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小さなランタン
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「いらっしゃいませ」
「ども、んー、思ったよりこ洒落た店だね」
男は赤い手をこすりながら、如何にも無理やりな明るい声を、投げかける。
「寒いね、ねーちゃん」
「すみませんね、いや、まあ」
あーだこうだ、そう思ってはいない口調で答える。こちらとしても、もう少し暖が欲しいところなのだが、商売上シカタガナイのだ。
「ランタンの持つ仄かなぬくみが薄れてしまいますから」
「いやいや、責めてない、責めてない。そろそろ雪の季節だなってこと」
「そうですね。この土地の冬は冷えますから。そうやって、ここの白菜は美味しくなっていくんです」
この土地にいないだろう男を、そう言ってあしらう。
「冷たい奴だな」
「ははっ、良く言われます」
妙にとげとげしたやり取りに、かえって場があったまる。こういう人は嫌いじゃない。相手もそう思ったのだろうか。
「良く出来てるよ。このランタン」
「ありがとうございます」
「特に入り口のウィンドウの。派手さはないが、ないだけに、空間を壊さない。障子越しの和室も良いけれど、こたつのある居間にこそ、映えるだろうね。あの灯りは」
夏から少しずつ練った灯だった。思い描いた熟した柿のダイダイを出せたと思う。その表面には古典から続く空。カキクエバ。
「どうも。この子は可愛くて、お気に入りで。茜って言います」
職人がランタンの灯に仮につける名前、幼名を紹介するのは余り好ましくないと思われている、自分でもその自己主張は嫌いなのだけど、それがつい出てしまった。
「そっ。ふーん。夕日から?」
「はい。夕焼けの少し頼りなげな陽の光が、夜まで続くことを願って、作りました」
「はは、ロマンチックだね」
「ここだけの話にしといてくださいね」
広まっても別に構わないのだが、なんだか照れくさいのだ。それに噂話にされると、この子が汚れる気がする。
「それで、このランタンを? 少しお高いですが」
「いやいや、あんたは腕がいいってこと」
「はあ」
「オーダーメイドで頼むよ。やってくれるだろ」
男はそう言って、肩掛けカバンからCDと香水と一枚の写真を出した。
*
これから7日間の店番をアルバイトの弥子ちゃんに頼み、食料の買い出しをする。インスタントが中心になるが、雰囲気だけでも南国をと、片道五百四十円の切符でアジアンフード店に行き、現地のインスタント食品を買いだめする。ソプブントゥットなんて、わけのわからない名前が、想像を刺激して、なかなかに良い。
「あれだよ。好きだった子がいてさ。プレゼント? 違うね、違う。あと、もうちょい、なんかあったら、その機会があったかもしれないけどさ。結婚したんだよ。結婚。そっ。俺以外とな。そんでさー、バリ島でハネムーンなの。なんかね、みんな人が素朴で親切で、あったかいし、星がきれいなんだって。なんてな。だから、それに負けないくらいにリゾートな気持ちになる、ランタンを頼むよ。頼む」
なるほど、遠くからのお客だったわけだ。地元の馴染みのランタン屋には恥ずかしくて、話せそうもないリクエストだ。わたしの職人の腕を信頼してと思いたいところだが、きっとそうではない。ランタン屋なんかに求める理由なんて、きっと、しょうもない。
香りが飛ぶように人肌に暖めたハンカチを、幾つか周りに置き香水を垂らす。少し控えめで、でもしっかり主張した甘いオレンジの香り、要するにわたしの嫌いなオンナの香りだ、がふわんとする。これも仕事と躊躇いを捨てて、香水をわたしの手首に、後ろ髪を持ち上げてうなじにも振りかける。
