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#1 赤ラメと漣ナミ

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「あー、テステスー、マイクテース」
 僕はお風呂上がりのしゃがれた声でマイクに向かう。モニターの右半分に表示した配信ソフトの音量メーターが黄色や赤に届き、声が入っていることを確認する。
 左半分に〝赤ラメさん ようこそ〟と表示された配信ページでも、0:01と配信時間のカウントが始まった。いつも思うけど、僕はなぜ配信を始める前にマイクテストをしないのか。
 僕はコントローラーを机の上に置いたまま、しばらくぼーっとした。大物配信者でもない限り、始まってすぐに視聴者が――
〝こんばんはー〟
 漣(さざなみ)ナミさんが一つ目のコメントを入力してくれた。速い。
「ナミさんいらっしゃーい」
 可愛らしい虎柄の猫のアイコンは、もうすっかり見慣れた。決していつも来てくれるわけではないけど、来る時は文字通り光の速さで来てくれる。暇なんだろうか。大学生の僕に言えたことじゃないけど。
〝今日も一番乗り! イェイ(ノ・ω・)ノ〟
「本当いつもありがとうございます。それじゃあ、来てもらったのでそろそろ始めますねー」
 今日僕がやるのは、僕の配信ではすっかりお馴染みになったTPSゲーム、Aquatoonだ。発売からそこそこ時間が経って、他にも魅力あるTPSが登場してきたことで、オンラインのユーザーはそこそこ減ってきているけれど、僕と言えばこれ、みたいなところが僕の中でもリスナーさんの中でも出来ている気がするから、安易にこれにしてしまう。
 マッチング画面に遷移して、人数が八人揃うのを待つ。やはり、全盛期よりは揃うのに時間がかかるように思う。〝マッチング完了! バトルを開始します!〟の表示が出て、僕らは戦場となるステージに飛ばされた。
「うわ、アンコウ海底遊園だ、苦手なんですよね、ここ。何回やっても全然コツ掴めなくて」
 配信者によってまちまちだけど、僕は比較的ずっと喋っている配信者だ。ゲームの腕も高くないし、リスナーさんには見るというより、聞く方に重点を置いてもらっている。
〝私はアンコウ結構好きですよ。裏取りするのが特に楽しいです〟
「ナミさん裏取り上手いですからね」
 ゲーム画面を映したモニターでプレイしながらも、もう片方のモニターでコメントの流れに気を遣うのは、配信を始めてから一年以上が経つ今は、もうすっかり慣れた。
 戦闘開始の合図が鳴って、僕はコントローラーのスティックを前に倒した。
 Aquatoonは、四対四で行う陣取り合戦だ。それぞれのチームが、自分のチームの色をしたインクをステージ中に塗り広げて、最終的にどちらが多く色を塗ったかで勝敗が決する。例えばこの試合なら、僕の属するチームは青色、相手チームは緑色だ。水鉄砲を模した武器を手に、僕は青いインクの銃弾を、そこいら中の床に比較的適当にぶちまけはじめた。
 どういう理屈かはともかく、相手のインクを食らうとプレイヤーはダメージを受ける。それが一定値を超えると、プレイヤーは一時的に戦闘不能になる。数秒間復活出来ず、その間チームは数的不利に陥って、陣取り合戦で不利になる、という仕組みだ。
 このゲームでは陣地を拡張するという要素と、相手を倒すという要素が混在する。だから、プレイヤーの性格によって、最初に取る動きは様々だ。腕に自信があったり、血気盛んな性格のプレイヤーは、颯爽と中央に向かって会敵を狙う。僕みたいにタイマンに自信のないプレイヤーは、じみちに陣地を塗り広げるのに集中する。チキンだって煽られるけども。
