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第二章:君が描き続けた空
第十二話:最後の約束
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巧は、握りしめた手紙を、そのまま床に座り込んで開いた。
五年間、埃をかぶっていたアトリエの床は、巧の心と同様に冷え切っていた。
震える指先で封筒の口を破ると、中から何枚かの便箋が滑り落ちた。
そこには、見慣れた悠人の筆跡で、びっしりと文字が綴られている。
『巧へ
この手紙が君の手に渡る頃には、俺はもうこの世にはいないだろう。
だけど、君がこの手紙を読んでいるということは、君が絵を描くことを完全にやめてしまうかもしれない、そんな瀬戸際なんだと思う。』
最初の数行を読んだだけで、巧の心臓は激しく波打った。
悠人が、自分の状況を正確に言い当てたことに、驚きと同時に言いようのない感情が込み上げてくる。
まるで、悠人が今もここにいて、自分の心を覗き込んでいるかのようだ。
『俺は知ってるよ。君がどれだけ絵を愛しているか。
そして、俺がいなくなって、君が筆を置くかもしれないってことも、薄々感じていた。
君は、いつも俺の隣で、俺の絵を褒めてくれたり、時には厳しく意見をくれたり、俺にとって最高の理解者だったから。』
巧の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
悠人の言葉は、巧が誰にも言えずに抱えていた苦しみを、真正面から受け止めてくれていた。
五年もの間、巧の心に重くのしかかっていた孤独が、悠人の言葉によって少しずつ溶かされていく。
『本当は、君と二人で、もっとたくさんの絵を描きたかった。
二人展を開いて、たくさんの人に僕たちの絵を見てもらいたかった。
あの夕焼けの空も、完成させたかったな。』
「夕焼けの空……」
巧は、思わず呟いた。
彼の視線は、部屋の隅に立てかけられた、例の未完成のキャンバスへと向けられた。
それは、悠人が死の直前まで描いていた絵だった。
地平線に沈む燃えるような夕日と、そのグラデーションに染まる雲。
しかし、空の大部分はまだ白いまま、未完成で残されていた。
あれは、巧と悠人が、高校生の頃に二人でスケッチに出かけた時、偶然出会った景色だった。
あまりにも美しく、二人は言葉を失った。
そして、いつか二人で、あの夕焼けの空を描こうと誓い合ったのだ。
悠人が病に倒れてからも、彼はその絵を描き続けていた。
巧は、悠人の遺品の中からその絵を見つけた時、胸が締め付けられるような痛みを感じた。
そして、筆を握ることをやめた巧にとって、その絵は、過去の輝かしい夢と、失われた親友の象徴として、ずっと放置されたままだった。
『君なら、きっと俺の続きを描ける。
いや、俺の続きじゃない。
君自身の、新しい空を描けるはずだ。
俺は、君の才能を誰よりも信じているから。』
悠人の言葉は、巧の心を深く揺さぶった。
悠人は、巧の絵を、誰よりも高く評価してくれていた。
その言葉が、巧の心の奥底に埋もれていた、絵を描くことへの情熱を、微かに呼び覚まそうとしていた。
『だから、お願いだ。巧。
俺が描きたかったこの夕焼けの空を、君の筆で完成させてほしい。
君の新しい色で、未来へと続く空を、描いてほしいんだ。』
便箋の最後には、震えるような文字で、そう書かれていた。
それは、悠人からの最後の願いであり、巧への、未来への託しだった。
巧は、手紙を握りしめたまま、その場にうずくまった。
目からとめどなく涙が溢れ出し、便箋の文字を滲ませていく。
五年間、巧の心に巣食っていた、悠人の死への後悔、そして絵を描くことをやめてしまった自分への絶望。
それらの感情が、悠人の手紙によって、温かい涙となって流れ出していく。
「悠人……っ」
巧は、声にならない嗚咽を漏らした。
それは、親友への深い愛情と、感謝、そして自分自身の心の奥底で燻っていた絵への想いが入り混じった、複雑な感情だった。
手紙は、巧に、再び筆を握る理由を与えてくれた。
それは、悠人の願いを叶えるためであり、同時に、巧自身の魂を救うための、最後のチャンスのように思えた。
巧の視線は、再び未完成の夕焼けの空へと向けられた。
埃をかぶったキャンバスの上には、悠人の最後の筆致が、今も鮮やかに残っている。
その絵は、五年間、巧の心を縛り付けていた鎖でもあったが、今、手紙を読んだ巧にとっては、未来へと続く希望の光のように見えた。
