時の魔術師 2

ユズリハ

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34: お出かけする二人の少年の話 6

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 ぐにゃりと空間が歪み、次にふわりとした浮遊感に襲われた。
 魔族特有の能力の空間移動は、常にそばにいるレステラーに何度かされた事があるので、ツァイトにも経験はある。
 しかし人間が持ちえない力なので、いつまで経ってもその感覚に慣れることはない。
 飛ぶ瞬間はほとんど気にならないのだが、別の場所に出る前後の感覚が問題だった。
 ある意味、酩酊感を味わうような、奇妙な感覚だった。
 特に自分で制御できない力だからこそ、余計にそう感じるのだろう。
 その力を使った本人はいつも平然としていたのだから。


「わっ、っとと……」


 今回も同じように、慣れない浮遊感をツァイトは味わった。
 以前より少し伸びた亜麻色の髪が、風に舞い上がる。
 無意識に閉じていた目を開ければ、見慣れない景色がそこに広がっていた。


「えっ……う、そおおおぉぉぉ―――――!?」


 辺りの景色を認識する間もなく、急激にツァイトの身体が下へと落ちた。
 なんてことはない。
 足元にあるはずの地面がなかったのだ。
 正確に言えば、地面は、遥か下にあった。
 ツァイトがノイギーアの空間移動で出た先は、空中だった。
 城下ではない見知らぬ場所の、遥か上空。
 空間移動で出現した一瞬の停止の後、空を飛べない人間のツァイトは、そのまま重力にひかれて地面に向かって落下していた。


「わ、わ、わ、わーーー!」


 耳をつんざくのは自分達の悲鳴と、風の轟音。
 かなりの勢いで落下しているにも関わらず、思考を巡らせる余裕がツァイトにはあった。
 こんな状況でもツァイトの手は、ノイギーアの腕を掴んでいた。
 ちらりと横を見れば、予測不可能な事態に恐慌状態に陥っているであろうノイギーアの顔が見えた。

 もう一回この状態で空間移動すれば、何とかなるかもしれない。

 しかしそれさえも思い浮かばないのだろう。
 ノイギーアは明らかに混乱して動揺していた。


「ノイくん! もう一回空間移動! ノイくん!」


 ツァイトが声をかけるも風の音がうるさいのか、それとも動揺の所為か、ノイギーアに聞こえていないようだった。
 時間にすればほんの一瞬。
 だがこの間にもどんどん地面が近づいている。

 眼下に広がるのは森林と、平原と、砂岩に渓谷、それと河川。
 遠くに見える薄茶色の土地は砂漠かもしれない。
 真っ直ぐ下にこのまま落ちれば、森林の木々にぶち当たるのは想像に容易い。
 この高さと速度でいけば、どう考えても無事ですむとは思えなかった。

 迷っている暇はない。
 最近、全くと言っていいほど魔術を使っていなかった所為で半ば忘れかけていたが、先ほど久しぶりに魔術を使ったお陰で、ツァイトは感覚を思い出していた。
 幸運にもツァイトの扱う魔術は、一つの系統に縛られない。
 残念ながらすべての魔術を習得するには至っていないが、この状況を何とか出来るだけの魔術は心得ていた。

 早口に呪文を詠唱する。
 淡い光がツァイトとノイギーアの身体を包み込み、一瞬ふわりと二人の身体が浮いた。


「へっ……!? な、なに!?」


 自分の身に何が起こったのか理解できていないノイギーアから焦りの声が聞こえた。
 横目でそれを確認しつつ、しかしツァイトはそれに応えることなく、二つ目の呪文を唱え始めた。
 空中浮遊など出来ないツァイトには、風の魔術でツァイトとノイギーアの周りを包み込み、落下の速度を緩めるのが精一杯だった。

