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彼の人の屋敷
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その答えを得ようとする前に、追い打ちをかけるように増し続けて、放っておけない感覚がある。
――……腹の底を巨大な熱い鉄棒で貫かれたような、圧倒的な質量感。
呼吸をしようとあがくたび、腹の奥で何かが「肉」を削る嫌な感触。
「……なにへ、おま、」
視線を落として、思考が真っ白に掻き消える。
……そこに触れていた手が、べったりと鮮烈な色彩に濡れて、いて、
ただ、あまりにも現実感のない光景に、声にもならない破片が唇からこぼれる。
何が起こったのか理解できず、思考が一瞬停止する。
……自分の腹にあってはならないものが鎮座している。
(……なぜ、………なんだ、…なんなんだ、これは、……)
――――ナイフが、腹に吸い込まれるように垂直に突き立っていた。
銀色の刃は一寸の余地もなく肉に飲み込まれ、ただ見慣れない柄だけが、まるで最初からそこにあった部品のように無機質で。
僕の荒い息に合わせて小さく揺れ、その根元の中央から肌着に染み込み、じわじわと赤い輪郭が広がっていく。
それが自分の体内にあるという事実が人生で一度たりともありえていいはずがないというのに。
その凶器のせいで、自身の輪郭が内側から崩壊していく恐怖に、ただ恐怖に喘ぐことしかできない。
……喉の奥で、ひきつけを起こしたような乾いた音が漏れた。
言葉にならない絶叫が、せり上がる血の泡に飲み込まれる。
―――熱い、痛い、寒い?、熱い
体温が奪われ、額に脂汗が浮かび、歯の根が合わないほどの微細な震えが全身を襲う。
間違いなく、刺されたのだ。
”誰か”に。
――――――【誰】に………?
床に膝をついた僕の、数メートル離れた場所にいるだろう穹。
……僕の穹、僕の恋人、僕の婚約者、僕の女、僕の、
(そうだ、そういうことか、……つまり、……?)
おそらく、僕の知らぬ不審者がいるのだ。
穹がこんなことをするはずがないのだから、
使用人達は何をしていたんだ。
警備はどうなっている。
僕を刺した奴が近くにいるんだ。
今傍に感じられる気配は、僕以外には穹だけだが…、犯人は逃げたのかもしれない。
逃げたわりに、外で騒ぎが起こっている様子はないが、きっとそうだ。
しかし、使用人は、僕達の交わりのために下がらせたとはいえ、屋敷内に在中しているはずだ。
つまり、そう簡単に侵入などできるはずもなく、
屋敷の中でも奥側にあるこの部屋には、容易に誰かが近づくことなどできないというのに、
―――……まさか、
……………目の前の、『穹』に………?
ありえない、…ありえてたまるかと嗤う。
助けを呼んでくれ、と声を上げようとしたが、思うように言葉が出ない。
ドクドクと腹部が心臓のようになり、視界がうつろになってきた僕の前で、穹は僅かにも動く気配はなかった。
(…何故、人を呼びに行かないんだ……この僕が、愛する僕が刺されたんだぞ……?)
「……ガ、ァ゛……ッ、」
少し動くだけで、いや、動かずとも、痛みが加速度的に身体を侵襲する。
息など、していられない。
痛い、痛い痛い痛い痛い痛い、!!!!!!