CDをセットすると、波の音を中心として、時折、鳥の声が、それも日本のそれとは違うような、きぃきぃと高い声が混じり、微かにピアノの和音が聞こえてくる。オリエンタルな民族音楽と思っていたが、なるほど、思ったよりもセンスが良い。男のセンスだろうか、彼女のセンスだろうか。だが、如何にもな「バリ島でーす、南国の楽園でーす」と叫んでそうな、木製の素朴な小屋と妙にフレンドリーな現地住民にエメラルドブルーの海と言う写真が、それを台無しにしている。
だけど、伝えたい気持ちはわかる。その嘘くささ、観光的な健全さも含めて、彼はランタンの灯に求めているのだろう。わたしとしては本物の楽園を追求したい気持ちはあるが、そうした灯を彼は求めていない。一人っきりの部屋で、彼女と共に、彼の中で汚されていない彼女の思い出と共に、過ごす時間には、心からの安らぎやバリの空気は、心を落ち着かさせないだろう。求められているのはツアー客の為の、謂わばディズニーのコンクリートとモルタルで出来たリゾート気分。本格派のランタン使いには本意ではないかもしれないが、わたしには、それも含めた男の気持ちがなんとなく分かる気がするし、だからその「ツクリモノ」に全力を捧げたい。
灯はまだ使わない。ゆっくり、ゆっくり、あるべき色と温かさを心の中で練る。イメージする。
仕事を引き受けた時に、使うと予想していた73番と12番の熱帯のイメージは消えていく。
34番。そして何よりも268番の弾むような黄色がイメージされた。少し高くつくけれど、これ以上ぴったりと寄り添う色はない。これに87番の温かさ。
三日かけて、素材を決めた晩は、どっと疲れが来る。お風呂はパスして、もちろん朝風呂には入るのだが、うんざりし始めたアジアンな夕食もパスして、ベッドに転がり込み、眠りに通勤快速した。
電車をゴトゴトして池袋の色屋に行く。ネット通販という手もあるが、注文してからの無駄な二三日の空白が自分に合わない。ぼやぼやすると契約期限が過ぎてしまうし、冬用ランタンのシーズンも過ぎてしまう。何よりも香りと音楽の中でのファーストインスピレーションが霞んでしまうのが怖い。サンシャインシティ方面の飲食街、相変わらず人もラーメン屋もごみごみしている、を通り抜け、ゆるゆるした信号を待って、大きな道路を突っきり、ビルと言うには低い5階建ての地下2階に下りていく。
壁には当店の新作、季節の新色、なんて、天A、天B、天Cと言った、若紫、赤紫、臙脂の、店主の喋り方のはきはきした爽快さのようなものを帯びたランタンが、並べられている。一般のランタン屋で使われ、流通しているブランドメーカーで使われるのが馴染みの色。1番やら、2番やら、番号で呼ばれる。新色なんて素材屋が独自でこしらえた色は、店の屋号とアルファベットで呼ばれる。天Aの天は「俊天堂」の天だ。そのA。店主曰くエースのAらしい。
数年に一度昇格会議がお偉いさんの間で行われ、イングリッシュなオリジナルが、広く一般にも通じる番号になることもあり、多くの店がそれを目指す。この「俊天堂」の「天」シリーズも四つの定番を生み出した、筈だ。確か最後はわたしが小学生の時。先代が弾むように喜んでいた。なんで覚えていたかと言うと高そうな浅草のすき焼き屋で大宴会をしたのを、その味とどこかのおっさんの腹芸と共に覚えているからだ。あの、おっさんの腹芸は面白かったな。たぷたぷの腹が腹話術のように喋り出し、細い目がにこにこ笑ってた。偉い人には別になりたくないけれど、あの腹芸は見たいものだ。
街の古本屋ほどのスペースに、ところ狭しとランタンが並んでいる。余りにもきらきらしていて、それは宝石だけで作られた城のように、美しいというよりも、なんだかギラギラして不気味。
それぞれのランタンに番号が振られていて、その番号順に並べられている。買うのはランタンではなく、その素材の灯なのだが、この方がわかりやすいと俊天堂ではこう置いている。確かにこちらの方が灯りを分けてもらっている気がして、番号と色だけのネット通販、実は俊天堂もしているのだが、よりはずっと好きだ。偶に見過ごしてしまいがちな色に目が留まることもあるし、年齢によるのだろうか、気分によるのだろうか、何気なく通り過ぎていた色に、妙に魅かれるような再発見をすることもある。今回も85番の控えめな桃色になんだかとくんとし、新番に格上げされたあの店のあれは思ってたほど、なんてこともあった。
