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彼の人の屋敷
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(…いつから、?)
そんなの知らない。
気づいた時には、一緒にいたから。
家族の連絡先も、知らない。
さっくんが傍にいたし、オレのことを気にもしない人たちに電話をかけようとは思わなかった。
たとえ教えてもらっていたとしても、どうせ話すことなんかないし、…必要ない。
「最後に家族には会ったのは?」
首を横に振る。
……記憶にある限り、会ったことはない。
「……写真はある?顔は覚えているか?」
「………」
家の住所、両親の名前、それ以降のどの問いにも答えられなかった。
そんなオレに対し、彼の顔は驚きと疑念が入り混じった表情に変わる。
眉をわずかにひそめ、目を見開き、唇をわずかに引き結ぶ。
その瞳は、まるで信じられないものを見るかのように、こっちを見つめている。
額を片手でおさえるようにして顔を歪め、「……ああ、やはり、…いや、一応、聞いておくべきだな」数分の沈黙のあと苦々しく呟く。
「咲人と暮らしている家での君の生活を教えてくれないか…?」
どうしてそんなことを聞くのかと不思議に思う。
けど、黒瀬の質問に答えられなかったのが何か関係しているような気がして、それに、これに答えなければきっともっと良くない方向に考えられてしまう気がする。
さっくんが悪者にされているようなこの雰囲気も嫌で、問題はないと主張するためにありのままに話した。
「……想像を超えている。…プライバシーが一切なく、私生活のすべてを管理され、外部との接触を固く禁じられている。そうされることが、世間でなんて言われるか知っているかい?」
「っ、」
そんな言い方はしてないのに。
そもそも外に出られないのはオレを守るためにしてくれていたのだとはっきり伝えたはずなのに、同情するような眼差しを向けられる。
「それに、君の名前等の基本的な個人情報や常識、あらゆる記憶の基盤はすべて咲人からの情報のみで構成されていて、外部から与えられたものは存在しないじゃないか」
「君が信じるか思い込みさえすれば、咲人はいくらでも嘘を吐き放題だったということだ」と続けて勝手に結論付けた黒瀬は、重くため息を吐く。
「違、」
「違わないよ。咲人の行為は常軌を逸している。これは誰が見ても明らかな客観的事実だ」
「っ、」
「……あまりにも同じに見えたから、…正孝の冗談かと思っていたんだが、……君の、歳は、」
疲労を隠せず、掠れて絞り出すような声音で問われた言葉に返せば、「……やはり、……そう、か…」と涙声で零す。
「それを聞いてはっきりしたよ。君が正孝の友人で、何らかの事情で記憶を失っている可能性は高くなったが、………僕の………探していた人では……ない……」
失望した表情で、黒瀬は薄ら笑いを零している。
笑顔を作ることが苦痛なのに、それをしないと平静を保てないように笑っている。
「……そう、…か、…そう、だよなぁ…。…そんな奇跡が、起こるはずがなかったのに、僕は……」
泣いているように俯いて、我慢できないというように顔を手のひらで覆って僅かに涙の滲んだ呻きを漏らした。
「そんなに、…似て…ます、…か」
「……そう、だな……。雰囲気は少し違うが、……外見は同一人物だと信じて疑わないほど、その歳の頃と同じだ」
「………」
「……彼は、僕や咲人と同い年だったから、……」
落胆して目を逸らして俯く黒瀬に、かける言葉は浮かばなかった。
そうして言葉を失くしたように沈黙し、おずおずと遠慮がちにオレの頬に手を伸ばす。
「その、…もし、君が構わないと言ってくれるなら、……顔を、よく見せてくれないか…?」
それぐらいなら別にいいかと、こく、と小さく頷けば、そうっとなぞるように顎に指が触れる。反射的に少し動こうとしてしまえば位置を固定するようにされたまま、圧を感じるほど彼の目は一瞬も視線を外さず、オレをじっと見ていた。
永遠に感じる時間そうされて、「…これは、……凄いな…、」と感嘆したように彼は喉を上下に揺らした。
「咲人の考えが痛いほどわかる。……君を一目見た瞬間、たまらない、どうしようもない感情に襲われたんだろう」
「……っ、」
その言葉に思わずオレの顔が歪むのを見て、黒瀬は憐れむように目尻を下げた。
距離が近づき、彼の手が包むように頬に触れるのを感じる。
……ただならない表情に小さく身体を震わせれば、諦めたように離れていった。
「…不快にさせるつもりはなかったんだ」
そう口にしながら、彼の手が机の上の湯飲みに触れる。
「それにしても、…どうやって記憶を操作したのか皆目見当もつかないが、咲人は目的のためなら手段を厭わない男だ。…君には気の毒な話だが、彼女の言う通り、…誘拐としか、」
飲もうとしたらしいが、気が動転しているのか震える指先ではうまく陶器を掴めていなかった。