今夜のために特別に使用人も誰一人として近づかせないように指示したし、他の何もかも穹の言う通りにしたから、自由の利かないこの身体では部屋の中にある呼び鈴にも届かない。
僕の命は、穹にかかっているというのに。
なぜ、と唇を動かしたが、溢れ出したのは言葉ではなく熱い鉄の味だった。
膝をつく僕の耳に届くのは荒い自分の呼吸音と、……穹の静かな、……不自然なほどに、あまりに静かな存在感だけだ。
涙の溢れる目を動かし、顔を上げる。
そうして苦しみに膝をついたまま、震える視線を動かして、……凍てついた。
――――穹は、一片の感情も宿さない瞳で僕を見下ろしていた。
透き通るような青い瞳は、美しい人形のそれのように何の熱もない。
憎しみも、復讐の悦びも、一欠片の理由すら浮かんではいなかった。
その目は、スイッチを切られた機械のように、静かに、そして無意味に美しく開いていた。
血反吐の思いで叫んでいる必死の問いに応えを得られない静寂が、何よりも深く僕を絶望させ、同時に昂ぶらせた。
「………………ッ、…………ハ、…ッ、?………君、は、僕を、愛ひて、いるんだろう…?僕と交わひたい、と言った、じゃらいか…?!」
思い通りにならない現実に混乱と激昂がこみ上げ、手を伸ばすが届くはずもなく、そもそもそうできる状態でもない。
痛みにも怒りにも震え、嚙み千切られんばかりに噛まれた舌さえも痺れていて思うように動かない。
視界も白濁とし、意識も歪みながらも、黙ってはいられなかった。
腹に突き刺さったままの刃物などに構わず感情のままに最後の力を振り絞り、なんとか穹に詰め寄る。
ありえない。
穹が僕にこんなことをするなんて、殺そうとするなんて、ありえないのに。
以前から、優しい穹は、いつだって僕が何をしても、いつも赦してくれたんだ。
そのはずで、だから
「なれ、なぜだ……?!嘘、らろう…?!!嘘だと、いへよ……!!」
血を吐きながらみっともなく喚き続ける僕に、穹は些細な言葉すら返そうとしない。
酷いじゃないか、信じていたのに、と涙を流しながら怨恨を投げつけ、その後も立て続けに喚く。
愛しているのに、
こんなにも愛しているというのに、
君の望む物は何でも与えてやったじゃないか。
ここまでするほど、僕が邪魔だったのか、
また、咲人を選ぶのか、
まだ、僕を恨んでたのか、
赦したから僕を愛し、この手をとったんじゃなかったのか、
「血ら、止まらない……、痛みも…とまららい、ろころら、激りくらっていくんだ……」
腹を抉るような激痛は拍動に合わせて鋭さを増し、プライドなど関係なく涙が零れ落ちていく。
溢れ出る涙を隠そうともせず、ただ獣のように声を上げる。
「……ッ、ほら、君が刺したんら…ッ!!僕に、僕の、この腹に…!!愛ひている、という、のに…!!僕は、君を愛ひて、」
「…………、」
唾をまき散らして責め立てる僕に、……ここに来て初めて穹の感情らしい反応が得られた。
息をしているとわからないほど常に一定だった穹の呼吸が、ほんの一瞬だけ、わずかに乱れた。
陶器のような白い喉が、小さく、苦しげに上下する。
「ハハ、…ッ、ひは…っ、この世で最も愛ひている僕にひたことを、思い出へ…ッ!」
無理矢理僕の腹から突き出たままの柄を握らせてその重すぎる罪を焼き付けさせようと、白魚のような手を掴もうと、して、
「――――、あ、」
その………背後に現れた男が、穹の肩を抱き寄せた。
彼の動きは羽毛のように軽く、一切の無駄がない。
性別を問わず、惑わしては寄せ付ける彫刻のように美しい顔。
高い鼻筋、薄く引き締まった唇、そして長いまつげに縁取られた瞳に、陶磁器のように白い肌、喉から手が出るほど羨ましい端整な体躯は、以前と変わらず造物主の偏愛を一心に受けた造形をしている。
しかし、その美しさは生きた人間の温かさを感じさせることはなく、感情を拒絶するように、微笑みを見せることは決してない。
あの頃とは違う高級仕立てのスーツは冷たい空気を増し、着物とはまた異なった雰囲気で完璧なまでの美貌を際立たせている。
……そういった拒絶さえ、極上の愛撫のように男女の別なく狂わせる様は反吐が出るほど関わることがなくなった今でも網膜にこびりついている。
そんな、
……僕を、世界で一番苛立たせる男が、
――――何故、ここに、
「――――……咲…人…、」
僕が、驚きの声を漏らすとほぼ同時。
彫刻のように白く美しい手が、僕の姿を隠すように穹の目を…そっと覆った。
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