 先ほどよりは勢いが弱まったものの、今も下に向かって落ちている。
 どのみちこのままいけば、二人の身体は森林の木々に接触する。
 その衝撃を和らげる為に、今度は防御の結界を張った。
 二人の周りに防御の結界を張り終えるとほぼ同時ぐらいに、森の中へと落ちた。
 バサバサバサーッと大きな音を立てながら、枝と葉を巻き込んで、落下はついに止まった。
 絡み合うように立っている木々のお陰で、二人は、地面との接触を辛うじて免れた。


「た、助かった……」


 腕や足が枝に引っかかったような格好で、ツァイトが安堵のため息を漏らした。
 横を見れば同じようにノイギーアもいた。


「し、死ぬかと思った……」


 それだけ吐きだしてノイギーアがぐったりと空を仰ぎ見た。
 どうやら防御の結界が効いたようで、ツァイトにも、ノイギーアにも大きな怪我はなかった。


「ノイくん……大丈夫?」
「あ、ああ……ツァイトこそ、大丈夫か……?」
「なんとか。どこも痛くないから怪我はしてないっぽい。多分、だけど」
「そっか……」
「うん……まあ、話は後にして、とりあえず降りよっか」


 ツァイトの提案にノイギーアも同意して、そう遠くない地面に飛び降りた。
 衝撃を和らげるための防御結界がうまく張られていて、そこそこの高さから飛び降りたのに、思ったほど衝撃がなかった。
 地面に足をつけているのに、今も浮かんでいるような変な感覚が二人を襲う。
 若干、千鳥足になりつつも、すぐそこに見えた森の出口から外へと出る。


「えっと……」


 森の外に出て、二人は何とも言えない表情で顔を見合わせた。
 あたりを見回してみるが、二人の周りにはなにもない。
 二人がいたのは、城下町にしてはやけに殺風景な場所だった。

 ごつごつとしたむき出しの岩肌に、あまり手入れのされていない自然任せの草木が生えた、人よりも動物の方に先に出会いそうな、そんな場所だった。
 少年達の背後は森。
 耳を澄ませば遠く川のせせらぎが聞こえる長閑さ。
 緩やかに吹く風が意外にも心地よい。
 そうかといって、すぐ近くには底が見えないぐらいに深く長く広く抉られた大地の裂け目があった。
 背後の森を除けば、他は見通しが良かった。
 けれど、建物なんてものはどこにも見えない。
 顔を上げると空はまるで抜けるように青く、どこまでも澄み渡っていた。
 うん、いい天気だ。
 そんなことを呑気に考えてしまうほど綺麗な青空だった。


「ノイくん」
「ツァイト」


 ちらりと隣を見ると、ノイギーアも同じようにツァイトを見ていた。


「あのさ、ここって……どこ?」
「ご、ごめん!」
「え?」
「ほんと、ゴメン! 悪い!」


 そのまま勢いよくノイギーアは地面へと座り込む。
 頭を抱え項垂れる姿は、どこか痛々しいほどだ。


「ノイくん?」


 大丈夫と声をかけようとして、ツァイトも同じように座り込んだ。
 慰めるように背中をさすってやると、明らかに落ち込んだ様子で恐る恐る顔を上げてツァイトを見た。


「おれさ……」
「うん?」
「咄嗟の空間移動、下手なんだ」
「どういうこと?」


 要領を得ないツァイトは、軽く首を傾げた。


「普段はそうでもないんだけど……出る先を意識しないでいきなり飛ぶとさ……変なところに出ちゃうクセがあって……」
「ああ、それで」


 なんとなくではあるが、ノイギーアの言いたい事が分かった。
 つまりはこういうことだ。
 例えば、家に帰ると決めて空間移動で飛べば、ノイギーアも問題なく目的地にちゃんと着ける。
 しかし、先ほどみたいに不測の事態に陥った時、それを回避するために反射的に、目的地も決めずに空間移動で飛んだ場合、出る先を選べない。
 普通なら無難に自宅なり、慣れ親しんだ場所にでるなりするのに、ノイギーアは突拍子もないところに出てしまうらしい。
 だからこんな何もない場所に出たのかと、ツァイトは納得した。
 便利だなと思った空間移動も、使う者によっては少し困った事態に陥るらしい。