 自陣近くをあらかた塗った辺りで、コメント欄には新たに二人のリスナーさんが増えていた。
「よだかのどかさん、スナギモさんいらっしゃーい」
 ナミさんを含めたこの三人は、みんな対戦するために見に来てくれている。
 大物配信者と違って、一度の配信で来てくれる人はせいぜいマイナーなサークルの総人数くらいだから、見に来てくれた人とリアルタイムで対戦する、視聴者参加型を取ることが出来る。そのおかげで、ただ漫然と見るだけの配信より、定着率が高い――と思いたい。
 もう塗るところがなくなってしまって、僕はインク弾を発射して緑色を青色に塗り替えながら、前に突き進――もうとしたところで、唐突にやられてしまった。画面には僕を倒した相手の姿が映る。ペンキを塗るのに使う(よりは、僕には転がして床のゴミを取る掃除用具に見える)ローラを転がしていた。どうやら、相手はどこかに潜んでいたようだ。Aquatoonの仕様として、プレイヤーは自分の色のインクの中には溶け込んで姿を隠すことが出来るから、僕が塗り損じた所にいたんだろう。
〝クリアリングあっまw〟
 スナギモさんからの煽りコメントが付く。クリアリングとは、相手が潜んでいないか、きちんと確かめる作業のことだ。具体的には、このゲームでは相手のインクを極力塗り返して、潜む場所をなくすこと、ということになる。
 スナギモさんには大体この手の倒され方をするだけに、学習能力の無さを指摘されても仕方がない。
「いや、いつも気にはしてるんですけどね、してるんですけどね!」
 しても実際出来てなければ、意味がない。
 僕のキャラが復活して、さて再び戦場へ。その前にエリアマップを表示して、現在の情勢を伺う。マップにはリアルタイムで進行状況が反映される。今のところ、戦況はほぼ五分五分だ。僕を倒した奴が塗りに回らなくても、他の三人がその穴を埋めているらしい。
 制限時間三分の試合は、もう既に一分が経過している。究極のところ、このゲームは最後の占有率を競い合うものだから、最初の二分くらいはないがしろにしてもそこまで大きくは響かない。でも、配信は一秒一秒が肝心――またやられた。今度は一発でスナイパーに射貫かれた。
「ちょ、なんでそんな所にいるんだ!」
 僕を倒した相手は、さっと高台から退き、次の狩り場へ移動していく。み、見せ場が無い……。
〝もう少し試合に集中してもらっても良いですよヽ(・ω・ヽ)〟
 ナミさんのコメントが胸に沁みる。でも、それをしたところで、僕の場合プレイの精度が上がるわけではない。
〝赤ラメは集中しても無理w〟
「スナギモさん! そんなことはないですよ! 見てて下さいね、ここからが赤ラメの本領発揮ですから!」
 それでも、僕は戯けつつ闘う。これが僕、赤ラメの実況者スタイルだからだ。
 いくら僕の腕が低かろうと、可愛らしい女の子でもない限り、どこかでかっこよく相手を倒せるシーンが必要になる。だからどんな試合でも見せ場が欲しい。
 僕は気持ち眉をキリッとさせ、塗りもそこそこに前線に駆けてゆく。前方にはちょうど打ち合いをしている一組がある。周囲に緑のインクが散っている感じから、苦戦しているのは味方側のようだ。でも、僕の武器の射程ではここから相手までは届かない。そこで僕は瞬時に爆弾を投げることにした。
 水風船のような爆弾を直線的に投げつけると、相手は一発で倒れた。画面下部に倒した相手の名前が表示される。
〝やりましたね!〟というよだかのどかさんのコメントと、〝キル横取りw〟というスナギモさんのコメントが同時に流れた。
「まだです、まだ行きますよ!」
 ここから後三人、全部僕が倒してしまえば一気に試合の流れを持っていける。
 次の標的はさっきのスナイパーだ。高台で別の味方を狙っているのか、こちらからは無防備な脇っ腹が丸見えだ。僕はすかさず近づいて――