巧の心の中で、止まっていた時間が、ゆっくりと動き始めた。
五年間、埃をかぶっていたアトリエの床は、巧の心と同様に冷え切っていた。
震える指先で封筒の口を破ると、中から何枚かの便箋が滑り落ちた。
そこには、見慣れた悠人の筆跡で、びっしりと文字が綴られている。
『巧へ
この手紙が君の手に渡る頃には、俺はもうこの世にはいないだろう。
だけど、君がこの手紙を読んでいるということは、君が絵を描くことを完全にやめてしまうかもしれない、そんな瀬戸際なんだと思う。』
最初の数行を読んだだけで、巧の心臓は激しく波打った。
悠人が、自分の状況を正確に言い当てたことに、驚きと同時に言いようのない感情が込み上げてくる。
まるで、悠人が今もここにいて、自分の心を覗き込んでいるかのようだ。
『俺は知ってるよ。君がどれだけ絵を愛しているか。
そして、俺がいなくなって、君が筆を置くかもしれないってことも、薄々感じていた。
君は、いつも俺の隣で、俺の絵を褒めてくれたり、時には厳しく意見をくれたり、俺にとって最高の理解者だったから。』
巧の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
悠人の言葉は、巧が誰にも言えずに抱えていた苦しみを、真正面から受け止めてくれていた。
五年もの間、巧の心に重くのしかかっていた孤独が、悠人の言葉によって少しずつ溶かされていく。
『本当は、君と二人で、もっとたくさんの絵を描きたかった。
二人展を開いて、たくさんの人に僕たちの絵を見てもらいたかった。
あの夕焼けの空も、完成させたかったな。』
「夕焼けの空……」
巧は、思わず呟いた。
彼の視線は、部屋の隅に立てかけられた、例の未完成のキャンバスへと向けられた。
それは、悠人が死の直前まで描いていた絵だった。
地平線に沈む燃えるような夕日と、そのグラデーションに染まる雲。
しかし、空の大部分はまだ白いまま、未完成で残されていた。
あれは、巧と悠人が、高校生の頃に二人でスケッチに出かけた時、偶然出会った景色だった。
あまりにも美しく、二人は言葉を失った。
そして、いつか二人で、あの夕焼けの空を描こうと誓い合ったのだ。
悠人が病に倒れてからも、彼はその絵を描き続けていた。
巧は、悠人の遺品の中からその絵を見つけた時、胸が締め付けられるような痛みを感じた。
そして、筆を握ることをやめた巧にとって、その絵は、過去の輝かしい夢と、失われた親友の象徴として、ずっと放置されたままだった。
『君なら、きっと俺の続きを描ける。
いや、俺の続きじゃない。
君自身の、新しい空を描けるはずだ。
俺は、君の才能を誰よりも信じているから。』
悠人の言葉は、巧の心を深く揺さぶった。
悠人は、巧の絵を、誰よりも高く評価してくれていた。
その言葉が、巧の心の奥底に埋もれていた、絵を描くことへの情熱を、微かに呼び覚まそうとしていた。
『だから、お願いだ。巧。
俺が描きたかったこの夕焼けの空を、君の筆で完成させてほしい。
君の新しい色で、未来へと続く空を、描いてほしいんだ。』
便箋の最後には、震えるような文字で、そう書かれていた。
それは、悠人からの最後の願いであり、巧への、未来への託しだった。
巧は、手紙を握りしめたまま、その場にうずくまった。
目からとめどなく涙が溢れ出し、便箋の文字を滲ませていく。
五年間、巧の心に巣食っていた、悠人の死への後悔、そして絵を描くことをやめてしまった自分への絶望。
それらの感情が、悠人の手紙によって、温かい涙となって流れ出していく。
「悠人……っ」
巧は、声にならない嗚咽を漏らした。
それは、親友への深い愛情と、感謝、そして自分自身の心の奥底で燻っていた絵への想いが入り混じった、複雑な感情だった。
手紙は、巧に、再び筆を握る理由を与えてくれた。
それは、悠人の願いを叶えるためであり、同時に、巧自身の魂を救うための、最後のチャンスのように思えた。
巧の視線は、再び未完成の夕焼けの空へと向けられた。
埃をかぶったキャンバスの上には、悠人の最後の筆致が、今も鮮やかに残っている。
その絵は、五年間、巧の心を縛り付けていた鎖でもあったが、今、手紙を読んだ巧にとっては、未来へと続く希望の光のように見えた。
巧の心の中で、止まっていた時間が、ゆっくりと動き始めた。
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