*
イメージするは、バリの市街とは離れたコテージのような宿泊施設での、お馴染みのファイアーダンス。伝統ある楽器の音色に、急遽つけくわえられたような、それでいて、それにも関わらず、ジャカルタの熱帯林の古木だから出る、赤くて柔らかな、生活に使うのではなくて、葬儀の弔いの棺を燃やすような炎。真剣な、それでいて、故人が天に昇ることを喜ぶ顔。それが火に染まるとき。毎日行われる特別な星空の夜。
34番、87番の瓶の蓋を外す。真っ黒の瓶から、黒みがかった赤とオレンジの灯がふわふわと出口を求め飛び出す。それを手の平でそっと包み、体温で柔らかくほぐし、一つの灯へと暖める。型にまとまりそうなところを、268番の瓶からこつこつと底を叩いて、黄の灯のりんぷんというか、なんというか、灯の残り香をまぶすように振りかける。ガラスのそぼろで出来たおにぎりを形作るように、そっと、圧を加える。
ここまで五分。どうにか型は出来た。ここが出来上がれば商品としての灯は、完成したようなものだ。だが、作品として職人として問われるのはここからだ、と先代もその友たちも言う。温かさと光の微妙な加減を作り出す、灯の凹凸、色の混ざり具合、その色の混じった結果だけではなく、灯の寿命が来るまでのその変化をもたらす微妙な隙のような余裕、どのように変わっていくか、変えていくか、そこまでも決めてこその職人の腕。この過程で、灯を作る人の心が宿る、と先代の口伝でもホームページでもよく言われる。わたしにはまだ良くわからない。
イメージを広げていく。
少し甘い、異性を意識した香水のフレーバー。それが分かるほどに心が近づいた二人。肉体がふれあう二人。波の音。鳥の声。緩やかで穏やかで、心地よい感触。洗いたての毛布のような。柔らかな当たり前の感覚。CDの音には女性ボーカルの声は無かった。代わりになるようなものはなかったのだろう。ピアノの音。繊細と言うより、控えめでありつつも確かな色。稽古で出るものではなく、自然と手を滑らせて紡がれたようなメロディ。
ふわりふわり。色の白い、眉の整った、大粒で少し意志の強そうな瞳が浮かんだ。彼女も彼も知っている。お互いに好きなことを。お互いに好きな景色も本も色も食べ物も。ずっと一緒だった。
いけない。
バリの写真でパチリと撮って、パンフレットに乗っけたような。「はいチーズ」ってタガログ語で何て言うんだっけ、って笑ってそうな老人の顔と、今では漁に使われなくプライベートビーチになってそうな海が広がっていく。その遠い遠いところに、あれだけ近かった彼女が、張りぼての景色に引き離され。そして二度と帰ってこない。
つんとしてしまう。抑えろ、と言ってもきかないから、必死にこらえた。
出来たランタンは南国の鮮やかな赤と黄、そこに咲いた日本の牡丹って感じだった。
でも、どうにも抑えきれない気持ちが、色を薄めたというか透明にした気がする。一般のお客さんにはわからないし、同業者もわからないだろうし、わたしにも分からないだろう淡さだけど。だけど、これはこれで良しかなと思う。たぶん思い描いた色を、完ぺきな出来栄えで形にしてしまっていたら、きっと後悔の残る仕事になった気がするから。この薄さに、彼の笑えるスペースが出来ていたらなと思って、出来立ての灯を見つめる。
*
冬の頼りない朝日に、街がそれでも毎日を営みだそうとしている。わたしはひゅうっと抜ける風に背を丸め、ゆるゆると歩いていく。家に着いたら永谷園のウメ茶漬けとお味噌汁を食べれるのが嬉しい。
あのランタンの名前は。他人にも本人にも教えない幼名だけど。どうしよう。
「貴婦人」
違うな。
「南方の恋人」
少し甘すぎるかな。
なんて歩いていく。
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