 試合終了の笛が鳴ると、僕は左手で目元を覆った。
「いやぁ、ことごとく見せ場なかったですね」
 別の味方を狙っていたはずのスナイパーは、僕のことに気付いていたのだろう、あっさりと僕に照準を向け、さっと射殺(いころ)した。それからというもの、ローラー使いに出会い頭のキルは取られなかったものの、何故か行く手行く手をスナイパーが待ち構えていて、僕はほとんど何もさせてもらえなかったのだ。
 試合結果は、もちろん惨敗。ステージの占有率は、味方が31.1%、相手が53.9%だ。
「皆さんが入ってなくてこれですからね、今日は幸先が悪いなあ……」
 いくら腕があれだと言っても、多少は謙遜。ここまでこっぴどくやられるのは、相当な相手にぶち当たったということではあるんだけれど、配信の出だしとしては、悪い空気での始まりということになる。
〝いつもの赤ラメw〟
〝大丈夫! これからどんどん倒しますので!〟
 うーん、そういうわけでもなさそうだ。配信開始すぐに来てくれる、いわゆる常連のリスナーさんたちは、僕の配信の空気作りに一役も二役も買ってくれている。
 僕は武器のカスタマイズ画面に遷移して、水鉄砲のような武器からドラム式洗濯機のような見た目の武器に持ち替えた。そう、さっきの試合に勝てなかったのは、武器のせいなんだ。
「これで勝てなかったらさすがにヤバいですね、持ち武器使うわけですし」
 待て、僕よ。どうして自分からハードルを上げた。
〝言質取ったw〟
 ほら、スナギモさん辺りが見逃すはずないじゃないか!
 再びマッチング画面に戻ると、リスナーさんたちのキャラクターの名前が揃っていた。どうやら、先ほど戦った人たちの多くは部屋を抜けていったらしい。
 マッチングが完了して、また戦闘ステージに移動する。今度はサクラ貝病院だ。高低差の少ない平坦なステージで、さっきのアンコウよりはまだ苦手意識が薄い。
 さて、どうしたものか。これが見知らぬ人七人との闘いなら、そこまで気負うところもない。でも、この三人が入ってくるとなると、話は別だ。最初から気持ちで負けている。
「ねえ! マッチングって二分の一の確率ですよね!?」
 もちろんそのはずだ。にも関わらず、三人の名前はいずれも相手チームの中に見える。見間違いだろうか。きっとそうだ。
 僕のチームはオレンジ色、相手チームは紫色だ。
〝全力で行きますね(^^)〟
 そして三人の中でも、いやおそらく、全プレイヤーの中でもとびきりの腕前を持つナミさんがそう言うと、僕にとっては軽い死刑宣告だ。
〝ナミさんこわw〟
〝赤ラメさんご愁傷様です〟
「嘘、ナミさんなんでいきなり本気なんですか!」
 ナミさんは好戦的な人で、おそらく僕が自陣付近に引きこもっていたとしても、全力で取りに来る。いや、獲りに来る。
 しかも、チーム分けの段階で見えたナミさんの武器は、圧縮したインクの塊を発射し、空気中で爆発させるという凶悪武器だ。爆風をモロに喰らったらもちろん即死で、どうにか直撃を避けたとしても、二発目を喰らったらどの道死ぬ。正確性が必ずしも必要でないことから誰にでも人気だけど、ナミさんが持つと一撃必殺の武器に化けるから、出遭わないことを祈るに限――
「来るの早すぎやしませんか!」
 まさに配信に来てくれた時並みの疾走感。ナミさんは移動速度が速くなる装備を身に付け、僕の首をさっとさらっていった。
〝赤ラメ乙!〟
〝味方で良かった!〟
〝(^^)〟
 最早顔文字だけになったナミさんからは、戦場で語る、といった空気さえ感じる。
 復活するまでの間、ナミさんのキャラを追いかけるカメラは、そのまま味方チームを蹂躙する鬼神の姿をしっかりと映していく。
 あっという間に味方は全滅。マップはどんどんと紫に浸食されていく。
