熱血豪傑ビッグバンダー!

ハリエンジュ

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第九話『檻重ねワンダーランド』

その7 水面の代わりに、熱、ひとしずく。

★熱血豪傑ビッグバンダー! 
第九話『檻重おりかさねワンダーランド』
その7 水面の代わりに、ねつ、ひとしずく。


teller:みなと=ローレンス





 俺の。
 みなと=ローレンスという、どうしようもない男の、過去。昔話。

 俺にとっての過去。
 とっくに俺の時間を通り過ぎたはずなのに、今もまだ俺の足元に絡みついて、縛りつけるもの。

 そうやって、俺はずっと過去に囚われている。
 振り返っても、前を向こうとしても、どこを見たって過去に捕まってしまう。
 捕らえて、俺を絞め殺そうとしてくる。


 第66地区、富裕層。
 そこが、俺の生まれだった。

 俺が生まれ育った第66地区は、貧富の差がとても激しい地区だった。
 その中で、俺は代々受け継がれてきた大きな屋敷、広い敷地を所有する家に生まれた。
 それは恵まれた血筋だったんだろう。
 とても恵まれた家系だったんだろう。

 ――だけど俺は、今も。
 今に至っても、ずっと。
 自分の身体に流れる血を、呪い続けている。


 俺には、母が居たんだそうだ。
 母の顔は、見たことがない。
 生まれた時は流石に見たことがあったかもしれないけど、当たり前だが記憶に無い。
 俺の母は、俺が物心つく前に亡くなってしまった。

 母の死因は、病死だった。
 富裕層でも、どれだけの金銭が、どれだけの権力があっても。
 治せない病は、ある。
 まだ人類のホームが、地球という星だった時から。
 この星、セカンドアースに移り住む人類が増え、俺たちが生まれ育つまでどれだけ永い時を経ようとも。
 病という理不尽は、まだ、変わらないまま。

 俺の母も、そんな理不尽にからかわれ、抗えずにその手に落ちて、連れて行かれてしまった。
 遠い、遠い場所へ。

 繰り返し、言うと。
 母の顔は、見たことがない。
 俺が自我を知ってからは、一度たりとも。
 写真であっても、肖像画であっても、フィルムであっても、データであっても。
 母の姿の痕跡は、俺の父が全て消してしまった。
 焼き尽くし、切り刻み、溶かし、完全なデリートを施し。
 母がこの世に在った証を、父は全て消した。

 父にとって、母がどんな存在だったのかは分からない。
 愛していた、と、誰か――確か、かつては屋敷に居てくれた使用人か、父を訪ねた、両親の旧友が、こそりと教えてくれた気がする。

 だけど、かつての父と母の間に愛があろうがなかろうが、俺には然程関係ない話だった。
 そこに、どんな感情が、どんな揺らぎがあろうと。
 どんな絶望が、あったとしても。
 ――母の死をきっかけに、父が精神の平衡を失った事実だけが、俺の記憶と俺の身には刻まれている。

 俺が赤子から緩やかに育ち、自我を、心を知り。
 俺が俺として生き始めた頃には既に、母の姿はどこにもなく、父は、狂っていた。

 母の痕跡、母が生きた証、全てを潰し、消して、葬った父だが、唯一消しきれない痕跡があった。
 ――俺だ。
 父と母が、かつては愛し合った証。
 俺だけ、まだ生き延びていた。
 そんな俺に、父は激しい憎しみを向けた。

 きっと、心が壊れたあの人は、俺の父にあたるあの人は。
 何かを憎まないと、生きていけなかった。
 彼が生きる為の捌け口に選ばれたのが、俺だった。

 ――声が、醜いと言われた。
 幼い頃の俺の声には、母の面影があったらしい。
 声を発する度に殴られた。
 痛みに、怒声に、ひたすら怯えて。
 俺はいつしか、声を封じた。
 たまに痛みに耐え切れず、泣き声を、悲鳴を上げてしまった時は――いつもより、酷い折檻を受けた。
 ずっと黙っていたせいで、俺は自分の声変わりの時期というものに気付かなかった。
 実の父に疎まれたこの声が、どれだけ成長によって変わろうが。
 俺には同じ、無価値に思えた。

 顔が、醜いと言われた。
 何故のうのうと生きているのか、何故おまえのような出来損ないが生まれたのか。
 父は俺の全てを否定し、蔑み、痛めつけた。

 暴力の記憶は、実はうすぼんやりしている。
 恐らく心を守る為、脳が勝手に保護をかけている。

 家では父の暴力しか待っていなかったのに、狂って落ちぶれていく父を周りは次々に見限り、富裕層の暮らしも危うくなったのに。

 俺を苛む痛みは、さらに広がっていった。


 富裕層の良家の出ということもあり、俺は学校というものに通っていた。
 バトル・ロボイヤルに関係している養成学校ではなく、学業を修め、知恵を、知識を得る場。

 そこにも、俺の居場所はなかった。

 もともと内向的だった俺の性格、父の暴力に怯えすぎて形成された、過剰に臆病な挙動、ろくに喋れない、顔もほとんど隠している、存在の異質さ。
 そして歴史ある良家出身故に向けられる妬み、やっかみ。
 噂として広まっていた、狂った父の悪評。
 それらが結び付きすぎて、いじめ、というものを受けた。
 こちらも、詳細な記憶自体はうすぼんやりしている。

