時の魔術師 2

ユズリハ

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38: お出かけする二人の少年の話 10

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 ――ぶつかる!

 ツァイトはぎゅっと目を瞑り、少しでも身を守ろうと身体を縮こませる。
 魔力の塊りがバシッと何かに当たり弾け飛んだ大きな音が、ツァイトとノイギーアの耳に届いた。
 だが、何かがおかしい。
 当然あると思っていた衝撃や痛み、熱さなどがいつまで経っても襲ってこなかったのだ。
 不思議に思ったツァイトは、恐る恐る目を開け、顔を庇っていた腕をゆっくりと下した。


「え……?」


 周りを見ても状況には変化はない。
 もちろん、ツァイト自身の身体にもなにも変化がない。
 着ている服はきれいなままだし、腕や顔も怪我をした様子も、痛みもない。

 周囲には大勢の魔族がいて、少し離れた場所でこちらを窺っているし、攻撃したままの格好で立っている従者とその後ろにいる小太りの魔族の姿もあった。
 かすかに漂う煙は、魔力の飛散により舞い上がって出来た砂埃だろう。
 だからさっきの魔力の塊りが襲ってきたのは、夢でも幻でも何でもないと思えた。
 しかし、ツァイトと、近くにいるノイギーアも何故か無傷だった。

 風が吹き、薄い砂埃の幕が消える。
 消炭になるどころか、かすり傷一つ負っていない少年たちに気付いた周囲も、一体どういうことだとざわめきだす。
 攻撃を放った従者と小太りの魔族も、あり得ないとでも言いたげに目を見開いてこちらを見ていた。


「……え? なんで?」


 ツァイトには、攻撃が届かなかった理由がわからない。
 もちろんツァイトは何もしていない。
 身を守る為の魔術もあるにはあったが、その呪文は間に合わなかった。
 詠唱さえしていないのだから、本当なら無傷のこの状態の方が変だ。
 訳が分からず軽く混乱していると、不意にツァイトの頭上に影が差した。
 その正体に気づいたノイギーアが、近くで驚愕のあまり息をのむ音がツァイトの耳にも聞こえた。


「ホント、アンタって目が離せねぇよな」


 突然聞こえて来た声に驚いて、ツァイトの身体が大きく揺れる。
 その声にはもちろん聞き覚えがあった。
 人生の大半をこの声の持ち主と一緒に暮してきたのだ。
 聞き間違えるはずがない。
 すぐさま背後を振り仰ぎ、声の主を確認する。
 いつの間に来たのか、少年もよく知る魔族の男、レステラーが右手を腰にあて、ツァイトの背後に立っていた。


「な、何じゃ、キサマは!」


 突然の乱入者に、小太りの魔族が声を荒げる。
 けれどその声が耳に届いていないのか。
 小太りの魔族に答えることなく、レステラーの視線はツァイトに向けられたままだ。


「え、レスター、どうしてここに……」


 相変わらず神出鬼没な男に驚きを隠せない。
 そんなツァイトを見て、レステラーの紅い瞳が柔らかく細められた。
 彼がツァイトにだけ見せる柔らかな表情だ。


「どうしてってそりゃあ、危険な目にあう前に助けるってアンタに言ったろ」
「けど……」
「もう少し早く助けるつもりだったんだけど……悪いな、遅くなって」


 話しながら、尻もちをついて座り込んでいるツァイトの背後から両脇に手を差し入れ、そのまま軽々と持ちあげる。
 そして、ツァイトを左腕に座らせるようにして抱き上げた。


「もう大丈夫だ」
「レスター……」


 安堵からツァイトの顔がくしゃりと歪む。
 抱き上げたことで、少しだけ目線が上になったツァイトの深緑の瞳を見ながら、安心させるようにレステラーは微笑んだ。





 いきなり現れた美貌の魔族に、傍観していた周囲は色めき立つ。
 魔族の美醜は、そのまま強さに比例する。
 誰の目から見ても文句のつけようがない整った顔に、均整のとれた体躯をもった長身の男。
 魔族特有の褐色の肌に、艶のある漆黒の髪。
 その中で唯一、色をもった瞳の紅さがやけに印象的だった。

 魔族の瞳の赤は、魔力を媒介に創りだされた者の証。
 本来ならまがい物として蔑まれ忌避されてもおかしくはないのだが、そうさせない雰囲気を男は兼ね備えていた。
 明らかに彼は、ここにいる誰よりも力が強い。
 派手な貴金属で自身を飾り、悪い貴族の典型とも言える小太りの魔族よりも、この男の方が確実に実力が上だと誰もが感じた。

 だからこそ、その魔族が、あろうことか人間に親しげに話しかけ、その腕に抱きあげているその状況が、周囲にいる者たちは理解できなかった。
 ざわめく周囲を一切無視して、レステラーは腕の中のツァイトに話しかける。


「かなり強めに叩かれたみたいだな、血が出てる」
「え? もしかして、見てたの!?」
「まあな」


 間近にあるツァイトの頬に走る朱色に、軽く指先で触れた。
 よく見れば、唇の端がわずかに切れて血が滲んでいる。
 触れられてほんの少し痛みを感じたのか、ツァイトが微かに顔を歪めた。


「痛むか?」
「ううん、大丈夫……」
「無理するなよ。そんな傷、すぐ治してやるからさ」


 言うが早いか、レステラーは目の前にあるツァイトの頬へと顔を近づけ、血が滲んでいるツァイトの口の端をぺろりと舌先で軽く舐めた。
 突拍子もないレステラーの行動に、ツァイトは顔を真っ赤にして狼狽する。


