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壱・はるかと秋良

玖・別れ

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 待機を命ぜられた萌葱もえぎは、室内の様子が気になって仕方なかった。
 階下にいるよう指示されているのにもかかわらず、いけないとは思いつつも階段の中腹まで上ってきている程だ。
 室内から話し声は聞こえるが、どのような会話がされているかまでは聞き取ることができない。
 それが彼を余計にやきもきさせていた。

 待ちきれず階段を上り切ってしまおうかと考え始めた頃、部屋から人影が現れた。
 それは、小柄な人物を両腕に抱えたみどりだった。彼が羽織っていた上衣に包まれたその顔は、探し続けていた御方のものだ。

「翠殿……」

 萌葱は安堵の息をもらした。
 意識のない彼女の身を思えば未だ予断ならない状況ではあるが、消息が途絶えたままだったこれまでを思えばどれだけ希望が感じられることか。

 翠はゆっくりと、壊れ物を抱えてているかのように階段を下りていく。すぐに城に戻る旨を萌葱へと伝えると、萌葱は一礼し先んじて宿の外へ出た。

 秋良はその様子を二階から見送っていた。
 ふと思い出し、意識するより言葉が先に出る。

「そいつ、兄貴がいるのか?」

 翠は足を止め、静かに秋良を振り仰いだ。

「なぜ、そのようなことを?」
「本人がそう言ってたんだ。城に戻ったら会せてやれよ」
「そうか……承知した」

 再び歩き出した翠の背を見ながら、秋良は違和感を感じていた。

 今の反応。『なぜ、そのようなことを?』
 もしかしたら、兄は存在しないのか。彼女に兄がいる、もしくはいた、として。
 そうだったならばもっと別の言葉になるのではないだろうか。

 当時砂漠ではるかを見つけた後、沙里で意識を取り戻したはるかにも同じことを尋ねた。
 しかし、石を渡すと言っていたくだりも兄のことも覚えていなかった。
 瑠璃色のあの石がとても大切なものだということだけ、鮮明に記憶に焼きついている、といった様子だった。

 秋良が自らの考えに沈んでいる間に、翠の姿は表戸の向こうに消えていた。
 部屋に戻った秋良は、寝台の上に置かれている革袋を確認した。
 中に入っているのは、一目見ただけでは到底数えられない量の金。重さからして、四、五十枚は入っているだろうか。
 秋良は袋の口を素早く縛りなおし、懐に入れた。床に投げ出されたままになっている外套を羽織って、一人部屋を後にした。

 足早に階下へ下りていくと、二階からは死角になっていた位置に主人の広満ひろみちが立ち尽くしていた。
 様子がおかしい。うつろな眼のまま直立の姿勢で微動だにしないのだ。

 その横をすり抜け、振戸から表通りを見回したが翠たちの姿はない。
 秋良は広満のところへ戻り、二度声をかけたが反応がなかったため彼の脚を蹴り飛ばした。

「あいたっ!? あ、秋良さん。お早いお出かけで」

 蹴られたはずみでずり落ちた丸眼鏡をかけ直しながらのんきに答える広満に、秋良は軽く苛立ちながら問う。

「さっきの奴ら、どっちに行った?」
「えっ、何です? 私はさっき店奥から出てきたばかりで。人に会ったのは秋良さんが初めてですよ」

 言いながら、広満は接客台の奥にある扉を指した。

「そんなわけねぇだろ、ついさっきあの若造と」

 言い合いしていたばかりなのに、と言いかけて思い出す。
 その時広満は口論の最中で急に静かになっていた。蹴り飛ばされて我に返るまでの様子といい、何か術でも掛けられていたのではないか。

「わかった、もういい」

 訳が分からず狼狽する広満を尻目に、秋良はすっかり朝の光に包まれている琥珀の表通りを歩き出す。

 どうあれ、彼らが帰るべき場所はひとつだろう。彼らが暁城あかつきのしろの者であるということが真実であれば、だが。
 それにもはや、はるかは秋良の手を離れた。今更気に掛けたところでどうすることもできないのだ。

 そこまで考えて、秋良は自身の考えを鼻で笑った。

『気に掛ける』だなどと。くだらない。

「まぁ、こいつがあれば……」

 胸中のもやつきを一掃するために、小さく口にして手の中の物を握りなおし懐へしまいこんだ。

 そのまま琥珀の街を離れ、沙里に帰ったのは丁度四の刻を告げる鐘が鳴る頃だった。
 砂漠へ向いた北側を中心に防砂壁で囲われた沙里の町。
 東側の門を抜け、中央通りを六間ほど歩いて南への細道へ抜ける。石壁に挟まれた細い路地を二度曲がった先、町の南端に近い場所に秋良の家はある。

