【完結】『紅蓮の算盤〜天明飢饉、米問屋女房の戦い〜』

月影 朔

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第二章:暗転と絶望

第十話:悪徳商人の計画

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 大坂の町の惨状とは裏腹に、豪奢な装飾が施された屋敷の中は、重苦しい煙草の煙と、歪んだ高揚感に満ちていた。

 巨大な米問屋「淀屋(よどや)」の主人、辰蔵(たつぞう)は、肥満した体を椅子に沈め、満足げに目を細めていた。

 彼の目の前では、数人の腹心たちが、これからの計画について報告している。

「飢饉の進行は順調でございます。町の米は見る見るうちに減り、価格は天井知らずに跳ね上がっております」
 細面の男が、辰蔵に頭を下げて報告した。

「うむ。皆、よく働いている」

 辰蔵は低い声で褒めた。彼の言う「よく働く」とは、米を買い占め、倉に囲い込み、飢えに苦しむ庶民には一切回さないということだ。

「北からの入荷は、もはや望めません。京も江戸も、どこもかしこも同じ状況。今や、米を持っている者が世を意のままに動かせる時代でございます」
 別の部下が、興奮した面持ちで言った。

 辰蔵は、満足げに煙を吐き出した。飢饉は、彼にとって天からの恵みだった。長年商売をしてきたが、これほど容易に、これほど巨額の富を築ける機会はなかった。

「米を囲い込むだけでなく、市場には僅かずつしか流すな。価格は毎日吊り上げるのだ。庶民どもが餓えに苦しめば苦しむほど、米の価値は増す。我々が握っている米は、もはや黄金以上の価値を持つこととなる」

 辰蔵の目は、金銭への飽くなき欲望にギラついていた。

 彼の計画は冷酷で単純明快だった。飢饉を利用して米を独占し、市場から米をなくすことで価格を思うがままに操作する。そして、頃合いを見て隠匿していた米を放出し、飢えに喘ぐ人々から最後の銭まで搾り取るのだ。

「ところで…先日、稲穂屋に仕掛けた件はどうなった」

 辰蔵は、不意に声のトーンを落として尋ねた。先日稲穂屋に罠を仕掛けた手下が、顔色を悪くして前に出た。

「申し訳ございません、旦那様…あの若女房の機転により、契約不履行には持ち込めませんでした」
 手下は震えながら報告した。

「何だと?」
 辰蔵の目が吊り上がった。

「たかが小さな米問屋の女房に、この俺の計画を邪魔されたというのか!」

「弁解の余地もございません…契約書のわずかな隙を突かれ…」
 手下はさらに体を縮こまらせた。

 辰蔵は、忌々しげに舌打ちをした。稲穂屋は小さな店だが、あのお凛という女房がどうにも鼻につく。先の油問屋の件でも、そして今回の件でも、彼女の機転によって計画が狂わされた。飢饉が本格化する前に、邪魔な芽は摘んでおかなければならない。

「稲穂屋は邪魔だ。あの女房がいる限り、何を仕掛けてくるか分からん」
 辰蔵は、冷たい声で言った。

「では、次はどのような手を…」
 手下の一人が尋ねた。

 辰蔵は、歪んだ笑みを浮かべた。

「次こそ、奴らが二度と立ち上がれぬような手に打つ。法の目を掻い潜り、奴らを地の底に突き落とすのだ。そして、奴らが持っているわずかな米も、全て我々のものとする」

 彼の脳裏には、稲穂屋を破滅に追い込むための、より大規模で悪質な計画が練られていた。米の独占、価格操作といった不正に加え、法の抜け穴や、あるいは権力との繋がりをも利用するつもりなのだ。

「あの女房が算盤で計算が得意だというのならば…その算盤ごと叩き潰してやる」

 辰蔵は、憎々しげに呟いた。

 屋敷の外では、飢えと寒さに震える人々が、明日への希望を失いかけている。

 一方、この屋敷の中では、人間の貪欲さが醜い計画を練り上げ、更なる悲劇を引き起こそうとしていた。悪徳商人の悪意は、飢饉という災いを助長し、大坂の町をさらなる絶望へと突き落とそうとしていた。

 稲穂屋、そしてお凛は、この巨大な悪意にどう立ち向かうことになるのか。
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