【完結】『謀反人の汚名を着た武田信玄 ~残された秘策と隠された忠義~』

月影 朔

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第二章:蠢く者たち

第二十三話:越後の風

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 北条氏政からの密使との接触を終えた信玄は、次なる布石を打つべく、望月千代女に新たな密命を下した。

 それは、越後の国、上杉謙信へと繋がる、ある密約の存在を探ること。そして、その情報は、若き密偵、小太郎へと伝えられた。

 小太郎は、美濃の国境での激戦で負った傷が癒えきらぬ体で、再び旅路についた。

 信玄の深謀遠慮が、いかに広大な人脈と情報網によって支えられているかを知った今、彼の使命感は、以前にも増して強固なものとなっていた。

 尾張から信濃路を抜け、さらに北へ。越後の山々は、まだ雪解けの季節には早かった。吹き荒れる風は冷たく、彼の頬を容赦なく叩きつける。

「越後の風は、甲斐の風とはまるで違うな……」

 小太郎は、凍える手で手綱を握りながら、馬上で呟いた。越後へ向かう道は、険しく、人影もまばらだった。彼は、織田方の警戒を潜り抜け、人目を避けて山中を進んでいく。

 信玄からの密命は、漠然としたものだった。「上杉謙信との間に、ある密約が存在する」その密約とは何か。そして、それが信玄の秘策にどう関わってくるのか。

 小太郎には、まだ見当がつかなかった。しかし、信玄がこの時期に上杉との関係を探らせるということは、その密約が、現在の情勢において重要な意味を持つに違いない。

 越後の国に入ると、景色は一変した。
雪深い山々は、人里から隔絶された静けさを保っていたが、時折、遠くから人々の声が聞こえる。上杉家の領地は、武田とは異なる独自の文化が息づいており、小太郎は、その違いを肌で感じていた。

 数日後、小太郎は、信玄から示された手がかりの場所へと近づいていた。

 それは、越後の山中にある、小さな集落だった。そこには、上杉家に仕える、ある老いた修験者が暮らしているという。
その修験者こそが、信玄と謙信の密約を知る、数少ない人物の一人であるとされていた。

 小太郎は、修験者の庵へと向かう山道を登っていた。しかし、その時、彼の忍びとしての鋭敏な感覚が、微かな異変を察知した。

 風に乗って、金属が擦れる音が聞こえる。そして、土に踏み固められた、複数人の足跡。それは、自分のものとは異なる、警戒すべき気配だった。

「まさか……」

 小太郎は、身を隠すように木々の陰に潜んだ。そして、彼の視界の先に現れたのは、見慣れた黒い装束の集団だった。

 黒脛巾組の残党。美濃の国境で彼を追い詰めた、あの忍びたちだ。彼らは、修験者の庵へと向かっているようだった。

「なぜ、奴らがここに……」

 小太郎の心臓が大きく跳ね上がった。黒脛巾組は、信玄の秘策を探っている。彼らが、上杉との密約の存在を知っているとすれば、それは、信玄の計画にとって大きな脅威となる。

 小太郎は、素早く状況を判断した。このまま放置すれば、黒脛巾組が修験者から情報を聞き出すか、あるいは彼を殺害してしまうかもしれない。そうなれば、信玄の密命は達成できなくなる。

 彼は、音もなく黒脛巾組の後を追った。彼らは、警戒しながらも、目的地の庵へと近づいていく。庵の周囲には、すでに黒脛巾組の忍びが数人、見張りに立っていた。彼らは、修験者を捕らえ、尋問するつもりなのだろう。

 小太郎は、庵の周囲を警戒しながら、侵入経路を探った。庵は、簡素な造りだが、周囲には修験者ならではの結界のようなものが張られており、容易には近づけない。
しかし、忍びとして訓練を積んだ小太郎には、その結界の綻びが見えた。

 彼は、その綻びを見抜き、音もなく庵の裏手へと回り込んだ。庵の窓から、かすかに話し声が聞こえてくる。黒脛巾組の忍びたちが、修験者を脅し、密約について聞き出そうとしているようだ。

「老いぼれめ!さっさと吐け!信玄と謙信の密約とは何だ!」

 荒々しい声が響く。修験者は、何も答えない。しかし、彼の苦しそうな呻き声が、小太郎の耳に届いた。

 小太郎は、これ以上待てない。
彼は、素早く窓を破り、庵の中へと飛び込んだ。突然の闖入者に、黒脛巾組の忍びたちは、驚きに目を見開いた。

「何者だ!」

 忍びの一人が叫び、刀を抜いて小太郎に襲い掛かってきた。小太郎は、迷わず刀を抜き、その攻撃をかわした。庵の中は狭く、視界も悪い。しかし、小太郎の動きは、素早く、そして的確だった。彼は、黒脛巾組の忍びたちの攻撃をかわしながら、修験者の元へと駆け寄った。

「修験者殿、ご無事か!」

 小太郎は、修験者を庇うように前に立った。修験者は、顔色こそ悪いが、意識ははっきりしているようだった。

「武田の若き忍びか……」

 修験者は、小太郎の姿を見て、どこか安堵したように呟いた。彼もまた、信玄から小太郎が来ることを伝え聞いていたのだろう。

「貴様、武田の回し者か!」

 黒脛巾組の忍びたちが、一斉に小太郎に襲い掛かってきた。小太郎は、修験者を守りながら、彼らと対峙した。彼の剣術は、以前にも増して鋭さを増していた。美濃での経験が、彼を成長させていたのだ。

 激しい攻防が繰り広げられた。
庵の中は、刀と刀がぶつかり合う音、そして、忍びたちの呻き声で満ちる。

 小太郎は、一人で数名の忍びを相手に奮戦していた。しかし、黒脛巾組の忍びたちも、手練ればかりだ。徐々に、小太郎は追い詰められていく。

 その時、修験者が、かすれた声で叫んだ。
「小太郎殿!あの文箱を!」

 修験者が指差したのは、庵の隅に置かれた、古びた文箱だった。小太郎は、一瞬の隙を突き、その文箱へと飛びついた。黒脛巾組の忍びが、それを阻止しようと追いかけてくる。

 小太郎は、文箱を掴み取り、その蓋を開けた。中には、古びた巻物が一本、収められていた。それは、信玄と謙信の密約が記されたものなのだろうか。

 しかし、その瞬間、小太郎の背後から、強烈な殺気が迫った。黒脛巾組の頭目らしき男が、妖しい笑みを浮かべ、刀を振り上げていた。

「終わりだ、武田の小僧!」

 小太郎は、振り向く間もなく、その攻撃を受けた。彼の身体は、大きく宙に舞い、文箱を抱えたまま、床に叩きつけられた。

 激しい痛みが全身を貫き、彼の視界は闇に包まれていった。
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