 家へ向かう最後の角を曲がる瞬間、腰から下に柔らかいものがぶつかってきた。
 拍子に、秋良の懐からこぼれだす。わずかな光しか差さない路地裏においてさえ、その光を増幅するかのようにきらめく瑠璃色の光を、秋良は空中で捕まえた。

「今の、はるかが着けてた……」

 足元から聞こえた声に、秋良は下を見下ろす。
 ぶつかった反動でしりもちをついていたのは、はるかとよくつるんでいた陽菜太とかいう子供だった。
 陽菜太は勢いよく立ち上がって秋良と距離を取りつつ言う。

「お、おまえっ! はるかをどこにやった!?」

 路地を挟んで反対側の壁際に立ち、じりじりと表通り側へ移動しつつ。
 それでも幼い顔には精一杯のしかめっ面をつくって秋良をにらみつけている。

 秋良は応対するのも面倒だと溜息をひとつ、陽菜太の前を通り過ぎた。

 その様子をおっかなびっくり窺っていた陽菜太だったが、秋良が何事もなかったように自宅の鍵を開けようとしているのを慌てて呼び止める。

「待てよ!」

 けだるげに振り向いた秋良の視線に、陽菜太はたじろいだ。しかし自らを奮い立たせて睨み返す。

「さっきの、はるかの首飾りだな。おまえ、ついにはるかを売りとばして、それを奪い取ったんだろ!」

 秋良は小さく笑って、ゆっくりと陽菜太の方へ歩き出した。

「だったらどうする?」

 緊張に高鳴る胸の鼓動を聞きながら、陽菜太は逃げ出したくなる自分を必死で抑えながら両足を踏み締める。

「おれが、はるかを助けにいく!」
「へぇ……残念だったな。『はるか』はもうこの世にはいないぜ」

 陽菜太の黒い瞳が大きく見開かれた。
 うつむき、ちいさな両の手を強く握りしめ、身体を震わせている。
 秋良は自ずと外れた視線を扉へ戻し振り返りざま告げた。

「諦めな、ここには帰ってこない……痛っ!?」

 秋良の脚に小さな痛みが走り振り返る。
 力いっぱい秋良の脚を蹴り飛ばした陽菜太は、表通りへ向かい一気に走り去り、角でこちらを振り返った。

「このしゅせんど! 人でなしっ! はるかのかたきは、おれがぜったい取ってやるからな!」
「あ、そ……」

 走り去る陽菜太を足音だけで確認しつつ、秋良は家の戸を開けた。
 薄暗い室内に、ひやりとした空気が肌の熱を冷ます。

 明かり取りの窓が照らし出す中央の角卓。
 奥の壁を埋める、本がぎっしりと詰まった棚。
 昨日、同刻くらいに発ったときと何ひとつ変わらない。だが、その空間は心なしか広く感じられた。

 秋良は戸を閉めて奥へと入っていく。
 角卓の横をすり抜けざま、懐に入っていた重い革袋を卓上に投げ出す。
 奥の部屋には、家の中で一番大きな窓がある。
 天井近くから腰のあたりまである鎧戸を押し、開け放った。

 南に面した窓の向こうは、高い石塀に囲まれた小さな空間。
 塀の上は麻の天蓋で覆われ、ざっくりと織られた布に和らげられた陽光が、狭い空間を満たしている。
 地面は柔らかな下草に包まれ、同じく乾燥に強い小さな花や低木が育っていた。

 ここを見るたびに、あの頃の、あの地でのことが思い出される。
 通常であれば記憶の彼方にかすむほど幼い頃の記憶。
 それは秋良にとっては忘れようもない鮮烈なものだった。

 窓枠に腰かけると、秋良は握っていた右手をそっと開いた。

 掌がつくる小さな闇から解放されたそれは、窓外から差し込む光を得て、瞬く間に輝きを増す。
 しかしそれは外に放たれることはなく、輝きが瑠璃の中に次々と生まれては石の奥深くへと吸い込まれていく。

『はるか』は、もうこの世にはいない。
 そう、『はるか』は存在しなくなる。本来の名を得て『かすみ』として過ごしていくのだろうから。





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一章、完結です。
お読みくださりありがとうございます!

まだまだ続きます!
秋良とはるかを今後とも見守っていただければ幸いです。


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