【完結】「大家さんは名探偵!~江戸人情長屋と七不思議の謎~」

月影 朔

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第二部:過去からの呼び声

第十話:見え隠れする敵意

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 長屋の壁に描かれた呪詛めいた落書きはすぐに消されたが、福寿長屋には得体の知れない不安が澱(よど)んでいた。

 住人たちは互いに顔を見合わせ、ひそひそと囁き合う。

 大家のおふくは、いつものように住人たちの前では穏やかに振る舞っていたが、その内側では、研ぎ澄まされた警戒心が張り巡らされていた。

 過去の経験が、この不穏な気配が、単なる悪戯ではないことを告げていた。

 そんな折、あやかし横丁に、見慣れない男が現れるようになった。浪人風の身なりだが、その立ち居振る舞いには、どこか町人にはない隙のなさがあった。

 男は、横丁をぶらつくように見せかけながら、時折、福寿長屋にじっと視線を向けた。おふくは一度、その男と目が合った気がしたが、すぐに逸らされた。しかし、その男の眼光の鋭さ、纏う空気は、おふくにとって決して忘れることのできない、かつての同胞、あるいは敵対した者たちのそれを思わせた。

(奴らか…)

 おふくの背筋に、再び冷たいものが走る。過去の影が、とうとうここまで追ってきたのだ。彼らの目的は、自分がこの長屋に隠した「何か」に違いない。

 敵は、直接おふくを襲うのではなく、長屋の住人を利用しようとしていた。

 絵師の清吉は、腕は立つが、どうにも金回りが悪く、賭け事で小さな借金を作っていた。その弱みに目をつけたらしい。不審な男が清吉に近づき、金をちらつかせながら、おふくの普段の様子を探るよう、あるいは、おふくの部屋にある特定の品を運び出すよう、持ちかけていることを、おふくは清吉の様子の変化から察知した。

 清吉は罪悪感と恐怖から顔色が悪く、おふくの顔を見ようとしない。

 おふくは、清吉を呼び止め、二人きりになったところで優しく語りかけた。

「清吉さん、何か悩んでいらっしゃるようですね。もし、誰かに脅されたり、無理な頼み事をされたりしているのであれば、私に話してください」

 おふくの言葉に、清吉はびくりと肩を震わせたが、結局何も言えずに俯いてしまった。無理に聞き出すことはせず、おふくはただ、「一人で抱え込まないでくださいね」とだけ言い残した。

 清吉だけでなく、他の住人たちの周りにも、不審な影がちらついている気配があった。敵は、長屋という共同体の弱点、つまり住人たちの信頼関係や、それぞれの抱える悩みにつけ込もうとしているのだ。

 その狙いは、長屋そのものではなく、あくまでおふく自身にあることを、おふくは痛いほど感じていた。

(私を孤立させ、長屋を乱し、そこから私をおびき出すつもりか…)

 おふくは、住人たちを守るため、そして長屋に隠した「何か」を守るため、水面下で動き始めた。かつて培った情報収集の術、人の心の機微を読む力、そして気配を消して動く訓練。それらが、眠りから覚めたかのように彼女の中で息づき始める。

 長屋に迫る危機は、人情やユーモアでは解決できない、明確な敵意を伴っていた。

 おふくは、愛する福寿長屋を守るため、再び、過去と対峙する覚悟を決めた。
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