「でも、さっきみたいに空中に出たのは初めてでさ。おれ、どうしたらいいのか分かんなくて……マジで焦った。ツァイトが居なかったらおれ、絶対地面にぶつかって死んでた」


 ほんとゴメンと、泣きそうな声でノイギーアは項垂れて謝った。
 あからさまに落ち込んだ様子のノイギーアに、ツァイトは励ますように笑いかける。


「オレの方こそ、ノイくんが居てくれたお陰で、無事にあの魔族の男の人達から逃げられたんだよ? ノイくんの空間移動がなかったら、ほんとどうなってたか……」
「けどさ、おれの所為でこんな変なとこに出ちゃったしさ」
「そりゃぁ、驚かなかったって言えば嘘になるけど、ノイくんが居てくれて助かったのは本当。ありがとうね」
「ツァイト……」
「オレ一人だと、逃げられずにあいつらに金取られて、ぼこぼこにされてたよ、きっと。だからさ、元気だしてよ。結果的に二人とも何ともなく助かったんだし、ね」


 にっこりと笑顔を見せるツァイトに、ノイギーアの瞳にじんわりと感動の涙が浮かぶ。
 だが、ツァイトの次の一言で一瞬にして青ざめた。


「それにさ、ここがどこか分からなくて困ったとしてもさ、大丈夫だよ! いざとなったらレスターに来てもらえばいいんだし。うん、だから大丈夫! 安心して!」


 なんともないようにツァイトは笑うが、安心できるわけがない。
 たしかにツァイトが呼べば、あの魔王はすぐに来るだろうし、彼に来てもらえば、一瞬で城に帰れるだろう。
 だがそうすると、確実にノイギーアの身に危険が及ぶ。

 今のこの、自分達がどこにいるのか分からない状況もさることながら、さきほどの空中からの落下の件も魔王に知られれば、一体どうなる事やら。
 想像しただけで背筋が寒くなった。
 ノイギーアのそんな考えは露知らず、ツァイトは気にしていないといった様子でノイギーアに問いかけた。


「それで、これからどうする? ノイくん、もう一回飛べる? それとも、城下町まで歩いてく?」


 とは言いつつも、どちらに行けば城下町にたどり着くのか、二人には判断がつかない。
 城下町のすぐ近くなら良いが、この自然いっぱいに囲まれた景色だ。
 そうではない可能性の方が高い。


「もういっその事さ、レスター呼んでさ、城下町まで連れてってもらおうか?」
「いやいやいやいやいや! さすがにそれはマズイって!」
「レスターの名前を呼んだら、きっとすぐ来てくれるよ?」
「だから! それはまずいって!」


 ツァイトの最後の提案を、ノイギーアは全力で拒否した。
 中央の魔王を呼びつけて足代わりにするなど、ノイギーアにとっては、この近くにある底の見えない大地の裂け目に、命綱もつけずに自ら飛びこむようなものだ。
 ノイギーアにとってそれは絶対に選びたくない選択肢だ。


「っていうか、目的地さえ決めたらおれでもちゃんと飛べるから! さすがに国は越えてないはずだし」


 幸か不幸か変なところに出る事はあっても、今まで一度も国を越えたことはない。
 ノイギーアの魔力量を考えても、中央の領地をぬけてほかの領地に入るのは無理だ。
 いま残っている魔力量から、そこまで遠くには移動していない。
 だからどう考えても、いま二人がいるのは中央の領地の中だとノイギーアは思う。
 いや、むしろそうであってほしい。


「なら、お願いしてもいい? 疲れてない?」
「疲れてても、意地でも家まで飛んでやる!」


 幸いにもノイギーアの家は城下町の中にあった。
 自宅なら間違いなく飛べる。


「じゃあ、ノイくんのお家にしゅっぱーつ!」
「行くぞ」


 今度こそ変な所にでないように意識を集中しながら、ノイギーアはツァイトを連れてその場から姿を消した。




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