま消えてしまうのではないかと錯覚するほどだった。

「……ごめん」

 何か言わなくてはと思ったが、どんな言葉を紡いだところで白々しくて、結局口からでたのはなんの意味もない謝罪だった。

 我慢の限界だったのだろう。
 一瞬顔を歪ませると、そのまま教室を出ていってしまった。

 僕は彼女の背中を追いかけることもできずに、ただただ開け放たれた教室の入り口を見つめていた。

 ◇

 あの日を境に沙耶香さんが積極的に僕に話しかけることはなくなった。
 大人しい子ではあったが、人付き合いが苦手なわけではなかったらしい。
 あっという間に女子グループのうちの1つに溶け込んでいった。
 毎日話しかけてくれた相手から声をかけられなくなるのは少し寂しかったが、これが本来あるべき形なのだろう。

 僕は教師としてあの日の返事は間違っていなかったと思っている。
 僕の使命は彼女が輝かしい未来を歩むための手伝いをすることであり、彼女の未来を縛ることではない。
 彼女の未来と僕の未来が交わることなどあってはならないのだ。

 頭ではわかっているのに、心にかかったもやが晴れることはなかった。



僕の前の席の女の子  完
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