 残ったのは、恐怖心、自己嫌悪、罪悪感、絶望。
 痛みへの怯え。
 ――他人への、怯え。

 人間が、怖くなってしまった。
 人間がひしめく、外の世界も怖くなってしまった。
 だって、生き物も世界も、いつ俺に牙を剥くかわからない。
 俺にとっては、この世の全てが天災だった。

 怯えはいつしか、俺にとっての病に変わった。
 一度恐怖を意識してしまえば、身体がおかしくなる。
 震えて、力が抜けて、そして、汚らしく吐く。
 おれのこの病は、おれを虐げる者たちをさらに不快にさせた。彼らの苛立ちを深めさせた。

 罪悪感が増して、増して。
 声を出すことも恐ろしいから、謝罪も懺悔も、俺はその術を知らなくて。

 俺の中で、俺を構成するものに対する無価値の範囲は広がっていった。
 痛いのも怖いのも嫌で。
 周りに不快感を、怒りを与えてしまう自分も許せなくて。

 そうして俺は、逃げ出した。
 俺が生きてきた全ての社会から、枠組みから、完全にドロップアウトした。

 家を捨て、学び舎を捨てて、身分を捨てて。
 数年は一人だったけど、でも生き切れなかった。
 俺の体質では、自立なんて夢のまた夢。

 最初は逃げようと思った。
 でも、数年間の失敗の積み重ねを以て。
 逃げて、逃げて、逃げていたのに――諦めで、足を止めてしまった。

 自分の幸せな未来が、何一つ見えなかった。
 幸せというものが、全くイメージできなかった。

 やりたいことなんて、何一つ無かった。

 強いて言うなら俺は、路傍の石になりたかった。
 誰にも関心を向けられないのは――憎まれ虐げられることよりも、安息があると思えたから。

 逃げることすら諦めて、立ち止まって。
 俺が選んだ選択は、俺が下した決断は――死、だった。

 ふらりとあてもなく歩き続け、気がついたら俺は暗い水面を見つめていた。
 手摺りの向こうの、狭い、足場に立ち尽くして。

 死のうと、思った。

 痛いのは怖い。
 苦しいのは怖い。
 でも、痛みを知りすぎたせいで。
 水面を見て、水底をイメージして、思ってしまった。
 痛いよりは、苦しい方が、ずっといい。

 だからあの冷たい水に飛び込もうとした。
 
 それでもまだ死への恐怖を拭い切れずに、足が動かない自分が情けなかった。
 なんで、いまさら。
 このまま生きていても、俺なんて。
 俺には、生きることも、生きる歓びも似合わない。

 出来損ないの足に、動け、動けと念じて。
 ようやく水面のその先に飛び込もうとした時。

 ――俺を、抱き締めてくれたひとがいた。
 正確には、抱き締めてくれた子、だった。

 いつのまに彼が俺の至近距離まで近付いていたのかは、未だにわからないけれど。


『――だめ、だよ』

『簡単に死んだりしたら、だめ、だよ』


 血の繋がった父親からも、友であるべき同級生からも虐げられてきて、すっかり俺まで、俺自身の命をちっぽけなものだと、ゴミのようだと思っていたのに。

 なのに、その子は。
 その日、初めて会った、ほんの、5、6歳の男の子は。
 ――花楓は。

 花楓は、こんな俺の命を惜しんでくれたんだ。
 無価値だと思うしかなかった俺の命なんかに、価値を見出してくれたんだ。

 親にも、誰にも、抱き締められたことがなく、温もりを知らなかった俺を、花楓は抱き締めてくれて。
 その温かさが、今も忘れられない。

 冷たい水の中で、こんな命を終わらせるつもりだったのに。
 代わりに、頬を温かいものが伝った。
 それは涙だと、花楓は言った。
 俺の知っている涙とは違う。そう、花楓に言ったら。

『知らにゃいの? 涙は、うれしい時も出るもんだよ?』

 じゃあこれは、俺の、知らない涙。
 
 その日俺が得たのは、冷たい水底でのラストシーンではなく。
 ひとしずくの、温かい涙だった。
 嬉しいという感情、だった。

 ――それが、俺の過去。

 思い出したあまりの温かさに、身体が、心がついていけず、また泣き崩れてしまった俺に、優しい声がかけられる。
 チャットで過去を送り付けた俺の長話を、時々穏やかな相槌付きで聞いてくれたレッドさん。

 そして、また。
 俺が、俺の知らない言葉で救われるその時が、近づいていた。
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