『古民家カフェ月見草と、記憶を繋ぐ猫のレシピ』

月影 朔

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第4章:月見草の未来

第57話:受け継がれる温かい想い

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 桜の花びらが風に舞い散る中、カフェ「月見草」は今日も穏やかな朝を迎えた。

 窓から差し込む朝の光が、磨き上げられた木の床に長く優しい影を落としている。

 焼きあがったばかりのスコーンの甘く香ばしい匂いが店中に満ちて、私の胸を満たした。

「花さん!」

 元気いっぱいの声がカフェの扉を開け、ひかりちゃんが美咲さんの手を引いて駆け込んできた。

 その瞳は、まるで朝露に濡れた新緑のようにきらきらと輝いている。

 美咲さんが申し訳なさそうに微笑む。

「朝早くにごめんなさいね。
ひかりがどうしてもって聞かなくて」

「ううん、大丈夫ですよ」

 私は笑顔で二人を迎える。

 ひかりちゃんはまっすぐに私のもとへ来ると、少し照れたように俯きながら、小さな声で言った。

「あのね、花さんみたいに、お菓子が作れるようになりたいの」

 その言葉に、私の心臓が小さく跳ねた。

 目を輝かせたひかりちゃんの顔には、一点の曇りもなかった。

 かつて私がパティシエを夢見ていた頃の、あの純粋な情熱がそこにあった。

「ひかり、急にそんなこと言って、花さんを困らせちゃダメでしょ」

 美咲さんがたしなめる声を出すけれど、私は首を横に振った。

「いいんですよ、美咲さん。
嬉しいな、ひかりちゃん。
私でよかったら、いくらでも教えるよ」

 私の言葉に、ひかりちゃんはパッと顔を上げた。

 その笑顔は、春の光そのものだった。

 テーブルの上に祖母のレシピノートを広げ、私はひかりちゃんに語りかける。

「お菓子作りってね、ただレシピ通りに作るだけじゃないんだよ。
誰かの笑顔を思い浮かべて、その人のことを考えながら作るんだ」

 ひかりちゃんは真剣な顔で私の話に耳を傾けている。

 その小さな手を、私はそっと握った。

「これ、ひかりちゃんに預けておくね」

 そう言って、私はエプロンのポケットから使い込まれた一本の泡立て器を取り出した。

 それは、祖母が長年愛用していたものだ。

 柄の部分は使いすぎて木目が滑らかになり、金属の部分も少しくすんでいる。

 けれど、その形には祖母の温かい手の温もりが確かに残っていた。

「これはね、私の大好きなおばあちゃんが使っていた泡立て器なんだ。
このカフェを始めた、おばあちゃんの想いがたくさん詰まっているんだよ」

 ひかりちゃんは目を丸くして、その泡立て器を見つめている。

 そして、恐る恐る手を伸ばし、そっとその柄を握りしめた。

 ひかりちゃんの小さな手に包まれた泡立て器は、まるで新しい命を吹き込まれたかのように見えた。

「おばあちゃんの想い……
花さんの想い……
これを、ひかりが受け継ぐんだね」

 ひかりちゃんのまっすぐな言葉が、私の心に深く響いた。

 胸の奥が、温かいもので満たされていく。

 都会で夢を諦めた私が、この場所で祖母の想いを受け継ぎ、そして今、その想いがひかりちゃんへと繋がっていく。

 世代を超えて、温かい気持ちがバトンのように手渡されていく瞬間を目の当たりにして、私は静かな感動に包まれた。

 カウンターの隅でこの様子を見ていたみたらしが、ゆっくりと尻尾を揺らした。

「やれやれ、また面倒なことを始めたな、人間。
だが、悪い気はしないようだな」

 彼の心の声が聞こえた気がした。

 私は、みたらしに視線を送ると、彼は得意げに鼻を鳴らした。

 きっと、彼も喜んでくれているのだろう。

 この古民家カフェ「月見草」は、これからも多くの人々の心を癒し、成長を促す場所であり続ける。

 それは、単にお菓子を提供する場所ではない。

 人と人、そして過去から未来へと、温かい想いを繋いでいく。

 そんな、かけがえのない場所なのだと、私は改めて強く感じた。

 ひかりちゃんの瞳に宿る希望の光が、このカフェの未来を明るく照らしているように思えた。
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