硬い物がぶつかる音がした時には、彼の手から滑り落ちた湯飲みが熱い茶を勢いよく零し、すぐ傍にあったオレの手を汚していた。
「…っ゛、ぃ゛、」
熱い、と感じると同時に生じる痛みに反射的に腕を引く。
「夏空、…!大丈夫…?!」「…ぁあ、すまない、はやく冷やさなければ、」慌てふためいた様子で、周りが騒ぐ。「別に、大丈夫だか、…っ、わ、」焼けつくような痛みを堪えながら返す間に、腕を掴まれる。
「待っ、」
待って、と言葉にする暇もなく立ち上がらされ、廊下を渡ってどこかに連れていかれた。
後ろに緩く結んだ髪をわずかに揺らし、鼠色の羽織を纏った後ろ姿はどんどん先に進んでいって、引きずられるようにして後を追うオレを振り向くことはしない。
背も高いしだから足の長さも違うのに、腕をつかむ手の力は痛いし苦しいし合わせてくれる様子がない黒瀬に、少し泣きたくなる。
洗面台の前につくと彼の指がレバーを上げて、水を出す。
「…っ、は、…は、」
息が、苦しい。
自分の体力がないとは決して思ってないけど、…小走りにしてもはやすぎる。
冷やそうとしているらしい。そのジャーと勢いよく流れている水の方に手を引かれて、今度こそ無理に力を入れて離れた。
「っ、…もういい、って言ってる、だろ…」
「でも、僕のせいだ、すまない。まさか火傷をさせてしまうなんて、」彼の目は真剣そのものですぐにオレに向き直り、深く頭を下げて謝罪した。
あまりにも誠心誠意といった感じで、声が震えているから、逆にこっちが悪いことをしている気分になってくる。
「……気にしなくていい、から、……」
「…………」
「……部屋に、…戻る、」怠い。翠がこんなに謝るほどたいした火傷でもないし、いきなり準備もないままに手を引かれて走ったのが問題だったのか。
それが原因ならあまりにも身体が軟弱すぎるとは思うが、…身体が重くて、ぐるぐると世界がまわっているような嫌な気分だった。
それでも気になるからと赤くなった肌は冷やされ、念のために包帯を巻かれて処置された後も、何故か気持ち悪いのはおさまらなかった。
ふらふらとする視界に、今はただ座りたくて抱きかかえられるようにして、部屋の場所を教えてもらって数分以上かけて戻った。
「黒瀬…さん、」
「ケガをさせたことは本当に申し訳なか、」
「そんなことより、さっき言ったことを取り消してくれ」
お茶が手にかかったことなんて、今はどうでもいい。
部屋に戻った後も再度謝る黒瀬に詰め寄り、食い下がった。
「?さっきの、とは…」
「……誘拐、……したって、」
「しかし、…それ以外では、…説明がつかないんだよ」
言いにくそうに口ごもる相手に、「勝手なことばかり言うな」と耐えきれずに思わず声を荒げた。
心臓が、形を歪めているように痛くて苦しい。
喉が狭く、身体の中が酸欠で、空気を奪われているとしか思えないほど息ができない。
「そもそも、君は、…本当に”おとみ そら”という名前なのか…?」
「…っ、」
「学校にも通っていないようだし、その名前すら咲人から聞かされただけだろう。…いや、むしろそれしか教えられてないと言った方が…正しい…」
「違う…っ、オレは、ずっと一緒にいた…っ、誘拐なんかされてない…っ!」
何も知らないくせに、勝手に決めつけられて話を進められていることに憤る。立ち上がって、ふらついたところを支えられた。
傲慢で、嘘つきに抱き寄せられていることに我慢できず、身を捩る。
しかし、何故か足に力が入らなくて、むしろ身体を預けるような体勢になってしまった。
「誘拐、じゃない。だって、さっくんはオレの親が、買、」
買ったって、言ってた。
そう、言葉にするのが嫌で口を閉ざせば、…「君は咲人の言葉なら、何でも盲目的に信じるんだな」と彼は唇の端を持ち上げて薄く笑う。
「代わりにされていただけだというのに可哀想な子だ」
「っ、さっくんは大事にしてくれてた、オレを、ずっと、」
「大事に…?……本当に、…”君”を?」
「……っ、」
強調するようなその言い方に、息を呑む。
オレとよく似ているその人のことも、さっくんとの関係も何も知らないから、反論できなかった。
「君が咲人に抱いている気持ちは、ストックホルム症候群に近いものだ」
「…なに、……そ、…れ、……」
「長い間傍にいたのが彼だけだったから、そう思い込まされているだけなんだよ」
優しさを前面に出した表情で笑う彼は、慈しむようにオレを見つめている。
「安心すると良い。目を覚ますことができるように、僕が君を治してあげよう」
そんな必要ないと言いたいのに、身体を抱く腕は強くてびくともしない。
それどころか、瞼が重くて、…段々と意識が薄くなるのを感じた。
雪華や正孝の声が聞こえた気がするけど、なんて言っているのかわからない。耳には届いているのに、言葉として認識できない。
虚ろな視界と思考で朧げな意識の中、黒瀬の腕の中で眠りに落ちた。
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