『未来郵便局』

月影 朔

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終章:配達人の還る場所

第六十話:両親の真実

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 時雨は、幼い自分が書いた手紙を握りしめたまま、局長の言葉を待った。

 雨音が窓の外でひときわ強まり、まるで彼の心に渦巻く感情を映し出すかのようだった。

 長年、心の奥底に封じ込めてきた問いが、今、目の前で明らかにされようとしている。

 局長は、時雨の真剣な眼差しを受け止め、ゆっくりと、しかしはっきりと語り始めた。

「君の両親は、君がこの『ひだまりの家』に預けられた後、間もなくして事故で亡くなった」

 その言葉は、時雨の胸に、冷たい氷の塊が落ちてきたかのような衝撃を与えた。

 彼の両親は、生きていた。
だが、もうこの世にはいない。

 彼の脳裏に、幼い頃の断片的な記憶が蘇る。

 両親の顔も声も覚えていない。

 ただ、漠然とした寂しさと、置き去りにされたような感覚だけが、彼の心にずっと残り続けていた。

 しかし、彼らがすでにこの世にいないという事実は、彼の想像の遥か上を行くものだった。

「事故、ですか……」
時雨の声は、掠れてほとんど聞こえなかった。

 局長は、静かに頷き、その目を遠い過去を見つめるように細めた。

 「そうだ。それは、突然の悲劇だった。
だが、彼らは、君を預ける前に、我々未来郵便局を訪れていた。
そして、万が一のことがあった場合、この手紙を君に届けてほしいと、我々に託していたのだ」

 時雨は、驚きに目を見開いた。

 両親が、未来郵便局に? 
そして、自分への手紙を?

 「なぜ……
なぜ、すぐに届けなかったのですか?」

 時雨は、思わず声に力を込めた。

 長年の疑問が、怒りにも似た感情となって込み上げる。

 もし、もっと早く手紙が届いていれば、彼の孤独は、少しは和らいでいたのではないか。

 局長は、時雨の問いに、穏やかな表情を崩さず、むしろ慈しむような眼差しで彼を見つめた。

 「それは、君の両親が設定した、手紙の配達条件によるものだ」

 時雨は息を呑んだ。

 配達条件。
それは、未来郵便局の最も重要なルールであり、故人の想いを未来へ繋ぐための鍵となるものだ。

 彼は今まで、数えきれないほどの手紙を、その条件が満たされた時に届けてきた。

 しかし、彼自身の手紙に、両親が条件を設定していたとは、夢にも思わなかった。

「彼らは、君がこの施設を出て、自分の足で人生を歩み始めた時、そして何よりも、君が『手紙を届ける意味を見失いそうになった時』に、この手紙を届けてほしいと願っていた」

 局長の言葉が、時雨の胸に重く響いた。

 「それは……
僕が自分で設定した条件と、同じ、ということですか?」

 時雨は、茫然としたまま、手に握りしめた幼い日の手紙を、再び見つめた。

 そこには、宛名のない『お父さん、お母さんへ』という文字が書かれている。

 そして、彼がこの手紙を未来郵便局に預けた際、自ら設定した配達条件。

 『時雨が、手紙を届ける意味を見失いそうになった時』。

 局長は、微かに笑みを浮かべた。

 「そうだ。
不思議に思うかもしれない。
だが、これは偶然ではない。
君の両親は、深い愛情と、類稀なる洞察力を持っていた。
彼らは、君が成長するにつれて、きっと自分たちの不在に苦しみ、そして、その苦しみから逃れるために、心の壁を築くことを予見していたのだろう」

「彼らは、君に、無理に自分たちを忘れさせようとはしなかった。
むしろ、君が自分自身の力で、生きる意味を見つけ、人々と繋がり、そしていつか、君自身の心の空白と向き合う時が来ることを信じていたのだ」

 時雨の瞳に、涙が滲んだ。

 それは、悲しみだけではない、深い理解と、愛情の光だった。

 両親は、彼を置き去りにしたわけではなかった。
彼らは、彼が自立し、成長するまで、見守り続けていたのだ。

 そして、彼が最も助けを必要とする時、彼らが遺した手紙が、彼自身を救うように、導かれるように届けられた。

 局長は、デスクの引き出しから、もう一通の白い封筒を取り出した。

 それは、時雨が手にしている手紙よりも、少しだけ大きく、そして丁寧に封がされていた。

「そして、これは、君の両親が、君のために書いた手紙だ。
君が、君自身の手紙を受け取る時、この手紙も同時に受け取るようにと、彼らは願っていた。
これは、彼らが、君に伝えられなかった、君への想いのすべてだ」

 局長は、その手紙を時雨に差し出した。

 時雨の視線は、その手紙に釘付けになった。

 彼の両親が、彼のために書いた手紙。その存在を、彼は今まで一度も知らなかった。

 震える手で、時雨はもう一通の手紙を受け取った。

 それは、彼がこれまで配達してきたどの手紙よりも、重く、そして尊いものに感じられた。

 彼の両親が、この世を去る直前に、彼に残した最後のメッセージ。

 その中には、長年彼を縛り付けてきた孤独の鎖を解き放つ、真実の愛が込められているに違いない。

 雨音は、もう気にならなかった。

 時雨の心の中には、ただ、今まで知らなかった両親の愛への渇望と、それに触れることへの畏れ、そして一抹の期待が渦巻いていた。

 彼は、配達人としてではなく、息子として、初めて手紙を受け取る。

 それは、彼の人生を、根底から変えるであろう、かけがえのない瞬間だった。
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