「ちょ、ちょっと、レスター!」
「じっとしてろ」


 慌ててすぐ近くにあるレステラーの顔を手で押さえ、仰け反る。
 だがその所為でバランスを崩し、危うく背中から落ちそうになるが、すぐにレステラーが右腕でツァイトの背中を支えてくれたため、大事には至らなかった。


「おい、暴れんなよ。落ちるぞ」
「だ、誰のせいだよ! 誰の! っていうか、別に舐めてくれなくていいから!」
「喋るたびに軽く眉間に皺が寄るくせに、強がんなよ。治してやるからじっとしてろって」
「だから、いいってば!」


 叩かれたときに出来た頬の赤さとは別の赤が、ツァイトの頬を彩る。
 どれだけ文句を言ったところで、レステラーは聞く耳を持たない。
 確かにレステラーのことだから、本当に傷を治してくれるつもりなのだろう。
 だが、忘れているかもしれないが、ここは外だ。
 城下町の大通り。
 大勢の魔族が行き交う活気ある場所だ。
 つまりは、公衆の面前。
 周りには遠巻きにこちらを窺う見知らぬ魔族が大勢いる。
 もちろんすぐ近くにノイギーアもいる。
 ちらりと視界の端に見えたのは、倒れた状態でこちらを見て驚いたように口をあんぐりと開けているノイギーアだった。


「レスター!」


 恥ずかしさに耐えかねて、ツァイトがレステラーの名を呼ぶ。
 明らかに緊張感に欠ける二人に、周りも呆気にとられていた。
 しかし、ツァイトに笑顔を向けていたレステラーの顔が、何の前触れもなくいきなり冷たいものに変化する。


「え……?」


 まともに見てしまったツァイトは、二、三度目を瞬かせる。
 怒らせてしまったのだろうか。
 そう思ったのも束の間、突然間近でバシッと何かが弾け飛ぶ大きな音が聞こえ、その音に驚いたツァイトは、咄嗟に近くにあったレステラーの首に腕をまわしてぎゅっとしがみ付いた。


「キサマ、一体どういうつもりじゃ!」


 レステラーの首に抱きついたまま、恐る恐る声がした方を振り向けば、怒りの形相をした小太りの魔族が叫んでいた。
 先ほどの音の正体は、この魔族の従者によるものだ。
 ツァイトとノイギーアに向かって放ったものと同じ魔力の塊を、今度はレステラーに向かって放ってきた。
 だが今回もそれは当たらなかった。
 何をしたのかツァイトには分からないが、まるで見えない壁でも存在するかのように、自分たちに届く前に粉々に弾け飛んで消えた。


「その、虫けらにも等しい人間を助けるとは……魔族の風上にも置けん! キサマ、魔族の誇りを忘れたか!? このワシの邪魔をして、ただですむとでも思うなよ!」


 喚き声に、そこでやっとレステラーは、紅い瞳を小太りの魔族に向けた。
 その耳障りな声にツァイトとのじゃれ合いを邪魔されたせいか、不機嫌を露わに眉根を寄せたレステラーが、煩わしそうに小太りの魔族を見た。


「魔族の誇り? それがどうした。ただですむと思うな? お前のような豚に、いったい何ができる」
「ぶ、豚じゃと!? キ、キサマ! このワシを誰だと思っておる!?」
「お前らなんぞ知るわけねぇだろ」
「なっ! なんじゃその口のきき方は!!」


 周りの目から見ても、この男の、小太りの魔族に対する話し方は、とてもぞんざいなものと言えた。
 さきほど見せた人間の少年に対するものとは天と地ほどの差だ。
 レステラーの正体に気づいていない、自分の立場が上だと信じて疑わない小太りの魔族は、ぎりぎりと歯ぎしりをする。


「キ、キサマ、男爵位にあるこのワシに向かって、なんたる口のきき方じゃ! 礼儀をわきまえよ! どこの誰かは知らぬが、身の程を知れ! この無礼者めがっ!」


 男爵と聞いて、周囲で傍観していた魔族たちが顔色を変える。
 やはり貴族だったのか。
 どうりで身なりが良いはずだ。
 正直にいって、金と権力にものを言わせて、傍若無人に振る舞う貴族に関わりたいと思う一般庶民は少ない。
 巻き込まれてはたまらないと、蜘蛛の子を散らすように大半が、その場から距離をとった。


「無礼者、ねえ……」


 憤慨する小太りの魔族の言葉を受けて、レステラーはその言葉を軽い嘲笑と共に繰り返す。
 一体どちらが無礼なのか。

 どうやらこの小太りの魔族は、レステラーの顔を知らないらしい。
 貴族だからと言って魔王城に入れるわけでもなければ、例え城に入れたところで魔王に謁見が叶うとも限らないから仕方がないとは言え、自分が上だと信じて疑わない魔族の滑稽さに、レステラーは思わず笑ってしまった。


「何が可笑しい!」
「別に?」
「キ、キサマ!」


 目を血走らせて怒る小太りの魔族を、レステラーは紅い瞳で冷やかに見る。


「何をしておる! この無礼な男もろとも、あの人間を始末するのじゃ!」
「畏まりました」


 己が主に返事するや否や、今度は両の掌からいくつもの魔力の塊りを作りだし、それをレステラーとツァイトに向けて放ってきた。


「わっ、わっ! レスター!」


 堪らずツァイトは腕に力をいれ、ぎゅっとレステラーに抱きついた。
 無数の魔力の球がどしゃぶりの雨のように、レステラーとツァイトに降り注ぐ。
 だがレステラーはその場から微動だにしない。
 攻撃を受けているとは思えないくらい涼しい顔で、その場に立っていた。




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