「ナミさん本気出し過ぎです」
 いわゆる野良プレイヤーの集まりでは、明確な作戦など立てようもないから、好き勝手に各々の描いた打開策を取ろうとする。当てもなく直進してみたり、エリアの端から突破しようとしたり、とにかく爆弾を投げて相手が遠ざかるのを待ってみたり。でも、ナミさんはそういった全てをことごとく見抜いて、一人一人的確に処理していく。ナミさんにとって、複数人が同時に襲いかかってこない限りは、どこまでも一対一のとことん有利な闘いにしかならない。
 結局僕も、ナミさんが背を向けているところに攻撃をしかけようとしたけれど、振り向きざまに直撃をもらってあえなく轟沈。
 もちろん敵はナミさんだけじゃないわけで、よだかのどかさんやスナギモさんにもガッチリ前線を押し広げられて、一度も敵を倒せることなく試合は終わってしまった。
「あー、完敗ですね、もう」
 たった一人で十二回も相手を倒したと表示されたのを見て、僕はマイクの前で半笑いを浮かべた。
〝ナミさんヤバすぎw〟
〝次も味方でお願いします!〟
「本当、次は味方でお願いしますよ、僕も」
 僕の中の闘争心はメラメラと燃え上がりつつもあり、そして同時に萎びてもいく。それがいつもの本心で、でも決して表には出してはいけない感情。

 この日の配信は、ナミさんが敵にいるとほとんど負けて、ナミさんが味方になるとそこそこ勝てる、そんな展開が一時間半ほど続いた。スナギモさんは眠いと言って途中で抜けて、他に来たリスナーさんが二人、一緒に闘ってくれた。
「それじゃ、そろそろお開きにしますね。今日も楽しかったです。皆様、最後までご視聴ありがとうございました」
 挨拶を済ませて、配信終了のボタンをクリックする。それまでカウントを刻み続けていた数字は、1:37:26で止まった。
「ふぅ……」
 僕はわざわざ溜め息を吐いた。これでようやく、今日の肩の荷が下りたような気がした。
「ナミさんっていったい、どんな人なんだろうな」
 前に配信で、Aquatoonを2000時間以上プレイしていると言っていた。それだけの余裕があるのは、やはり大学生くらいのものだろうし、コメントの落ち着き方からしても、高校生よりは年上な感じがする。
 僕の配信には女性はほとんど来ないし、きっと凄くゲームの腕が立つどこかの男子大学生なんだろう。
 プレイヤーの中には、勝てる相手にひたすら勝って優越感に浸る人もいるけれど、多分、ナミさんはそういうのとも違う。僕の枠にも来て、楽しみつつ、実力を遺憾なく発揮して帰っていく。そういう感じだ。
 ただ一つ気になることとすれば、多くの面で、僕の実況チャンネルに強く関心を向けてくれている点だ。
 僕が上げている実況動画にもこまめにコメントをくれるし、ツイッターでも頻繁にではないけれど、アクションを起こしてくれる。それだけ僕の実況を楽しみにしてくれているということなんだろうけど、僕自身には、ナミさんを楽しませてあげられている自信は、ハッキリ言ってほとんどない。
「自己肯定感が低すぎるだけかな」
 僕は一人首を捻りながら、大きく背伸びをした。一時間半も同じ姿勢でいると、さすがに体が凝ってくる。後はもう眠るだけだし、そのままベッドに身を投げた。
 明日――というか今日は、午後から大学がある。しっかり眠っておかないと授業中に眠りそうだし、それに、楠田(くすだ)さんに酷い格好を見られるのも恥ずかしい。幸い、今から寝れば六時間睡眠は確保出来そうだ。
「さ、寝よ寝よ」
 僕は布団をひっかぶると、ナミさんのことも配信のこともすっかり忘れて、現実生活に思考をシフトしながら、眠りについた。
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